最期の瞬きを知る者



『アルベルト』
 フランソワーズはそれ以上の言葉を失った。
 自分には視えていた光景だけれども、アルベルトがそれを見た時にどう反応するかを押なべて測ることは出来なかった。
 左足は戦いの最中に失い海中深くに沈んだ。右手は辛うじてコード一本で繋がっていたが、ジェットの死亡が確認され、破棄処分される為の処理場の一角に投げ捨てられた時、それももげてしまった。
 腹部の人工皮膚は破れ、機械で作られた臓器ははみ出し、ボロ屑のように打ち捨てられていた。
 そのジェットの右手を拾い上げ、起きろとばかりにマフラーを掴んだアルベルトの表情は怒りと、諦めと、哀しみに支配されていた。怒りは死したジェットをこのような場所に投棄したBG団のやり方に対しての怒りで、諦めは自分にもこれから先がない諦めであり、そして、哀しみはフランソワーズを道連れにしてしまうであろう哀しみであった。
「フランソワーズ。敵の本隊が上陸するまでにどれくらいの時間がある」
『そうね。20分ぐらいだと思うわ』
 脳内にある通信機を通して聞こえてくる彼女の声は何時もの彼女の声と変わらないものがあった。自分達が出会った時、ジェットとフランソワーズは肩を寄せ合うように生きていた。そして、自分が加わり、まるで、家族のように三人で身を寄せ合って過ごしてきた。
第二次サイボーグ計画に伴い第一次サイボーグ計画の旧型の三人は、実戦に投入される日々が多くなった。
 フランソワーズはその能力を最大に引き上げられた為に肉体を失った。彼女はこの基地の地下深くに巨大な機械に繋がれていて、自分ではもう動くことも出来ない。脳だけ取り出されて機械に繋がれて、肉体はジェットと同じようにこの場所に投棄され、地下マグマの熱を利用した処理場で溶けていったのだと、そう話してくれた。
 そして、アルベルトは更に戦闘能力を高める為に生殖機能を失い、脳以外の全てが機械に変えられてしまった。皮肉なことに彼等の研究所を襲ったのは、第2次サイボーグ計画においてサイボーク化され、BG団を逃げ出した彼等であった。彼等はBG団を良く思わない連中と手を組み、二つの勢力が戦争状態に突入してから、随分長い月日が経っていた。
 最初、一緒に逃げることを薦められたが、既にその時にはフランソワーズは肉体を失っていた。フランソワーズを置いてはいけなかったジェットは残り、そして、ジェットを愛していたアルベルトもまた、彼等といずれ戦う運命を承知していて敢えて、BG団に残った。それは建前で本当の所は、アルベルトは自分の躯の中にある物騒な代物の起爆スイッチをスカールに握られている以上、逃げることは出来ない。自分だけならば、ともかくとしてそのスイッチを押されてしまえば、関係のない一般の人々をも巻き添えにする可能性もあったからだ。
 スカールと言う男は、そう言うことに躊躇しない男だ。それは、付き合いの長い彼等は嫌と言うほど知っている。
「すまねぇな。あんただけでも連れて逃げてやればよかったかもな」
『いいのよ。どうせ、私の躯はもうこの世にはないのだし、機械の躯を得て、これ以上、生き続けていくのは、御免だわ。それに、寂しがりやのジェットを独りであの世に送り出すなんて私には出来ないわよ。貴方と私がついていってあげれば、あの子も寂しい思いをしないで済むわ』
 アルベルトは脳内通信機ですまないと地下深くにいるフランソワーズに頭を下げた。
『それに、そうしても無駄みたいよ』
 フランソワーズの言葉の意味は自分の躯の中に起こった変化でアルベルトは分かっていた。自分の体内にある原爆の安全装置が外されたのだ。後はスカールが起爆スイッチを押せば、この島は完全に粉々になってしまう。そして、自分達も閃光に包まれて、やがて粉塵となり海底深く沈む運命なのだ。
「そうだな。多分、敵さんの本隊が上陸したのを見計らって爆破させるつもりらしい」
 アルベルトは他人事のようにそう言って退ける。ジェットのマフラーを掴んだまま仁王立ちに立っていた彼は何か憑き物が落ちたように膝を着いた。自然とジェットの躯も地面に横たえられる。
『アルベルト』
 フランソワーズの声だ。
『時間は僅かしかないけれども、ジェットと二人になれて良かったわね。邪魔者は消えるから、お願い、私が出来なかった分も彼を抱き締めてあげて……』
 と、通信が途絶える。
 アルベルトは要らぬ気遣いをと呟いて地面に横たわるジェットを見詰めた。何故か、顔だけは全く汚れてはいないし、やけに穏やかな表情をしていた。左手で握っていたジェットの右手を破損した彼の腹の上に乗せる。
 きらりと光る鎖と鎖に通した指輪を見て、苦笑した。
 戦闘の最中無くしてしまっていたと思っていた。もう、その時にはジェットに対しての愛情を確認していたから、却って吹っ切れると苦笑いと共に記憶の底に静めたはずであった。きっと、ジェットが拾い、いつか渡そうと持っていてくれたのだと思う。ジェットはそんな優しさを持っていた。
 そっと、抱き上げてみるとやはり彼の躯は軽く、ただ一度だけ抱き締め合った夜を思い出す。互いの愛に気付いて、一度目のコールドスリープの直前にあわただしい中で肌を重ねた。目覚めても再会出来るか分からないという焦燥感があったからなのかもしれない。
 再会を喜ぶ間もなく、目覚めてすぐにアルベルトは生殖機能を失った。
 どんなにジェットを愛していても躯を重ねることは出来ない。見詰め合って愛していると告げても、キスをして、結局はそこまでなのだ。ジェットに快楽を与えやることは出来ても、抱き合いそれを分かち合うことは出来ない。
 本当はもっと抱き合いたかった。
 骨が溶けてしまうような快楽を二人で漂いたいと思った。黒子の一つまで、何処がどんなにジェットが感じるのか知らぬ場所のないほどに彼と共にありたいと願っていた。
 だけれども、再会してから後は、アイシテルと見詰めることは出来ても、彼を抱き締めてあげることは出来ても、その素肌に自分の肌を重ねた記憶はない。いや、出来なかったのだ。それでも、ジェットだけでもというアルベルトの気持ちを汲んでジェットはアルベルトを愛しているから、だから触れないで欲しいとそう告げたのだ。
 互いの愛は常に、互いで感じていても肌を重ねられなかったこの数十年間、途切れることなく互いの胸の内に存在し続けていた。
 だからこそ、触れ合えない事実を認めるのが辛くて、キスすら、手を繋ぐことすら出来なかったのだ。でも、今はジェットを抱き締めてあげられる。
 アルベルトはこの数十年の想いを込めてジェットの躯を抱き締める。
 数十年前のあの夜が蘇ってくるかのようだ。
 甘やかな声も、愛していると告げる肌も、自分の猛りを受け入れたその場所も、全てを鮮明に記憶している。
 ジェットもそうであったのだろうかと思う。
 生殖能力の残されていたジェットの方が辛かったに違いない。それはジェットを見詰め続けていたから分かる。自分が傍に寄るだけで、逃げていってしまうこともあったし、誰とも分からぬ男達と夜を過ごしていたのも知っているけれども、それに対して自分が何も言うことは出来ない。
 愛を分かち合えぬ男に何も言う資格などはないのだ。
 でも、最後の黄泉路への旅の道連れだけはさせてくれと、動かぬジェットの躯を抱き締め、想いの丈を込めてそう囁いた。
 動かぬ口唇にそっと自分の口唇を寄せる。
 随分、長い間、触れたくとも触れられなかった口唇の感触。薄い口唇を包み込むように口付けを落として、綺麗に並ぶ白い歯に舌を這わせる。僅かに栄養パイプを流れる液体の味がした。それがやけに可笑しくて笑みが浮かんでしまう。
 しっかりと抱き寄せて、乱れた赤味掛かった金髪を梳いてやる。耳元の生え際や項の生え際の産毛はふわふわとまるで、綿毛のような感触でアルベルトは大好きであった。それら数十年ぶりのジェットの感触に酔い痴れる。
「ジェット」
 呼び慣れた名前だけれども、こう言う意味を込めて呼んだのは久しぶりであった。
「ジェット、愛している」
 動かぬ抜け殻の躯だと理解していても、抱き締めた腕を外すことは出来ない。死ぬのならば、例え遺体であったとしても、ジェットを抱き締めていたいと思う。そうすれば、迷わずに一足先に黄泉路に旅立った彼の元にフランソワーズと二人で追い付ける気がして来る。
 久しぶりに穏やかな心持になれた。
 ジェットのこの状態を見た時は憤怒の情が躯を取り巻き、自身を失おうとしていたけれども、今は違う。
 足を失い、腕がもげ、腹の機械の臓物がはみ出していたとしてもジェットは綺麗だと思える。あの愛し合った一度だけの夜のように、今でも変わらずに綺麗だとアルベルトの瞳にはそう映る。
 最後の瞬間、ジェットは何を求めたのだろうか。
 自由の利かぬ右腕で自分にこの鎖と指輪を渡そうとしたのだろうと、そう思えてならなかった。
 それがあまりにも彼らしくて、彼らしくて、笑みが零れる。
「フランソワーズ。ありがとう」
 僅かでも、ジェットを抱き締める時間を作ってくれた彼女に礼を伝えるけれども、もうフランソワーズからの返答はなかった。襲撃され破戒されたのか、それとも自ら回線を絶ってしまったのか分からないけれども、彼女なら黄泉路を歩く自分達を目敏く見つけて、声を掛けてくれる気がする。
 不思議と涙は零れてはこない。清々しい心持ちになれて、アルベルトは青い空を見上げた。其処に黄色いマフラーを靡かせて飛ぶジェットの姿を見付けた瞬間、彼の意識は白い閃光に包まれた。



「アル。フラン。こっちこっち…、俺を待てせるなんて、いい度胸じゃねぇか、何か美味しいモン奢ってもらわねぇと…な。さぁ、行こうぜっ!」





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