風は何処からやってくる
「ジェロニモォ〜」 頭上、遥か彼方から甲高い声が聞こえて来た。 ジェロニモの隣に立っていたアルベルトは肩を竦めると、自分程ではないが重戦車並の体重をものともしないで、軽やかな足取りで海辺の岩場を越えて姿を消す。 その姿を見送った直後、高いキーンとした音が響き、次の瞬間にはそれが止まる。 ジェロニモは大きく腕を空に向かって広げると其処にはジェットの姿があった。 足のジェットエンジンを切り、重力に任せて落下して来る。自分が必ず、受け止めることを信じて身を委ねてくれる心地好さは、彼に出会って始めて知ったのだ。 その痩身を守るように風の精霊が取り巻き、何やら楽しげに話しているのを感じられる。 彼の存在なくては、今の自分はない。 サイボーグにされて、大地の息吹きを感じられなくなったジェロニモは自分のアイデンティテを失いかけて、自己の存在すら放棄しようとしていた。そんなジェロニモを救ったのが、ジェットであった。実験と訓練と自室との往復しか繰り返さないジェロニモを強引に連れだし、アルベルト以上に重い自分を抱えて、あの細い躯で空を飛んでくれた。 綺麗だろう、と彼が青い空と同じ色の瞳で指し示した空と海の交わる場所に、ジェロニモは故郷の地平線を重ね合わせた。 その瞬間、自分を覆っていた薄い膜のような感覚を鈍らせていた不可思議なものがぽろりとはずれて、生身であった頃よりも、更にリアルに大地の息吹きを感じられたのだ。そして、風の精霊に愛されるジェットの姿を見て、何故だか涙が零れてくる。 ジェットは、その涙を見ない振りをしてくれた。 それからは、ことあることに外へと連れ出してくれて、研究所のある島から半径20キロ以内しか出られなかったけれども、ジェットと過ごす時間は自分がサイボーグで囚われの身であることを忘れさせてくれる温かさが存在していた。 細い躯が自分の腕の中に落ちてくる。 腕で見事に受け止めたジェロニモの太い首にしなやかな腕を回して、耳元で囁きを落とす。 「タダイマ」 「お帰り」 そう答えるとジェットははにかんでジェロニモを見詰めた。 青い瞳には嘘も邪気もない、真っ直ぐに迷いのない瞳で自分を見詰めていてくれる。好きだと伝えてくれるその真摯さがジェロニモには肌を重ねる関係になっても、まだ恥ずかしいのだ。 この歳まで恋愛らしい恋愛をしたことがなかった。 子供の頃から、長老にお前は風の精霊に愛される者と結ばれるとそう言われていた。ジェットを守るように居る風の精霊を感じた瞬間、運命の人がジェットだと悟ってしまった。二人の距離が近付くには時間が掛かったけれども、今は互いの気持ちをベッドの中で確かめ合う仲になっているのだ。 仲間達も、実は密やかに不器用なインディアンとおきゃんなヤンキーの恋を生温かく見守っている。 「なぁ、ジェロニモ」 ジェットは手をジェロニモの頬に寄せた。 「今夜、一緒に寝てもいい?」 一緒に寝るということは、セックスをすると言うのと同意語である。ジェロニモも普通の青年なのだ。愛しい人と同衾していて手を出さずにはいられない。それを知っていて、ジェットはそう誘うのだ。 「でも、昨日も……」 「俺と、寝るのそんなにイヤなのかょ〜」 腕の中では、ジェットが拗ねたように口唇を尖らせる。そんなことはない。でも、過ぎる体格差がジェットに負担を強いているのでは心配なのだ。 「そんなことは、ない。ジェットが心配だから……」 と言葉を濁して、頬を染めるジェロニモを見ると、ジェットの顔に笑みが広がって行く。 「俺。ジェロニモと毎晩だって、シタイ」 ジェットは赤くなったジェロニモの頬に口唇を寄せた。ベッドで抱き合えば、あんなに情熱的なのに、普段のジェロニモは初心で、恋の駆け引きすら知らない。迷わずに自分を求めてくれて、コレ以上は望めないくらいに大切にしてくれる。 出会った頃は、文字すらろくに読めなかった自分に対して、決して馬鹿にせず、丁寧に色々と教えてくれた。 少しの進歩でも、頭を撫でて共に喜んでくれた。 どうして、好きになったのかジェットにも分からないけれども、気付いたら無口で初心なインディアンに恋をしていたのだ。 「ジェロニモが好きだから……」 そう言いつつ、瞳を閉じると分厚い、大きな口唇が寄せられる。触れるだけのキスから口唇全てが包み込まれるようなキスへと変化する。野外でキスはおろか手を繋ぐ事だって恥ずかしがっていた彼には進歩だなとジェットくすりと心の中で笑った。 男同士のセックスなんて知らなかったジェロニモにそれを教えたのは自分だ。 メンタル的な部分ではともかく、肉体的にジェロニモは受け入れてくれないとジェットは当初思っていたのに、それは検討違いで、今はジェットだけを愛してくれる。 他のオンナにも、オコトにも見向きもしない。 「なぁ〜、このまま抱っこしてってよ」 キスが終わった瞬間にジェットはわんぱくな男の子に戻る。 ジェロニモを誘うあの妖艶な表情の欠片も乗ってはいない、くるくると変わる表情と雰囲気は決して、退屈を感じさせてはくれない。それが、ジェロニモには楽しく思えるのだ。日々、一刻、一刻、姿を変える空そのもののように見える。空の色を填め込んだ瞳を持ち、風の精霊に愛されるジェットは、ジェロニモにとって何よりも大切な存在なのだ。 「いいのか?」 一応、聞いてみる。 ジェロニモはジェットとの関係が仲間に知られても、いや、仲間達は知っていると気付いているが、ジェットは気付いていないと思っているらしい。だから、いいのかと確認するとジェットはそんなことと笑う。 「いいぜ。俺の貞淑な旦那様って紹介する」 お姫様抱っこをされたまま胸を張るジェットが可愛らしくてたまらない。 ジェロニモは、そんなジェットに笑いで答えを返すと、その華奢な躯を抱いたままギルモア邸を目指して歩いて行った。 風は彼の居る場所から吹いてくる。 何時だって、新しい風を運んできてくれる。 そうジェロニモは思う。 軽い彼の躯を抱く手に力を込めると、縋るように更にぎゅっと抱き付いてくる温かな彼に対してとめどなく愛しさが涌き出る自分の心をジェロニモは感じていた。 ◆余談 『ホモばっか…』 とフランソワーズは溜め息を漏らした。 彼女は目と耳で、ジェロニモとジェットのアメリカ人カップルの様子を伺っていたのだ。そして、同じ海岸でも、砂浜の方に視線を転じれば、ピュンマとジョーが手を繋いで歩いている。時折、ピュンマが振り返るとジョーははにかんだ笑みを返す。更に、キッチンに視線を移動させると、ブリテンと張々湖が熟年夫婦の遣り取りを繰り広げながら、夕食の支度に勤しんでいた。 「どうしたんだ?フランソワーズ」 背後から、優しい声が掛かる。 唯一、まともな恋愛はノーマル思考なアルベルトが、イワンを抱っこして部屋に入って来た。ホモだらけの中の紅一点の悲哀をアルベルトは知っているが、皆フランソワーズが大切だから、却って恋愛の対象にはならないのだと、慰めにもならない慰めを寄越す大ボケものなのだ。 アルベルトに八つ当りでもしてやろうと、口を開こうした瞬間。 アルベルトに抱かれているイワンの目がギラリと無気味に光った。 「どうした?」 アルベルトは腕の中でもぞもぞと動くイワンをあやすように高く抱き上げて、オムツを換えようとか、お腹は空いていないかとか満面の笑みを浮かべて、話し掛けている。さすがは、13人兄弟の長男だけあって、赤ん坊を扱う手並みは見事なものである。 戦闘時以外は、アルベルトにとってイワンは福与かで愛らしい赤ん坊でしかないのだ。 『アルベルトがイワンに口説き落とされるのも時間の問題だわ。第一、戦闘以外に天然の入ったアルベルトが人の悪さでは00ナンバー随一のイワンに勝てるはずがないじゃない。そうなったら、ホントにホモの巣窟よぉ〜』 と言いつつも、既に居直っているフランソワーズなのである。 別に00ナンバーの誰かと恋愛がしたいわけでもないが、やはり独り身の寂しさは、女性の身には堪えるのである。 でも、そこで巧く折り合いをつけられるのが、女性特有の強かさでもあった。 『ネタには困らないのは…事実よね』 と腐女子的発言をしたフランソワーズは創作活動に勤しむ為に、自室に戻っていたのである。今日も、ギルモア研究所には不可思議な色のハートマークが飛び交っていたのであった。 |
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