機械人形が見る幻想
清潔で柔らかなベッド、供せられる温かで豪華な食事、寒くもなく熱くもなく空調の行き届いた室内、何処もかしこもよそよそしい程に綺麗に整えられている空間。 その中にいる自分も、垢一つつけることを許されないかのように綺麗に磨き上げられて、調度品の一つとでも言いたげにベッドに腰掛けている。しかも、着せられている服は防護服や普段着ではなく白いシルクの薄手のガウンが一枚だけである。 待たされることにも慣れた。 いつ帰れるかも分からない男の気紛れに付き合うことにも慣れた。 ただ、いつまで経っても苦痛に感じるのは、ジェットがこうして呼び出された時のフランソワーズの苦渋に満ちた顔であり、自分が男の気紛れから開放されて戻った時の困惑した顔である。 本当はそんな顔をしないで欲しい。 自分はどうなっても良いから、彼女には笑っていて欲しい。彼女の存在が自分を孤独から救い、その笑みが荒んだ心を癒してくれた。そんな大切な彼女を苦しめたくはない。でも、今の自分に出来る精一杯のことはこれだけなのだ。 自分の代わりを彼女にだけはさせるわけにはいかない。 ジェットは立ち上がり、窓辺へと足を進めた。 その窓の先には、広い海と空が広がっている。窓も開け放たれていてジェットの飛行能力を持ってすれば、抜け出すことは容易い。確かに、そう思った。だから、彼女と二人で逃げ出そうとしたのだ。 けれども、このサイボーグ研究所から半径50q以上離れると脳内に埋め込まれた機器が電流を発生させる。更に、80q以上離れるとその機器から毒薬が流れ出し、脳だけを壊死させる仕組みになっているのだ。 知らずに逃げ出した二人は、凄まじい苦痛を味わうことになった。 その衝撃で気絶した二人が目を覚ました時はこの今、ジェットの居る館で、二人とも全裸にされ床に転がされていた。フランソワーズを背に庇うジェットに、あの男は、どちらかが自分の人形になるのなら今回のことには目を瞑るとそう言って寄越したのだ。 人形の意味をジェットは理解していた。 だから、自分が人形になることを決めたのだ。フランソワーズも自分がと言ったが、少なくとも彼女は女性で有り、子供が出来る可能性はあるのだ。もし、彼女にそんなことをさせて子供でも出来てしまったら、あの男に抱き人形として弄ばれる自分を見るよりもフランソワーズが苦しむとそうジェットは思った。 レイプの挙句に子供を身ごもってしまった。あるいは、躯を売る商売をしている女達に相手が誰とも知らぬ子供が出来た。望まぬ子供を身ごもる女性の負荷をジェットは嫌と言う程に知っていた。彼の母親もまた彼女達と同じ仕事をしていたが故にそれらを幼い頃より間近で見ていたジェットは、そんな思いをフランソワーズにはさせたくはなかった。 少なくとも自分なら妊娠の心配はいらないし、どうせ自分も一時期は躯を売って餓えを凌いでいた日々があるのだ。昔の家業に戻ったと思えば、我慢も出来る。何よりも、彼女を救うと言う名目があるだけに、ただ、食べる為だけの昔とは違うと言える自信がジェットにはあった。 フランソワーズはどうしているのだろうかと、視線を泳がせるが、彼女のように遠くを見たり聞いたりする能力は持ってはいない。 自由に飛びまわれる能力を持っていても、結局はカゴから出ることが出来ない鳥と同じなのだ。 カゴの中で、主人の手で啼かされるカナリアのようだとジェットは自嘲を漏らす。 海も空を青々として美しい。 手を伸ばせば届きそうであるが、届くことはないのだ。ガラスを一枚隔てた向こうにしか美しい世界は存在していない。空を飛べても、結局は空も海も自分達のものではないのだ。 ジェットは自分と外とを隔てる透明なガラスに指を沿わせた。 冷たい感触が人工的に創り出された皮膚と機械で出来た躯なのに感知出来てしまう。それどころか触れられれば快楽を感じて、悶える自分の肉体が疎ましい。どうせなら、肉欲など縁のない躯にしてくれれば良かったと、生身であった頃よりも鋭敏になった自分の躯を恨みたくなってしまう。 飛行能力を追及する為の様々な機能。そう、鋭敏な皮膚もその一つなのだ。 僅かな気圧の変化を捉えられるように作られた皮膚は至極敏感で、少しざらついた洋服の感触がジェットの神経を逆撫でることも少なくはないのだ。それを知っていて、男はジェットを嬲るのだけれども、ジェットに拒否権はない。 ただ、『イエス、マスター』と肯定することしか許されないのだ。否定して逆らえば、フランソワーズの脳内にある機器によって彼女に地獄の苦痛を味合わされるからだ。彼等の脳内に埋め込まれた機器はこの島を離れなくとも、手動に切り替えれば自由に彼等に苦痛を与えることが可能なのだ。 それは嫌になるほどに躯に沁み込んでいる。 フランソワーズに齎される苦痛の方が大きいのだ。脳の近くに改造を受けているフランソワーズは脳内への刺激に対して耐性が少ない。同じ電流を脳内に流された時に、どちらが激しい苦痛を伴うかと言えば、それはフランソワーズの方なのだ。あれ程の苦痛を自分が原因で味合わせたくはない。 『フラン』 ジェットは口唇を動かして、音としては綴らずに心で愛しい自分にとってただ独りの家族である彼女を求めた。彼女と一緒に生き残る為だ。いずれ、生きてここを出る為には、気に入らない男に躯を任せるような真似をしても、媚びを売っても、それでも、這いつくばってでも生き抜いて行くのだと彼女と誓った。 もうすぐ、仲間が一人増えるらしい。 仲間が増えればここを抜け出す活路を何時の日か見出せるかもしれないのだ。僅かな蜘蛛の糸のように細い頼りのない希望だけれども、今の二人にはそれに縋って明日を願うことでしか生き延びることは出来ない。 それは、自分達と同じ境遇の人間を増やすだけなのだが、それでもと、新たなる仲間を求めてしまう自分達の勝手さにも嫌悪が沸くけれども、そう願うことしか本当に自分達は許されてはいない。相反する感情ですらも、今のジェットにとっては大切な自分なのだ。 心の中の自由しか許されない自分達。 ただ、願うことしか許されない境遇。 そこから逃げられない自分の心に深い溜め息を落とし込んだ。 「よく来てくれましたね」 突然、背後の扉が騒々しく開いて、男が入って来る。 今からジェットを人形として扱い、ジェットの僅かな矜持すらズタボロにしてしまう男だ。 「はい、マスター」 ジェットは長い睫毛を伏せてそう答える。決して、否定の返事は許されない関係である。半身を捩って男に視線を流しているジェットに男は足音を立てずに近寄ると、ジェットの躯を覆う一枚のガウンの腰紐をするりと解いた。絹で出来たそのガウンの腰紐はしゅるりと音を立ててジェットの細い腰から滑り落ちて行く。 ジェットの細い肩に無骨な大きな手を置いて自分の方を向かせると、襟から手を差し入れて肩を撫でるその動きに合わせて自然とガウンが肌蹴て、肌目の細やかなジェットの皮膚を舐めるように落ちて行った。 何も身に着けずに青い海と空を背景に立つジェットに男は感嘆の笑みを零した。 最初から欲しいと思っていた。 けれども、サイボークとしての改造を受けた不安定なジェットを自分のお人形にはこの島の指令官としては出来ない相談であった。ジェットがサイボーグとして安定した頃に、人形のような顔をしたフランス女が運ばれて来た。 男は女の人形には用がなかった。ジェットが人形として欲しかったのだ。手の込んだやり方だが、ジェットが自分の可愛いお人形として手元に留めておくには、彼女を出汁に使うのが一番だと、男はそう考えたのだ。 もちろん、彼等が脱出を図るようなシチュエーションをお膳立てさせてのも自分だ。鵜の目鷹の目的なBG団と言う組織で、独立した研究機関を抱えるエリアの指令官であると言うことは、かなりのやり手であることを示している。ジェットやフランソワーズの浅知恵で対抗出来る相手ではない。 そして、可愛いジェットは自分の手の中に落ちて来た。 本当に綺麗な躯だ。 機械で作られた自分にとっての完璧な肉体。 青い瞳、赤味のかかった跳ねる癖のある金髪、白い敏感な肌、長い華奢な手足、細い腰、男が求めていたモノが其処には存在しているのだ。 普段はジャラジャラと着けているアクセサリーも全て外している。可愛いお人形に自らの躯で刻む所有の証し以外は残したくはない。 確かめるように視線を滑らせていくと金色の縁取りをされたジェットのペニスが僅かに顔を覗かせていた。決して、自分で処理してはならないとそう言い聞かせているのだ。だから、ジェットの躯は男に触れられるだけで、快楽を予感して、すぐに反応を始める。男は恭しく跪いてジェットの勃ち上がったペニスを躊躇なく口に含む。 「っあ……」 ジェットの艶のある声がバラ色の口唇から零れ、自分を抱き締めるようにその手で自分の肩を抱き寄せる。 男のざらついた舌がジェットの亀頭にソフトクリームでも舐めるように這わされていく。喘ぎ声が零れて、慣らされた躯の奥が次の刺激を期待して疼き始めるのをジェットは感じていた。生身であったころよりも快楽に弱い自分の躯。 昔はこうして男達にペニスを含ませていても、笑って立っていられる。いや、感じていると芝居が出来る余裕があった。なのに、今は同じことをされていても、その余裕がない。 ジェットの喘ぎは芝居ではなく、本当に快楽を感じて漏らされたものなのである。 「っいぃ……っああん」 きつく目を瞑り男が齎す快楽を必死で受け止めようとしているのだ。含まれただけなのに、躯を快楽の電流が流れて、膝が笑い始める。何かに掴まりたいが、ジェットの躯を支えてくれるものは何一つ存在していない。唯一、縋れる男は決してそれを許してはくれない。 深く含み、甘く歯を立てると、ぶるぶるとジェットの膝が震える。 今度は強く歯を立てると、ジェットは腰を揺らめかして、感じているとそう男に告げる。自分がここまでにした躯だ。確かに、鋭敏な肌は持ち合わせていたが、ここまで自分の愛撫に反応する可愛い抱き人形にしたのは紛れもなく自分だと思うと嬉しさも募る。 このほっそりとした可愛らしいペニスからは、自分に反応して愛液を零し、もっと欲しいと腰を揺らめかせる。 伏せた長い睫毛が揺れ、細い腰が戦慄く様は、男を至極満足させてくれる。 つい調子にのって、血が出そうなほどに強く口の中にあるペニスに歯を立てると、ジェットは頭を振って、痛みを堪え様としている。けれども、刺激を与えられたペニスは勢いを失うどころか更なる刺激をと、ひくひくとその身を震わせて、男を誘うのだ。 自分の愛情を享受するだけの可愛いお人形がここに居る。 「っひ……っいっ……たぁ……あっ」 一方的にジェットを嬲り、快楽の頂きを何度も味合わせても、決して、自分に縋ることを許しはしないのだ。人形なのだから、人形は決して、相手に抱きついたりはしないものなのだと、そう言ってただ、自分の与えるモノを享受することをジェットに覚え込ませていた。 だから、ジェットは彼に縋れない。 まだ、彼がジェットの躯を好き放題したとしても、彼に奉仕させたりとそう言う行為があれば、普通のセックスのように腕を回すことを許してもらえるならば、抱かれていたとしてもまだジェットにとってのストレスは少なかったと思う、それこそ躯を売る仕事をしているのだと思えばよいのだ。 男娼にも人格はある。 少なくとも彼等を買う客達はそれをちゃんと認めていた。 でも、男が強要しているのはジェットの人格を認めていないことにもなるのだ。ただの抱き人形として、されるがままに喘ぎ、躯を開き、快楽の生き地獄に落とされて時間すらも分からぬ程に嬲られ続けるのだ。 三週間近くも処理していないペニスは、絶妙なジェットの全ての快楽に通じるポイントを熟知している男に簡単に陥落させられてしまう。 歯を立てた部分を舌で今度は癒すように優しく舐め、無骨な手を片方はその奥で縮こまっている袋へと伸ばし、ゆっくりと揉み解す。更にもう一方の手を締まった小さな双丘の片方を千切れんばかりに、握り込む。男の大きな手はジェットのなだらかな白い丘の中に収めてしまえる程なのである。 わざと音を立ててペニスを吸い上げて、口の中で出し入れし、袋を揉み解し、細い腰や尻をいやらしい手付きで撫で回す。次第にジェットの声が高くなり、もうすぐだと思われた瞬間、男はジェットの双丘の間に秘められたその場所に太い指を一本突き立てる。 その衝撃と、アナルで快楽を得ることが出来るジェットの躯は確実に反応をして、すぐさま、ジェットを快楽の頂きへとマッハの早さで連れていってしまったのだ。 「っは………っああん、っい……っいくぅ……っうぁぁあはぁん!」 ジェットは甘やかな艶声で啼き感嘆に頂きを極めてしまった。 男はジエットの放ったものを全て飲み干すと舌で綺麗にジェットのペニスを舐め取った。男の口唇が離れると男が残した唾液が空気に触れてすぅと乾く感触にすらジエットは快楽を拾ってしまっていた。 辛うじて立っていた膝が揺らぎ、倒れそうになってしまう。 ぐらりと傾いだ躯を男は軽々と支えて、軽量化されているとは言え、普通人よりかは重いジェットを抱き上げる。そして、壊れ物を扱うかの如く優しくベッドに座らせ、そして、赤味の掛かった金髪を撫で上げて、俯いたジェットの小作りな顎を捉える。 「ジェット、今日はキミに良く似合う洋服を用意したから、着てくれるね」 優しげな男の口調は即ち命令なのである。 ジェットは穏やかな笑みを湛える男の顔に視線を合わせた。 顔の半分を覆う髭、大きな鍵鼻に分厚い口唇、決して美男子とは言えないが、箔のある威厳に満ちた顔をしている。如何にも、命令することに慣れた男の顔であった。目は笑っていも、決して、本当に笑っているのではない。奥に見える冷酷さにジェットは毎回身震いさせられるのだ。 「はい」 そう答えるしかない。 男は満足した笑みを浮かべてジェットの手を握る。 「本当にジェットは私の可愛いお人形さんですよ。そのままずっと、私のお人形さんで居て下さいね。ゆっくりして行きなさい。キミの好きな極上のメイプルシロップを手に入れたんですよ。コックにパンケーキを焼かせて、たっぷり掛けて私が手ずから食べさせて上げますから……。それに三週間も相手をしてあげられなくて、すいません。ですから、今日は貴方がもうイヤだというぐらいまで、シテあげます。」 男は楽しげにそうジェットに告げた。 今回は何日、この男に嬲られるのだろうとジェットはぼんやりと思う。 男に嬲られて学んだのは、心も人形のように凍結させてしまうことだけだ。ぼんやりと何も考えはしない。ただ、眠ってしまえば、男はジェットをそっと寝かせて置いてくれる。逃れられるのは眠っている間だけだ。 ジェットは早く自分を眠りと言う名の幻想に導こうと、考えることの全てを放棄して躯の力を抜き、男にされるがままに人形になっていった。 『フラン』 最後に心の中でそう呟いたジェットは心の扉を完全に閉ざして、男の夢を見続ける機械人形となる。 「貴方は焦らされるのが大好きですからね。この世のものと思えない快楽を味合わせてあげますから、期待していてください」 男はジェットに何をしたいのかをそう言う形で告げる。逝かせて欲しいと哀願して、恥ずかしい格好を強要されて、それを写真に撮られて、見せられるのだ。 でも、ジェットの答えは1つしか用意されてはいなかった。 「はい。マスター」 「ジェット」 フランソワ−ズは窓のない部屋のベッドに座り、遠くを見詰めていた。 自分達が生き延びる為にジェットは好きでもない男に嬲られている。あの男はフランソワーズがジェットを探すと知っていて、ジェットを抱くのに使う部屋だけにフランソワーズの能力を無効する特殊な電磁シールドをわざと施さなかった。 見るが良いと言わんばかりであった。 でも、彼女にはそれを見て見ぬ振りは出来ない。 ジェットがどう思おうとも、自分はそれを直視することしかジェットにしてあげられることは今はない。ジェットが二人で過ごしているこの部屋に戻って来たら、抱き締めてあげることしかない。 戻って来たジェットはいつも顔に表情がない。 フランソワーズが抱き締めて、声を掛け続けて、ようやくいつものジェットに戻っていくのだ。自分を守る為に閉ざした心は簡単には開きはしないのだ。そんなジェットを見ていると辛くてならないけれども、決して泣く事は出来ない。もし自分が泣いたら、ジェットは自分の心が如何に傷付いていたとしても自分を抱き締めてくれるからだ。 どんなにか辛い思いを抱えて戻って来るジェットにこれ以上の負担を掛けさせたくはないのだ。自分の気持ちを封じ込めても、自分の腕の中で彼が安らぎを得られるのならば、その為に自分は強くなれる。 家に帰りたいと泣くばかりの自分が居たから、ジェットは自分を連れて逃げようとしてくれたのだ。この組織のことを知るにつれて自分達を簡単に逃がしてくれる連中ではないことが分かる。ジェットは例え、自らの命を堵してフランソワーズを自分の居るべき場所に戻そうとしてくれたのだ。 多分、彼は、BG団がどんな組織だと知っていたとしても、自分を逃がしてやりたいのだとそこまで自分を思ってくれた。 結局、自分が齎した結果がこれなのだ。 だから、もう泣くだけは止めようと思った。 何も自分のことを知らないジェットがただ同じ境遇にあるというだけで、自分の為に一つしかない命を投げ出そうとしてくれた。そして、今も男として不本意な扱いを受けている。ジェットに同性愛的な嗜好があろうとなかろうとフランソワーズにはどうでも良いのだ。 もし、自分を抱いてジェットが癒されるのなら、自分の身を彼に差し出しても良いと思っている。恋という感情ではないけれども、愛している。 家族への愛にも似ているけれども、兄弟への愛に似ているけれども、親友に向ける愛に似ているけれども、それぞれに微妙にジェットに対する感情は違っている。ただ自分にとってのひとりがジェットなのである。 分身のようにすら思える瞬間もあるぐらいに近くに居る存在なのだ。 だからセックスも出来るだろうとフランソワーズは思っている。自分も決して経験がないわけではないのだ。ちゃんと恋愛の経験もそれに伴うセックスの経験もある。だから、今更でもないけれども、ジェットを癒してやりたいとフランソワーズは日々そればかりを考えている。 その為には、どんなに心で泣いたとしても顔は笑っていようとそう決心しているけれども、彼が居ない部屋ではやはり笑えない。 「ジェット」 ここにいない自分のただひとりの名前を呼ぶ。 もちろん、何処で何をしているかを知っていてだ。でも、自分にそれ以外に今、この瞬間に何が出来るというのだとフランソワーズは下唇を噛み締めた。自分にもっと力があったら、もっと自分が利口で世間を知っていたら、ジェットを助けてあげられるのにと、自分の不甲斐無さを悔いるばかりだ。 コンピューターのこととバレーのこと、お洒落や恋愛、極々普通の女の子でしかなったのだ。でも、今はそれだけでは駄目なのだ。出来ることは、ジェットの前で笑っていることと、少しでも自分達の躯について知識を得、ここを出て行く為に役立てることしかない。 フランソワーズは専攻していた電子工学の勉強がしたいとそう申し出て、様々な資料を手にして、実際に科学者達に師事していた。所詮は科学者、人との付き合いの苦手な連中が多い。女性と付き合ったことのないような連中がほとんどという境遇では、例えサイボーグと言えども、女性としてかなりの美人な部類に入るフランソワーズに微笑まれて、嫌な気がする男性はいない。 ジェットがあの男に弄ばれていることを思えば、科学者達に微笑みを向けるくらいどうということも、馬鹿な女の振りをすることも、辛くはない。得られるものがあればそれでも良い。 自分にもっと力があったらとは、到底求められない。 得られるのは知識と情報だけである。 けれども、ないよりかはマシだとフランソワーズは自分にそう言い聞かせているのだ。 視線を泳がせるとあの男は自分の手で、人形のように動かないジェットに女物のランジェリーを着せていた。その醜悪な姿にフランソワーズは眉間の皺を深くした。別にそんな姿のジェットが醜いと思ったわけではなく、ジェットにそう言う扱いをするあの男が醜悪だと思えるのだ。 ジェットは確かに、可愛らしいと思う。 でも、彼の美しさや可愛らしさは、彼が彼として泣き、笑い、動いているから知れることで、あんな人形のようなジェットを美しいと豪語するあの男の趣味がしれない。 彼は彼であるから、美しいとフランソワーズは思える。 空から自分に向かって舞い降りるその姿が天使のように見えたことなど、幾度もあるのだ。 あの男にジェットの美しさを語る資格はない。 少年と青年、子供と大人の狭間にあるその一瞬の時を凍結されられてしまったジェットだからこそ持てる美しさだ。バレリーナとして審美眼にフランソワーズは優れていた。でなければ、一流のバレエ団のオーディションに合格は出来ないだろう。 そんなジェットを守りたい。 せめて自分達の仲間に力が有る者が加わってくれればと思う。まだ、未確認の情報だが、新しい仲間が加わるとのことだった。 女か男かは分からないが、3人でチームを組む為の新しい仲間をサイボーグとして改造するのならば、十中八九、地上戦での戦闘能力を重視されて開発されるのは目に見えている。そう新しく来るだろう仲間はフランソワーズが欲しい力を持っている可能性が高い。 その人物の氏素性は全く知らない。BG団の構成員の可能性もあるけれども、自分に具わっている全てを使ってでも、その人物を自分達の仲間に引き入れる覚悟が彼女にはあった。恋人として彼女を求めるのならば、そう演じても構わない。それで、力を手に入れられて、明日への希望に繋げるならば、そして、その人物がジェットにも笑みを齎してくれるのならば、尚良いのにとそう希望を抱かずにはいられない。 「003」 突然に、来訪者の存在が告げられる。 ジェットと二人で暮らすこの部屋と外とを繋ぐインターホンからこの所内では珍しく彼等に友好的な人物の声が聞こえてきた。 彼はジェットやフランソワーズの身の回りの世話をする仕事をしている。食事や生活環境を整えてくれる稀有な存在で彼のおかげで二人の生活はかなり向上をした。最初は、ベッドしかないコンクリート壁が打ちっぱなしになっている暗い窓のない部屋に二人で生活していたのだ。 けれども、彼は所詮、あの男の差し金でここに配属されたのは分かっている。自分達に良い顔をして近づきながらも、自分達の様子をあの男に報告しているのだ。彼があの男に報告をしている場面を彼女は何度も目撃している。 「はい」 それをおくびにも出さずに、フランソワーズは扉を開けた。 老境に差し掛かったその男は、まだ若いと言ってもジェットやフランソワーズから見れば、年長の体格の良い男を連れていた。 「彼が新しく、君達の仲間になる004だ。2、3日の間に新しい部屋を用意させるから、それまでは、宜しく頼むよ」 「ええ、分かりました」 フランソワーズはそれ以上は問わなかった。 つまり、後3日はジェットは戻らないと言う事だ。その間、ジェットの居たスペースにこの男を置いておけと言いたいのだろう。聡明な彼女にはその思惑が哀しいかな理解できてしまう。 「もう少ししたら、夕食を運んで来るから、二人で友好を深めて…まあ、002とのようにとはいかんまでも、仲良くしてあげてくれ」 初老の男はそう言うと、部屋に004と呼んだ男の背を押して入らせるとその背後で扉を閉じた。 改めてフランソワーズは004つまり自分達の新しい仲間をまじまじと観察する。 シルバーグレーの髪とブルーグレーの瞳、背丈はジェットとほぼ変わらないが、横幅はジェットに比べるとかなりしっかりしている。への字に口を結び、僅かな笑みすら零さない彼の顔は確かに、ハンサムで整っているが故に酷薄に見えた。 その体内は、ミサイルや機関銃の弾丸で満たされていて、彼がフランソワーズの望んでいる力を秘めた仲間であることを認識した。 ならば、彼を自分達の仲間にすべきなら何をすべきかとそう考える。 まずは自分も名乗らなくてはとフランソワーズは男に向かって一歩を踏み出した。 「はじめまして004。あたしは003、よろしくね」 そう言って右手を差し出した。 けれども、彼はその手を取ることはなく小さく頭を下げただけである。もちろん彼の背中に隠している右手が鈍い鋼色を発していることぐらいフランソワーズにはお見通しであった。機械化された右手を初対面の自分に見せられない程度には、まだ彼は人の心を持ち合わせてるとそうフランソワーズは判断をする。 「ああ、俺の部屋は何処だ」 「貴方の部屋はここよ。もう一人、002が居るけど彼は用があって、3日ほど戻らないわ」 フランソワーズの台詞に彼女と自分が一緒の部屋で過ごすことに驚いている。ああ、彼はサイボーグなってしまった悲哀を背負っているだけで、人としては豊かな感情を持つ男だとそう彼女は直感した。 「それとも、あたしと一緒ではイヤかしら?」 首を傾げてそう言うフランソワーズに片眉だけを上げて参ったと言うポーズを取る彼がいる。 「コーヒーでも煎れるわ。お座りになったら?」 この場はさすがに、ここに長く住んでいるフランソワーズに主導権はあった。004は言われるままにソファーに座ると、華奢な作りのソファーがぎしりと悲鳴を上げた。重戦車並に武器を満載した躯はさぞ重いのだろう。 004は辺りを見渡しながらテーブルに何気に置かれた本を手に取った。殺風景な、生活感のほとんどない部屋に置かれたその本は妙に、004の気を引いた。 それは『ドリトル先生月に行く』とタイトルが英語で書かれた、子供向けの本であった。004は懐かしそうに、その本を目を細めて見詰めていた。左手でその表紙絵に指を滑らせて、遥か彼方の昔を思い出しているような仕草であった。 その瞬間、彼女は直感した。 今だ。何故かそう思った。 あの本を切っ掛けにジェットのことを話せば、きっと彼はジェットを気に掛けてくれるに違いない。過去に彼はあの本を読んだことがあるのだ。恵まれない子供時代を送ったジェットはフランソワーズに出会うまで、文字が読めなかった。 フランス人のフランソワーズだが、少しは英語が分かる。二人で勉強しようと、少しずつ勉強を重ねて、今、ようやくジェットは子供向けの本を読める程度までになったのだ。あの初老の彼に頼んで、本を購入してもらっている。難しい科学関係の学術書は豊富にあっても、子供向けの本などあるはずもない場所なのだ。 「あんた…いや、003のか?」 ジェットの使っているマグカップに薄めのコーヒーをコーヒーメーカーから注ぎ入れると、それを004に手渡し、向かいに座った。 「いいえ、それは002の本よ」 004は疑問符を顔に乗せる。 「貴方も読んだことあるの?」 「ああ、ドイツ語版だがな」 でもどうしてとその瞳はそう語っている。 懐かしいものを見て、ささくれ立っていた004の心は僅かに緩んでいた。サイボーグとして蘇り、訓練と実戦の日々の連続、人を殺すことに対する罪悪感が麻痺していく感覚、次第に自分が人であることを忘れそうになる恐怖。 確かにサイボーグにされた戸惑いと深い哀しみはあった。もちろんヒルダのことも脳裏にこびり付いていて、夜もロクに眠ることが出来ない。けれども、一番、恐れたのは、破壊兵器として自分の感情を抹殺してしまいそうになる自分という存在であったのだ。 彼はまだ改造手術の後の混乱期の中にいた。 過去の幸せだった時代を思い出し、ここに来て始めて心が和らいだ。 「映画も見たな」 そう言うと強面の顔に微かな笑み浮かべる。 「そう。002は、彼はわけがあって、学校に通えなかったのよ。だから……」 それに続けたフランソワーズの台詞に004の口がそうかと音を立てずに綴られた。 その姿を見た瞬間、彼はジェットを癒せる存在になると、ふとそう思えてしまった。そして、それが本当ならと願わずにはいられない。どうか、あの愛しいジェットの傷だらけ心を癒す存在に彼がなってくれるようにと、届かぬであろう神にフランソワーズは祈った。 フランソワーズはこの男の心を掴む為、精一杯の笑顔を男、004へと向けた。そして、ジェットのことを気に掛けてあげて欲しいと、もう一人いる002と言う004とは違う意味で哀しい十字架を背負わされた天使の話しをフランソワーズは語った。 どうか、004の存在が自分達に新しい希望と、ジェットの心に安らぎを齎す存在になりますようにと、翠色の瞳に祈りを込めて、目の前の北海の如くに凍えた彩りの瞳を持つドイツ人を真っ向から見据えた |
The fanfictions are written by Urara since'09/04/01