久山けふ様 『禍福は折り曲げしフォー チュン・クッキーの如く2 』
心当たりな場所にあたる度、周囲を見回しながら足早に歩き続けていた歩みをふと止めた。 目についたのはその心当たりのひとつ、張張湖飯店から少し離れた街中にある、小さな児童公園だった。 折しも夕暮れ時、いい加減剥げかけた芝生の先には、埃っぽくもまばらな木々に囲まれて申し訳程度の遊具がちらほらと設置されている。 その遊ぶ人影も数少なな広場の手前にはぽつねんと佇む、見覚えある銀髪の後ろ姿があった。 敢えて声をかけて確かめるような真似はせず。ゆっくりと、その後ろ姿に歩みよっていく。 と、次の一歩を踏み締めたはずみ、足元の砂利が、小さくざらついた音を立てる。 そいつが振り返って、こちらを見た。 やれやれ。 確かに、ギルモア邸にもまだ帰ってきてねえって話ではあったが。 「ここだったかい、アルベルト」 まぁた、この色男が。 まったくもって、まさに絵に描いたような場所での黄昏っぷりだねぇ。 「…お前さんか」 「ヘッ、そりゃどうも」 お前さん”か”と、きたモンかい。 「いい御挨拶だな」 減らず口を返しつつちらりとその背後に視線を巡らせれば、黄金色から暗い群青が落ちてきつつある空の下、丁度遊技を終えておのおのの家路へとつきはじめたらしき、数人の子供達の群れ姿。 口々に聞こえる彼らの別れの挨拶の響きが、周囲のビル群にまで谺するかのように甲高くもやけに明るく響きあっていた。 「仕事、まだあったんじゃないのか」 「どうやら、ヤマを越えたんでね。後はそう客も来そうになさそうなんで張大人ともう一人に任せて、ひとまずは俺がお前さんを探しにきたって訳さ」 「……そうか」 「来たのが俺で、期待外れって顔だな」 「そんなことは」 「無いってか」 嫌みにならない程度の飄げた調子で、肩を竦めて苦笑してみせる。 「お互い、イイ年こいた大人が二人ぼっち。ここで意地張っても仕方なかろうによ」 「??」 何か言い返そうとしかけて、相手は止めた。 そしてしばらく、言葉を探すかの如くに視線を虚空に彷徨わせた後、再びこちらの真正面へと見据えるように戻したかと思うと、おもむろにぽつりと呟いた。 「さっきはすまなかった」 「…なあに、ね」 だからさ、つくづく似合い過ぎってんだよ。 そんな言葉を吐くお前さんに、こういった情景ってのは。 「その手の台詞は俺じゃなくとも、お後の為にとっといてやんな。どういう虫の居所だったかは知らねえが今回のいざこざ、お前さんの妙な依怙地を一番真に受けちまったのが誰かってことぐらい、判らねえお前さんでもねえだろ?」 「妙な依怙地で悪かったな」 言いながらも、その口ぶりと共にその透明に近い色彩の眼差しから茫洋とした気配がやや薄れてきている様子には、それでも内心、こちとら安堵に近い気持ちも覚えようってもんだ。 やっぱり、いくらこっちが年上だろうともな。こんな、その年にしてまるで途方にくれてるといった様がありありと判る状態のコイツに、面と向かって相手するってのはそりゃ正直、俺だろうとも辛い所さね。 「アイツ、どうしていた」 「見るからに分かりやすい落ち込み面してるような奴を接客には出せねえってんで、張大人の采配であえなく裏方行きさ。今頃は、多分食器洗い担当って所かもな」 もっとも、あの不器用さにしてあの状態では、フォークやらレンゲやら鍋やらといった、まず間違っても割られそうにないブツしか任せられてないだろうにせよ。 「そうか」 だろうな、と悔いるように寂しげな笑いが薄く、その口元には浮びかける。 だが、そこまでだ。 こういう時の通例で、それが限界とでもいうようにこの男は、抱えた己の心情を全くもって表にさらけ出そうとはしない。 恐らくは、この世でたった一人きりになる時が来ようとも、決して。 見上げた痩せ我慢と言っちゃあ、それまでなんだが、 (どうして素直じゃないのかねえ) ??あの言葉。お前さんも、本気で言った訳では無いだろうによ。 らしくない。この、一見非情とも取られかねない鋭利さと気迫を常に帯びながら、その裡にはどうしようもない程に繊細な一面をも持つ彼が、けれどだからこそ、あんな時におおっぴらに自虐の言葉を吐くなど、およそらしくない。 自分自身の心と身体に決して消えない疵を負い続けてきたのであろうその過去と果たしてどのように居りあいをつけてきたのであれ、少なくとも今のこいつが、自他共にどころか自分以上に或る誰かをみすみす傷つけてしまうと判っているような科白を、容易く口に出すような真似など。 常の理性ある彼ならばまずする筈はないとそう、信じられる。 呆れの溜息を付く代りに、言ってやった。 「…”フォーチュン・クッキー”てのはな」 やにわに妙な話題を持ちだした所で、この男はすぐには答えない。 何の話だと、ただ視線だけで訝しげに問うてくるのに対し、 「確かに坊やのお国で始まったにせよ、恐らくは元は中国の風習が由来なんだとさ」 これも大人曰くの聞きかじりだがと、敢えて独り言のように続ける。 「その昔、新年だか年末だかに、皆で餃子を食べて中に金貨が当たった奴がその年幸運になるとか…そういう行事があちらさんにも確かあって、そこからヒント貰ったんじゃねえかとか、お前さんが出て行った後で言ってたっけな。まあ、我が大英帝国のプディング云々の伝統とは関係なしに、それなりにしっかりとした根拠はあった訳だ。」 「何かと思えば。下らんな」 「確かにね。下らないといや下らない、いわゆる雑学のひとつってやつだぁね」 然れども。 「そうやって、何だろうが問答無用に取り込んで自分が付合えるレベルにもっていっちまうてな真似を見るにつけてもな。俺には時々、あの不調法にして今出し大国の人間って奴らが、何故かちょいと羨ましいって思える時もあるね。まるで物怖じや人見知りてなものの欠片もありゃしねえ、天然みてえに素直な懐っこさてのがさ」 「……」 「なあ、アルベルト。お前さんから見て今日のアイツの態度がどう見えたかは、俺の知ったこっちゃないがね。少なくとも、マジに惚れてる相手を前に計算づくで二股三股かけてみせ、てな手練手管にはまだまだ程遠いと思うぜあのお子様は」 要は??と言いかけた言葉を、 「知ってる」 だからこそ始末におえないんだ、と。 重い荷でも降ろすかのように。うっそりとした呟きが、おもむろに遮る。 「判ってるじゃねえか。ならなんで…」 問い掛けようとした言葉が、途中で途切れた。 目の前には、ずっと彼が持っていたあの紙袋が、すいと差しだされていた。 「何だい、そりゃ?」 「渡しそびれだ。本当はあの店でお前さんにさっさと渡して、帰るつもりだった」 そういって手渡されたモノはと言えば、手触りからは細長い長方形の紙箱に入っているらしき代物で。 その持ち重りのする質量と、揺れた拍子に微かに聞こえた水音からして好き者にはそれこそただちに察しがつこうってものだ。 しかもあの時ゃ迂闊に見落としちまってたが、良く見りゃご丁寧にも何とか酒店なんてロゴが袋の底にはしっかり印刷済みだったってんだから、それこそこうなりゃ、中身は訊くも野暮天言わずもがな。 「ホホッ。もしかして俺の好物かい?」 「ほんの安物だ。悪いが、俺の懐具合じゃたかが知れてる」 と言う奴の口調は何故だか若干、一層に歯切れの悪さを増している様にも聞こえるのだが。 「嬉しいねえ…と言いたい所だが、何でまた急に」 「??礼のつもりだった」 「何?」 「なんだかんだ言って、俺も迷惑かけちまったクチだからな。あの時のお前さんには」 へえっ? 「て、ことは…」 つまり… 「そう思って、お前さんの出先に行ったら行ったで、こういう時に限ってアイツが居るときたもんだ」 (あああ??あ) 「まさか奴の方が先手をうって、お礼返しで店の手伝い中とはな」 その??アレだ。 まったく、お前さんて奴ときたら。本当に義理堅いってえか何というか、少なくとも、大昔の中国に生れなくてそりゃ幸せだったクチかもな。 だってそうだろ。張大人が言ってたみたいにちょいと借り作ったら命賭けるてな風習な土地柄に生きてた暁には、そういう性格のこった。きっと百遍くらい、死んでくれてらあ。 でもだからって、そこで何も、よりにもよって自分の恋人相手にたかだか一回の恩返しで張り合っちまうって思考法もまたどうなんだかとかいう疑問はさておいても、 「お前の言う通りなのかも知れんが。何だってアイツはああいう時に、あっさり、そういう真似が出来るんだか」 その終始一貫したぶっきらぼうさは兎も角奴さん、言いおえてふいと視線を逸らすように、首を横へとねじ曲げたまでは良かったのだが。 折悪しくも丁度その頃自動点灯した街灯の光の方が、謀ったようにくっきりと、その元来色薄すぎるんじゃねえかってなほどに血の気の無い筈の頬を照らし出していた。…かと、思えば。 「??お前さん」 いや。何と言うか、ねえ。 さすがにその後に続くコメントは即座に右手の銃弾返しをくらいかねないってんで差し控えたけども。 このグレート=ブリテン、齢四十五にして久々に、この時滅多に見れないもの見せていただくことになりましたともさ。 何せあのドイツ人がだよ、その、言っちゃあなんだが俺から見てもその年頃にしてから気の毒なくらい、とことん頑固だわ融通きかないわいっつもしかめっ面してるわ眉間の皴に至っては年々深くなりこそすれ消えるの見たことねえわで、つまりは知るかぎりで下手すりゃ世界一はにかみとか愛想なんてそんな可愛らしいモノからはよっぽど遠い位置におわしましかねませんようなあの三十路男が、だ。 例え横顔のみだろうとも、一旦照れるとこんな面しやがるっての拝見できる身分といやあ、後にも先にもおおよそあの坊やくらいなもんだろうと今日の今迄思っていたんだがねえ。 てことで。 思わずここは、取りあえずひとつ咳払いなどしてみせて。 「その…これは、俺の単なる勘ぐりだがな??アルベルト」 「なんだ」 「お前さん。もしや今日、コズミのじいさん家を早めに出て来たてのは、コレ買う為にわざわざだったとか、いってくれるんじゃあねえだろな」 「??」 「でもって、店に来たら来たで渡しそこねちまったのに加えて、坊やが俺にじゃれついてる場面に出くわしたもんでつい」 「うるさい」 途端に顔を戻して怒鳴られたのは、怒気にも似た迫力孕む鋭い一喝。 「どっちだろうといいだろうが、そんなこと」 「へいへい」 あのな。いくらそんな、いつもの頑固一徹石頭風なアンタに戻ってみせてくれようともだ。この際殊更に不機嫌度大幅アップなそのもの言い自体が、却って十分正解を物語ってるってんだよ今のお前さんでは。 でも、ま。 (確かに) どっちでもいいといや、いいことだろうがね。 俺としちゃ、今回ばかりはあの坊やともども、両天秤にかけられていた立場ってだけでも、少しばかりの幸せも有りって所かもな。 なにせ、お陰さんで仲間として付合い初めてン十年、生れて初めてそんな顔したお前さんにお目にかかれたってんだ。いい迷惑も被らせて頂いたにしても、いわばこれはその、役得ってもんだろうさ。 「さてと。なら、そろそろ行こうぜ」 「何処へ」 「われらが張張湖飯店に決まってるだろ。言っとくがな。お前さんの機嫌直すこたぁ出来たっても、本日のアイツのご機嫌直してやれるってのは、俺には到底無理な役割だぜ?」 「………」 「何。だからって、何も手助けできねえって訳でもねえ。気の利いた言葉のひとつも見つからねえてなら、何なら俺が貸してやらぁな。引用はシェイクスピアからでいいか?」 「要らんお世話だ」 「ほおお、そうですかい」 先ほど同様、一際に憮然としたその口調に言われたとあっては、こちらはこちらでこみあげてくる発作をこっそり素知らぬ顔で堪えつつ、 「もっとも、それには及ばんかもな。ひょっとしたら今頃、張大人が気の毒なジェット坊ちゃんの為にチャプスイ作っているかも知れんし」 「”チャプスイ”?」 並んで歩き出した背の高い男が、見るからに面妖な色を浮かべた面持ちでこちらを振り向く。 「なんだ。その、水張ったバケツみたいな名前の代物は」 うわははっ。水張ったバケツとは、そうきたかい。 そりゃあいい。 そんな事言ってるようじゃあお前さん、アイツの感性に辿り着くには当分??それこそ、あの坊やが大人心の微妙な機微ってのを理解するまでの道程と同じくらいには??ほど遠いとみた方が良さそうだぜ。 「何笑ってんだ」 「安心しろ。どうやらお前さん、この点では俺と気が合いそうだ」 いや、本当は、『頑張れ』と言わなきゃならん所なのかも知れんが…そこはそれ、何はともあれ。 とりもなおさずこちとらは、前に引き続き今回までをも一肌脱がせていただいた上、お手間までとらせて頂いたってアフターサービス付録のご身分だ。 ひとまずお役目を降りたここから先は、とんだ義理と情痴の縺れ合いってな今宵のひと騒動の収拾を一観客として面白がらせてもらうのも、これまた関係者ならでのひとつの『役得』ってね。 「勝手にしろ」 まるで訳が判らんといった具合のハインリヒが、ついにそっぽを向く。 それを尻目に、とうとうスイッチが入っちまった俺はといえば、道すがら首を振り振り、散々笑い続けていただかせていましたともさ。 |
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