人形の凍えた心が夢見るもの 『人形の凍えた心が夢見るもの(2004年2月24日発行)』より



 昔から心の中には、感情の断片しかなかった。
 本来ならば、人が人として携えて生まれてくるはずの感情ですら、母親の腹の中に置き忘れて来たとしか思えない程に小さな頃からそれが欠けていたのかもしれない。
 母親の何人目かの恋人に性的な玩具にされたが、それでも自分が不幸だとは思わなかった。
 ただ、躯が快楽を覚えるまでのしばらくの間の違和感を気持ち悪いと思っただけで、それ以上でも以下でもなかった。
 母親が死んでから後、躯を売り物にして日々の糧を得ていても、少年ギャングとして犯罪に手を染めたそのことに対しても、また同じだった。
 自分の感情に触れたと感じたのは皮肉にも、少年ギャング同士の抗争で敵対する少年ギャング団のボスを刺し殺した時だった。
 しかし、ここに連れて来られて以来、何人もの人間を殺してきた。
 触れたと思えた感情は何処かに消散してしまい、それ以来あの時の感情に触れられるような出来事は一切なかった。
 仲間や友達と呼べる人達が居た頃は、それでもそんな自分に不信感を持っていたのだ。もっと、皆のような感じる心が欲しいと願うこともなくはなかったけれども、ここでは、そんな自分の持って生まれた心の貧しさに感謝をしたくなる。
 貧しいから、現状に甘んじることが出来なくはない。
 だから、こんな扱いを受けても平然としていられる。
 人としての扱いを受けなくたって、心を崩壊させることはない。
第一、 崩壊させられる程の何かを自分の心は持ってはいないからだ。





『さあ、002。実験を始めよう、感じるのなら我慢をせずに声を上げれば良い。誰も気にするものはいない。良い子にしていたらご褒美をあげよう』
 中年の男が002と呼ばれた少年の耳元でそう囁いた。
 002は何一つ身に纏うことなく、椅子に固定されていた。その椅子は産院で内診に使われるものと形が似通っていた。
 その椅子に手も足も固定されて動くことはままならない。
 大きくM字に足を広げられ、股間もその奥にあるアナルすらも冷たい科学者達の目の前に晒されていた。顔の半分以上が隠れるようなアイマスクをかけられて少年は何も見ることは出来ない状態に置かれている。
 更に、奇異なことに、少年の躯のあちこちからは数十本に及ぶコードが伸びていて、それらは無骨な機械へと繋がっている。脳波、心音、呼吸等々を測定すると思われる機械の他にも、その用途が全く想像すらつかない形状のものもあった。
 様々な電子音と少年のやや荒い息遣いだけが、静かなこの部屋を支配している。
「さあ、始めようか」
 002の耳元で囁いた中年の科学者がそう言うと、助手と思しき若い男が針のついていない太い注射器を002のアナルへと突き刺した。そして、中身を体内に注ぎ込んでいく。全てを注ぎ込むと、その注射器を更にアナルへと捩り込んでいった。
「あっ、っつ……」
 002は無理な挿入に声を上げる。
 それでも助手と思しき男は注射器を突っ込むのをやめることはなかった。薄っすらと汗を額に滲ませて手元の突起がついている部分のみを残すまで体内に深く埋没させると、助手は中年の科学者に向かって頷いた。
 そこに居る全員が黙ったまま、ただ部屋の中央に置かれた椅子に固定されている002を見詰めている。白い壁と鶯色の床、数人の科学者と実験の素体、まるで現実から切れ取られた三流の陳腐な映画の一コマのようにも見えなくはないが、コレが彼等にとっては現実であった。
 この部屋には時計がない為、どれくらい時間が経ったのか分からない。もちろん時計どころか研究器材以外に何一つ物が置かれてはいないが、時間の経過は機械により正確に記録されている。
「っああ、っはあっ……」
 段々と息が荒くなり、固定された躯を002は捩り始める。
 何一つ身につけていない002の躯がほんのりとピンク色に染まる過程を記録用カメラに映している。もちろん、変化していったのは、肌の色や呼吸だけではない。大きく足を広げさせられた中央に聳え立つのは002のペニスであった。
 彼が改造手術を受けたのは時間にすればもう何年も前の話しだが、ここに連れて来られたのはまだ一八歳になるかならずの年頃だったのだ。如何にセックスの経験がその年齢よりも豊富であったとしても、若い男が性的な刺激に弱いのは自然の摂理なのである。
 そのペニスにも数本のコードが付いていた。
 先端の尿道から延びたコードを伝って透明な液体が滴り落ちる。
 その様を確認すると、中年の科学者は手を挙げて合図をした。
 すると、無骨な機械に張り付いていた独りの若い科学者がキィボードを叩いて何やら操作を始めた。リズミカルにキィを叩く音が静かな部屋にやけに鮮明に響いた。
 最後にポンと、勢いよくEnterキィを押す音がした瞬間、002の背が固定された椅子の上で反った。
「っああああーーー、っうううぉぉおおおお」
 獣じみた声が上がり、躯を硬直させる。
 しかし、硬直していたのは数十秒程度の時間でしかなかった。
 硬直が終ったのを見計らって、もう一度Enterキィを勢い良く押す音がしてくる。今度は、勃起したペニスがピクピクと電流でも流されているかのように小さく痙攣を始めたのだ。
 その動きにあわせるかのように002の細い腰がこの硬質な機械の中にあって、不釣合いな程に艶かしく蠢いた。科学者達は黙ったまま、002の観察を続ける。
 誰も誘うように揺れる002の肢体に対して、なんら特別な感情は抱いていないようであった。誰一人、その冷たい瞳に僅かな温度の上昇も見せることなく、あくまで観察に徹する科学者の視線がくねる躯に集中していた。
「っぁ、ぁあん……、はう」
 その視線にすら感じてしまうのだとでもいうように、甘い嬌声を口から零し、時折乾いた口唇を赤い舌で舐める。
 自由にならない躯を揺さぶって、注射器を突っ込まれたままのアナルを自らの意志で収縮させて、まるでこの場にいる男達全てを誘うような媚態をその細い躯で表していた。
 中年の科学者は、002に注射器を押し込んだ助手に視線で合図すると助手は今度は小さな注射器を取り出して、濡れた002のペニスに針を突き立てた。
「っあん」
 確かに、針のついた注射器を突き立てたはずなのに002の口から聞こえてきたのは、痛みを訴える声ではなく、甘い吐息であった。
 その動きに中年の科学者はにやりと下卑た笑いを口唇に乗せた。自分の実験が成功したことに対しての笑みだった。002は実験体の一つにしか過ぎない、サイボーグ研究に必要なデータを搾取する為の大切に人形なのだ。
 数日前に運び込まれてきた瀕死のドイツ人は、重火器等を躯に埋め込み全身を武器にする為の改造手術が進んでいる。成功すれば索敵、遊撃、攻撃の三拍子揃ったサイボーグのチームが完成するはずだ。だが、サイボーグ計画はそこで終わりではない。この実験も新たなサイボーグ達に与えられる能力を開発する為の実験の一環にしか過ぎない。
 性的な人形にしてしまうには、002は勿体無い素体であることを彼は十分に理解していた。もちろん、サイボーグの性的な能力に関しても興味はあるのだ。本来ならば、003で実験を行いたいところではあるが、貴重な女性サイボーグを無闇に傷付けることは出来ない。とすれは、一番古いサイボーグである002に白羽の矢が立てられるのは必然であり、そして、彼には男性とのセックスの経験があることは改造手術を行う為の検診で既にわかっていたことでもあった。
 性的な能力に関してもデータを収集することが出来れば、新しい能力の開発につなげることも考えられるし、全く別のセクションでそのデータを役に立てて、資金稼ぎも考えられることであろう。とにかく、サイボーグ研究の維持には莫大な資金が必要なのだ。
 中年の科学者はそんなことを考えながら、悶える002を見詰めていた。やがて002の口の端から快楽により、涎が流れ始めた。そろそろ002も限界なのであろう。自分が出て行けば、若い連中は002に何をするのかある程度の予測はついていた。殺しはしない程度の理性もあるだろうし、少なくとも彼らには報せてはいない監視カメラも設置させている。
 他の若い科学者や研究者達は冷静さを装っているが、その吐息が荒々しくなっていることを中年の科学者は見逃していなかった。ここに来る前に彼等の飲み物にある薬品を混入しておいたものが、そろそろ効き目を発揮し始めているのだろう。
 殺してしまいそうになったら、止めればよいのだ。
 中年の科学者はその場にいる若い科学者達に続けろと、手振りで指示を与え静かに部屋の外へと姿を消していった。その後に何が起こるのかを承知していながら、饗宴が始まろうとしている部屋の扉を静かに閉じた。
 数人の若い科学者や助手と甘い嬌声を上げる002だけが、機械に囲まれた無機質な部屋に残される。
「っあああ、ぁぁあ……、っふんん………、ぁ、ぁぁああ」








 003はぱちりと人形の肌のように白い瞼を開けた。
 周囲は闇に包まれているが、003の能力をもってすれば、闇夜も太陽の照る昼間でも見えるものには変わりはない。
 索敵能力を最大限に引き伸ばすサイボーグ手術を施された003は、視たくはないものも視る能力と聞きたくないものも聞く力を持っていた。
 極端な例ではあるが、人の鼓動の音を聞き、発汗や、瞳孔の動きを察知し、その人の感情を読み取ることすら003には可能なのである。
 そんな003の背後で002は荒い息を必死で噛み殺して、躯の震えを押さえ込もうと自分の両手で自分を抱き締めていた。
 一つの部屋で、一つのベッドで身を寄せ合うように生き延びている二人なのだ。
 お互いの置かれた状況などイヤというほどに理解出来てしまう。
 視たくもないものを視せられて、聞きたくもないものを聞かされて、心が崩壊しそうになった時にいつも手を差し伸べてくれたのは002だった。いつも黙って隣に座ってくれていて、顔を上げると困ったように笑い、腕を伸ばすと抱き締めてくれた。
 その抱擁には性的な香りは全くせず、兄がしてくれた抱擁ととても似ていて003を安心させてくれたものであった。
 何もかも取り上げられてしまった003にとって、唯一与えられたのが002の存在だったのである。
 だからこそ、002が嫌がったとしても荒い息を零す彼をそのままにしてはおけない。
「ジェット」
 ナンバーリングされて名前で呼ばれることだけではなく、人として尊厳すら奪いさられた自分達にとって、互いの名前を呼び合うという些細なことが自分が生きていると認識させる少ない事柄であった。
「ジェット」
 赤味を帯びた金髪で飾られた頭部の両サイドに手をついて、上からその表情を覗き込んだ。
「フランソワーズ」
 吐息と区別が付かぬ程の小さな声が零れて、僅かな笑みが口唇に乗せられる。彼女の声の中に自分の心配するニュアンスが含まれていることを察知したジェットは肩で息をしている躯を無理に起こそうとした。
 それを白い手でそっと押し留めるフランソワーズだったが、ジェットはいいんだとその手を押し留めてベッドの上に座る形で上体を起こした。
 彼等に部屋着として与えられているのは、白い長袖の丈の長いTシャツ一枚である。
 この部屋は地下にあり、窓一つもない。
 備え付けの空調が二四時間作動しており、寒くはないし、暑くもないが、窓のない部屋は閉塞感を感じさせる。しかも四面はコンクリートが打ちっぱなしになった冷たい壁に囲まれている。その部屋の中にはテーブルと椅子が二脚、二人が一緒に眠っているベッド。取り合えずインスタントコーヒーやインスタントの紅茶ぐらいは入れられる簡易キッチンと呼ぶのもおこがましい湯を沸かすためのコンロが乗せられた台が置いてあるだけだ。
 二人が居るベッドの反対側には扉のついていない開口があり、その奥はトイレとシャワールームになっている。
 テレビもないし、コンクリートが剥き出しになったままの床には絨毯すらない。
 これでも、インスタントでも温かな飲み物が飲めるだけマシだし、柔らかなベッドがあるだけ、ゆっくりと眠れる。フランソワーズが来るまではこの部屋には何一つ置かれてはいなかった。
「ジェット、あたしに遠慮や無理はしないで」
 背後からフランソワーズは母鳥が雛鳥をその翼で抱き締めるように、ジェットの骨ばった胸に腕を伸ばした。どくどくと波打つ心臓の音が掌を通して伝わってくる。通常時では考えられない速度で打たれる鼓動と、フランソワーズをちらりと見た瞳孔の開き具合、発汗、どれをとっても今のジェットが普通でないことが分かる。
「片目しかなくたって、あたしにはちゃんと見えるのよ」
 隠さないでとの言外に含まれるフランソワーズの哀願に負けた形でジェットは、背後から抱き締めているフランソワーズの腕を解くと、向き会う形になる。
 横座りをしているフランソワーズの細いけれども決して華奢ではない鍛えられたバレリーナの美しい足が白いTシャツの裾から覗いている。一切、下着というものを与えられていないが故に、白い薄手の綿のシャツを持ち上げる乳房とピンク色をした乳首までが透けて見えることもあるが、ジェットはその姿を美しいと思い、女性らしい躯のラインから与えられる全てに安らぎを感じていた。
 そのまま視線をフランソワーズの顔へと当てると、甘栗色の髪に縁取られた右半分は包帯で覆われた白い顔がある。
「フランソワーズ」
「片目だって不自由はないわ。どちらの目が破損したとしても、ダメージを少なくする為に、人の眼球とは違う機能が組み込まれているしね。片目でも遠近感を失うことはないのよ。あなたが片足になったとしても飛行することが可能なのと一緒よね」
 と言いつつも、フランソワーズの残されたもう一つの瞳は笑ってはいなかった。口にはその美しいフランス人形のようなかんばせに皮肉な笑みが宿っている。おそらく彼女の包帯で覆われたその下には眼球が存在してはいないのだろう。
「バグ?」
「いいえ、違うわ。様々な状況に合わせて、人工眼球の取替えが可能なのか、不可能なら、どの程度のモード変更が可能なのか、その辺りを実験したいみたいよ」
 と、何処か他人事のようにフランソワーズは呟いた。
 ジェットもフランソワーズの呟きに、小さく頷いた。
「でも、貴方は大丈夫じゃないでしょう? 誤魔化さないでよ」
 遠回りを決してしないフランソワーズの言葉にジェットはその青い瞳を潤ませて、首を縦に振った。フランソワーズの能力はどれ程のものか自分が良く知っている。自分達の部屋が地下にあるのは、逃走を妨げる為という目的もあるが、フランソワーズの能力を封じる為でもあった。
 つまり、地下の中に埋められた箱というのがこの部屋の構造で、この部屋の周囲は特殊な電磁シールドが張り巡らさせている。フランソワーズの能力を封じる為の防衛手段で、この施設を地上よりかは地下に作った方が空気の抵抗による電磁波の拡散を防ぐことが出来るからなのである。
 つまり、連中がそこまでしてフランソワーズの能力を恐れるのは、サイボーグ研究所にある情報の全てを見て、聞いて、そして記憶するだけの能力が彼女には備えられているからなのだ。
「今、貴方は性的な欲求が止められない状態なんでしょう」
「ああ」
「やっぱり」
 フランソワーズはそう言うと、白い手をジェットの股間に伸ばした。前にも似たことがあったのだ。
 最近、ここの連中が何を考えているのか全てを把握しているわけではないが、ジェットに性的な改造を施そうしている節が見られる。女性である自分ではないのは、女性のサイボーグ化は何度も試みられているが、成功例はフランソワーズただ一人だからなのである。
 男性のサイボーグはジェットの他にも、成功例はあるらしいのだ。
 最近は見かけないので稼動しているのか分からないが、その存在だけは幾度か確認したことはある。
「フランソワーズ」
「黙ってて」
 困惑したジェットの口を軽いキスで塞ぐと、そのままTシャツの裾から腕を潜り込ませた。ジェットのペニスは既にギチギチになる程に勃ち上がっていた。少しの刺激で逐情できそうなくらいに張り詰めていたのだ。
 それをフランソワーズは汚いとも、おぞましいとも思わない。
 この衝動を自分の肉体で満たせるのなら、そうしてもらっても構わないとすら思っている。けれども、それはBG団の連中が男性のジェットと女性のフランソワーズを一つの部屋に閉じ込めている目的の一つでもある。
 非日常な空間に閉じ込められた若い男女ならば、精神的な逃げ場としてセックスをするのではないかという狙いがあったのだ。そして、フランソワーズが妊娠でもすれば、サイボーグに適した人間の条件が解明されるだろうとの期待がなくはなかったのだ。
 でも、彼等は002という素体の心の内までを読むことは出来なかった。
 002は003にそれを望まなかったのだ。
 002も連中の期待には沿いたくはないとの思いはもちろんとして、恵まれなかった幼少期の経験が子供を作る行為に繋がるセックスを忌避させたのである。もし、自由の身でフランソワーズと出逢い、互いに愛し合って家庭を築くとしたらフランソワーズを女性として愛せたかもしれないが、ここで、今、ジェットはフランソワーズを女性として見ることはできなかった。
 それ以上に大切なただ一人の自分と痛みを分かち合うことのできる分身だと、そう結論づけたのだ。
 だから、いくら自分がフランソワーズを抱かないとしても、こうしてフランソワーズの手で逐情させてもらうことに躊躇いがある。フランソワーズがジェットを男としてではなく自分と同じように男女関係のない家族にも等しい存在だと思いやってくれているのは理解できるし、そのことが正直嬉しいと思える自分がいる。
「っああ」
 それでも、自分の意志を離れて暴走する躯を止めることは出来ない。
 自然と足が開いてフランソワーズの手を深く迎え入れようとしてしまうのだ。
「ジェット、我慢しないで」
 フランソワーズの声が遠くで聞こえる気がしていた。
「っふん、ぁっああん」
 悶えるジェットの姿にフランソワーズは哀れみを覚えるのだ。
 彼を卑下しているわけではなくて、強制的に服従させられる存在であることでしか生きることを選択できない自分達に与えられた運命が哀しくて仕方ないのだ。もし、生身の躯で出会っていたとしたら、きっと、自分はこの少年に恋をしただろう。
「ダメッ……、ッ……」
 それでも僅かなジェットの理性が抗いをみせる。
 もう何度か経験をしたことなのだ。
 フランソワーズにとって、ジェットをこの望まない快楽地獄から救い出せるのなら、彼とセックスをすることはむしろ喜ばしいのではあるが、それをしてあげられない自分が辛い。自分がもし男であったとしたら妊娠の恐れもなくジェットを抱いてあげられたかもしれないし、ジェットが自分を抱くことが出来たかもしれない。
 どうしようもないことだけれども、自分が女性であることを望まないこともある。でも、自分が女性でなかったとしたら、いま自分がジェットに対して持っているような愛情を与えられないだろう。
 ジェットが求めているのは、女性の自分が齎す愛情であり、この肉体に抱き締められる感触なのだ。
「我慢しないで……」
 とフランソワーズは言うと、躊躇うこともなくジェットのペニスを口に含んだ。
「っあぁああああ」
 ジェットの苦しげな嬌声が耳を突くけれども、フランソワーズは構わずに自分の口にジェットのペニスを押し込む。
 セックスだとて、フランソワーズは経験してきている。
 男性のペニスを目の当たりにしたこともあるし、フェラチオの仕方を教えてくれた年上の恋人と付き合ったこともある。その頃はセックスに対する好奇心が旺盛で、結局、その男性とは年齢のギャプが原因で別れてしまったけれども、今となっては感謝したい気持ちだ。
 彼が教えてくれなかったら、今のジェットを助けてあげることが出来なかったのかもしれない。
 ジェットのものならば精液を飲むことだって、自分は出来るのだ。
 自分と苦しみも楽しみも分かち合うただ一人の存在がジェットなのだ。彼の苦しみも悲しみもフランソワーズのものに他ならないからである。心を引き千切られた苦しみに比べたら、ジェットの吐き出すものを口にすることは、ジェットから薄利していく彼自身の何かを自分の中に取り入れてあげられるという喜びとして転化出来る。
 フランソワーズはジェットのペニスをリズムカルに深く浅く口に咥えて、時折、先端を舌先で突き、歯を立てる。
「ダメッ……、フラ………、っあぁあああ」
 それでもダメだといいながら、ジェットはフランソワーズの腔内に逐情してしまった。
 肩で息をしているジェットは、瞳を塗らして虚ろな視線を宙に漂わせていた。
 フランソワーズはベッドを降りると、バスルームに向かい口の中に含んでいたジェットの精液をバスルームに吐き出した。水を流し、口の中を丁寧に何度も漱ぐ。でないと、自分は飲み干してしまったとしても構わなくとも、それをジェットはとても嫌がるのだ。ジェットが自分を支えてくれたように、自分もジェットは支えてあげたいのだ。
 だから、敢えて彼の心の負担になるようなことはしたくはない。
 何度も口を濯いで、手を丁寧に石鹸で洗うと、フランソワーズはベッドへと戻った。
 しかし、ベッドの上には丸まって息を荒くしているジェットの姿があるだけだ。一度、逐情すれば、もう大丈夫ではなかったのか。今まではいつもそうであったはずなのだ。いや、それとも別の薬を投与されたのか、改造を施されたのかとフランソワーズは自分の考えの浅はかさに舌打ちをした。
「ジェット」
 足音を立てずに走りよって、ジェットの背中を優しく撫でた。
「ダメみたいだ。前のとは違うらしい」
 ジェットが発情しているのは能力を使う必要もなく理解できることだった。
「だって、前までは、第三者の手で逐情すれば収まってたはずじゃない。一体、何をされたの」
 分かってたら、困らねぇよ。とジェットは吐き捨てるように答える。
 フランソワーズは自分の脳内にストックされているありとあらゆるデータを引っ張り出して、今までの経験からジェットを今の状態へと導いた実験について考えた。
 脳内の活動は目覚しくなるが、ジェットの背中を撫でる手の優しさは決して変わることはない。
 暫く時間が経ち、フランソワーズは口を開いた。
「ねえ。ジェット。ひょっとしたら……、第三者の男性性器を挿入されないと逐情できないようにプログラムされたのかもしれない」
 かもなと荒い息の下でジェットは答える。
 あのアナルに注射器から楽品を注入された瞬間、自分の中の何かが変わっていく感覚に囚われた。
 自分達の行動を抑制するプログラムは既に開発されているのだ。自分で意識して選択していることだとしても、それはプログラムによって植えつけられたものであるかもしれないのだ。人格までを変えてしまうプログラムはサイボーグの戦闘能力を削いでしまう恐れが多い為、使用されてはいないが、痛覚を制御するプログラムや自殺を抑制するプログラムは既に搭載されている。
「耳に挟んだことがあるわ。戦場だけではなくて、あたしたちのように生身の人間とほとんど外見が違わないサイボーグは、暗殺やテロ、情報収集にも使えるって、そちらの使い道も試行錯誤が必要だろうって、幹部連中が話してた。それなのね。貴方にセックスをその手段として利用させる為の実験が進んでいるのだとすれば……」
 今更だなと、ジェットは苦笑する。
「フランソワーズ。あんただって、人事じゃないぜ。あんたに暗殺の為の訓練を施すつもりらしい。そう言ってた」
 今更だわと、フランソワーズはそうジェットに返した。
 自分も既に訓練と称した戦場で、何人もの人間をこの手で殺して来た。いくらジェットに比べれば改造部分が少ないとはいえ、戦闘用サイボーグなのだ。自分の身を守る能力ぐらいは兼ね備えているし、特殊部隊の兵士を相手にしたとしても引けを取らない戦闘能力をフランソワーズは身につけている。
 そう、今更としか言えない状態であった。
「付き合いは、オレの方が長いんだぜ。連中の考えそうなことくらい察しがつく」
 そういうとジェットの顔が再び、歪む。眉の間に深い皺が寄り、躯を強張らせて再び、自分を強く抱き締める。
 フランソワーズはそんなジェットの背を撫でることしか出来ない。
「どうせ、ロクなことじゃねぇ」
 それでも吐き捨てるような強気な態度が未だジェットには残っていて、それだけがフランソワーズを安心させる。それはジェットが生きることを諦めてはいないという証拠に他ならないからだ。
 いつか、何を犠牲にしたとしても二人でこの島からBG団から逃れて、ひっそりと質素で構わないから静かな暮らしをすることを、叶えることなど到底できないであろう現実の向こうに夢見ていた。
 例え、夢物語だとしてもそれが二人を支えている。
「ジェット」
 ジェットは深呼吸を繰り返して、暴走しそうになる自分の躯を必死でコントロールする。おそらく長い時間は持たないことは、二人には分かっていた。快楽に負けてジェットはこうするように仕向けた科学者達を呼んで助けを請うことになるのだ。
 おそらくそうなるようにプログラムされている。
 従順に従うようにプログラムするのではなく、反抗することを計算にいれた行動抑制プログラムこそが躯を改造されることよりもジェットには辛いことだった。プログラムの書き換えや上書きが行われる度に、自分という本質が剥離していくイメージに囚われて、本当の自分がいなくなり全てが機械と成り果ててしまうのではいう恐怖が残っている自分というものを覆いつくしていく。
 恐くないというのは嘘だ。
 自分を失うことが何よりも、怖い。
 フランソワーズに寄せる愛情すらも失ったら、何も残らない。
 元々何もないと思っていた自分の心にこんなにも沢山のモノが詰まっていたのだと、こんな劣悪な状況でしか気付けない自分の馬鹿さ加減にも呆れてしまう。
「フランソワーズ、オレがどんなに淫乱で男なしでいられなくなっちまってもさ。オレを……」
「貴方が何をされたとしても、貴方があたしを忘れても、あたしは貴方を愛するわ。ああ、ジェット、あたしは貴方を愛しているわ。例え、全てを敵に回したとしても、貴方を想う気持ちだけは捨てることはできないのよ」
 フランソワーズはジェットの負担にならぬよう、そっと肩に手を置いて軽く自分の方に抱き寄せる仕草をする。本当はぎゅっと抱き締めてあげたい。ただ一人のいや、自分の半身ともいうべき彼の恐怖を僅かな時間であったとしても和らげてあげたい。
 誰かの為に、ここまで自分が愛情を注げる人間だということに驚いている。
 自分を犠牲にしても守りたい人がいる人間の強さを知ることが出来た。
 だから自分はどんなに苦痛に満ちた毒によって人が死んでいく過程をつぶさに観察し的確に報告する訓練だとて耐えられるのだ。
 地獄にも相応しい現状の向こうにジェットの静かな笑顔を見ることが出来る、それが自分の脳内で作り出した幻だとしても、彼の存在がフランソワーズをここまで強くしたのだ。
「ありがとう」
 ジェットは大きく躯を震わせると、インターホンに手を伸ばした。
 震える手ではうまく指先よりも小さなボタンが押せない。
 動くだけで、快楽が肌を焼き尽くしそうだ。
セックスを楽しむ為にドラックを服用したこともあるし、男娼として商売をしていた頃に、一度に何人もの男達に玩具にされたこともあるけれども、それらの時に感じた快楽とは全く異なるこの感覚に、神経系統にある電子信号の流れが快楽に向いているとしか思えない。
 シーツやシャツが触れる感触すらも拾い、ざわざわと神経を侵食していく。張り巡らされた神経回路はセックスという名前のウィルスに浸食さけているかのように、ソレしか考えられなくなる。
 誰でもいいから、この快楽を鎮めて欲しいと願いはじめている。
 どうせ、後から嫌な思いをするのは経験で理解しているけれども、今の苦痛と比べたらマシなことなのかもしれない。痛みを我慢することよりも、快楽を押さえ込む方が躯にも、神経にも堪えるのだろう。
 そんなジェットを見て、フランソワーズはインターホンに手を伸ばした。
 ボタンを押すと、常にこの部屋に続く廊下に配置されている警備員の元に繋がる仕組みになっていて、インターホンのスピーカーから不機嫌な警備員の声が何事だとそう問うてくる。
 フランソワーズはジェットを見る。
 ジェットは小さく頷いた。
「002が……、震えて動くことも出来ないんです」
 そう伝えると、インターホンの向こうで、すぐ行くから待っていろとの指示だけがあり、それ以上の用はないのだというようにインターホンのスピーカーからは何も聞こえなくなった。フランソワーズはインターホンのボタンから指を離す。
 ジェットの姿を見るのが辛かった。
 何もしてあげられない自分の無力さに、腹が立つ。
 出来るのは戻って来たジェットを抱き締めてあげることだけだ。
「必ず……」
 戻って来てねという言葉を飲み込んだが、ジェットは快楽に悶えながらも頷いてくれた。それだけでフランソワーズには十分であった。
 フランソワーズが言葉を飲み込んだのにはもう一つ訳があった。
 警備員達がジェットを連れに遣ってきた気配が伝わって来たからだ。
 この部屋に張り巡らされた電磁波のおかげで、外部の状況を見ることも聞くこともできないが、唯一の救いはその自分の能力を無力化する為の装置は、あちらから自分達の行動を監視することが出来ないことである。 
 二人が何を話して、そしてどんな関係にあるのか彼らには全く把握できてはいないということだけだ。
 けれども、この部屋のただ一つの出入り口が開く時にする僅かな音の違いがフランソワーズは分かるのである。
 わざわざ二人の間にある強い絆など、連中に見せてやることもない。
 フランソワーズは003となり、人形のように無表情で黙ったまま警備員に連れられて行く002の姿を見送った。
 瞬き一つすることなく、ただ荒い息をしながらストレッチャーに乗せられて運ばれていく002の姿だけを見詰め続けていた。それが自分に出来るただ一つのことだというように、扉が閉まるまで003は動かなかった。
 静寂が戻り、フランソワーズはまた一人になってしまった。
 ベッドに腰を下ろす。
 ジェットが居た部屋は、殺風景で何もない部屋であったけれども、温かさが詰まっていた気がする。でも、今の部屋はジェットがいないだけで何もない場所に感じられてしまうのだ。
 空っぽな部屋に置き去りにされた気持ちになる。
 自分の心には沢山の愛と思い出と、形に出来ない様々な物で埋め尽くされていたはずなのに、今は何もないように感じられる。空っぽの心という名前の箱しかない自分はまるで、生きる人形のようだとフランソワーズは空洞になっている右目に白い手を当てた。







『人形のようになれば、彼を待つ時間も辛くはないかもしれないかもね』
 とフランソワーズは口唇だけで囁いて、瞼を閉じ、深い闇の世界へと意識を沈めていった。
 
 





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From '人形の凍えた心が夢見るもの' of the issue 2004/02/24