溜め息を吐かせないで



 004はボールに山と盛られた皮の剥かれたじゃが芋を見て、溜め息を吐いた。
 確かに、ドイツ人はじゃが芋を食べて生き延びてきたのかもしれないが、それは自分が生まれるずっと前のことじゃないのかとの突っ込みに、006はあっさりと、ご先祖様がいなかったら、今の004もいないとあっさり言い返されてしまう。
 その他の事に関しては004の発言権は特に戦闘に関しては、かなりの幅を利かせているが、食事という点においては誰も006には逆らえないのである。
 9人と家主であるコズミ博士の分も入れて10人の胃袋は006の腕一本かかっていると言っても過言ではない。004だとて、自分が食べる程度なら料理も出来るが、これだけ国籍がバラバラな連中の食事の世話をする度胸はない。
 さすが、中国四千年は伊達ではなく、これだけ年齢も国籍も生まれた時代も違う連中が、006の作る食事に関しては不満を漏らさないし、それが元で言争いにならないことは良いことなのだと思う。だからして、食事の一点に関しては誰も006に逆らえないのだ。
「でも、どうしてじゃが芋がこんなに大量にあるんだ?」
 004はじゃが芋の皮を剥きながらずっと考えていた疑問を忙しそうに立ち働く006の背中に投げる。
「コズミ博士の実験場で出来たじゃが芋アルね」
 成る程と004は大量のじゃが芋の意味を理解した。
 ちなみにじゃが芋畑の横にはさつま芋畑がある。
 どうして、コズミ邸の広大な敷地に似合わない芋畑が存在するのかといえば、コズミ博士の研究と関係がある。コズミ博士は生化学を専攻する科学者なのだ。若い頃は色々と怪しげな研究にも携わっていたが、隠居を決め込んでいる今は世界の食糧危機に備えて、芋を短期間で成長させる肥料の研究を細々としているのだ。
 で、何故、芋なのかというと、芋はあまり場所を選ばすに育つ作物で、温かい地方から寒い地方まで分布していて、他の野菜等に比べて栄養価も高く、何よりも保存が利くという点にあると将棋の相手をさせられている004はコズミ博士から直接話しを聞いていた。
 ってことは、実験はそれなりに成功しているらしい。
 だからといって実用化にすぐに結びつくわけではない。人体に影響がないかなど色々とまだ調べなくてはならないことは山積みだろうと思うが、世界平和に貢献する研究をしているコズミ博士は凄いと004は真っ当に感心しているのだ。
「006、だからって、こんなに剥くことはないんじゃないか?」
「何を言うか、戦いが始まれば料理をゆっくりしていられないね。短時間で栄養のあるものを作る為に、今のうち、冷凍食品を作って保管しておくアルよ」
 006は中華包丁をぶんぶか振り回して、弱音を吐く004にはっぱをかける。妙に面倒見の良い004はそういう事情なら仕方がないと、黙々とじゃが芋剥きに没頭するのであった。
 皆の胃袋に入るものだと思えば、然程、苦痛ではないし、戦闘に必要なものだと知れるとそれなりにちゃんと役に立つ男なのだ。
「わいとしたことが…、今日はスーパーの特売日だったアルね。004、わいは買い物に行ってくるアルから、ちゃんとここにあるじゃが芋、ちぇんぶ皮剥いておくアルね」
 と云うと、太った彼にしてはかなり俊敏な、まあ世間一般から考えると非常識な身の軽さなのであるが、00ナンバーの中では一番の鈍足なのである006としてはかなりのスピードで台所から転がり出て行った。
 006の言うことに逆らう余地のない004は視線だけで見送ると、再び、じゃが芋剥きに没頭する。暫く独りでじゃが芋剥きに精を出していると、人の気配が近付いてきた。00ナンバーの中で一番軽やかな足音を立てるのは彼しかいないから、見なくとも誰なのかわかるし、次にどんな行動を起こすかも予測がついていた。
「アル」
 甘えた声が背後からしたかと思うと、背中に飛びつくように抱き着いてくる。それは、アルベルトの予想通りジェットであった。そして、背中にべっとりと懐いたまま、肩越しにアルベルトの顔を覗き込んでくる。
「喉乾いた?」
 そう云いつつ、真横に移動をする。突然に何の脈絡もない会話を展開したり、主語を飛ばして話したりするのはジェットの得意技なのである。ご苦労様、疲れてないのか、何か飲みたくないかと、そう彼なりに気遣っているということをちゃんとアルベルトは理解している。
 その口調はかつて少年ギャング団のリーダーだったとは絶対に信じられないくらい甘えた、可愛らしいものである。そう思ってしまえる自分はかなり腐っていると思いつつも、アルベルトはまあなと返事を返す。
 するとジェットの手が伸びてきて、アルベルトの両の頬を挟み込み横に居る自分に向かせると突然に口付けた。そこから甘い味のするものがするりとアルベルトの口の中に侵入して喉を潤していく。
「へへっ……、美味いだろう?」
 子供のようにジェットは笑う。そんなジェットを見ていると、口移しのコーラは美味しくはないと言えなくなってしまうアルベルトも大概、馬鹿者である。ジェットはコーラの缶を持ったまま、アルベルトがじゃが芋の皮を剥いている料理台の向かいにキッチンにおいてある椅子を移動させ、小鳥が電線に止まるように、ちょこんと座る。
「これ全部剥くのか?」
「ああ」
 そう聞いたきり、ジェットは黙ってしまった。
 本当は、早く自分の相手をして欲しいと思うのだが、006に頼まれたのであろう仕事を004が途中で放り出すようなことが出来るはずもなく。もっとも、頼まれた相手が006でなくとも、アルベルトは頼まれたことを放置できる男ではないのだ。
 そこがまた好ましいと思う。
 また、我が侭を言ってアルベルトを怒らせて、大切な二人の時間をロスするのももったいないと最近、少しだけわかってきているジェットであるのだ。今はまだ、昼を過ぎた時刻で、二人ともに差し迫った任務があるわけでない。
 004は一昼夜の緊急事態に備えドルフィン号で待機をする任務を終えて、部屋に戻ろうとしたところを006に掴まったのである。004は明日の朝まで、何の任務もないが、002は今夜、パトロールの当番になっていて、夕食を終えた20時から翌朝の朝食の時間の8時まで定期的にコズミ邸の周辺の警戒に当たらなくてはならない。
 二人っきりの時間は夕食が始まる7時までしかないのだ。
 BG団を逃げ出してから、ようやく手に入れたアルベルトと二人で過ごす時間をジェットは無駄にはしたくはなかった。BG団にいた頃はデータを取るのに協力したり、戦闘訓練さえ消化していれば、あり余る時間があった。でも、今はそうではない。
 でも、今の方がイイとジェットは思う。
 何故なら、例え、逃避行の日々であったとしても、明日には死んでしまうのだとしても、傍にアルベルトがいるのだし、BG団の基地で幽閉同然の暮らしをしていた頃よりも、アルベルトの表情が活き活きと輝いているように見えるからだ。
 3割増は男前に見えると、ジェットは料理台に手を乗せて、その上に顎を乗せた体勢でじゃが芋を剥くアルベルトに見惚れていた。
 青みがかった銀髪に、北欧の海を連想させる凍ったようなシルバーグレーに近い蒼い瞳。ゲルマン民族の象徴のように通った鼻筋、強い意志を示すように結ばれた口唇。全てがジェットには好ましく見える。
 一見、強面なのだが、自分に向ける笑みはとても優しくて、厚い雲に覆われた空かに差し込む一筋の太陽の光のようにもジェットには感じるのだ。
 この男の前では、虚勢を張らずにいられる。
 虚勢を張って、背伸びして生きてきた自分の無理ばかりしていた人生の中で、唯一、自分が自分として素直になれる場所がアルベルトの傍なのだ。
「どうした?」
 片眉だけを上げて、普段から騒がしいジェットが黙ったまま自分を見詰めているのを心配して声をかけてくれたのだ。
「別に……」
 口唇を尖らせて、視線を外すジェットはとても18歳の男だとは思えない、幼さと可愛さがあって、アルベルトの凍った心を溶かしてしまう効果があるのだ。口元に微かに軟らかな笑みを浮かべるが、視線を外したままのジェットは気付いてはいない。
 アルベルトは再び、手元のじゃが芋へと視線を戻すと、ジェットの視線もアルベルトの元に戻ってくる。仕方がないと思いつつも、さっさとじゃが芋剥きを済ませて、我が侭で可愛らしい子猫のようなジェットに構ってやらないと、そんな気持ちになる。
 ジェットはひたすら、アルベルトを見詰めている。
 右手にじゃが芋を持ち、左手についている電磁ナイフで皮を剥いて行く動作には無駄がない。左手が閃く度に、じゃが芋が裸にされてボールに放り込まれる。自分で、そんなことを考えているうちにジェットの思考はあらぬ方向に向いていってしまうのだ。
 肌を重ねたのは、アルベルトがドルフィン号への待機の任務に就く前、つまり一昨日の夜であった。昨日の夜は独りで寂しくベッドで眠ったのだ。アルベルトの匂いの残るシーツに包まっていた自分を思い出す。
 鋼鉄の右手についたじゃが芋の澱粉が、あの右手で嬲られ達してしまった自分の白濁した液となにやら色が似ていて、妙な気分になってきてしまうのだ。
 快楽に従順なジェットは、見掛けとは裏腹に優しく、そして、激しく抱いてくれるアルベルトの逞しい肉体を、自分だけを愛してくれる鋼鉄の手を思い出すだけで、躯に熱が篭ってしまうのだ。
 じゃが芋を剥くのに電磁ナイフを使うのなら、自分も剥いてくれればイイのにとジェットは思えてしまう。



 暗がりの中で突然、銀色に輝く閃光が走り抜けると、着ていたパジャマがはらりと床に落ちる。咄嗟に押さえようと手を伸ばすが、間に合わずにひらりひらりとパジャマの切れ端が床に吹雪のように散らばっていくのだ。
 それでも、躯に纏わりついている生地を掻き集めようと自らを抱くようにした腕を、鈍く光る鋼鉄の手で捕らえられて、圧倒的な力で床に押さえつけられる。自分に圧し掛かる男はとてもジェットでは、振り払うことが出来ない程の存在感があった。
 耳元に寄せられた口唇は、ドイツ語訛りの英語でジェットと優しい囁きを吹き入れる。けれども、ジェットの躯を這う手はとても荒々しく、ぼろぼろになったパジャマを纏わりつかせたジェットの局部に迷わず手が伸びてくる。
 痛いくらいに握り締められ、痛さに身を捩って動くジェットの乳首を今度は舌で舐め、優しく歯を立てるのだ。下半身に与えられる痛いくらいの愛撫と、あまりにも優しい上半身の愛撫に、躯は素直に反応を始める。
 そして、自分の強引に押し倒した、不埒な男の名前を呼びながら、その逞しい背中に自ら腕を伸ばして縋りつくと『イイ子だ』と甘い囁きという褒美をくれる。耳朶を噛まれて、鋼鉄の手で下半身を嬲られて、あられもない嬌声を上げる。求められるままに秘部を晒して、そして、彼が欲しくて堪らないと冷たい彼に哀願をするのだ。



 と、ついジェットは妄想に走ってしまった。
 正直、アルベルト相手ならジェットは何をされてもOKなのだ。アルベルトが触れてくれるだけで、気持ち良くなれてしまう。アルベルトでなければ駄目なのである。
 『ああ、じゃが芋になりたい』と、真剣にジェットは思うのだ。
「はぁ〜〜」
 熱い吐息を漏らすジェットを視界の端に収めていたアルベルトは、彼が何を考えているのかすっかりとお見通しであった。本人は気付いていないでろあうが、何か考え事をしていて、そのまま自分の世界に入ってしまうと、無意識なのか声こそは出さないが、口唇を動かす癖があるのだ。
 BG団の基地にいる間、その癖を知ったアルベルトは有り余る暇を使って読唇術をマスターしたからして、ジェットが何を考えているのか、ちゃんと解るのである。もちろん、あらぬ事を想像している場合が多いので、実は、それを他の連中に気付かれる前に対処するのも結構大変なのである。
 でも、その妄想は自分に愛されていることがほとんどだと知っているから、また、それも可愛らしいとアルベルトは本気で思っていた。
 服を切り裂いたりというのは後々の掃除が大変だからしたくはないのだが、ジェットが望んでいるのなら仕方ないかとアルベルトは苦笑する。そして、最後のじゃが芋を剥き終えると、剥いた皮の山を片付けて、流しで手を洗う。
 ぼんやりと、まだ、何やら妄想を逞しくしているジェットに背後から近寄って、跳ね上がる癖のある赤みのかかった金髪の頭を軽くぽんぽんと叩く。すると、弾かれたように肩越しに、自分を見上げるジェットの晴れ渡る空のような青い瞳とぶつかる。
 アルベルトは上気した頬に、冷たい自分の頬を寄せて、背後からやんわりと覆い被さるようにして、腰をさり気に抱き寄せた。そして、耳朶を食むように甘い誘いを吹き込んだ。
「明日の夜にな……」
 それだけを告げると、アルベルトはジェットの躯から離れる。一度もジェットを振り返ることなく、早い足取りでアルベルトは台所から出て行った。
 一瞬、何を言われたのか解らなかったジェットはぼんやりとその姿を見送っていた。何度も、アルベルトの残した台詞をリフレインしてからもようやくその意味を理解する。その途端に、熟れたトマトよりも顔を真っ赤にして、馬鹿野郎と叫びつつ、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、防護服から普段着に着替えるために部屋へと消えたアルベルトの後を軽い足取りで追い掛けていった。





BACK||TOP||NEXT



The fanfictions are written by Urara since'09/04/01