花の影と太陽の名残り1



 頭の奥がズキズキと痛み人工血管を流れる人工血液の音すらその敏感な耳で捉えられるような錯覚に彼女は口唇をきゅっと噛み締めて、自分の躯を抱き締める。
 故意に暗くした部屋にも関わらず、その意味はなく。部屋の中が見渡せてしまう自分にイライラを覚える。独りは嫌だと心底思う。設備は整えられていて不便はないけれども、窓一つない部屋は箱の中に閉じ込められているようで気が滅入る。
 この箱庭のような部屋の回りは特殊な電磁シードルが張り巡らされており、彼女の力をもってしても外の世界を観ることは出来ない。
 彼女がこの部屋から出る場合に、研究所内では、特殊な警報が発令されるのである。彼女の能力をもってすれば、この研究所にあるBG団の機密を探り出すことも可能だからだ。自分達の手の内を見せたくない彼等はこの部屋に必要がない限りは彼女を閉じ込めていた。
 その耳がこの部屋に入る為の一つ目の扉が開かれるのを捉えていた。軽やかで足音を立てずに歩くあの足音は彼女のただ一人の同朋で、家族で、兄弟である。彼の足音だ。その音を聞くだけで、刺々しい感情が静まりをみせる。
「ただいま、フラン」
 ブロークンな英語を話す自分と同世代の青年は部屋の明かりをつけて、ベッドに横になっている彼女に近付いてくる。赤味の掛かった金髪はすぐに跳ねる癖を持っていて、毎朝、彼女が跳ねないようにセットしても、昼食時には元に戻っている。
「お帰りなさい。ジェット」
 躯を横たえたまま、視線と笑みだけで彼を迎える。
「大丈夫か? 顔色悪い」
 ベッドの端に腰掛けて、彼女の甘栗色の髪を優しく撫でる。その心地好さに頭を支配していた痛みが引いていく気がする。彼女がサイボーグ手術から目覚めて、すぐに彼とこの部屋に入れられた。
 自分達のプライベートルームだとのことであった。
 広い部屋に窓はなかった。
 広いだけの部屋に、ソファー、机、テレビ台、テレビ、そして簡易キッチンに冷蔵庫。そして、不釣合いなキングサイズのベッド。それが何を意図しているのか、彼女には分かっていた。彼らはサイボーグとしての高い適性能力を保有する2人の子供を作り、サイボーグに適した人種を作ろうと目論んでいたのだ。今だにクローン技術や体外受精はBG団の中でも成功をしてはいなかった。
 その為に、皮肉にも2人には生殖機能が残されていた。
 けれども、彼女より以前から、ここに独りで居たアメリカ人の青年は決して彼女をセックスの対象にはしなかった。
 それよりも、同じ立場で苦しむ同胞として、いや、弟が姉を慕うように、時には兄が妹を想うように接してくれた。同じベッドで抱き合って眠っていても互いにそのように劣情が湧く事は一度としてなかったのだ。
 どうしてだかは、分からない。
 2人は男と女としての絆よりも、家族としての絆を持つことを選択したのだ。
「大丈夫。ちょっと、訓練続きで参ってたのよ」
 003は視覚と聴覚を高められているが、それを有効に使うにはそれは気が遠くなるような訓練が必要なのだ。音を聞いて、それが何かを正確に判断する為にはそれが何の音であるかとの知識を持たなくてはならない。膨大な種類の音を聞き分ける為の訓練は想像を絶するものがあった。
 そして、より脳に近い部分に改造を受けている彼女は、そのせいなのかよく頭痛に悩まされて、訓練や実験の後はこうして臥せっていることが多い。
「それより、外の話しを聞かせてくれる」
 戻ってきたジェットの躯からは太陽の香りがしていた。飛行能力を身につけた彼は最近では、こうして外に訓練と実戦を兼ねて連れ出されることが増えてきていた。窓のない部屋に唯一、太陽の匂いや、潮騒の香り、土の温もりを運んできてくれる。そして、BG団の目を盗んでは、貝殻や石ころを持って帰って来てくれる。それが、今の彼女にとっての宝物であった。
「ああ、極東のニッポンって言う国に行ったんだ。桜っていうピンク色の花が国中に咲いていて凄く綺麗だった。フランにも見せてやりたかったよ。本当はその花を持って帰って来て上げたかったんだけど…。ゴメン。時間がなくって……。これだけしか」
 握り拳を作ったままの左手を彼女の目の前で開くと、其処にはピンク色の花弁が二枚だけ乗っていた。大きな樹木に咲き誇るその美しい桜と言う花を上空からしか見ることは出来ずに、風に舞い上がった花びらを二枚掴み取るのがやっとだったのだとジェットは悔しそうにそうフランソワーズに言う。
 それでも、彼女は嬉しかった。
 風を孕んだ太陽の匂いと、小さな花弁がささやかな幸せを齎してくれる。こんな時、自分と共にあるのが彼で良かったと心底、思うのである。
「ありがとう。ジェット……。押し花にして大切に仕舞っておきましょうね」
 彼女は指の腹でそっとまだ、湿り気のある花びら触れた。こうしてジェットが持ち帰る品々を二人で大切に仕舞っているのだ。小さな思い出だけれども、二人には何にも換えがたいモノであるのだ。
「フラン、いつか2人で桜を見に行こう。フランに見せてやりたい」
 彼はそう笑った。そして、彼女も、いつかねと答える。
 何時、ここを出られるのか、そして、自分達の明日をも知れない運命を考えれば過大な約束であった。それまでは、何があったとしても生き抜こう。いずれ、ここを逃げ出すチャンスが巡ってくるかもしれないから、決して、屈することだけはしないと2人はそう誓っていた。
「フラン?」
 やがてすぐに彼女の穏やかな寝息が、彼の掌に伝わってくる。その音に静かな安堵の溜め息を吐き出すと、そっとそのこめかみにキスを落として、ジェットはベッドサイドの上に置いてある彼女の聖書にその花びらをなくさぬようにと挟み込んだ。
 ゆっくりとページを閉じて、壊れ物でも扱うようにそっと置く。
 そして長い間、飽くことなく彼女の穏やかな寝顔を見詰め、甘栗色の髪を優しく撫で続けた。この穏やかな眠りを悪夢が邪魔をしないようにと、心から願いながら。





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