過去から来た男
「どうしよう」 バイキンマンは街から20分程歩いた森の中にUFOを隠すと、大きな麦藁帽子をかぶった。紺色のカリブパンツに白い大きな襟のついたシャツは一見、可愛らしい水兵さんのようでもある。 しかし、そう呟いた顔色は浮かないものであった。 バイキンマンは週に二度程、こうして変装して街に買い物に遣って来る。 しかし、街の人達は一向に変装したバイキンマンがバイキンマンだとは気付きはしない。というよりも、バイキンマンとして人々の前に現れる時の格好の方がバイキンマンからしてみれば、変装、いやコスプレに近いものがあるのだ。 それを最初に見破ったのはアンパンマンで、彼にはどんな変装をしていても見つけられてしまう。 それに買い物に行くのも気が重たくて仕方がない。 ドキンちゃんがバイキン城でお腹が空いたと待っていてくれるのなら、買い物に行く足取りも軽くなる。いつも、バイキンマンが作る食事を美味しいと平らげてくれるのだ。好きではない料理もあるし、それ対してのクレームはつけるけれども、食事を作ってくれることに対しては、美味しいという過剰なまでの賛美という言葉で労ってくれていた。 けれども、ドキンちゃんはバイキン城にいない。 メロンパンナの所に泊まりに行ったきりで帰ってこないのだ。 仕方がないといえば仕方がないのかもしれないが、その原因を作った人物の来訪のお陰で、バイキンマンは疲れてしまっていた。 「やあ」 嫌味なくらい爽やかな挨拶にも、手を上げただけで通り過ぎようとしたくらい、疲弊していたのである。 「どうしたんだい」 それでも、その相手はしつこくついて来る。 「元気がないじゃないか。いつも、うるさいのだっ!! あっちに行けっていうくせに……」 バイキンマンに挨拶をしたのはアンパンマンで、パトロールの途中なのかマント姿であった。 「お前の相手をしている暇はないのだ」 バイキンマンは力なくそう言うと、とぼとぼと歩き続ける。 その背後から、ちょろちょろとアンパンマンが何かと話しかけながらついてくるが、相手をしている余裕がバイキンマンにはなかった。 アンパンマンを無視したまま、歩き続けて、ようやく街が見えて来た。 暑い中、買い物に来ている大勢の人達で賑わっている。 バイキンマンは人の多さにげんなりとしながらも、まずは目的地の一つでもある本屋を目指した。 本屋の目の前まで来ると、後からついて来ていたアンパンマンが突然、バイキンマンの腕を取ってその隣にある喫茶店に飛び込んだのだ。 あれあれと思う間もなく、一番奥まったボックス席にアンパンマンと向かい合わせに座らされた。 注文を取ったウエイトレスが引っ込んだのを確認して、バイキンマンは口を開く。 「何を考えているのだ。お前とお茶を飲んでる時間はないのだっ?」 そう小さな声で罵っても、アンパンマンはいつもの調子でまあまあと宥めるばかりで話しにならない。帰ろうと席を立ったのを見計らったように、大きな器に盛られたかき氷がバイキンマンの目の前に置かれた。 「当店自慢の夏季限定サマー・スペシャルでございます」 子供の顔ぐらいはあろうかというカキ氷に圧倒されたバイキンマンにアンパンマンは留めの一撃を加える。 「僕のおごりだよ」 お金に困っていないくせに、バイキンマンは倹約家で存外質素な生活をしている。それは、時折、バイキン城に押し掛けをしているアンパンマンは良く知っていることであった。 無料とか、奢りとか、オマケという言葉にバイキンマンは弱かった。 気力を削られている時に、アンパンマンの相手はしたくないが、しかし、このカキ氷に罪はないとバイキンマンは座って、サマー・スペシャルを突き始めた。 カキ氷に夢中になっている素振りでアンパンマンから視線を外したままだが、アンパンマンは気にした様子もなく、アイスコーヒーを啜りながら、笑顔を絶やさずにバイキンマンを見ていた。 半分を消費した辺りで、バイキンマンはようやく一心地がついた。 何故なら、バイキンマンはその種族の特性として暑すぎるのも寒すぎるのも苦手で。下手をすると体調を崩す原因となるのだ。20分の道のりは思ったよりもバイキンマンの体内の水分を奪っていたらしい。 「ねえ、バイキンマン。ドキンちゃんと喧嘩したの?」 「うん? 何でだ」 つい油断して、バイキンマンは返事をしてしまっていた。 「もう、三日もメロンパンナのところに居るんだけど……。ほら、君達って喧嘩しても一晩経てば仲直りしていたのに、今回は、ドキンちゃんも何も言わないしさ。ホラーマンに聞いたら、君のお兄さんが来ているとか」 ああ、それを聞きに来たのかと、アンパンマンが自分を此処に連れ込んだ理由をバイキンマンは理解した。 「ドキンちゃんとは……、あまり」 「ああ、そうなんだ」 返答に困って言葉尻を濁したバイキンマンであったが、アンパンマンは勝手に残りの部分を自己補填してくれた。どう解釈したかは想像の域を出ないが、敢えてバイキンマンはそれ以上何も言わなかった。 「でもさ。お兄さんが来ているってわりには、バイキンマン元気ないよね。お兄さんと何かあるの?」 こういう聡い男はダイキライだ。 自分の様子と周りの状況から判断して指摘されるほとんどが、当たっているからバイキンマンはアンパンマンが嫌いだった。 確かに、何かがある。 訪ねて来ているのは次兄であった。 もちろん、バイキンマン同様、ドキンちゃんの存在も、バイキン星ではタブーに近い扱いになっている。バイキンマンの生活費は一応国から支払われているけれども、ドキンちゃんは生活費どころかバイキン星の戸籍すら持たないのだ。まだ、バイキン星の住人として戸籍登録がされているだけ、バイキンマンはましと言わねばならない。 産まれてくるはずのない子供であったから、バイキン星でドキンちゃんの存在を知るのはその出生に関係した者だけである。 従って、王子でもあるバイキンマンの兄が訪ねて来たとしたら、ドキンちゃんとしては一緒に居たくないだろう。来ると分かった瞬間、荷物を纏めて出て行ってしまった。どうしても、二人っきりになりたくはないバイキンマンは同じくお邪魔でしょうからと出て行こうとしたホラーマンに頼み込んで、バイキン城に残ってもらったのだ。 捉えどころのないホラーマンは、次兄の相手を上手くしていてくれる。 悪いとは思うが、次兄と二人っきりになるのが怖いのだ。 バイキンマンはこの地球に来る前に、次兄にレイプされた。 ただ一人、自分のことを気に掛けてくれた次兄を尊敬し、敬愛していた。自分にとっての兄はただ次兄のみだというくらい深い信頼を寄せていたのだから、そのショックははかり知れなかった。 父親の命令でもあったけれども、それらを振り切るためにバイキンマンは地球に遣って来た。 けれども、レイプされたから怖くて一緒に居られません、などと言えるはずもない。 それに、バイキンマンの様子を視察に来たのだといわれれば、訪問を拒絶することは出来なかった。 1ヶ月程滞在すると言われて、バイキンマンは泣きそうになっていたのだ。 夜も、よく眠ることが出来ない。 過ちがあったということすら匂わせない態度を次兄がしていたとしても、身体に染み付いた恐怖は離れてはいかない。 ただ、あの時は恐怖と痛みで何も考えられなかったけれど、地球に来てから、次兄から受けた行為の意味が決して暴力だけでないと考えたバイキンマンは色々と調べ、それが性的行為だと知ったのだ。それまで、セックスという言葉を知っていても、それは愛し合う者同士の間で行われるものであり、強要する者がいるとは思ってもいなかった。 もし、次兄があの時、自分を好きだと言ってくれて、望んでくれたのなら、きっと、自分は次兄に初めてを捧げても構わないと思ったが、あのような信頼も愛情も全て踏みにじるような行為に怒りよりも、恐怖が湧いてしまっている。 バイキン星では、異母兄弟であれば性的な行為が認められている。バイキン星人には男性、女性、そして双方の性を持つ両性という人々が居るのである。バイキンマンは見かけは男性体ではあるが、女性の性も持っている両性で、妊娠したり出産をすることも可能な身体なのだ。 「兄弟が居ないから、わかんないけどさ。喧嘩して気まずかったりしたら、僕の家においで、ジャムおじさんの家から少し離れた場所に家を建てたんだよ」 アンパンマンは食べるのを止めてしまったバイキンマンを覗き込むように、そう語りかけた。 「ね」 そういうとアンパンマンは立ち上がった。 「ゆっくり、休んでいくといいよ」 そう言い置いて、会計を済ませると、喫茶店から出て行った。 いつもしつこいくらい付き纏うアンパンマンとは違う顔を見せられて、バイキンマンは少し驚いたが、何か言い返す前にアンパンマンがいなくなり、それをぶつけることができなくなってしまった。 「ばかなのだ」 そう呟くとバイキンマンは残っているサマー・スペシャルにスプーンを乱暴に突き刺したのだった。 |
The fanfictions are written by Kurataki Humiharu since'19/12/05