この広い世界の片隅 『The people of naturalism(2002年4月28日発行)』より



 ブー、ブー。
「誰だ」
 ジェットが壊して行った窓ガラスを見詰めたまま、つい現実逃避を計っていた俺だが、このままじゃあ、ラチがあかないと思い始めたちょうどその時だった。
 たいたい、俺のアパートに訪ねて来る物好きはジェットぐらいもので、00ナンバーでも、UE在住のブリテンがドイツビールを飲みに、2度ばかり遊びに来たぐらいだ。それに、世間では、俗に言う夕食の時間で訪ねて来るような友人もいないし、変な訪問販売だったら、悪いが八つ当りさせてもらおうと、ドアを開けた俺の目の前には、真っ赤な物体が立っていた。一瞬、ジェットがジェロニモに振られて戻って来たのかと思いきや、恐る恐る顔を確認して別人であることに安堵の溜め息を吐いて、しゃがみ込んでしまいそうになったのを神様だって、許してくれるだろう。
「あのぉ〜〜」
 俺の目の前には真っ赤な防護服を着て、防護服と同じ素材で作られた少し大きめの鞄を持った009いや、ジョーが所在なげに立っていた。
「まあ、とにかく入れ」
 この格好のままアパートの廊下で立ち話もなんだと思って、部屋に招き入れたんだが、招き入れてからジェットの所業を思い出す。
「どうしたの?」
 部屋に散らばる窓ガラスの成りの果てを見たジョーは心配そうな瞳で俺を見詰める。こいつは、確かに、そうなんだか、戦いが絡むと優秀なサイボーグとしての戦闘能力をいかんなく発揮できるのだが、私生活においては、それはもう絶滅した日本の幻想、大和撫子のような存在なのである。ジェットがペットなら、ジョーはマドンナってところだろう。
 ジェットの笑顔にも癒されるが、ジョーの笑顔にも癒される。001だとして、フランソワーズにではなくジョーに母性を求める節があるくらいだ。ジョーに涙ぐまれると自分が悪くなくても、つい自分が悪うございましたと言いたくなってしまうから恐ろしい。ある意味、ジェットに懐かれるよりも怖い存在かもしれないのだ、この島村ジョーは。で、このマドンナの憧れの君は遥かアフリカで故国の再建に情熱を燃やしている。フランソワーズが知らせてくるには、ジョーは何かと作って送っているらしいのだ。切っ掛けはピュンマが日本の冬は寒いとの言葉に、ジョーがピュンマにセーターを編んでやったことに始まる。もっとも、これを見ていたジェットがセーターを編みたいとはた迷惑なことを言ったのである。まあ、それは置いておいてだ。
 セーターだけで終わるはずもなく、セーターの次はカーディガン、靴下、マフラー、帽子、手袋、挙句には腹巻まで編んでプレゼントしたらしい。その度に、俺のところにどんな色使いがいいかとか相談には来ていたが、ジェットのそれと比べれば、些細なことで、幸せになれよとエールを送ってやれる程度の余裕も俺にはジョーに対してはあったんだ。
「ジェット…だ」
 俺の台詞に大変だったんだね。休んでて僕が片付けるからと、てきぱきと一度も家に来たことがないにも関わらずジョーは、掃除機や新聞紙、ガムテープを出してきて窓ガラスの破片の回収といつも、ジェットに割られる窓の防御策として、ホームセンターで買っておいたベニア板で塞ぐと、ちょっと着替えさせてねと俺のアパート唯一のもう一つの部屋に姿を消した。
 さすがに00ナンバー随一の家事の達人だけあって、手際が良い。これまた、速攻の早さで着替えたジョーは両手に抱えるようにして沢山のタッパを持っていた。
「ちょっと、冷蔵庫とキッチンを借りるね。どうせ、ジェットが来てたんなら、夕食もまだなんでしょう?いくらアルベルトでも、独身の男の一人住まいじゃロクなもの食べてないんでしょう。僕が日本で色々と作って来たから、出すからちょっと待ってて…」
 と、ジョーは俺に口を挟む間も与えずに、キッチンを我が物顔で使い始める。仕方なく俺はソファーに腰を下ろして、ジョーが忙しそうに立ち働く姿を見ていた。この気の回り方は、男の気の回り方じゃなくって、完全に女のいや、主婦の気の回し方そのものなんだよな。お袋的って言うか、彼女的。つまり、ジョーはその愛らしい子犬のような容貌もあるのだが、性格ははっきり言って唯一の女性の仲間であるフランソワーズより女らしく淑やかなのである。奥さんにしたらさぞ、自慢の奥さんになるだろうと00ナンバーの間ではもっぱら噂だ。
「はい」
 ジョーは俺の好物の烏賊の塩辛を小さなガラスの皿に盛り、ビールを出して、灰皿まで用意してくれる。至れり尽せりのジョーの気遣いにジェットの面倒を見るのに、いや、正確にはジェロニモのセーターを編まされてしまった疲労感が少しだけ飛んで行く気がする。料理の美味い嫁サンもらったらこんな風なのかと、男の結婚へのロマンを擽るようなシチュエーションだった。俺だって、死神とか冷酷とか言われるが、普通に普通の生活に憧れるだけの精神的なゆとりってやつは持ち合わせている。
 好物の塩辛をつまみながら、ビールを飲み、煙草を吹かす。もう最高だなぁ〜。俺幸せだよぉとすっかり寛いでいた俺の目の前にこれでもかと料理が並べられて、最後にジョーが俺の隣に座った。
「ねぇ、アルベルト。僕もビール頂いていいかな?」
 と小さなグラスを差し出した。俺はドイツ流の注ぎ方でビールを注ぐと、ジョーは頂きますと軽くグラスを掲げて、一口飲んだ。そう言えば、ジョーが、酒を飲んだところなど見たことがなかったが、ドイツビールは性に合うのか、ちびちびと飲んでいる。ドイツのビールは美味いぞ。堪能して帰れと歓待をし、俺達は、飲み、食べ、心地好い一時を過ごしていた。ジェットが去った後の嵐のような状況を考えれば、穏やかな一時で、俺はとても満足していたのだったけれども、神様は余程、俺に休息を与えたくないらしかった。
「アルゥ〜〜」
 突然、目元を赤く染めたジョーは俺に抱き付くようにして上体を凭せ掛けて来た。ビールのせいか潤んだ茶褐色の瞳がなかなか色っぽいじゃないかと、思っていた俺の首筋に抱き付いて来る。おい、どうしたジョー。この手のスキンシップはジェットならともかくお前は苦手だと言ってたじゃないか。
「僕、嫌われたかもしれない」
 誰にと言わずとも、分かる自分が俺は凄く嫌だったのだ。第一、ジェットはまず、俺のところに泣き付きにくるケースが多いが、ジョーの泣き付き先はフランソワーズじゃないのか。あの女、自分の可愛い弟ぐらい面倒見てやれとと心で毒づいて見せるが、フランソワーズはここにはいない。明日、朝一、速攻で国際電話で文句の一つも言ってやろうと心のメモにそう書き付けていた俺の目の前で、ジョーは大粒の涙を流して泣き始めた。
 泣き声もさせずにハラハラと涙を流す姿に、仕方ねぇじゃねぇか。俺に限らず、00ナンバーは弱い。喜怒哀楽の激しいジェットとは違い。嬉しい時にははにかみながらも密やかに笑ったり、人の為に泣いたり、テレビを見ていて、三文ドラマ如きで泣いてしまうような涙腺の弱さに、つい手を差し伸べて、抱き込んでしまいたいとの男の騎士道精神を巧く擽るのだ。本人は無意識のうちにやっているのだろうか、本当に守ってあげたい乙女のような清らかさがジョーにはある。
 駄々を捏ねて拗ねるジェットにも弱いが、泣くジョーにも俺は弱い。ジョーは実は俺の3番目の妹に良く似ている。外で遊ぶよりも、家で料理をしたり洋服を作ったり、編物をしたりが好きで、将来はお兄ちゃんみたいな人のお嫁サンと言っていた兄弟の中でも一番、美人な自慢の妹で、ちょうど、同じ茶褐色の髪と瞳と、特に恋愛に関しては純真無垢な姿が本当に良く似ていて、俺の構いたいというスイッチを入れてくれてしまう。
 そのまま回れ右をして、疲れて眠ってしまった振りをしろアルベルトと囁く自分と、可愛そうじゃないかわざわざ、ドイツまで来たんだぞ、話しくらい聞いてやれよと言う自分が葛藤していたが、俺の腕は勝手に本人の意志を無視して、ジョーの背中に回っていた。だから、大丈夫かと俺が俺自身に突っ込みする間もなく俺は口を開いていた。
「どうして、そう思う?」
 ジョーはもう1ヶ月も連絡がないのだと言う。何か荷物を送ると、必ず電話や手紙が届くのだそうだ。内戦が勃発したとも聞かないし、自分がいらないものばかりをお送り付けて呆れているのではと、そう言い始める。別に、ピュンマは嫌がっていなかったぞ。彼とはよく戦術論を戦わせていた仲で、その旺盛な知識欲と幅の広い人間性に俺なりに敬意をしめしていた。ジョーにもらったというカーディガンを似合うと誉めたら、擽ったそうにして喜んでいた。こんなによくしてもらったのは始めてで何かを作ってプレゼントをしてもらうことはとても嬉しい。特に好きな仲間からだと、その嬉しさもひとしおだと、本当に大切にしていた。そんな彼が、ジョーを嫌うはずもない。第一、黒き大地の声を聞ける男に誰かを嫌う、特に仲間を嫌う思考回路は存在してはいないだろう。
「届いてないんじゃないか??」
「それはないよ。だって、毎回、僕がピュンマの家の前までちゃんと持っていってるもん」
 やっぱりだと、俺は頭を抱えた。それが問題なんだ。国際郵便で届くならまだしも、どう見ても毎回ジョーが届けてますと言う風体の荷物が届けば、どうして、自分に会って帰らないのだろうかとあの情熱的な男はそう思うはずだ。実際、俺のところに、ギルモア博士に支給された緊急連絡用のGPS携帯を使って連絡を取って来た。ジョーが色々作って持ってきてくれるのだが、荷物だけを置いて帰ってしまうのだと、随分深刻な声で電話して来たのは、ジェットが泊まり込みで最後の追い込みをする少し前のことであった。ジェットも大概、馬鹿だと思うが、ジョーも大概馬鹿だ。頼む、フランソワーズ、ちゃんとジョーの面倒ぐらい見てやれよと、溜め息を吐く俺を誰も決して責めないでくれ。
「フランソワーズにちゃんと相談したのか」
「フランなんか、フランなんかぁ〜」
 と、ジョーは今度はおいおいと声を出して泣き始める。絶対、今週は厄日だ俺の運勢は最低最悪を辿ってるかもしれない。ジェットは取り敢えず、当分、2、3日はジェロニモが留めておいてくれるはずだ。何なら、適当に理由をでっち上げて、滞在させるように仕向ければイイ。ジョーの問題も本人同士に押し付けて、俺はドイツで独りで穏やかな生活が送りたいんだってぇの。
「フランなんか、何でも、相談してね…って言ったのに…張大人の店の手伝いが忙しいからって…。僕なんか独りで博士と001の面倒見てて、出掛けるって近所のスーパーぐらいだし、友達もいないし……。ピュンマには会えないしぃ〜」
 とここまで言って、またも泣き始める。つまりはだ、単身赴任の夫を待つ、新婚妻と一緒の状態ってやつなのだ。子供と舅の世話に追われて、旦那との逢瀬もままならない。唯一の相談相手は仕事で忙しくて全然、相談に乗ってくれない。たまりに溜まった、ストレスを爆発させるなら、ピュンマのところにいけよ。んでもって、撫で撫でして甘えさせてもらえばイイじゃないか。俺のところはお前の実家じゃないってぇの。どうして、ジェットも、ジョーも俺のところに来るんだよ。
「こんなことなら、俺、アルベルト好きになれば良かった」
 それは、困るぞ。絶対に…困る。端から見てるのは楽しいが、お前達二人とは恋愛したくない。それでなくとも、こんなに迷惑を掛けられている俺がどうして、おまえ達と恋愛しなけりゃならんのだ。そんな俺の心情を知らないジョーはおいおいと俺のシャツに縋って泣いている。
 確かに、こうして泣く姿は可愛い。その辺りの女より色気はあると思う。けれどもなあ、相手がピュンマじゃ、その色気も通用はしないんだな。少なくともピュンマの恋愛考の中には同性愛の項目はないらしい。前に何気に一応、探りを入れた時、仲間に同性愛者がいたとしても構わないが、自分は女性しか好きなれないと断言をしていたしな。よもや、自分にそういう感情を向けられているということも自覚ないし、知ったら、多分、禿げるほどに悩むに違いない。下手をしたら心理学を専門的に学び、ジョーに対して、君の僕に対する云々と講義を始めかねない真面目さ加減なので、それも御免蒙りたい。そうしたら、絶対、俺も巻き込まれるに決まってんじゃねぇか。おい。
「でも、僕、ピュンマが好きなんだもん」
 だから泣くなっての。潤んだ目で見るなって、妹思い出しまうじゃねぇか。そしたら、つき放せなくなっちまうから、止めろって、て言っても通じねぇしなと俺は心で溜め息を漏らす。ホント、お前が女の子で、ピュンマに好きって言ったら間違いなく目出たくゴールインだけどなぁ。男ってのがネックだよなぁ。それを教えたら、ぜってぇ、ギルモア博士に頼み込んで性転換手術受けかねないから、こいつだけは黙ってないと偉いことだ。そうなんだ。家事一般に秀でたジョーを見て、ピュンマは女の子だったら、恋人にしたいよねとそうぽつりと漏らしたことがある。口が裂けても言わない方が無難だ。世の中には黙ってた方がいいことは山のようにあるんだ。
 そうだ。三猿になるんだアルベルト…、なれるわけねぇ。きっと、明日の朝の太陽も多分、黄色なんだろうなぁと思う俺の目の前でジョーはまだしくしくと泣き続けていた。





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From 'The people of naturalism' of the issue 2002/04/28