逆転の構図



 アフリカ西部に位置する008の故郷を離れて、数時間が過ぎていた。闇と戦乱のドサクサに塗れて其処を離脱した彼等一向は海上を漂っていた。確たる宛のある旅でも、行かなくてはならない場所があるわけでもない。
 彼等が身を隠し、各国の政情に感する情報を収集するには海原は持って来いの場所である。各国の警察にも太いパイプを持つ、BGのこと、ある一定期間のある国に長く滞在すれば、それに関わった罪のない人が殺されることになる。
 食料の補給に時折、港町に立ち寄る事はあるが、そそくさと補給を済ませて立ち去っていくのが常である。
 008の故郷だからとて例外ではない。
 取り敢えず、00ナンバーサイボーグがアフリカに現れたという情報はBGに伝わっているであろうし、彼等を探索するありとあらゆる情報網が動いているに違いないのだ。少しでも、各国の海軍への干渉を避ける為に、ケープタウンを左手に見た海上でドルフィン号は月明かり下に鋼色の機体を曝していた。
 彼等だけならば、浮上することもなく1週間や10日間程度なら海中を航行することが可能なのだが、生身であるギルモア博士と脳改造のみしか受けていない001が居ては、36時間に一度は艦内の空気の入れ替える必要がある。
 従って、今のドルフィン号は一番、視界の危うくなる。明け方を見計らって機体を浮上させたのであった。
「008」
 甲板に姿を見せたのは009であった。
 008は009が現れたことに然程驚いた様子も見せずに、再び、海上へと視線を戻す。
 何とも聞かない。009が自分のことに対して心を痛めていることを008は分かっていた。彼が親も兄弟もなく孤児院で育ったと聞いていた。彼を育ててくれた神父は、確かに良い人であったが、良い人が故にBGに利用されていたのだと、日本も離れてから間もなく彼の口から語られた。
 天涯孤独で、友達らしい友達もいない009の生い立ちを考えて見れば、自分はまだ人間関係に於いては恵まれていたのかもと思うことがある。戦火の中でも、信頼出来る友と愛すべき、今は失ったが家族がいた。
「他の皆は?」
「002には005が付いている。004と003が見張りで、後は休んでいるよ」
 009はちゃんと全員の動向を把握してそう云う。彼が優しい男だと云うことは深く語らなくとも008には分かっていた。裏切られて、信じるものがない彼であるのに、どうしてこうも優しくいられるのかと不思議に思う事すらある。
 最初は、世間知らずのおぼっちゃんだろうと云うのが、008の第一印象であったが、知れば知るほどに、彼の持つ哀しみが伝わってくる。
「ごめん」
 隣に立つ009はポツリとそう零した。その言葉の意味を008は理解する。自分のことのように心を痛めてくれる009が好ましいとすら思えるのだ。出遭って間もない相手なのに、無条件での信頼が00ナンバーの中には育まれている。
「気にするな」
「でも、僕が、迷わなかったら、002だって怪我をせずに済んだかもしれないし、もっと被害を食い止められたかもしれない」
 008はそんな009の肩をぽんと叩いた。すぐに009は自分が至らないのではないかと、自分を責めてしまう傾向にある。どうしようもなかったことだとしても、自分がもっと、と自分だけを責めるのだ。悪いのは、彼ではなく、BGで、彼もBGの野望の被害者に過ぎないのだ。
「僕達は精一杯やった。彼等も彼等として国を守る為に戦って死んだんだ。最後まで見届けられなかった悔いはあったとしても、国の為に家族の為に死んでいったことに対しては誰も恨んでいないはずだ。俺だって、同じだったから、良く分かる」
 008は感謝こそすれ、009を恨んではいなかった。自分の国でもないのに、ただ、仲間の故郷と言うだけで、命を危険に曝して闘ってくれたのだ。そんな009を恨んでは死んでいった同士達にも顔向け出来ない。
「でも……」
 俯いた009の鼻頭から涙がポトリ甲板に落ちていく。この男はナンバーでは最強であるにも関わらず、どうしてこうも涙脆いのだと008苦笑した。0013が死んだ時も人目を憚らず泣いていた。004にお前向きだと009を託されて、泣き止ませるのに3時間もかかったくらい涙脆い。
 泣いている009を見ると、戦火で親や兄弟を失って行く故郷の村の子供達を慰めていたことを思い出す。泣きたいのをぐっとこらえているが、独立運動の同士の中に知った顔を見ると途端に緊張の糸が解れて泣き出すのだ。そんな表情に009の泣き顔は良く似ている。
「でも……」
 まだ言い募ろうとする009の肩を抱き締めて、泣き止まぬ子供達にしてやったように優しくしゃくり上げるその背中を撫でてやる。サイボーグになっても体温はあるし、皮膚感覚もある。生体機能をほぼ残している彼等には、生身の人間と多少の差異はあったとしても、自然を感じることが出来る感覚が残されている。
 肩を震わせて、長年の友を失った自分の消失感を嘆いてくれる009がここにいるから、自分は泣けないと、強くあらねばと自分自身を震い立たせる事が出来る。妙にこの青年が、年や国籍を越えて好ましいと思える一時でもある。
 彼には自分の故郷アフリカが戦乱の土地だけではなく、人に厳しく、時に優しい懐の深い大地であることを知って欲しい。楽しみも、哀しみも全てを吸収できる柔軟な彼の心にこの大地の美しさを焼き付けてやりたいと008は思う。
「買出し一緒に行くか?」
「えっ…?」
 突然、全く違うことを云われて009は涙と鼻水でぐちょぐちょになった顔を上げる。沈み行く月明りに照らされたその顔は実際の年齢よりも彼を幼く見せていた。
「ケープタウンは、白人も住んでいる土地柄だから、009が一緒に行っても目立たないだろし、それに、俺の故郷のアフリカが戦乱だけに支配された土地だと想われたくないんだ009。少しでも君にアフリカの豊かさを知ってもらいたい」
 008の迷いのない、決して同情でもない真っ直ぐな瞳が009の茶褐色の瞳に当てられる。こんな真っ直ぐで、強くて、何でも知っている008に出遭ってすぐに引かれた。
 元々、インテリな年上の男に弱いファザーコンプレックスの傾向のある009にとっては、008は理想に近い人に見えたのだ。
「邪魔にならない?」
「いいんだよ。僕は009と行きたいんだから……」
 008は防護服に忍ばせていたハンカチでぐちょぐちょになった009の涙と鼻水を優しく拭ってやった。009は恥ずかしそうに真っ赤になった鼻を掻きながら顔を上げ、潤んだ茶褐色の瞳が頼りなげに、008の黒きアフリカの大地を内包した瞳に縋るように向けた。
「本当に…」
 真剣に問い質す彼に、幼い村の子供達がダブって、つい彼の年齢を忘れて頭をポンポンと優しく叩いてやる。なのに彼は怒ることもなく反対に村の年長の子供達の遊びに加えてもらった小さな子供のようにキラキラを瞳を輝かせて、嬉しげに破顔する。
 こう云うところに008は009に甘くなってしまうのだ。
「色々とアフリカのこと教えてやるよ」
「うん」
 009は008に良い子のお返事をして共に顔を出し始めた太陽を眺めた。



「あっ…もう、じれったいわねぇ」
 003はドルフィン号のブリッジに座り、宙を見詰めながら、皆の前で見せる。優しい乙女のような表情をかなぐり捨てて、毒づいていた。
「おい」
 その横で事態になれた004がレーダーを眺めたまま、003に声を掛ける。彼女のこう云う女王様体質を知っているのはおそらく、自分だけであろう。009などは、ある意味、箱入りで003のきつい性格を目の当たりにしていながら、全然、そういう003の性格を理解しておらず。面倒見の良いお姉さん的な感覚で003を見ているのだ。
「何がだ」
 分かっていてもつい聞いてしまう自分の律儀さに呆れながらも、004は溜息と共にそんな台詞を吐き出した。
「友達を亡くしているところに付け込むのは、恋愛の常道手段なのに、ちゃんと009に教えたのに…あの子ったら、一緒に補給にケープタウンに上陸して良いって言われただけで、舞い上がってんのよ」
 碧がかった眦をきりりと上げて、言い募る003に004は軽く肩を竦めた。
「まあ、だな…」
 確かに、003の云う事には一理ある。ここで、恋愛論を論じても何の得にもならないことは互いに良く知っていたが、自分が同じ立場でも同じ助言をしていたであろう。003と同じ思考回路の自分に少しばかり嫌気のさした004は腕を組み直して、尻の座りを改める。
「で、002はどうしたの?」
 003はいきなり話しを転換させる。ようやくの思いで005を口説き落とし、002の看病をさせたのだ。毛の逆立った猫のように、キリキリと005に対しての欲を見せる002に気付いてないのは、当の本人ぐらいなものである。
 005にしてみれば、仲の良かった山猫に似ていて可愛いと言う程度が002に対する個人的な感情なのだが、002は005に惚れている。父親を知らずに育った002は存在感のある大きな背中が好きだった。005が改造されて仲間になった時も、同じアメリカ人という立場を利用して、ベタベタと004と003が頭を抱える程に、懐きまくっていた。
 なかなか、靡かない005に002はいきり立ち、その苛立ちを古くから共にあった気安い004に向けたのである。冷徹と言われていても、何かと面倒見の良いナンバーのお兄さん的な存在の004は結局、002の泣き付く場所を提供し続けて今に至っている。
「005に預けた」
「004も苦労するわよね」
 口調は深刻そうでも顔は笑っている。
「003も009で苦労するな」
「お互い様よね」
 でも…と二人の視線が共犯者の色合いを帯びて重なった。可愛いから仕方ないというのが二人の共通の見解である。命の遣り取りを繰り返す、こんな生活に必死に恋をして、悩んだり、迷ったりする009と002を見ていると、生きているのだと実感出来ることもあるのだ。
 過去から来たサイボーグと言われる二人には、もう親しかった友人、知人は生きてはいない。生きていたとしても、彼等は普通に生活をして普通に年を取っていて、だからこそ、彼等に会う事は出来ない。時間に取り残されてしまったのだ。00ナンバー以外に全てを分かち合う人達は存在しない。だからこそ、今をい生きることに拘るのかもしれないと二人はそう思うことがある。だからこそ、009と002の二人が愛しいとすら感じられるのだろう。
 想いを寄せられている当の008と005は全く、そんな二人の感情に気付いていないのも、二人の興味をそそる原因になっている。
 004と003はまあ、そんな娯楽があってもいいんじゃないかと、敢えて気持ちを伝えるなと他のメンバーに徹底させているのである。他のメンバーも少ない娯楽として009と002の恋の行方を生温かく見守っているのだ。
 今日も、ドルフィン号は00ナンバーサイボーグを乗せて、逃亡者であるにも関わらず、賑やかにBGから逃げ続けるのである。





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