愛が輝く海の夜明け 『New year's pine decoration(2003年5月11日発行)』より



『ジェット』
 温かなベッドでまどろんでいる自分が居る。
 優しく頬に触れる手は固い鋼鉄の手だけれども、自分にとっては温かなものに感じられる。その感触を味わいたくて首を傾げるようにして鋼鉄の掌に自らの頬を寄せた。
 閉じた目蓋に落とされた羽根が触れるようなキス。
 先刻まで、爆風よりも激しい劣情の嵐で翻弄しておきながら、同じ男の齎すものとは思えない程に、それら触れる全てが優しさと愛しさを含んでいた。
 彼の慈愛に満ちた柔らかな、北の海に注ぐ太陽の光の如くの彩りを湛えたその瞳が見たくて眠いとストライキを起こす目蓋を強引に抉じ開けると、想像していた通りの彼が目の前にいた。
『アル』
 薄っすらと開いたジェットの瞳に向かって、何も心配するなとの意味を込めた笑みを送ってくれる。
「まだ、寝てていいから」
 と、目蓋にお休みのキスを落としてくれる。
 そんなキスがジェットは好きだった。愛情に恵まれなかったジェットはベッドに入って、おやすみと優しくキスをされた経験などあまりなかったから、アルベルトにそうされるとくすぐったいけれども、ほんわりとした気持ちになれる。
 うんと頷いて、ジェットは再び、瞳を閉じる。
 アルベルトはきっちりと服を着て、出掛ける準備をしていた。そして、自分にも寝巻き代わりのスゥエットを着せてくれてある。それを毛布で寒くないようにとしっかり包んで、起こさないようにそっと抱き上げる。
 眠っていてもアルベルトに触れられていることは分かる。
 こうして、甘やかされる気分は悪くない。
 喧嘩したり、行き違いで言い争いをしたりした後は、いつもこうして蕩けてしまう程に優しくしてくれるのだ。まるで、お姫様に仕える騎士の如くに傅いて、抱き締めてくれる。
 だから、ジェットはアルベルトと喧嘩することが嫌いではない。
 四六時中は困るが、たまには良い刺激だ。
 意地っ張りで頑固な彼は謝ることが苦手だ。自分も意地っ張りで頭を下げることは得意でないけれども、話しを逸らせてしまうのは割りに得意だと自分では思っている。だから、自分もごめんなさいとは言わないけれども、彼の気を逸らしてしまうことは出来る。
 こうしていつも喧嘩していた事実から目を逸らしてあげると、仕方ないというポーズをとりながらも結局、元の鞘に納まるのがいつもの自分達の仲直りの方法なのだ。
 いつも、そうやってジェットに切っ掛けを作らせていることをすまないと思っているから、甘やかしてくれるのだ。でも、ジェットも蕩けるようなアルベルトの愛情の掛け方が欲しいから、自分から歩み寄れる。
 それを知らない、アルベルトが少し可愛いと思えるのだ。
 自分よりずっと大人なのに、自分との恋愛に余裕がないと匂わせる態度が好きだ。そこまで自分を思っていてくれる証拠なのだから、ジェットにはそれが嬉しい。
 そうしている間に、二人で眠っていた部屋の扉が開かれる。
 何処に連れていってもらえるかは分からないが、でも、きっと、素敵なことが待っているとの予感がジェットにはあった。目を開けた自分を驚かせようと色々と画策している彼が愛しくて、次に目覚めた時は少し得意げな彼を見たくてジェットは再び、眠りへと意識を沈めていった。










「ジェット」
 何度も、名前を優しく呼ばれる。
 頬に触れる鋼鉄の手はいつものように冷たくはなく暖かかった。心地良い一定のリズムを刻む振動が思ったよりもジェットの眠りを深くしていたらしい。
「着いたぞ」
 そうアルベルトは覚醒しかかっているジェットに耳に口唇を寄せて囁きを落とす。蓑虫のように毛布に包まれていた右手を出して、目を擦ると僅かな笑いが温かな空気を通して伝わってきた。
 寝起きは決して悪くはないのだが、起きた端のジェットを見ると、仲間達はどうしてだか笑うのだ。髪が跳ねているのはいつものことで、これは癖だから仕方ないのだが、それは違うと言う。笑っていないとは言うけれど、その雰囲気は優しい笑い声を含んでいるのだ。
 起きた端のジェットの仕草はまるで、小さな子供のようで優しい気持ちになれる。目を擦り、口唇を尖らせて、何処かぼんやりと焦点の合わない瞳を見ていると、自然と顔が笑みを作り、つい彼を抱き締めたいと誰もが思ってしまう程に無防備なのだ。
「アル」
 コーヒーの香りが辺りに漂い、目の前にはプラスチックのコップに注がれたコーヒーが差し出された。
 猫舌のジェットは、ふうふうとコーヒーを覚まして、ちょっとだけ口に含んでみるがやはり熱かったらしく熱い熱いと独りで騒いでいる。そんな様子を見ていたアルベルトはまたも、穏やかな笑いを零して、それは振動となってジェットにも届いた。
 反撃してやろうかと思うが、まだ起き抜けでただでさえ少ないボギャブラリーのライブラリーはクローズしていた。仕方ないなと、外に視線をやるとフロントガラスの向こうは広い海原であった。
 高い崖っぷちにアルベルトが運転して来た車は止まっていたのだ。
 辺りを見渡すが、自分達以外には誰もいない。
 薄く紫のかかる雲と暗い墨のような海のコントラストがとても美しい。ジェットの知っている海は沢山あるけれども、でも、初めて見る色合いの海であった。何も、特別な場所ではないありきたりな場所の海が、アルベルトが隣にいるだけで、こんなに綺麗に見えることがとても大切なことのように感じられる。
「オマエと、初日の出がみたくてな」
 と少し照れた様子で鼻の頭を掻く、そして照れているのを誤魔化すかのように煙草を取り出して火をつけると、狭い車内にアルベルトとの口付けの匂いが急速に広がっていった。
「新年に太陽が昇るのを見ると、良いことがあるらしい」
 そう言いつつ、アルベルトは車内についているデジタル時計に目線をちらりと走らせた。
 時刻は6時45分を回ったところであった。
「あと、どれくらい?」
「海上保安庁からの情報によれば、後、5分程だな…」
 彼は時間まで調べていたのだろう。そして、この場所も彼が何かの折に見つけたに違いない。ギルモア邸からどれくらい離れているのか検討もつかないけれども、でも、自分との特別な時間を過ごす為に、色々としてくれるその気持ちがとても嬉しい。
 多分、門松を作っている時に喧嘩してから、きっと色々と仲直りの切っ掛けを彼なりに考えていたのだと思うと、大切にされていることが心を擽る。
 少し冷めたコーヒーを一口飲む。
 ぼやけていた思考が徐々にクリアになっていくのが、海と空が混じる地点の明度が急速に増すのと同じ速度であることにジェットは気が付き、そのことが妙に嬉しかった。
 コーヒーをカップホルダーに置いて、右手をアルベルトのハンドルに掛かっていた左手に沿わせると、海に固定されていた視線がジェットの元に戻ってくる。その右手を口唇に持って行き、小さなキスを落とした。
 そして、ゆっくりと腕を伸ばしてジェットを自分の方に引き寄せると、当たり前のようにジェットの躯が凭れかかってくる。程よい重みが、アルベルトのふらふらとする心の錨のようになり、落ち着いていられる自分になれる気がする。
 少し尻をジェットの方にいざらせて彼が無理な体勢にならぬようにと、その体温が感じられる距離まで近付いた。
 さっきは、男の本能の赴くままに抱いてしまったから、その分、いや喧嘩をしてしまった分も大切に扱ってあげたい。
 毛布ごとしっかりと抱き寄せて、二人は同じ朝日を見詰める。
 海と空が混じる地点から光が零れるようにして、太陽が顔を覗かせようとしている。
 毎日のように太陽は昇るのに、それは当たり前ことなのに、新しい年の太陽は違う気がする。通常に見ている太陽よりも、清廉な光を湛えているように見えてしまう。
 まるで、いつも迷いながら生きている自分の歩むべき道を、照らしてくれるジェットの放つ柔らかな光のようだ。いつまでも、太陽が昇り続け、人々を照らし続けるように、何時何時までも迷える自分を照らす太陽であってほしいとそう願いを込めて、抱き締めた恋人に愛の言葉を囁いた。
『これからも、ずっとお前と新しい年を迎えられたら……』
 ジェットはそれに小さく頷いた。
 そして、二人は躯を寄せ合ったまま飽きることなく、天空に上っていこうとする太陽の力強い輝きを何時までも見詰め続けていた。
 死が二人を別つその瞬間まで、共にあることを神ではなく自分自身に誓いたいと、二人は心でそう思った。





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From 'New year's pine decoration' of the issue 2003/05/11