紅い花を抱く聖女
アルベルトは腕の中で、妙によそよそしくしているジェットに苦笑すると自分の方にと強く抱き寄せた。僅かに、ジェットの躯は強張ったが、それは一瞬ですぐにアルベルトの胸に顔を埋めて来る。 本当に子猫のような仕草が可愛らし過ぎて、ついにやけた笑みが零れてしまう。 本人に言えば、頭から湯気を出して怒るであろうが、でも、誰もがそんなジェットを愛しいと思っている。自分だけではない。メンバーの誰もがジェットに特別な愛情を向けている。けれども、大切な人を心配し過ぎる余りに空回りしてしまい、深い後悔に囚われているジェットを救い出せるのは自分しかいないのが、アルベルトには嬉しかった。 誰もが、目線だけで行ってやれとアルベルトを促した。 ギルモア博士の友人のハーシェル博士が一命を取り留めたのを祝って、呼び付けたにも関わらず嫌な顔をせずに協力してくれた00ナンバーを労って、ホテルの一室を借りギルモア博士はささやかなパーティーを催してくれた。美味い酒と、ホテルのコックに作らせた料理が並び、バイキング形式で好きなものを食べ、飲み、静かに歓談をしつつカイロの夜を楽しんでいた。 ところが、フランソワーズの冒険談を聞いていたジェットはその物語りがほぼ終わりを迎えようとした、二人がテントの上に落下したと言うところまで聞いた瞬間、フランソワーズの隣に居て黙って頷いていたジョーの胸倉を掴むと、ぐいっと持ち上げた。 メンバーの中でも、非力な部類に入るジェットであるが、自分よりも重たいジョーを持ち上げられないほどではないのだ。 『どうしてだっ!!』 ジェットはジョーを射抜いてしまいそうに激しい感情を遠慮なく向ける。 『どうして、そんな危険なことを、彼女にさせるっ!』 フランソワーズを一人で行かせたことを怒っているのだ。ジェットにとってはフランソワーズは世界で一番大切な女性で、恋愛ではないそれよりも深い愛情で結び付いている間柄なのだ。だから、ジェットはフランソワーズを心配し、フランソワーズもジェットのことをいつも気に掛けている。言わなくとも二人には互いの気持ちが伝わっている。 でもと、フランソワーズと二人の間に割って入った。 確かに、ジェットの気持ちは嬉しい。自分をどんなにか心配してくれていることが分かるから、嬉しくてならない。どんな時も自分の命を捨ててでも、自分を助けてくれようとするそのジェットの気持ちが嬉しいと思うが、自分も守られているばかりではない。 ジェットを守って上げたい。 確かに、肉体的に彼を守るのは無理かもしれない。でも、心だけは守ってあげたい。壊れ易く、優しくて、とても、シャイな彼の心を誰よりも大切に守ってあげたい。それが故に、黙っていたけれども、でも、ちゃんと自分は自分で立てるのだと、戦えるのだとジェットに告げなくてはならない気がしていた。 忘れているかもしれないが、ぼろぼろになりながら、銃を撃ち、兵士達と戦う自分達が居たことを。まだ、004までしかいなかった昔、フランソワーズも実戦と言う実験の中では銃を取り戦わなくてはならなかった。 もちろん、体術も射撃も生身の兵士以上の訓練を受けている。確かに、最近は余り前線で危険な戦いをすることは少ないが、自分の身を守れる程度の力は持っている。それを一番、誰よりも、ジェットが知っているはずなのにとフランソワーズは思う。 『ジェット!』 フランソワーズの強い口調と、その瞳の中にあるジョーに謝って言う視線に耐えられなくてジェットはぷいっと顔を背け、ジョーを突き飛ばす様に胸倉から手を放すと、ずかずかと荒い足取りで部屋を出て行ってしまった。室内にはしらけた空気は漂わずに、誰もが、仕方ないと肩を竦めたのだ。 やがて、個々の会話に戻り、すぐにジェットの起こした騒ぎらしくもない騒ぎの空気が何事もなかったかのように払拭されると、今度は全員がちらりちらりとアルベルトに視線を当てる。行ってやれと無言で皆がそう告げていた。二人の関係を実は全員が知っている。ジェットは隠しているつもりらしいが、バレバレなのだ。 けれども、誰もその関係を祝福していた。 ジェットはサイボーグにされてどん底にいた自分達に手を差し伸べてくれた最初の人物だから誰もが深い思い入れがあるし、そのシャイで無垢な心を誰もが愛しいと思っていた。そんなジェットがどれほど、フランソワーズを大切に思っていて、心配のあまりに、ついジョーに対してあんな態度を取ってしまったと分かるから、誰も決してジェットを責めたりしなかった。 言われたジョーですら、そんなジェットの真摯な心が伝わってくるから、決して、責めることは出来ない。 そんな視線に促されて部屋を後にしようとしたアルベルトに皿に乗ったサンドイッチが差し出された。張大人である。 『あの子は、難しいことを考えたり、落ち込んだ後はすぐに腹を空かせるあるね』 と差さり気に差し出してくれる。 更に部屋を出たところでジョーに掴まった。 『ジェットの気持ちも分かる。でも、僕も出来ることを精一杯したってことを分かって欲しいんだ』 とアルベルトに訴える。同じ年の二人は気が合うこともあり、遊びに出たりすることもあるのだ。ジョーはジョーなりにフランソワーズの援護の為に出来る限りの手を打った。多分、ジェットもそれを理解出来ているはずだ。自分が囮になって、射程圏内ギリギリの攻防を繰り返していたのだ。そして落下するフランソワーズを身を呈して助けた。 アルベルトは大丈夫だとジョーの肩を叩き、ジェットも分かっていると、ただ、フランソワーズを心配し過ぎるあまりのことだ。気にしないでくれと言うとジョーはそうだね、と笑った。年齢の近いジェットとは他のメンバーとは違い、かなり本音で近い部分を話せるそんな友達に似た感覚を持っていて、友達の少なかったジョーにしてみれば、大切な仲間、いや友人と呼びたい相手なのだ。だから、嫌われたくはない。 アルベルトはそんな心情を察している。 ジェットもサイボーグとなって初めて出会う同性の同世代の友人だとジョーをそんなふうに思っていて、彼との関わりを大切にしたいと言っていた。 そして、階段を上ろうとしたアルベルトを呼びとめたのはフランソワーズであった。 黙ったまま二人の彩りの違うけれども、同じ種類の哀しみに彩られた瞳が重なり合った。長いことではない。数分の出来事であった。何も語らない二人の間には、心が通い合っている。形は違うけれども、ジェットを愛する者同士に流れる長く深い交流がそこには存在していた。 『お願いね』 思いの丈を込めたフランソワーズの言葉をアルベルトは重々しく受け止めた。そう、今、ジェットを慰められるのは自分しかいない。フランソワーズも出来るのならば、自分で行ってジェットに語り掛け、抱き締めてあげたいが、今のジェットには受け入れられないだろう。 恋人であるアルベルトが適役だ。 時には立場が逆になることもある。 そう、こうやって二人はジェットを愛し続けているのだ。 フランソワーズはアルベルトに背を向け、アルベルトもフランソワーズに背を向け、一度も振り返らずに二人の姿は互いの視界から消えた。 そして、今、アルベルトはジェットを抱き締めている。 この体勢に持ち込むまでにも随分時間を要したのだ。 傷付いた、いや、自分の感情を持て余してしまう時は暗い部屋で窓を開け放ち、ベッドの上で膝を抱えるジェットの姿が見受けられる。今回もそうであった。 少しずつ、歩みより、優しく触れて徐々に驚かせないように抱き締めて、ようやくジェットが躯を預けて来たのだ。 「どうした?」 軟らかな跳ねる癖のある赤みをおびた金髪に口唇を埋めて、キスをする。ホテルに供えつけてある甘い薔薇のシャンプーの香りがした。ジェットには似合わないアンバランスが妙にアルベルトには可笑しかった。そう、ジェットにはたんぽぽやデイジーみたいな花が似合う。 太陽の日差しを受けるその姿が似合う花がとても、ジェットらしくて好ましいとフランソワーズはそう笑っていた。だから、フランソワーズに贈る花は、ジェットはいつもデイジーにする場合が多い。 馬鹿正直に今もそれを守り続けている。 「ごめん。また、やっちまった」 ジョーを締め上げたことを言っているのだ。 ちゃんとジェットは後悔している。開き直れない所が何とも彼が愛しいと思える姿なのである。 「気にするな。ジョーは許している」 「ホント?」 「ただ、自分も精一杯、彼女を援護してたことを分かって欲しいと言っていた」 分かってるとぽつりとジェットはそう漏らした。 分かっている。ジョーが決して彼女を故意に危険な目に合わせないことぐらい、二人の間には、自分とフランソワーズとの間の絆とは違う種類の絆が生まれつつあることも、如何な鈍いジェットでも気付いている。 ジョーは決して悪い奴じゃない。同世代の友人として認められる気持ちの良い奴だ。二人が結ばれて、幸せになるなら、祝福してやりたいと思う。けれども、二人に芽生え始めた絆を見せつけられたようで、心が乱れてしまった。 突然でなければ受け入れられただろうに、敵のアジトを殲滅させてから戻ったジェットの前にいる二人は、それ以前の二人とは明らかに違っていた。それにジェットは一瞬ついて行けなかっただけなのだ。 そんなジェットがとても可愛らしく思える。 大好きな姉を取られた小さな男の子のような姿にアルベルトは自分の小さな弟達を重ねた。すぐ下の妹が結婚する時に、大泣きしたものだ。そして、相手の男に泣きながら、鼻を垂らしながら生意気にもねえちゃんを大切にしろとそう言ったその姿と重なるものがあった。 けれども、どんなに小さな子供のような部分を持っていたとしても、ジェットは世間を知っている大人だ。それだけの感情があって、あんなことをしたのではないし、いつものジェットなら、フランソワーズが止めに入った時に、何らか上手く話しを逸らす手段を持っていたはずだ。それが出来ないくらいに、ジェットの心は乱れていたのだろう。 「だったら、そうジョーに言ってやれば、良かったじゃないか」 そうそれだけでない理由にアルベルトは気付いていたが、ジェットの口からちゃんと言わせてみたかった。あの場を白けるのだと想像出来ても、感情を抑えられなかったそのわけをだ。 「それとも、ジョーに焼き餅か?」 わざとアルベルトが揶揄するとジェットは頬を脹らませて反論する。でも、スカイブルーの瞳は揺れ動いていて自分に不安があるのだとアルベルトに訴え掛けている。いや、正確にいえば、不安ではなく不満なのだろう。 「子供じゃねぇ〜、二人のことはちゃんと祝福してやれるぜっ!」 「だったら、どうしていじけてる?」 アルベルトの台詞がカチンとジェットの感に触ってくる。ずっと、ジェットと過ごしているこのドイツ人はジェットがどう言えば、激昂して本音を漏らすかなど、お見通しなのである。 「俺は、飛んで行って助けてやれなかった。俺が、不甲斐無くって、いつもフランを助けてあげるって約束したのに、でも、俺は出来なかった。俺が居れば、簡単に侵入も出来たし、二人で侵入していれば、フランがっ……!」 涙がぽろりと零れる。 悔し涙だ。大切なフランを助けてあげられなかった自分に対する不甲斐無さに泣いてしまっているのだ。こんな自分を仲間達に見せたくなくって部屋に戻ってきてしまったジェットであったのだ。 「だが、実際は違った」 「そうだよ。分かってる。それが現実だってことも、過ぎたことで何を言っても始まらないことも、でも、フランを俺は助けてやりたかったんだ。この手で、不本意だけれども、与えられたこの力で、フランを支えたかったんだ。フランが俺を支えてくれた分だけ、彼女を支えたい。アル、どうして俺は何も出来ないんだ」 ほろほろと台詞と供にスカイブルーからお天気雨が降ってくる。 何と馬鹿で真っ直ぐで、穢れを知らないのだろう。 ジェットはそこに居るだけで、フランソワーズの心がどんなにか慰められて、彼の笑顔で彼女は立ち上がれて、彼が居たから、彼女は彼女として強くあることが出来たのだ。全てとは言わないが、ジェットの存在が大きな支えであった。 なのにも関わらず、ジェットは自分を過小評価し過ぎることがある。 彼の存在の大きさを自分で気付いていない。其処が馬鹿であると思う供に、愛しくてならない。どんなに傷付いても、仲間を助けようとする優しさにアルベルトはいつも心を掻き乱される。自分が思いも寄らぬようなことを考えていて、傷付くと分かっていても、仲間にだったらその手を迷わずに差し出すのだ。 誰もが、彼からサイボーグにされたという絶望の淵から這い出す切っ掛けをもらっている。 それなのにだ、自分は役立たずだとそう言うのだ。 「俺が、助けてあげたかった。彼女の役に立ちたかった」 ほろほろの透明な涙が頬を伝って、硬い機械の手の上にぽとりと落ちてきた。感じられるはずもない温かな触感を鋼鉄の手を通して伝えてくる。 「フランを…、俺は…」 言葉にならない言葉を綴るジェットの背中を優しく撫でる。 「分かっている。皆、お前の気持ちを分かっていてくれる」 そうアルベルトは囁きを落とすと、ジェットの嗚咽が徐々に小さくなって行く。アルベルトの硬い広い胸に抱き締められて、その規則正しい鼓動を聞き、昂ぶっていた気持ちが徐々に冷静になっていく自分がいた。 「お前は、お前でイイんだ。俺もフランソワーズも、そのままのお前が愛しくてならない。こうして泣くお前が愛しい」 ジェットは何度もベッドで啼かされているにも関わらず、アルベルトの前で泣いてしまったことを恥ずかしいと思っている。怒鳴って話しを強引に逸らしてしまおうかと、身構えた瞬間に、睦言を囁かれて、かーっと躯が熱くなっていく。恥ずかしくて、泣いた自分と睦言を告げられて照れる自分、どちらも、アルベルトに見られるのが嫌なのではなくて、恥ずかしくてどう対応したら良いのか分からない自分が其処にいて、ジェットはただ、抱き締められているアルベルトの腕の中でじっとしていた。 状況を見る力を持っていたとしても、大切の人の為にそれが役に立てられない程に必死になれるジェットの真摯な姿に、閉ざした心を解かされたのは自分だったのだ。だから、今でも、端から見たら単純馬鹿にしか見えない行動だとしても、それがアルベルトには愛しい。 それはあくまでも誰かを想って派生した行動であるからなのだ。 「そんなお前を俺は、愛している」 愛しているという部分だけ、ドイツ語で囁かれる。耳元で囁かれる言葉の甘さよりも、アルベルトの齎す声のイントネーションの甘さにジェットは酔った。自分でも子供っぽいかったし、短絡的であったと思う。自分の感情をコントロールできるのなら回避出来たことなのだけれども、そんな自分でも、良いとアルベルトは言ってくれて、抱き締めてくれる。 「アル」 顔を上げてと鋼鉄の手が顎に掛かり、恥ずかしいけれども誘われるままにおずおずと顔を上げると、優しい穏やかなブルーグレーの瞳が其処にはあった。いつも、への字に曲げている口唇が綻んでいて、どれだけアルベルトが自分に心を寄せていてくれるかが、分かってしまう。 目を閉じると、その口唇が自分の少し尖らせた口唇に重なった。 小さな音を立てて触れ合うキス。 「明日、ジョーにもフランにも謝るよ」 「そうだな」 『ごめん』とジェットが言えば、二人ともわかってくれる。全てを語らなくとも、二人とも今のジェットの気持ちをよく理解していた。其処まで理解してもらっているのだと、ジェット自身は多分、考えてはいないだろう。 「アル、ありがと」 どうしてだと、顔に疑問符を浮かべると、ジェットははんなりと笑った。 「だって、俺を心配して来てくれたんだろう。ありがと、俺を独りにしないでくれて……」 こう言うとジェットはこつんとアルベルトの肩に小作りな頭を凭せ掛ける。そして、瞼を閉じて、じっと動かないでいる。こうして、恋人の距離で抱き合っていても、どうしてだが、今夜はアルベルトはその気にはなれない。ただ、こうして彼を抱き締めて、軟らかな彼の心が安らげるように守ってやりたい。 独りで立てる強さをもっているからこそ、頑張り過ぎてしまうからこそ、自分と二人の時は、せめて自分の腕の中ではと願わずには居られない。 細い躯も、心も、全て自分の腕の中に収められたことにアルベルトは充足感を得ていた。今夜はこのまま二人で互いの鼓動を聞きつつ、抱き合ったまま、夢をみたい。 ふと頬を撫でる風に視線を動かして見ると、カーテンを揺らすカイロの風は時を経ても褪せることのなかったあの紅い花の香を含んでいるような気がした。そう、あの紅い花の如くに自分のこの想いが褪せることなく、存在が滅びたとしてもジェットの心に咲き続けていて欲しいとアルベルトはそう願わずにいられなかった。 |
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