赦されざれる者へ寄せる背徳の囁き1



 黒く汚れた天井を見詰めていると、まるでその染みが徐々に広がっていくようであった。そのようなこともあるはずもないのにと、ジェットは口の端だけを上げて笑おうとするが、その声は咽の奥で喘ぎ声に転化される。
「……っぁん」
 そして膝を立てて、自分の股間に顔を埋めている男の髪に指を絡めた。
 彼と似た色の銀の髪を持つ、ジェットの上客の一人であった。
 生身の頃に自分が嫌悪していた商売に、結局舞い戻っている自分に嫌気が差すけれども、普通には暮らしていられない。
 ジョーと地球に落ちて以来、自分は未だに落ち続けている。見えぬ果ての地獄を目指して落ち続けていると、最近はそう思うようになった。
「J、気持ちイイかい?」
 Jとはジェットが春を鬻ぐ商売の時に使っている源氏名である。
 上客というだけあって、決してジェットに無体はしない。若い細身の男が好みでその躯を時間を掛けて嘗め回さないと勃起しないという50代の腹の出た脂ぎった男だった。でも、ジェットには気前よくチップを弾んでくれる。
 一晩、彼を相手にすれば1週間はゆうに豪遊できる。別に、豪遊したいわけではないが、稼ぐ必要がないのはわずかに安堵できる時間を齎してくれる。仕事は探せばあった。昔のジェットとは違い、今は読み書きも出来るし、コンピューターに関しても通常の会社に勤めたとしても他の社員以上の仕事が出来るだろう程度のスキルを持っていた。
 BG団を逃げ出し、戦いが一段落した後に、故国に戻ると言ったジェットに対して博士が裏から手を回して新たな戸籍を作り、様々な免許書等の公的な証書を用意してくれていたし、知り合いに職を紹介してもらえるとも言っていたが、ジェットは断っていた。
 オフィスに閉じ込められて働くのは性に合わないからと、自分で探した自転車便の会社に勤めてオフィスからオフィスへ書類を運ぶ仕事をしていたのだが、ヨミへ向かう前にその会社は退職した。



 そして、ジェットは死の世界に片足を突っ込んで、生還した。
 





 全てが違って見えた。
 どうしてあのまま死ねなかったのだと、存外に生き汚い自分の生命力に呆れた。あのまま死んでいれば、自分は綺麗な思い出として彼の心に残ったのにとそう思えてならない。
 オンナのようで女々しいと思うが、あの仲間のドイツ人が好きだった。恋をしていた。恋を知らないジェットが始めて知った恋だった。
 そして彼もジェットと同じ意味であるのかは分からなかったけれども、少なくともジェットを憎からず思ってくれていて、数度だけ、子供だましのようなキスをした。重ねるだけのキスだったけれども、あの感触をジェットは忘れられずにいる。
 固い腕で抱き締められて、重ねられた口唇。
 誰もいない海岸で交わされたキス。
 二人のキスは長いマフラーが隠して、誰の目にも止まらなかった短いキスだけがジェットの支えであった。ともすれば、仲間の犠牲になって死にたいと常に思っていたジェットを唯一、この世界に繋ぎ止めていた想いであったのだ。
 けれども、それはビーナと言う一人の女性によって、消散してしまった。
 ジェットに向けられていた優しい眼差しの行方はビーナに代わり、鋼鉄の手を握った手は白い華奢な女の手だった。最後には、彼の名前を呼んで笑って逝った女。ヒルダだけでなく、そんなオンナたちの存在に自分は太刀打ちできはしない。
 彼の心を捉えられる美貌もなければ、彼の保護欲を煽り立てる華奢な肉体もない。
 男の躯と、サイボーグの機械の躯があるだけだ。
 もし彼が同性愛的な傾向にあるのだとしたら、彼を繋ぎ止めておく自信はあったけれども、彼の恋愛思考はいつもノーマルなもので、結局は彼の心は死んでいった女達がいつも攫っていってしまうのだ。
 自分は指を咥えて見ているしか出来ない。
 ジョーを助けに行ったのは、半ば衝動的な自殺願望からだ。
 死ねば、女達のように彼の心の中に残れるのかとそう思い込みたかった。
 二度と、ビーナと心を通い合わせる彼の姿を見たくはない。ビーナは死んだが、第二、第三のビーナが出てきてもおかしくはない。女性はたいていクールでハンサムなそして影を背負った彼に心を寄せるものなのだから。
 





「何を、考えているの?J」
 客のくせに妙に自分に対して優しい男は、茫洋としたジェットの瞳を覗き込んだ。
 頬が触れ合うくらいに男の顔が傍にあった。噛み煙草独特の匂いがジェットの思考を強引に現実に戻す。金で躯を売っているという現実に引き戻されてジェットは心の中で自嘲する。
「ねぇ、J」
 男の噛み煙草の臭いのする口唇が近付いて来る。咄嗟にジェットは男の口を手で塞いでいた。嫌だった。どんなに金を詰まれてもキスだけは嫌だった。唯一、好意をもって彼が触れてくれた唯一の場所だけは大切に仕舞っておきたかった。
 地獄に堕ちたとしても、くだらない感傷だとしても、それだけは譲れないジェットのなけなしのプライドでもあったのだ。
「口唇だけは…って言ったろう」
 と笑みを零す。客に媚を売る男娼の笑みが自然と既に顔に張り付いてしまっていた。堕ちたいなら彼との思い出すら汚してしまえばよいのに、と思いつつもそれだけはジェットは出来ないでいた。
「だったら、僕と恋人になればいいじゃないか。一緒に住まないか、君には不自由はさせないよ」
 彼なら大切にしてくれるだろう。
 セックス的に満足出来なくとも、ジェットの我侭を受け止めくれるだろう。多分、かなりの独占欲を見せるであろうが、金の不自由もなく好き勝手に過ごせるが、今のジェットが欲しいのはそれではない。
 ただ、堕ちていきたいのだ。
 自分が何処まで堕ちていけるのかが、知りたい。
 このまま彼の忌むべき存在と成り果てるまで堕落して、男に抱かれることを喜ぶ淫乱などうしようもない男娼に成り果てて顔も見たくはないと、そう思われてしまった方が余程、イイ。
「……そうやって、だまされたヤツを俺は何人も知ってる。客とは恋愛しない主義なんでね。それより、支払う分は楽しんだ方がいいんじゃないのか」
 と男のぷてぷてとした脂肪で膨らんだ下腹部にペニスを擦り付けてみせる。男の唾液と、自らの愛液で濡れたペニスがぬちゃりと男の下腹部で音を立てる。触れられれば、男なのだから、感じる。感じなくとも感じているように演技することも、男娼のテクニックのうちだ。
 そう、いつも彼に抱かれることを想像して、淫乱な男娼として客に抱かれる。心の中では何を思って、誰を想っていたとして躯だけは男娼として反応することが出来る。
 それが幸か不幸か、ジェットが一番長く従事した職業が皮肉にも男娼であったのだ。






「フフ…。そうだね。夜は短いからね」
 と男の手がジェットのペニスに絡みついた。
 肥満体で腹の肉がぷてぷてと音を立て揺れる男の躯ではあるが、どうしてなのかこの男の手はいつも冷たかった。触れられるとひんやりとした感触が背筋を這い登っていく。眼を瞑って、耳を塞いで、ペニスに触れる冷たい感覚だけを追えば、情けないけれどもその手が彼の手であると妄想が出来る。
 一生、触れるはずのない彼のあの鋼鉄の鈍い輝きを放つ手の感触を想像出来る。硬いけれども、思いの外にその手は優しい動きをする。人を殺す道具だとは思えない、優しさに満ちた手だ。だから、その手が鋼鉄であったとしても、彼を愛したモノ達は誰もその手を拒みはしなかった。
 むしろその手に彼の優しさを見つけていたくらいだ。
 そうビーナが最後に伸ばした手は、迷うことなくアルベルトの差し出された鋼鉄の手を掴もうとしていた。
「っあああ……っ!!」
 自然と声が上がる。
 冷たい手の感触だけが、彼を彷彿とさせる何かであった。
 恋することの赦されない相手、でも、恋している気持ちを捨てることも出来ない。
 ただ、彼が自分を嫌ってその存在を抹殺してくれることへの希望しか持てない。
 都会の片隅で彼を思い出せる断片を拾い集めながら辛うじて日々を繋ぐジェットには、せめて、それに縋りたいのだと自らに強請る台詞を口にして、足を更に開げて男を誘った。



「もっと…、触ってぇ…ぇ、あん」





BACK||TOP||NEXT



The fanfictions are written by Urara since'02/11/28