夜は貴方の為だけに



 不機嫌なのだという自分の気持ちを隠そうともせず、アルベルトは部屋に備え付けてある小型冷蔵庫の扉を乱暴に閉めた。
 そして、瓶ビールの蓋を歯で抉じ開けると音を立てて半分程ぐいっと飲み干した。
 喉を過ぎる爽快感と、腹の中に溜まっている複雑な心境のギャプはまるで繕っている自分と本当の自分のようで、そんなことを考える自分が嫌になる。
 だいたいジェットもジェットなのだ。
 ギルモア邸に滞在している間、ジェットは夜になるとアルベルトの部屋に遣って来る。また、逆の場合もあるのけれど、どちらかの部屋で一夜を共にする。セックスをする夜もあれば、抱き合って眠るだけの夜もある。
 ベルリンNY間で遠距離恋愛中であるところの自分達にとってみれば、メンテナンスの為ギルモア邸にやってくる時間ですら、恋人同士の逢瀬の時間にしたいくらいには互いの存在に餓えているのだ。
 せいぜい1ヶ月に一度、仕事が立て込んでいたりすると2ヶ月、3ヶ月に一度しか会えない時もざらにある。
 ギルモア邸に居る仲間達に会うことは、互いに会うよりも少ない時間であるのは確かだ。そんなことは分かっているし、自分だとて、仲間に会うのは嫌いではない。特別に何かを話すわけではないのだが、一緒の空気を吸うという行為によって、サイボーグとして人の中で生きている不自然さに対する疲弊が癒える気がするからだ。
 ここではサイボーグであることを隠さなくてもよいし、自分が自分で居られる場所でもある。どんなに弱い情けない人間だとしても、仲間たちはそんな部分ですら当り前のように受け止めてくれる。
 存在していることだけで、喜んでくれるという空間は心地が良い。
 アルベルトは、孤独が好きな男ではないのだ。口数が多いわけでも、大勢の人間と騒ぐのが好きなタイプでもないのだが、大家族の中で育った彼は独りで居ることは反対にスキではない。
 要するには寂しがり屋なのであるが、その一見怜悧ともとれる容姿が人を寄せ付けない。それを仲間達は理解してくれているのだ。
 そんな仲間達だ。大切な連中である。
 けれども、これとそれは別なのだ。
 皆、自分とジェットが恋人同士であることを知っているはずなのに、二人がメンテナンスの為にギルモア邸にやってくると、決まって昼間は二人の時間を邪魔しようとする。
 昨夜、2ヶ月振りの逢瀬を果たした恋人同士は、たがを外して愛し合った。何度もジェットの体内に放ち、それでも放してやらなかったし、またジェットも意識を手放すまでアルベルトを甘い吐息で求めてくれた。
 お陰で、ジェットは寝坊をし、昼近くになって起きだしてきたのだった。
 二人の仲を知っている連中だから、おやおやとアルベルトに対して含みのある視線を送って来たものの、誰もそれ以上を追及することなく。アルベルトもそれに対して苦笑で返しただけであった。
 しかし、それからがいけなかった。
 ジェットは腹が空いたと、台所で料理に勤しんでいる張々湖とジョーにまとわりついていた。もう少しで昼食だからというのに、待てないとダダをこねるジェットに張々湖は肉饅頭を握らせる。ジェットは張々湖と助手のジョーが忙しく立ち働くキッチンの隅の椅子に座り、そんな二人の様子を嬉しそうに見ながらもらった肉饅頭を美味そうに食べている。
 昼食が終ったら終ったで、デザートが欲しいと言い出すジェットにお茶の時間にオレンジムースとゆずのムースを用意してるからとジョーが宥てくれた。
 お茶の時間になれば、ジェットが好きそうな芝居のチケットが取れたから、メンテナンスが終ったら一緒に行かないかとグレートが誘いをかける。
 そのタイトルを聞いてジェットは目を輝かせ、グレートにありがとうと抱きついて、頬にキスまでする始末だ。
 第一、オペラに誘った時は、寝ちまうから行かないとジェットは言ったはずだし、そのことをアルベルトはしつこく覚えている。なのにどうして、グレートが推薦する芝居は簡単に承諾するのか、アルベルトには腹立たしくてならなかった。
 更に、その後は夕食の買い物に付き合ってよと、ジョーに連れ出されて、夕食前はイワンのミルク。夕食後にようやく二人っきりになれると思えば、フランソワーズと一緒に風呂に行ったっきりだ。
 ギルモア邸には各自個室にはバスルームが完備されている。例え、仲間でサイボーグ同士であったとしても自分の肉体を見られたくない気分の時もあることを博士は知っていて、この屋敷を建築する際に用意してくれたのである。
 だが、ここは温泉も湧き出る場所で、博士は源泉をわざわざ引いて、半地下に大きな日本式の浴室を作ったのである。
 天上近くに備え付けられた窓からは海が拝め、なかなか絶景な風呂であるのだ。ジェットはこの風呂がいたくお気に入りで、必ず毎日、一回はこの風呂に入っているのだ。
 本当は、ジェットと一緒に入りたいのだが、何故かいつもフランソワーズと一緒に入っている。いくら、第一世代の3人は一時期同じ部屋で寝起きを共にしていたとはいえ、やはりフランソワーズが居る風呂に入っていくのは憚られる。従って、もんもんとジェットが風呂から出てくるのを待つしかないのだ。
 アルベルトは残りのビールを飲み干すと、2本目を取り出して、同じように歯で蓋をこじ開ける。
 いつもなら、すぐにパジャマに着替えるのだが、今夜はそんな気分にもならない。
 音楽でも聴こうかと思うが、気持ちが散ってきちんと整頓して並べてあるCDの背を見ることもいやになっていた。
 仕方なく、テレビの電源を入れチャンネルをワールドニュースに合わせるが、イランで爆破テロが起こったと、イタリアのニュースキャスターがその模様を伝えていた。余計に気分が滅入ってくる。
 チャンネルを変えるが、こういう日に限ってまともな番組が放映してはいないのだ。
 バラエティー、好きだ惚れただのという三文芝居のドラマ、クイズ番組、何とかまだマシだとチャンネルを止めたのは『ER』というアメリカのドラマであった。
 救急救命室で働く医師や看護士、職員を中心に描いたドラマだ。
 血圧がどうのとテレビで言っているほうがまだ落ち着く気がする。
 そのままベッドに座り込んで、ぼんやりとテンポの良いドラマの画面を追う。
 ジェットのアパートに滞在した時に見た記憶はあるが、ちゃんと登場人物を把握しているわけではないから、ストーリーとしてはあまり面白いとは思わないが、リアルに描かれている医療機器、治療方法、専門用語は大したものだとアルベルト感心していた。
 嫌でも、そちらに意識を向けていないと、誰にでもホイホイとキス、例えそれが家族的な愛情に発露したものであったとしても、アルベルトは面白くはないし、抱きついたり、懐いたりするジェットの姿を思い出す度に、腹が立つのである。
 理性と感情は別物で、ちゃんとジェットが自分を恋人として愛してくれていることは知っている。
 抱き合う度に、触れ合う度に、ジェットは全てでアルベルトに愛していることを伝えようとしてくれる。
 でも、はっきり自分の前で他の誰かに笑いかけることだけで、腹が立つ。もちろん、そんな心の狭い自分のことも嫌になるのだが、それでもこの醜い感情は何時まで経っても消えることはないのだ。
 子供じみた独占欲だと自分を冷静に分析も出来るのだけれども、湧き上がる感情をどうしても止められない。
 テレビをつけた時には始まったばかりのドラマも既に終わりを告げようとしていた、来週の予告が入り、放映時間が告知される。時計を見ればもう11時近い時間になっている。今夜は来ないのだろうかと、アルベルトはただそれだけのことに不安なるのだ。
 おそらくフランソワーズの部屋に居るだろうことは想像がつく、ジョーも一緒かもしれない。ゲームに興じているのかもしれないし、若者同士の会話が弾んでいるのかもしれない。お酒でも入ってイイ気分になって……と、想像だけが膨らんでいく。
「もう寝るか」
 アルベルトは自分の気持ちに区切りをつける為に、そう呟いて空になったビール瓶を二本並べて冷蔵庫の上に置いた。パジャマを着るのも今夜は面倒だ。このまま寝てしまおうとどうしようかと迷っていると、ドアが遠慮がちにノックされる。
 このノックのリズムはジェットものだ。
 本当だったらドアを自ら開けて、ジェットを抱き締めて、そのまま床に縫いとめて貪るように口唇を重ねたいと、思うのだが自分にはそれは出来ない。何でもないのだとクールな大人な男を例え取り繕っているのだとしてもジェットの前ではそんな自分でいたいのだ。
 どうぞと、何でもないような素振りをして、ニュースへと番組が変わったテレビの画面ベッドの上に座ったまま見ているボーズを作る。
「入ってイイ?」
 顔をだけを覗かせたジェットは、部屋を見渡してそう言う。
「好きにしろ」
 アルベルトはそれしか言えない。
 待っていたなんて口が裂けても言えない男だ。やせ我慢といわれようが、かっこつけだといわれようが、このスタンスを崩すことは出来ない。
 決して、仲間にすら嫉妬している自分のこの気持ちをジェットに知られたくないとアルベルトはそう思っていた。






 感情を故意に押し込めた口調と、ちらりとだけ自分の存在を認識する為だけに流された視線がアルベルトの心情を如実に表していた。
 長い付き合いだ。
 命乞いをする敵に対して、一片の同情すら心に浮かべないと評された男は戦いの中にあって、その表情を読むことは困難だが、普段、特に自分に対しては全く違う男になってしまうことをジェットは熟知していた。
 頑なな表情と口調は、自分が昼間アルベルトとの時間を取れなかったことにたいする彼なりの密やかな抗議行動であることぐらいジェットは知っている。
 執着することを良しとはしない彼が唯一、執着するのは自分という存在だとジェットには自覚があった。
 遠距離恋愛中の自分達は、四六時中互いの存在を確認できるわけではない。
 ジェットの飛行能力を使ったとしても、1、2ヶ月の一度の逢瀬がやっとというところである。だから、一緒に過ごせる時間を無駄にしたくないと思うのはジェットも一緒だ。けれども、仲間達との時間も大切にしたいと思う自分がいるというのもジェットの偽らざる気持ちである。
 フランソワーズにはまめに連絡を入れてはいるが、それ以外のメンバーとプライペートで連絡を取ることはマレだ。同じアメリカ在住のジェロニモとは、時折休暇を一緒に過ごすこともあるがけれども、あくまでアルベルトと一緒に過ごせない休暇に限定される。
 おずおずとした仕草で部屋に入り、後ろでにドアを閉めた。
 そして、背中でドアノブを隠して鍵をかう。部屋を見渡せば、数本の煙草の吸殻とビールの空き瓶を2本発見した。
 それは、アルベルトが自分を待っていてくれた証拠に他ならない。
 ジェットはそれが嬉しくてならないのだ。
 クールで大人で強い男である彼が自分のことに対しては、それらを脱ぎ捨てでも求めてくれようとしているのが分かるからだ。どんなに格好つけたとしても、自分にはそれを見抜ける。気付かない振りをしているのだけれども、それを知って知らずか必死に体裁を整えようとする彼が愛しくてならないのだ。
 そこまで、自分にのめり込んでくれていることが、ジェットの愛されているという自信に繋がっている。
 ゆっくりと部屋を観察しながら横切って、アルベルトの隣に座る。
 触れるか触れないかの絶妙な距離。
 煙草とビールの香りが鼻腔を擽る。
 キスの香りはいつもアルベルトの愛飲している煙草の香りがする。この煙草の香りを嗅いだだけで躯を疼かせる夜も少なくはないのだ。
「遅くなっちゃった」
 ぼつりとすまさそうに言うと、別に約束はしていないとにべもない返答を寄越す。これは相当に臍を曲げている証だ。
 ジェットは仕方ないと溜息を吐き出した。
 こうして拗ねているアルベルトはとてもカワイイと思う。男の馬鹿さ加減丸出しで、そこがなんとも言えずジェットの恋するキモチを擽ってくれてしまうのだ。
「そんなこと言うなよ」
 ジェットはベッドの上に足を折り曲げて、腕で抱きこんだ。膝の上に顎を乗せてまるで怒られた子供が廊下に座り込んでいる様相で背中を向けたままのアルベルトを見た。その視線をアルベルトも痛い程に感じている。
「あんたと会えたの、知ってるか。68日ぶりなんだぜ」
 ちゃんと会えない日をカレンダーに×をつけて数えているのだ。らしくはないとジェットは思うが、会える日を指折り数えて待つ日の楽しさを知ったのはアルベルトと遠距離恋愛を始めてからのことなのだ。寂しくもあるが、一人アルベルトを想う心を再構築する作業は、とても大切な時間になっている。
 一緒に居ると見えなかった様々な部分を会えないからこそ、新たに発見できるのだ。
「みんな、仲間だからこんなオレでも色々と心配してくれる。とても嬉しいよ。でも、あんたとゆっくり過ごせないのは、ちょっと辛い。本当はあんたに抱き締められたままだったらいいのにな……って思うこともあるけど。あんたとこんな関係だって知られることが嫌なんじゃなくって、恥ずかしいじゃん。でも、あんたと会える少ないチャンスだから恋人としてあんたと過ごしたい。だから、絶対は夜はあんたと一緒に過ごすことにしてる。誰がどんな誘いをしてくれたって、あんたが居ればあんたと過ごしたい。あんたは、オレと過ごすより、ニュースを見る方がイイの」
 ジェットは独り言を呟くようにアルベルトの背中越しにそう訴えてくる。
 全部知っていることだ。
 ジェットが仲間達を家族として愛していることも、自分を恋人として愛していることも、家族と恋人どちらも取ることができないから苦肉の策を彼なりに考えていることぐらい。醜い自分の嫉妬だと、こんなことを言わせてしまった自分に非があると理性では理解しているのだ。
 けれども、素直にそんなこと言えるはずもない。
 仲間達に向けられたお前の笑顔を独り占めしたかったなんて、まるで子供の言い草にしか過ぎないではないか。成熟した大人がいう台詞ではない。
「仕方ねぇな」
 アルベルトはそう言うと、立ち上がった。
 一息いれないと、なかなかいつものクールを演じている自分に戻れないそうだからであった。
「アル?」
「シャワーを浴びてくる」
 それだけを言うと、ジェットは離れようとしたアルベルトに背後から抱きついて来た。
 飛びつかれたのに、軽量化されているジェットの躯はとても軽い。初めて抱き上げた瞬間、生きているのかと疑ったぐらいであったが、今はこの軽さが愛しさをアルベルトの心の中に発生させる。
 ふわりといつもとは違うシャンプーの香りが鼻腔に届いて、何処となく落ち着かない気分にさせる。ぴたりと寄せられた細身の躯は、アルベルトに対して恋人として何をして欲しいかということを伝えてきていた。その証拠に擦り付けられた腰の辺りに堅くなったジェットのペニスを感じる。
「ベッドで待ってろ」
 アルベルトは醜い嫉妬を心の奥に仕舞いこむ為に、バスルームに向かった。



「うん。夜はアンタの為だけに空けてるんだからさ。ちゃんと……」





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