恋する心の残り香
暗くなった石畳の道を二人は肩を寄せ合うようにして歩いていた。吐き出す息が白く染まり、風すらも吹かぬ夜の空気は二人の足音だけを響かせる。 ニューヨークの寒さとは違う種類の寒さに、ジェットは触れ合う肩から伝わるアルベルトの温かさをもっと傍に感じたくなってしまっていた。その腕を取ろうと、アルベルトに借りた皮のジャケットのポケットから手を出そうとして、止めた指先にアパートを出る前に渡してもらった合鍵が触れる。 昨夜は散々愛し合い起きたのは昼近くになってからだった。仕事はと心配するジェットに今日は有休を取ったとそう告げたアルベルトは簡単な昼食を作ってくれた。そして、もう一度愛し合い。抱き締め合って取り留めのない会話を交わしながら午後を過ごしたのだ。 そして、ドイツ料理を食べさせてやると連れて来られたアパートの近所にある家庭料理の店で夕食を終えた帰り道なのだった。 そんな当たり前の恋人同士のような営みに、ジェットは骨まで解けてしまいそうな幸せを感じ浸っていた。 でも、このままアパートに一緒に帰ったら、本当にニューヨークには戻れなくなってしまう。けれども、仕事に行っている間、あのアパートでアルベルトの帰りを待つのはもっと嫌だ。そして、仕事に出掛ける彼を見送るのも、嫌だった。 絶対に引き止めてしまいそうな自分がいる。 せっかく、愛していると言ってもらえたのに、嫌われたくない。 十分にアルベルトを感じられたから、次の休みまでは我慢出来る気が、いやしなくてはならないとジェットは決心する。 「アル……」 でも、帰るとは言えず、ジェットはえへへっと笑ってそんな自分を誤魔化すように、冗談混じりでアルベルトの腕に自分の腕を絡ませた。アルベルトは口をへの字に曲げて困った顔をしている。こうして、普通に二人で町を歩いた経験など数えるほどしかない。 ジェットもどうして良いのか分からないように、アルベルトにも分からないのだ。肩が触れ合う距離で並んで歩くのが、精一杯なのである。 「俺達、恋人に見えるかな?」 ジェットは腰を屈めて下から覗きこむようにして、アルベルトの表情を伺っている。確かに、腕を組んでいたらカップルには見えなくないかもしれないが、自分達は時折失念してしまうが、男同士なのである。 非現実に身を置いていた彼等にとって、同性とか異性とかという観念が普通の人間とは違ってしまっているのだ。アルベルトにとって、ジェットはジェットだし、また逆もしかりで、性別が云々に対しては然程、問題には思わなかった。 けれども、現実の世界ではサイボーグであることよりも男同士であることの方が障壁になることが多いのだということに、今更ながらに気付かされることが間々あった。 「ふむ」 立ち止まって考え始めてしまったアルベルトを再び、ジェットは覗き込む。北欧の凍えた海の蒼さをはめ込んだブルーグレーの瞳が、何かを真剣に考えている。ジェットに捕らえられていない手を顎に当てているのは、アルベルトの癖で思考を巡らす時の仕草であることをジェットは知っている。 考えるようなことなのだろうかと、アメリカ人らしいジェットはそう思う。ニューヨークには昔からゲイのカップルが多い。ジェットが生身だった頃から周りにはそういう人達が沢山いたし、そういう趣味の人達に声を掛けられることも多かった。今だって、それなりに、声を掛けられる。 でも、そう言うのとはアルベルトは違う。 性別とか関係なくアルベルトが好きで、彼に抱かれるように他の男に抱かれたいとは決して思わない。 「それとも、アルはゲイのカップルって思われたくない?」 冗談を含ませた口調ではあるけれども、ジェットは何処かで否定して欲しいと思っている。そんなこと関係ないと言って欲しい。関係なく自分だけが好きなのだとそう告げて欲しかった。 「確か、お前さん、18だったよな」 全然性別とは関係ない質問にジェットはそうだと答えると、アルベルトは安堵したような溜め息を吐いた。時間に置き去りにされた自分達に今更、年が関係あるとは思えない。 18歳と言っているが、コールドスリープしている時間等を省いての年齢だから、当てにならない気もする。 「なら、別に良い」 アルベルトはあまり感情のこもっていない声でそう答えを出す。 「何がイイんだよ」 アルベルトの言いたいことが分からずに、ジェットはアルベルトの腕を引っ張って、子供が駄々をこねるようにどうしてなんだよ、何かイイんだよと繰り返す。 樹木に囲まれた人通りの少ない道だとはいえ、聞いていない人が全くいないとは言えない。知り合いが聞いていなければと、アルベルトは考えたりもしていた。でも、ジェットが恋人だと知れて、それが原因で仕事が首になったら、なったで、ニューヨークでも行くかと考えられてしまう自分はジェットに随分感化されていると思う。 「ドイツではな……」 いつものアルベルトの先生口調にジェットは何か、とんでもないことがドイツにはあるのかとごくりと唾を飲み込んで真剣な表情でアルベルトを見詰める。 「ドイツでは、18歳未満の同性との淫行は犯罪になるんだ」 アルベルトの真剣な答えにジェットは笑い出してしまう。でも、こういうところで子供扱いされているとふと思えて、すぐに笑いを引っ込めて口唇を尖らせた。 「あんまり、子供扱いすんなよ」 アルベルトはそんなジェットが可愛らしく感じられる。子供扱いではなくて、どちらかと言うと子猫扱いのつもりなのだがと思うがそれを言うと更に拗ねそうで、アルベルトはそうとは言えない。 「俺が犯罪者にならなくて良かったな」 更に、追い討ちを掛けられてジェットは面白くないけれども、こうして何気ない会話を楽しめることが自分達の境遇から考えると凄いことなのかもと思うわけだ。 普通に生きていれば、絶対にアルベルトと自分の接点はないままに人生の終焉を迎えていたかもしれない。殺人罪で警察に捕らえられて、刑務所におくられて刑務所の体格の良い男達のオンナにさせられ、穴だらけにされるか。自分が殺してしまったギャング団に復讐されて自分が殺されて路上に転がる死体となっているか。 それを考えればこそ、サイボークになったからこそアルベルトに出会えたのだと思えば、今の戦いの日々ですら運命だと受け入れられる気がする。 「アルっ!!」 掴んでいたアルベルトの腕を投げ捨てるように放しても、彼は穏やかに笑っている。自分を馬鹿にしている笑いではないけれども、癪に障ってしまう。少しは反省させてやろうと、ジェットは2、3歩と駆け出した。そして、振り返りどうしたのだと問う瞳を見ながら言う。 「帰る」 「ジェット」 手を伸ばしてくるアルベルトを避けて、更にジェットは間合いを空ける。触れるか触れないという微妙な距離を保ったまま見詰め合う二人の間の空気が更に冷たく張り詰める。 このままアルベルトの腕に飛び込みたいと思う自分と、そしたら帰れなくなるぞと警告する自分との葛藤がジェットの中にはあった。ここで、帰らなくては、アルベルトに抱き締められたら今度は本当に帰れなくなってしまう。 「帰るよ。今度の休みにまた来るから…。絶対、来るから」 そう言うと、アルベルトが呼び止める間もなく上空へと姿を消してしまった。キーンとまるで、空気が凍ると錯覚させるような音が響き、やがて静寂が戻ってくる。 ジェットが消えてしまった方角には、星しか見えない。それでも、アルベルトはひょっとしたら戻って来るかもと空を見上げたまま、暫く待ってみるが、ジェットが戻ってくる気配はなかった。 深い溜め息を落としたアルベルトは、アパートの方角へと足を向ける。 でもと、もう一度、ジェットの消えた方角の空を見上げるとやはり其処には星空しかない。本当にアメリカに、ニューヨークに帰ってしまったのだ。何か、自分はジェットを怒らせるようなことを言ったのだろうかと思うが、いつもの延長のような会話しかしていないはずだ。 本当は、明日の朝までジェットのあの白く細い肢体を抱き締めて眠りたいと思っていたのだ。あわよくば、ずるずるとドイツに居させても構わないのにとすら、願っていた部分がないとは決して言い切れない。 昨夜から数え切れないくらい抱き合い。互いのパーツが融合してしまうかと思う程に愛し合ったけれども、ジェットが腕を絡めてきた瞬間、紛れもなく自分の牡は反応していた。部屋に戻ったら、冷えたままのジェットの躯を抱き締めたいとの欲望が込み上げて来てしまっていたのだ。 「5日かぁ〜」 アルベルトは深い溜め息を落として、独り自宅への道を歩き始める。 ジェットよりも、自分の方が5日ももちそうにないと苦笑をする。腕にも、手にも、口唇にも、どこにもかしこにもジェットの感触が残っている。却って、綺麗に消えてしまっていてくれた方が良いのにと、残り香だけを置いて帰っていった恋人にアルベルトは密かに抗議を申し立てる。 夜の静寂を纏った石畳の上にアルベルトの足音だけが、寂しげに響いていた。 |
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