赦されざれる者へ寄せる背徳の囁き2



 明日の天気を告げる若い女性のアナウンサーの声が次第に間延びしていくように聞こえる。昔のレコートープレイヤーの回転速度を落としたような声に反応してジェットはけたたましく笑った。
 楽しいわけではないが、堕ちて行く自分の無様さに笑うしかないのだ。自然と笑いが込み上げて来て、笑わずにはいられない。
 テーブルには錠剤の薬と飲みかけのビール缶、吸殻で満タンになった灰皿と、まだ封が切られてはいないコンドームが数個乱雑に置かれていた。ジェットは長い腕を横に滑らせて、それらを床に叩き落すと、再びけたたましく笑った。
 叩き落した中にテレビのリモコンが含まれていて、落ちた衝撃が天気予報を写していた画面を、流行の恋愛ドラマに変えていた。今風の男と女が全裸でベッドでセックスをしているシーンが出てくる。アダルトビデオのように過激なセックスシーンではないが、けたたましく笑っていたジェットの視線がそこに釘付けになった。
 昨夜、しつこい客にあんなに弄られたのに、ペニスがもう固くなってくる。
 今のジェットはセックスという単語を聞いただけで、躯が熱くなってきてしまうようになりつつあった。
 昔、年端も行かぬ子供が生きていくには躯を売るしかなかった。そうして生きてきた時代を過ごし、セックスでしか恋愛の相手を推し量れなくなってしまったジェットは男女と問わずに、享楽的なそれらに身を任せてきた。でも、それらに後悔があるわけではない。
 でも、今は堕ちる為だけに、躯を売っている。
 金の為ではない。金が欲しければ、他にもいくらでも働く場所はある。まともに働けば自分が一人食べていくくらいどうにでもなる。実際に、ジェットはそうやって少し前までは生活していたのだ。贅沢は出来ないが、ささやかな平和な暮らしがそこにあった。仲間達と時折、行き来をして互いの国を案内したりし合っていた。普通に笑い、怒り、喜び、どんなにささやかな生活が大切なのかを、働く喜びをジェットは初めて体験したのだ。
 でも、今はそんなことすら忘れてしまっている。
 ジョーと共に宇宙から落下した瞬間から、ジェットは堕ちることを心から望んでしまった。皮肉なことに自分の母親が、父親を亡くした後に娼婦になってしまった気持ちが分からなくはない。何処かで憎んでいただらしない母親が、今ではそうなのかと彼女の気持ちの一部が分かる気がしてしまっていた。
『ああ、愛してるわ』
 男に抱かれて女がそう身を仰け反らして答えている。わずかに動くシーツの下で何が行われているか、ダイレクトに想像させる男の腰の動きにジェットはごくりと唾を飲んだ。
 ジーンズのジッパーを下げると仕事には下着を着けていかないが故に、ジェットのペニスはすぐに顔を出す。それを自分で握ると、既に先端から涎を垂らすようにヌメル液体が流れて出て来ていた。
蝕まれつつある精神には理性はほとんど残っておらず、熱く滾る自分をどうしよもなく、ジーンズを取り去るとガラスのテーブルを跨いだ。下腹部に固いひんやりとした感覚が当たり、あの冷たい男の手を思い出す。
 自らの胸に手を這わせて、ペニスをガラスで押し潰すように何度も強く擦りつける。
 腰を前後に揺らして、口からは涎を零している瞳には既に表情などなかった。
「おい」
 掛けられる声が誰でもよかった。
 自分を惨く犯してくれる男でありさえすれば、強盗だって構いはしないのにと、声が聞こえる方向に視線を流すとぼんやりと黒いコートの男が見えた。銀色の髪が視界を捉える。どうしたと触れる皮の手袋の感触に意識が更に混濁して自分の良い様につい物事を考えてしまっても仕方のないことだ。
「ああ、アルベルト。抱いてくれよ」
 普段は皮の手袋をつけることが多い恋しい男の面影を其処にジェットは見出している。男は応えないけれどもジェットを抱き上げてくれる。外の冷たい冬の空気を含んだコートの感触が火照った躯に気持ちがイイ。
「…っあん」
 それだけなのに肌が粟立って、甘い吐息が零れる。
 抱き上げられて、ひんやりとしたシーツの上に投げ捨てるように落とされて重い男の躯が伸し掛かってくる。その重みが妙にジェットには嬉しかった。抱き寄せて、口唇を重ねる。苦い煙草の香りが潜り込んできて、硝煙の匂いが鼻を擽る。硝煙など嗅ぎ慣れた匂いだ。銃の扱いに慣れた人間にしか分かりはしない。
 いつも、恋しい男が纏っていた匂いと同じである。
 口唇を噛んで、淫らに舌を這わせて相手の舌に絡める。
 皮の手袋をいきり勃つ股間に導いて触ってくれよと大きく足を開いて見せた。男が笑っているだけで、なかなか乗ってこないのにジェットは焦れて、上体を起こすと自ら男のスラックスのファスナーを寛げて強引に男のペニスを引っ張り出すと衒いなく口の奥まで含んだ。苦い雄独特の匂いが広がっていく。
 毎日、味わっている味が、人それぞれに違いはあるが、それは自分が堕ちる為に必要な匂いであり、今のジェットには必要なモノであった。
 何度も出し入れをして、確実にそれを育てつつ自らのペニスを扱き、男が感じているのか確認しようと顔を上げると眉間に皺を寄せて耐えている。色の薄い口唇はへの字に結ばれていた。
 ああ、欲しい。
 自らのヌルメ愛液をアナルに塗りつけて、早急に強引に解していく。麻痺した神経はそれが痛いとは伝えてこずに、反対に気持ちが好くてたまらない、このままこの男に下半身から引き裂かれたくなってくる。
 ジェットは男のペニスを離すと、男に背を向けてベッドの上で四つん這いになって、両手で自分の尻を大きく割った。男の視線に柘榴のように赤く熟れたジェットのアナルの入り口が晒される。
 誘うように収縮を繰り返して、男が自分を貫いてくれないと更に自らの指で広げて内壁まで晒してみせる。
「ああ…、アンタのぶっといのぶち込んでくれよぉーー。アルベルト」
 ただ、それしか考えられぬ淫乱な男娼、そのものに成り下がったジェットはただ只管、腰を振って男のペニスを求めた。
 コートを着たまま手袋をしたままの男が、仕方がないと溜息を吐いて伸し掛かると、自分から腰を押し付けてまでみせる。男のペニスの先端が捻り込まれただけで、甘い声を明けで自らのペニスに爪を立てる。
「ああ、イイ……、ああん」
 ペニスが変形する程に爪を立てて、自らの乳首にも爪を立てて引きちぎりそうな勢いで摘み上げてみせる。
「ぁぁあ………、はっ、ぁあ、イタ…イイ、イタクして…アルベルト、惨くっあぁぁぁん」
 惨くして欲しいと声にならぬ声で、訴える。
 更に無理にペニスを捻り込むと背を逸らして歓喜の声を上げた。通常ならば、痛くて悲鳴を上げるような行為である。普段ならば、ジェットのアナルは傷付き使い物にならなくなるような行為であるのに、躯は喜び、もっととすら強請って見せていた。
「あん。もっと…、もっと、シテクレ、アルベルト。あんたをくれょっ!!」









 頭が痛い。
 ガンガンと鳴っている。
 隣の部屋のテレビの音ですら、気に障って仕方がない。
 頭を上げると吐き気と寒気が襲ってきて、思わず自分の肩を抱き締めた。
 締め切った部屋にはすえた青臭い臭いが充満していて、包まっているシーツも毛布も誰のものかわからない精液でごわごわとしていた。
 せめて煙草でも吸ってと手をサイドテーブルに伸ばすとかさりと薬の錠剤が手に触れた。
「そうだったっけ?」
 ジェットはようやく自分の状態を思い出した。
 いくつかある住処の一つであるこのブロンクスにあるアパートに戻る途中、顔なじみの売人から新しいMAMDが入ったといわれて、何気に買ったのが原因だった。このアパートで半同棲している目下の恋人は在宅しておらず、暇を持て余したジェットはその薬を試してみたのだ。サイボーグの肉体にはあまり薬は効かない。多少、気分が高揚する程度のもので、ジェットはこうして独りで居る時には時々、使うことがあるのだ。
 セックスと薬、堕ちるには必要なアイテムだなと、どんな状況であったとしても決して薬だけには手を出さなかった生身の頃の毅然とした彼はここには既にいなかった。
 拒絶反応を抑える為に投与された薬を思えば、MAMDぐらいと思っていたが、どうやら妙な方向で自分には効いたらしい。
 MAMDを3錠飲み込んだが、全く気分がハイになるどころかどんどん沈んでいく。テレビのドラマで恋人同士が熱いキスを交わしているのを見ていて、自分の躯が火照ってきた辺りまでは、どうにか記憶があるのだが、その後は全く覚えていない。
 誰かとセックスした痕跡あるが、どうやってしたかは全く記憶が残ってはいない。
 ひりひりとする乳首とペニスが結構、際どいことをしたことを伝えてくるが自分がしたのか相手がしたのか覚えがないのも困りもんだと自嘲する。
 ともかくシャワーでも浴びようと、ベッドから下りると今度はアナルが痛いと悲鳴を上げた。一瞬、その痛みに立ち竦んで、自分の荒れように苦笑するが、改めるつもりは毛頭ない。このくらいでは死なない躯なのだ。
 誰にも、連絡を取らずに動かなくなるままに任せたとしてもおせっかいな仲間は自分を探して、結局は無理矢理この世に繋ぎ止めようとするのだ。あのまま死んでしまっていればよかったと、あの後何度も思った。
 ジョーが生きてくれていたことは正直嬉しかった。
 少なくとも、フランソワーズの笑顔を見ていると、本当によかったと思う。ジョーさえ生きていれば自分が死んだとしても、少しは泣いたとしてもフランソワーズは強い女性だから生きていけると。
 自分の死を切っ掛けに二人の距離が縮まればとすら願った。
 生き長らえて、よかったと一度も思ったことがジェットにはなかったのだ。
 死ぬよりも、BG団との最期の戦いの苦しさよりも、何よりもビーナの名を呼んで死ぬ間際の女を抱き上げた彼の顔を二度とは見たくはなかった。
 いつも戦い時には表情が消えるあの綺麗な北海の海の彩りの瞳が、優しい光を湛えて女に向けられるそれを見るのは、もう嫌だった。死ねば、女達のように彼の心に残ると思った。だから、ジョーを助けに行ったのだ。
 心の何処かで、止めて欲しいと願いながらも、彼は自分を止めはしなかった。
 いつも自分が短慮で飛び出そうとすると、背後から腕を引いて諌めてくれた彼はいなかった。死んだ女への哀悼を背負った彼だから、自分を止められなかったのだとそうジェットは思ったのだ。
「ちっ!!」
 下品な舌打ちをして、自分のそんな思考を追い払うとそのままの格好でリビングに続く扉を開けた。








 其処には、今のジェットの恋人がいる。
 新聞を見ながら、テレビのニュースに耳を傾けて、ノート型パソコンを時折、覗き込んでいるいつもの姿であった。恋人は何をしているかは知らないが、まっとうな市民ではないことは修羅場を潜り抜けてきたジェットには感覚的ではあるが理解出来る。
 血の匂いとも硝煙の匂いは、一度、染み付いてしまったら簡単には取れるものではないのだ。
「起きたか」
「ああ」
 彼とはもう3ヶ月程度の間柄になる。
 客と待ち合わせてしていたバーで出会った。客に突然、仕事が入ったからとキャンセルされたところに声を掛けてきたのだ。アパートに独り帰ってすることもなしにと、そのまま別の店に流れても食事をして、久しぶりに金勘定抜きで男とセックスした。
 銀色の髪とブルーグレーの瞳が恋しい男を思い出させたからだった。
 身代わりでもいいさと、自分にはニセモノが似合いなのさと、そんな気持ちだった。でも、躯の相性は結構よかったし、何も、深くジェットの事情を追求しないところが気に入った。
 そして、半月も経たないうちにこのアパートで半同棲の暮らしをするようになったのだ。
 二人とも、このアパート以外にも住処は確保している。気が向いたら互いに此処に来るのだが、ジェットは今はほとんどを此処で過ごしている。男も仕事が絡まない限り、此処に居る。
 ジェットが男娼であっても蔑むようなことはしないし、そのことを口にはしない。
 ただ黙って此処に居てくれるのが、ジェットにはそれだけでありがたかった。独りではないからだ。独りで居ると、何時自分が自分の命を絶とうとするか分からない衝動が時折襲ってくる。
 少なくとも、誰かがいればそれを避けることが出来るのだ。
 自分で自分の命は絶たないと、フランソワーズと約束した、何があっても、生きてあの場所を出ようと誓った約束が其処にあったのだ。ジェットが唯一、大切に心に仕舞っている約束であった。
 独りで荒んでいて、何時、死んでもいいやと自棄になっていた自分に、『だったら、あたしの為に生きて、自らの命を絶つような真似だけはしないで…』と翠色の瞳に涙を一杯に貯めて、ジェットをあの細い躯で抱き締めてくれた彼女との約束だけは敗れないし、破りたくはない。
 ただ、似てるだけだ。
 髪の色や、瞳の色、顔の輪郭とか、親戚と言われれば通るくらいには似ている。でも、本物の彼ではない。
「ああ、ジェット」
 前を通り過ぎてバスルームに向かうジェットを、落ち着いた声で呼び止める。口調は似ているが、恋人はドイツ語訛りの英語は使わない。
「ああん?」
 返事をしてみるが、口の中でねばねばして気持ちが悪い、早く風呂に入ってすっきりしたいばかりだ。
「アルベルトが誰かは知らんが…」
 その名前にジェットの躯が、一瞬強張る。
 大きく目を見開いて、何処か脅えた表情が過ぎるが、恋人は見なかった振りをする。追求したところで、ジェットは話さないし、此処にジェットが居るから聞く必要がないと思っているのだ。
「ああ、オレが落とそうと思って、落とせなかった唯一のオ・ト・コ」
 とふざけて誤魔化そうとしてみる。まるっきり嘘ではないではないと、ジェットは自嘲を語尾に添えた。それに対して、男は容赦がなかった。それがジェットがこのオトコを気に入っているところなのである。
「そんなことはどうでもいいが、俺とセックスしてる間に他の男の名前を呼ぶな」
 ああ、それは自分が悪かったとジェットは謝る。そして、薬でラリってたと言うと男はそうかと答えるだけで、薬を止めろとは決して言わない。せいぜい、役に立たなくならない程度にしておけとの忠告を寄越すくらいだ。
 ここが男の優しさなのかジェットに対して、其処までの愛情がないのか、そういうことを恋人に求めない性質なのかは分からないけれども、とにかくジェットにとって、深く立ち入らない現在の恋人は、大変都合のよい相手であった。
「萎える?」
「当たり前だ」
「だったらさ。風呂から出たら、あんたの名前呼びながら、ちゃんとセックスしようぜ」
 と振り返りもせずにジェット言うと背後に居る恋人に手を振って、バスルームへの扉を開けた。これ以上はアルベルトについて語るつもりはなかったし、話したくもない。さっきベッドで独り悶々とこうなる以前の自分と向き合ってしまったから、これ以上はゴメンだ。
 そして、ろくに返事も聞かずに扉を閉める。
 些か乱暴に閉められたドアの音に男は不機嫌な表情をあからさまにする。
 ジェットの答えがいい加減なのが、嫌ではなくてドアの音が不快に思えたからだけなのだ。
 暫く閉まったドアの向こうから水の音が聞こえて来るのを確認して、ノート型パソコンの電源を落として、新聞を几帳面に畳むと、テレビを消して、テーブルの煙草を引き寄せた。それはアルベルトが愛飲している銘柄と同じものである。
 火を点けて深く紫煙を肺に落とし込むと、視線をジェットが消えた扉へともう一度戻す。
 まるで煙たいと言うように、眉間に深い皺を寄せる。思考に耽るとも、不機嫌とも取れる表情であった。
「淫乱」
 と男は煙草の煙と共に、そんな呟きを宙に吐き出していた。





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