パパとボクの素敵な休日



 穏やかな春の風がそよぐ。その感触は人工皮膚であっても心地好く感じられて、アルベルトは目を細めた。背中にある温かな存在が零す小さな寝息に荒んだ心が癒されて行くようにすら感じるのだ。
 メンテナンスで日本を訪れたアルベルトは、残りの余暇もギルモア研究所に滞在することを決めていた。
 そして、どういう巡り合わせだが、イワンの面倒を見ることを我等が女王様からお願いされてしまったのである。普段は張々湖飯店の看板娘として、日々忙しいフランソワーズに代わってジョーが面倒を見ているらしいが、そのジョーもギルモア博士のお供で出掛けることになり、たまたま、来日していたアルベルトにイワンが託されたのである。
 アルベルトは13人兄弟の長男で、幼少の頃から弟や妹達の世話をして来て、孤児院で自分達より小さい子供の面倒を見てきたジョーと良い勝負な程に子供の扱いには長けていた。
 イワンは実を言うと、下から3番目の弟の赤ん坊の頃と良く似ている。赤ん坊などどれも似たものだと思いがちだが、なかなかに個々で個性があるのだ。アルベルトは弟や妹達を見て来たから、それを良く知っていた。
 アルベルトは肩に掛けた黒いビニール製のチープなバッグをベンチに置く。中には、着替え一色と、粉ミルク、哺乳ビン、湯の入った水筒、タオル、お尻拭き、紙オムツが入っていた。イワンのお散歩一式セットだとジョーに説明を受けた品々であった。ちゃんと整理されたそれを見て、ジョーの几帳面さにらしいとの笑みが零れてしまう。
 そんな鞄を置くと、背中に負ぶわれて眠っているイワンを起こさないようにそっと下ろして、膝の上で抱いた。
 青みの強いシルバーグレーの髪が額を隠し、ふくよかな頬には僅かな赤味が差している。時折、もごもごと口を動かしておしゃぶりに吸い付くイワンは本当に福与かで愛情をたっぷり受けて育った幸せな赤ん坊に見えるのだ。
 けれども、彼はそうではない。
 自分達は躯に機械を埋め込まれて改造されたが、イワンはほぼ生身のままで、脳だけを生体改造されている。つまりは、サイボーク00ナンバーの一人でありながらも、自分達とは一線を画する存在なのである。彼がまだ、少年であったらまだしも、イワンはまだ、1歳にも満たない赤ん坊なのだ。大人以上いや、天才的な頭脳と未知数の超能力を持ち、けれども、感情的には未発達な彼はある意味、頼れる存在でもあり、守ってやらねばならない存在でもある。
 特に13人兄弟の長男で育ったアルベルトには戦闘時を除けばイワンも普通の赤ん坊と代わらない。
 殺伐とした心持に襲われても、イワンを見るとふと心が和むこともある。確かに、時には、大人達が頭に来るようなことも平気で口にするが、感情が未発達な分仕方がない。特にジェットとは、まるで、兄弟喧嘩に似たやり取りも間々繰り返すが、アルベルトにとっては、捨て去ったはずの保護欲がむくむくと頭を擡げさせてしまうのだ。
 困ったものだと、苦笑してみるものの不思議と嫌ではない。
 イワンの小さな手がもそもそと動き、何かを探すように動かされ、アルベルトのシャツに触れるとまるで、縋るように握り締めた。まだ、母親や父親の存在が必要だ。普通なら、母親の温かな胸に抱き締められていていいはずの赤ん坊なのだ。せめて、こんな時くらいはと、その小さな手の甲に指先でそっと触れる。
 自然と笑みが零れて、温かい気持ちになれるのは、天気が良いからだけはないだろう。
「あら、イワンちゃん」
 アルベルトはじいっとイワンの寝顔を見ていた為気付かなかったが、3人の主婦らしき女性に囲まれていた。いつも、この公園に散歩に来ると聞かされていたから、顔見知りのくらいはいるだろうと、アルベルトは一応、頭を下げる。
「今日はパパと一緒なのね」
 三人の主婦は嬉しそうにイワンの頬を指先で突ついている。イワンも起きる様子はない。15日間起きていて、15日間寝ているが、ずっと寝たままというわけではないのだ。お腹が空けば起きるし、起きているはずの15日間でも、昼寝くらいはする。今は、起きている15日なのだが、眠っていると言うことはイワンにとってはお昼寝タイムということであろう。だからして、主婦の正体もイワンには聞けない。
 困ったなと、眉を寄せると、一人の主婦がアルベルトに声を掛けた。
「ごめんなさいね。いつも、高校生くらいの男の子がいつも、イワンちゃんを連れて来ていてね。ちょっとした、お知り合いなのよ」
 主婦の説明に何、そうなのか、やはり知り合いなのかとアルベルトは安心をする。確かに、イワンを赤ん坊として見た場合可愛らしいと思うはずだ。特にふくふくとして頬には幸せが詰まっているようでつい突ついてその幸せを弾けさせたい気がする。
「ホント、パパ…そっくりね」
 嬉しそうに主婦の一人が言う。
『パパ?』
 日本語で話していても、アルベルトには何を言っているのか分かっている。脳内に埋め込まれた翻訳機がそれを伝えてくるのだし、ジョーから日本語を教えてもらったアルベルトは観光旅行程度なら不自由しない程度の日本語はマスターしていた。
「ほんと、髪の色もそっくりだわ。ほら、耳の形も良く似てる」
「どれ…」
「ほんと、ホント」
 主婦達はアルベルトに口を挟む間も与えない、ジェットが三人くらい居るようなマシンガントークでああでもないこうでもない。ここが似ていて、あそこが似ていないと、あれやこれやと盛りあがっている。
 生真面目なアルベルトはここから逃れられない。
 一応、知り合いであるのだ。イワンを連れたジョーが世話になっているかと思うと、つい邪険に出来ないのだ。
 曖昧な笑いを零しながら、一応は、時折自分に向けられる質問に相槌を打っている。
「あらぁ〜、ほら、イワンちゃんが起きたわよ」
「ホント…」
「何時見ても可愛いわよね」
 あんた達が起こしたんだろうとの突っ込みを入れる間もなく、再び、マシンガントークが始まってしまった。
 どうしようかと途方に暮れ始めたアルベルトに救いの手が述べられたかのようにイワンが泣き始めた。突然の泣き声に主婦達は少し、驚き、そして笑った。
「あら、ごめんなさね。パパと一緒、邪魔したら…怒れちゃうわよね」
「そうね」
「また、ジョーお兄ちゃんと一緒の時に遊んでね」
 と主婦達はそそくさとその場を去って行った。
 彼女達の姿が完全に見えなくなった瞬間、イワンは泣き止んだ。
「どうした?うん。ミルクか?」
『違うよ』
 頭に響いてくるのはイワンの声だ。まだ、赤ん坊でうまく話せないイワンはテレパシーで話し掛けて来る。感覚的には脳内にある通信機を使っているのとあまり変わらない為に、今は然程の違和感はないが、最初は自分の頭を覗かれているのではという感覚が随分と抜けなかったものだ。
『あの人達ね。いつも、ジョーと来ると色々と世話してくれるんだ。五月蝿いけど、イイ人達だよ』
「聞いてイイか?俺、いつから、お前のパパになったんだ」
 アルベルトは先刻からずっとある疑問を当事者のイワンにぶつけてみる。独身の自分がどうして、何時の間にやら、子持ちになるんだと、つい眉をしかめるのが、独身男の性であった。
『だって、ジョーがパパじゃ変でしょう?』
 確かに、変だ。高校生の父親、しかも、日本人に見えるジョーとどう見ても、日本人には見えないイワン取り合わせは親子と言うには奇妙である。兄弟というなら、父親と母親が連れ子を連れて再婚したとか、色々と憶測の余地があるものだけれどもと、つい、ドラマのようなことを考えてしまうアルベルトに罪はない。
『それに、パパにするなら、アルベルトがいいな。僕わね』
 と心なしか嬉しそうなイワンの声に俄かパパも悪くないと思う。
「で、ママは誰?なんだ?」
『僕的にはね。ジョーって言いたいんだけど。ちょっと無理でしょう?だから、ジョーは遠縁のお兄ちゃんで、お母さんが病死して、お父さんは仕事で忙しくって、ジョーの所に預けられていっていう設定なの』
 設定なの?といわれてもとアルベルトは苦笑する。
 イワンにそう言われるとまあ、いいかと思える自分もどうかしていると思うが、楽しそうなイワンの弾んだ台詞回しに、これ以上、追求しても仕方なしと思える。取り敢えずは、愛しい嬰児が孤独に苛まれることなく笑っていられるなら、俄かパパでも、引き受けてやろうとアルベルトはイワンをしっかりと胸に抱き込んで、晴れ渡った空を見上げると、青い空に小振りの飛行機雲が綺麗な直線を描いていた。
『でもね。アルベルトの恋人がママなんて短絡思考は御免だよ。だって、ジェットがママなんていただけないじゃない。ジェットは嫌いじゃないけど、ママって言うより、弟だよ。それに、いつもアルベルトを一人占めするところもイヤだな。だって、アルベルトは僕のパパなんだからね』
 そんなイワンの台詞にアルベルトは込み上げる笑いを止められないでいた。こうして、ちらちらと覗く幼いイワンの言動が妙に微笑ましく、愛らしいと思わせるのだ。確かに、ジェットはママと言うより、精神年齢的には、兄弟に近いのかもしれない。でも、そんな遣り取りがイワンには良いことだと、大家族で育ったアルベルトはそう思うのだ。
 それが結果としてイワンとの孤独を癒してくれることにもなるのだ。
 あの我が侭で、手の掛かる恋人もたまには役に立つものだと、遠いNYの空の下にいるであろう恋人に語り掛ける。
「今度、ジェットにママって言ってみろ。凄く、イヤがるぞ」
 笑いをかみ殺しながらそう言うアルベルトにイワンはおしゃぶりをもごもごさせて応える。
『全く…これだから大人は』
 そう評した超能力ベビーは小さな手で空を指差した。
『噂をすれば…だよ』
 イワンの指差す方向のは先刻の飛行雲があって、途中から直線ではなくなって、ギザギザに蛇行していた。いかにもジェットらしい、来日の仕方である。そんなジェットにママとイワンは言うだろう。また、其処から喧嘩になって、騒がしいギルモア邸になる。それもまた、楽しいものだと、そう今夜の来るべき騒動を実は密かに、楽しみにしているアルベルトがここに居た。





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