恋の奴隷



 狭い部屋の片付けをあらかた終え、コーヒーを片手にこの部屋に唯一、置かれているカウチに座るとほっと溜息を吐いた。
 一口コーヒーを啜り、一人で食事をするのがやっとの大きさのテーブルの上にコーヒーの入ったマグカップを置くと、NYタイムズを広げた。換気をする為に開け放った窓からは少し湿ったNYの風が入ってくる。
 しかし、NYタイムズを開いて、お目当ての記事に視線を当てた瞬間、アルベルトの眉間には皺が寄り、少しだけ上向きだった口角が途端に下がる。



 どうして、自分はNYくんだりまで来て、マヨネーズ臭いNYタイムズを読まなくてはならないのか。
 マヨネーズを零したのは仕方がない。
 敷物代わりしたのを黙認したのは自分だ。
 でも、自分が読みたい記事の上によりによって油の塊で汚すのが気に入らない。






 長期の休暇が取れたからとジェットに連絡すると、ジェットの答えは何時の便で来る?
 それとも自分が迎えに行こうか?と、既にアルベルトがNYに来ることが決まった口ぶりであった。
 確かに、来てもらえることを嬉しがっているジェットは可愛かったし、あれもこれもしようと計画を立てて笑うジェットの姿が愛しいとすら思っていた。渡米に日が近付くにつれてジェットは毎日、買っとくものはないかとか、何時の飛行機で、どんな格好をして来るのかと、そんなことを聞く為に、電話を寄越していた。
 遠距離恋愛の恋人が自分のところに来てくれるのが、楽しみでならないとの態度を見せるジェットは、声だけしか聞こえなくともアルベルトには、その姿が具に想像できてしまう。 
 だが、世の中そんなに甘くはない。
 ジェットの同僚の一人が交通事故で入院を余儀なくされ、彼の穴を埋める為に、ジェットの申請していた休暇は4日から2日に減らされてしまったのだ。
 ジェットもBG団を逃げ出してNYに戻った頃はやくざな商売で日銭を稼ぐ日々だったが、とある事件を切っ掛けに今では真面目に働くようになった。自転車便の会社に就職して、自転車でオフィスからオフィスに書類や荷物を運ぶ仕事をしているのだ。もちろん、ビジネス街が忙しい時はやはりジェットも忙しい。
 休暇もとりやすいの時季だったが、同僚の怪我は仕方がない。
 アルベルトもドイツを立つ前日に、その事実を聞いたが予定通りにNYにやって来た。
 ジェットが仕事に行っている間、部屋を掃除してやったり、食事を作ってやったり、NYをゆっくりと観光したりと、まあ、それなりにゆったりとした日々を過ごそうと思っていたし、ジェットの仕事振りも覗いてみたかった。
 まあ、そんな日々を穏やかな日々をアルベルトは楽しんでいた。
 けれども、休暇に入ったと思ったら、いつものジェットに戻ってしまっていた。
 仕事に行っている間のジェットは借りた猫のように大人しかったのに、休暇に突入したとたん、いつもの我侭坊主に戻っていたのだ。
 つまりNYタイムズのマヨネーズ事件はここに端を発するのである。






「なあ、アル」
 酒気帯び歩行でご帰還したジェットはえらく上機嫌で、お帰りと玄関を開けたアルベルトに抱き付いてきた。そのまま床にアルベルトを押し倒すと、積極的に服を脱がせて、セックスしようとそうのたまわったのである。
「ジェット?」
「バスローブ、一枚なんてそそるじゃん」
 風呂から上がったばかりなのだから仕方ないとのアルベルトの言い分には耳を貸さない。
「なあ、オレを誘ってんの。あんたのこんな格好ムラムラしちまう」
 バスローブを剥いで、鈍い色を放つ鋼鉄の躯に、酒のせいだけなく火照った躯を押し付けてきた。腹を跨ぐように座ったまま、部屋のあちこちに洋服を投げ散らかしながらアルベルトの目の前でボクサーパンツ一つになる。
 そして、指を厚い胸板に這わせて、ぺろりと舌舐めずりをしてみせる。
 誘ってるつもりなどアルベルトは毛頭ないし、余程、ジェットのこの格好が誘っていると思うわけだ。だいたい、鋼鉄のボディーを持つ男にささられる奴なんて、本当にジェットぐらいものだ。
「ジェット?」
「ぁあん、あんたはじっとしてろって、オレが天国見させてやっからさ」
 とそう言うと口唇を押し付けてくる。ビールの匂いがするが、酔っ払う程飲んでるとは思えない程度の匂いしかしない。妙にテンションが高いのはどうしてなのだろうと思いつつも、ジェットのテクニックに翻弄されたのは事実で、まあ、久しぶりにセックスを楽しませてもらったには違いなかった。
 そう、ここまではよく有りがちな恋人同士の一夜であったのだ。






「腹減った」
 そんな一夜が明けて、昼近くに目を覚ましたジェットは、一言であった。まあ、別段、珍しいことではなく、いつものジェットらしい。
 どうやら、いつもの我侭な気分屋のジェットの大盤振る舞いが始まったらしいのである。
 オハヨウのキスもさせずに、腹減ったとわめき、近くのサンドイッチ屋のベーコンサンドが食べたいと、駄々を捏ねる。
「イヤダ。ベーコンサンドじゃなきゃ、ヤダ。なぁ〜、アルぅ〜、買って来てよ」
 などというのだ。
 作ってやろうかとのアルベルトの声も却下して、挙句にはなんなら自分で買いに行くからと素肌の上にウエストラインが随分と低いジーンズを取り出して、着ようとしたのだ。つまり、ジェットの素肌の上にジーンズを履いて買いに行くとのアピールをしたのである。
 ジェットは確信犯で、自分が買いに行くからと言い出すことをわかっていてのポーズだとしても、アルベルトは自分が行くとしかいえなかった。
 惚れた弱みだ。
 明け方近くまでセックスを楽しんだ朝のジェットの裸体にのそこかしこにキスマークが残っている。
 しかも、半勃ちになったペニスの上にジーパンなんて、その気がある男から見れば突っ込んでくださいといってるも同じではないか。
 アルベルトの男の独占欲がアルベルトジェットを甘やかす原因なのだが、惚れてしまった以上仕方がないのである。
 こんな淫らなジェットを自分以外に見られると思うと、自分がジェットの振り回されることよりも腹が立つのだから仕方がない。
 で、リクエスト通り、指定の店でベーコンサンドを買い、途中のコンビニエンスストアでペプシと、自分の為にNYタイムズを買ったのだが、新聞はベーコンサンドの挟まれたいたマヨネーズの餌食のなってしまったのである。
 それは、突然、ジェットがベッドの上で食べると言い出した。
「だって、ピクニックみたいでいいじゃん」
 と悪びれも泣く笑い。読んでもいないNYタイムズをベッドの上に広げて、ピクニックごっとだと食べ初めてしまったのだから仕方がない。ここで、怒れない自分もいけないのである。
 わかってはいる。
 ジェットが我侭を言うのは、自分が聞いてしまうからだと自覚あるのだが、ジェットのこの笑顔を見ると腰が砕けてしまうのである。
「やっぱ、ピクニックで食べるお弁当はおいしいよなぁ〜」
 ピクニックなどではない、部屋で食べているだけなのにピクニックごっこで喜ぶジェットが不憫に思えてしまうのだから、更に性質が悪い。きっと、ピクニックなんて行ったことないてんだろうと、ついジェットの幼少時代へと意識を馳せてしまう。
 今度は本当に、ドイツに来た時はちょっと車で遠出をしてピクニックにでも連れて行ってやらなくてはとアルベルトは心のメモに書きとめたのである。






 つまり、そんなこんなんでアルベルトの朝から、それなのにてんてこ舞いをしてしまったわけなのだ。
 いや、躯を動かすのは嫌いではないしも掃除も嫌いではない。
 家に手を入れることが好きなドイツ人気質を持ち併せているアルベルトは料理はともかく、掃除などは決していやではないのだ。ちなみに日曜大工も得意中の得意である。でなければ、いくら恋人の部屋とはいえ、トイレまでピカピカに磨き上げたりはしないものだ。
 腹を満たしたジェットはバスルームへと消え、その間、アルベルトはベッドの上を片付けて、シーツを取替え、窓を開けて換気をして、ジェットが脱ぎ散らかして洋服を片付け、軽くベッドの掃除機を掛ける。
 ジェットは基本的に風呂が長いので、未だ出てくる気配はない。
 だから、少しはゆっくりコーヒータイムとしゃれ込んでいたわけなのであった。
 しかし、ジェットと一緒に過ごしているのだから、穏やかな時間が長く続くわれはなかったのである。
 バスタオルを腰に巻いたジェットがバスルームから出て来る。
 セックスをする仲なのに、どうしてかこのようにジェットの姿には目のやり場に困るのだ。見なかったことにしてNYタイムズに視線を戻すと、ジェットがじっとこちらを見ているが気配だけでわかる。
 知らぬ振りを続けているとジェットの視線が離れ、冷蔵庫を開ける音がした。
 プルトップを空ける音と何かを飲む喉の音がアルベルトの聴覚を刺激する。
 軽いゲップを一つしたジェットは、今度は視線だけでなくアルベルトに近寄ってきた。狭いワンルームのマンションだ。冷蔵庫のある場所からアルベルトの座っているカウチまで数歩しかない。
「なあ、アル」
 半歩距離を開けて、ジェットはアルベルトの前に立った。
「なんだ」
 それでも、記事から視線を放さない振りをしてみる。
 イラク戦争とアメリカ経済の関係などという記事は、あまり興味のある記事ではない。世界情勢には一応、気を配っているが、経済に関してはあまりよくわからないのだが、一応、字面を目で追う。あまり得意でない分野なので、余計に頭に入ってこない。


「ゴメンな」


 突然の、予想もしないジェットの台詞に故意にそらしていた視線がジェットに吸い寄せられてしまった。風呂上りで水滴を含んだ赤味の帯びた金髪、ほんのり染まった頬、風呂上りのビールで湿った口唇。
 艶やかに散る情交の跡、目元に浮かぶそばかすの跡。
 いつものふてぶてしい我侭ばかりを言って、気紛れで自分を振り回すジェットとは少し違う気がする。
 こうしていくつもの顔を見せるから、自分はジェットから離れないのだ。
 我侭ばかり言っているかと思えば、心細そうな表情で自分を捨てないと欲しいと言う。遠距離恋愛で時々会うのがいいんだと言いつつ、会えないのは寂しくてたまらないからNYで暮らさないかと泣きついたりもする。どちらもジェットなのだと、そう思うと不思議と愛しさが増してしまう。
「新聞、汚しちまって、あんた、汚れるのきらいじゃん」
 と心細そうに揺らぐ青い瞳が其処に見える。
「気にするな。お前を待っている時間潰した」
 新聞を置いて、おいでと腕を広げるとジェットの素直にそのまま抱きついてきた。腕を回して、太い首筋に自分の顔をしっかりと埋める。ジェットの髪が含んだ水滴がシャツに染み込むが、それはイヤではない。
 むしろ、ジェットの心が沁みてくるようにすら感じる。
「我侭、ばっかりでごめんな。せっかくNYに来てくれたのに…、ホントはもっと色々ともてなしてあげたかったのに…。我侭ばっかりで、でも、アルが聞いてくれるから、こんなオレ、嫌いにならないでクレヨ」
 ぼそぼそと小さな声で耳元で囁く。
 自分を捨てないでと、アルベルトを愛していると、時折こうしてアルベルトが思ってもみなかった愛情を寄越すのだ。それが欲しくて、自分もジェットの傍を離れられない。自分の存在を欲してくれているシグナル。
 どうでもよい相手にジェットは我侭を言ったりはしない。
 自分に甘えているからだと、アルベルトはそう思いたいのだ。
「当り前だ。誰が、お前みたいなヤツの面倒が見れるんだ」
「面倒だけ?アイシテはくれないの」
 耳元で囁かれる小さな、振動でしか音を捉えられないくらいの声で縋るように問うジェットが愛しくてならない。
 我侭だって、素直でなくたって、手が掛かったって、惚れてしまった以上どうしようもないではないか。でも、そんな部分が可愛いと思えたりしてしまう腐れ具合に自覚はあっても、アルベルト自身それを止めようとは全く、考えてもいない。
「アイシテル。もちろんだ。じゃなかったら、こんなことはしない」
 と自分の首筋に顔を埋めているジェットの首に小さなキスを一つ落とした。そして、今度はアルベルトが小さな声で囁く。
「ベッドへ、行こう」





「やっぱね」
 ジェットは先刻までの神妙さは何処にやら、突然首筋から顔を上げて笑った。
「ほら、アル、やっぱ、オレにメロメロじゃん。やっぱ、オレの躯ってサイコーでしょ?
 なあなあ、昨日は目一杯、奉仕してやったじゃん、今度は、目一杯奉仕してよ。ちょっと、乱暴っぽいのがいいなぁ〜、縛っちゃったりとかさ。ね、アル」
 そうだ。
 こいつはそういうやつだった。
 神妙にしていられる時間は3分が限界なのだ。
 そんなに、奉仕してもらいたいなら明日一日、ベッドから出られないくらいに徹底的に可愛がってやる。縛る、そうしてもらいたいんならそうしてやろうじゃいか。乱暴にだと、後悔したくなるくらい惨くしてやる。
 と思いつつも、甘えるように腕を伸ばして抱きついてくるジェットに惚れている自分がいると自覚している。
 だって、このジェットのお誘いにしっかりと反応している自分の息子がいるからだ。
 振り回したいなら、振り回されてやる。
 こうなったら、とことん地獄の其処まで付き合ってやる。
 但し、最後にヒイヒイなくのはお前だと、そう心で呟くアルベルトいた。





「それとも、SMっぽいのってあんまり好きじゃない?この間、読んだ雑誌にさ、たまにはマンネリ脱出でソフトSMは如何なんて書いてあってさぁ〜〜、なあアル聞いてんの?」





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