花の影と太陽の名残り2



「ジェット」
 彼女の笑いが人気のない夜の公園に響いていた。
 桜が咲き誇り、花の甘い香りが夜気に解け込んで、幻想的な空間を作り上げる。ジェットは彼女とのいつかは桜を見に行こうという約束を忘れてはいなかった。BG団との戦いを終え、日本に居を構えたギルモア博士の元に001、003、009が残り、他のメンバーは故国に帰る手筈になっていた。明後日には帰国するというジェットがフランソワ−ズをこの公園に連れて来たのだ。
「ありがとう。覚えていてくれて」
 彼女もあの時の約束を忘れてはいなかったのだ。あの約束だけではない。ジェットが齎してくれた僅かな外の世界へ繋がる小さな品々は、あの島を脱出するときに置いてきてしまったけれども、ちゃんと彼女の心には残っている。
 あの時、傍にジェットが居てくれなかったら、自分は狂っていたと思う。そして、生きて再び、外の世界を感じることも出来なかったと思う。
 出会ったのが、ジェットで本当によかったのだと、彼女は今も思っていたし、他のメンバーにはない特別な感情を彼に抱いている。二人きりで、身を寄せて手を取り合って生き抜いてきたからこそ、持ち得る感情なのだと思う。彼が大切だし、短気で無鉄砲な彼が愛しいと同時に、心配でならない。
「でも、ジェット」
 背後に立つ彼を振り返りながら彼女は長年の疑問を口にした。
「どうして、貴方はあたしを抱かなかったの?」
 ジェットは今更と言う顔をするが、誤魔化すことはしなかった。二人の間には他のメンバーが知らない絆が存在していて、彼が004との関係に悩んでいたことも、全てを彼女は知っているのだ。そして、ようやく彼との関係が安定しつつあることを感じていたから、彼女は敢えて積年の疑問を言葉に乗せた。
「独りで、ずっと、独りで、待ち焦がれていた誰かが、フランだった」
 ジェットは2人きりの時以外はあまり彼女をフランとは呼ばない。003と呼ぶか、フランソワ−ズと呼ぶのだ。それだけ、彼女の存在がジェットの中では、とても特別な位置を示していることの証明でもある。
「フランが男でも女でも、そんなこと関係ないよ。フランはフランだから…。俺にも、良くワカンナイ。でも、俺、フランのこと大好きだよ」
 とジェットは言うと照れくさそうに鼻を掻いた。
 こんな仕草は本当に変わっていないし、まるで、年の近い弟を持った姉の気分になる。少し、困らせてやろうと彼女は彼に駆け寄ってその腕に自分の腕を絡めた。驚いて腕を解こうとするジェットの手を握り、穏やかな笑みを零す。
 そして、強引に引っ張るように桜並木の下を歩き始めた。
「ねえ、あたし達、恋人に見えるかしら?」
 アルベルトという恋人がいるジェットに向かって、意地悪く聞いてみると、ジェットの瞳は笑っている。良い傾向だと彼女は思う。あれから、長い時間を二人で過ごし、一人増えた仲間にジェットは恋をした。見ていて辛くなるような恋だったけれども、二人の心が寄り添うのを見届けてられて、今は安堵している。
 何よりも、愛しい弟のようなジェットには幸せになって欲しい。
 例え、サイボーグであるという宿命から逃れなかったとしても、愛する誰かと分かち合う幸せを噛み締めて欲しいと思う。相手が頑固なドイツ人であることに、面白くないとの感情はなくもないけれども、それでも、ジェットが彼が良いなら、今までの全てを胸に仕舞っておこうと彼女はそう決心をしていた。
「うん。きっと、カッコイイ兄貴とお転婆な妹に見えるさ」
「そうかしら? 出来の悪い弟とそれを心配する姉じゃないの?」
 彼女の反論に、ジェットは口唇を尖らせて拗ねる。子供扱いされたことに拗ねているその姿も彼女には可愛らしく、そして、愛しく映る。
「冗談よ」
 彼女がそう笑うと、拗ねていたジェットも笑った。
 二人でこうして、屈託なく笑える日が来るとはあの時は正直思ってもいなかったのだ。本当に生きていて良かったと二人は風に吹かれて舞う花弁を眺めながらそう思う。
「また、一緒に桜を見ましょうね」
 今度は彼女からそう言う。
 ジェットはそれに頷いた。
 辛い思い出だけれども、決して忘れることはない。二人きりで身を寄せていた日々を、太陽に、花の香に焦がれていた日々を、戦いの血なまぐさい日々を、決して忘れはしない。何故なら、其処にはいつも心の痛みを抱えていても笑っていたジェットの姿があるから、忘れはしないと彼女は思った





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