孤独は沈黙の叫びなりて



「手伝おうか?」
 ドルフィン号の中のキッチンにアルベルトは顔を覗かせた。
 フランソワーズはくすりと笑って彼を招き入れると、もうほとんど出来あがっていて少し冷蔵庫で冷やしたいからその間、レモネードでも如何とアルベルトに勧めたのだ。
「簡単なもので済ませようと思っているし…。多分、張大人がご馳走作って待っていてくれるのに、お腹脹らませて帰って行ったら悪いじゃない」
 そう彼女は静かに笑う。
 昔から彼女は静かに笑っていたが、今と昔は静かに笑っても種類の異なる笑い方だ、人形のように表情の少なかった顔に表情が戻ってきている。ジェットの前以外では、ほとんど表情を現すことのなかった彼女が仲間達の前で屈託なく笑う姿が見受けられるのは、とても嬉しいことだと思う。
「博士にジョーが無線で報告していたから、多分、張大人のところにも連絡が行ってると思うわ。それに張大人は、ブリテンととても仲が良いから、心配して、きっと博士の所に来ているはずよ」
 と嬉しそうに笑う。
 そうなのかと思う。自分達にはわからないあの二人の絆の有り方を張々湖飯店でバイトしているフランソワーズは知っているというのだろう。
「店があるから、行けないって…」
「そう言う人なのよ」
 と言って隣に立っているアルベルトに視線を向けた。そうと呟いて、話しの続きをと促すアルベルトに答えるように瞼を閉じた。そして再び顔を上げると、抑揚の少ない口調で話し始める。
「バン・アレン卿が助からなかったら、その死に様がどうであれ、それをブリテンが知ったら、彼は何かに憤りを感じる。そう言う人なのよ。自分に感じるのか、あるいは、それに駆立てた何かにそれを感じるのか……」
「でも、張大人が居たら、大人に甘えて感情を爆発させてしまう……か」
 フランソワーズの言いたいことをアルベルトは察して、その台詞の後を引き取ってそう言った。そうなのだ。二人の間にある絆が、時としてはマイナスに働くこともある。互いに阿吽の呼吸で、戦闘や日常でも、絶妙なコンビネーションを見せる二人だからこそ、そうなる場合もあるのだ。張々湖はそれを今回は危惧していたのだ。
 だから、店を休めないとわざと来なかった。
 それでも、心配しているのは目に見えている。
 今回はアルベルトはあくまで第三者であった。恩人を殺されたブリテン、イシュキックの孤独な魂の叫びに同調してしまったジョー、そして、ジョーを引き止めようとしたフランソワーズ、決して、バン・アレン卿を殺したかったわけではなく殺すのを黙殺せざる得なかったイシュキック。
 その複雑な構図の中には自分とジェロニモは含まれていない。
 それを見届けたに過ぎなかった。
 怒れる魂を、孤独な魂を、慈愛の魂様々な魂の形を見せられた事件だった。
「でも、君も随分、感情的になっていたじゃないか」
 フランソワーズは頬を赤らめて、ええと答える。
 これが、他のメンバーなら何を言ってるのと突っぱねることも出来るが、相手はアルベルトだ。長い間、三人で過ごしてきた。少ない同胞であり、性別や年齢を超えたところにある、そうジェットという青年を違う形であれ愛している同士なのだ。
 彼を巡って些細な諍いを起こすものの、互いに良き理解者でもある。
「ジョーに傍に居て欲しいからか」
 アルベルトの質問にフランソワーズはそれも少しはあったもしれないわね、と答えた。暫しの沈黙の後にフランソワーズは口を開く。
「いいえ、見えたから…。彼女がロボットだって、あたし視えたの」
 とフランソワーズは寂しい笑いを零した。昔、まだ彼女と会ったばかりの時にジェットが居ない夜に零した笑みと似ていて、アルベルトは伸ばし掛けた手をすぐに引っ込めた。あの頃、ジェットが夜間の訓練で戻らない夜は、ただ黙ってフランソワ―ズの隣に座っていた。あるいは、ベッドで横になった彼女の手の甲を何度も撫でて、甘栗色の髪を幾度も梳いて、二人でただジェットを、二人にとっての太陽が帰って来るのを待ち侘びていた。
 太陽も月も見えない部屋で、二人の太陽は屈託のないジェットの笑顔だった。
「もしジョーが仮に彼女と行くことを選んだとしても、多分、長い時間の中の一時期は一緒にいてあげられても、サイボーグだから普通の生身の人間より、長く生きられても、あたしたちはサイボーグ。脳や生体機能は生身のまままだから、いずれ衰えるわ。そうしたら、彼女はまた独り。そして、彼女を置いていくジョーも辛いし、置いていかれる彼女も辛い」
 フランソワーズは優しい女性だ。ただか弱いだけの、守られているだけの女性ではない。ジェットを独りであの傷付き易い彼を独りきりでアルベルトが来るまでの時間、支え抜いた強さがあるのだ。ジェットを守るのだという、決して揺らがないあの強い心は彼女が女性だから持ち得る母親としての強さに似ていた。
 彼女がジョーに抱いてる愛情と、ジョーが彼女に抱いている愛情は似ている様で異なるものであるとアルベルトには分かっていた。けれども、それらの二つの感情は交われる程に似ていて、それで彼女の心が安らぐなら、二人が幸せなって欲しいと正直にそう思う。
 ジェットを巡って諍いはするけれども、ジェットとの仲を見守ってくれて、時にはアルベルトにすらも意見をして、結局は二人が上手くいくようにと手を差し伸べてくれたのは彼女だったのだ。
「優しくないわ。これも、エゴですもの。結局、あたしはジョーを行かせたくなかったの。ジェットも一緒だわ。あたしが縋れば、彼は決してどんなに辛くとも死を選択しないと分かっていて、彼に縋ったわ。でも、それは独りになりたくないというあたしのエゴですもの。その為なら、彼と寝ても良いと思ったこともあったから」
 だから、優しいと言うのだとアルベルトは思う。
 決して、自分ではそう考えることは出来ない。人間30にもなれば、エゴを建前にしたり、開き直ったりする術を覚える訳だ。でも、それを彼女もジェットも知らない。それが、アルベルトは歯痒いと供に愛しくもある。
「でも、だから、俺達は生き残れたんだろう?」
 とアルベルトは少しおどけてみせると彼女も、僅かに可笑しな人ねという類の笑みを口唇の端に乗せる。でも、フランソワーズには元気がなかった。恩人を亡くしたブリテンの哀しみもあるし、ジョーのイシュキックに対するタダならぬ感情もあるが、それ以外に何かに囚われている気がしてならなかった。
「でもね」
 とフランソワーズは続ける。帰る前に、吐き出してしまわないとジェットに何か言ってしまいそうになるだろう。互いの苦しみも悲しみも喜びも分け合った間柄なのだ。だからこそ、心配をさせたくはない。置いていかれたと言う腹立たしさと、それにブリテンが恩人を失ったことに対して、多分、かなりナーバスになっているのは目に見えている。
 例え、会ったことのない相手でも、仲間達の友人、知人と言うだけで何かあると本気で哀しむジェットが居るからだ。そう、ただ偶然に出会った異世界の子供達の為に、本気で泣いたあの時のように、泣くのだ。泣けない大人の代わりに泣くのだ。そんなジェットに、自分の迷いを聞かせて、その心を痛めさせたくはない。
 アルベルトもフランソワーズの気持ちを察していた。だから、続けろと視線だけでそう伝える。
「イシュキックを見た時にね。あの瞳を見た時に、始めて会った時のジェットの瞳を思い出したの。仲間が欲しかったと言う孤独と自分と同じ立場の人間を増やしたくないのにと言う絶望と、何処か諦めを匂わせていて、イシュキックにそっくりだった。あたし、それが厭だったのよ」
 フランソワーズの頬を涙が伝い、黒いブーツの上にぽとりと落ちた。
 今度は躊躇わずにアルベルトは彼女を抱き締めていた。細い肩は女性特有のものだ。いつも、抱き締めているジェットも自分に比べれば華奢な部類に入るが、彼は男だ。フランソワーズのように力をセーブしなくては折れてしまいそうな儚さはない。
 声を殺して、肩を震わせて泣いている彼女をただ、慰めてあげたかったに過ぎない。同朋として、辛い時代を供に生き抜いてきた同士として彼女を抱き締めてあげたいと思った。そして、この彼女の悲しみを決してジェットに見せて欲しくないとも願っている。
 二人は暫く抱き合ったままでいた。
 けれども、二人の間には異性同士の醸し出すセクシアル的な要素は見えなかった。泣いている家族をただ慰めたくて抱き締めているとの優しさしか伝わっては来ない。この二人もまた、ジェットを介して性別を超えた強い絆を編み上げていたのだ。
「ごめんなさい」
 フランソワーズはアルベルトの抱擁から逃れると、ポケットからハンカチを出して目元をそっと拭った。そして鼻をすすり上げて、アルベルトに泣き笑いの表情を見せる。
「貴方に慰めてもらうなんて、あたしも随分、落ちたものね」
 と憎まれ口を叩いてみせる。
「そうだな。俺も慰めるなら、ジェットの方がいい」
 とアルベルトも憎まれ口を返してやる。そうすると彼女は笑ってみせ、瞳に溜まっていた涙が溢れ出し、頬を伝う。もう一度、ハンカチで拭うと、顔をしっかりあげてアルベルトを見詰める。強い光を宿した、新緑の青さを彷彿とさせる瞳だ。ジェットと並ぶと、青い晴れた空色の瞳と木々を彩る新緑の瞳が美しいコントラスを描き出すのだ。
 それを見て、いつもアルベルトは隔絶されたあの研究所で故郷の自然を、家族と良くハイキングに出掛けた森を思い出していた。
「でも、ジェットを連れて来なくて正解だったわね」
「そうだな」
 ジェットはきっと絶望に近い孤独を知っているから、おそらくイシュキックの為に涙を流すであろう。それを慰めるのはどちらだと、また小さな諍いを起こしていたことは考えなくとも分かる。下手をするとブリテンの哀しみをそっちのけにしていた自分達がいたかもしれない。
 自分達はエゴイストなのだ。
 自分達の欲求の為に、戦っているのかもしれない。本当なら、自分達がゆっくりと暮らしていけるのならば、世の中がどうなっても良いのかもしれない。けれども、そうすれば、ジェットが哀しみ、独りになっても戦うことを選んでしまうかもしれない。
 それをさせたくないだけなのかもしれないと二人は思う。
 それに、孤独な彼女を見て辛い昔を思い出し、彼女の為に傷付くジェットは見たくはない。話を聞けば、酷いと彼女の想像主に憤慨し、ブリテンの恩人に哀悼の意を表するであろう。でも、ただ、哀しいのだと涙を流す姿は見たくはなかった。憤りの涙や嬉し涙はジェットらしくて好ましいが、ただ哀しいと流す涙は二人とも見たくはない。
 涙を流さずとも、昔のジェットはそうやって心で泣いていたから、昔の様に自分達がついていながら泣かせたくはない。
「さて、そろそろ、盛りつけて運びましょう」
「そうだな」
 フランソワーズは無理にフラットに自分を保とうとしているのがわかるから、アルベルトもそれに右に習う。
 多分、ブリテンの哀しみは張大人が癒してくれるだろう。そして、傍観者としてしか存在を許されなかった自分の何処か不甲斐無い気持ちや持って行き様のない感情はジェットの顔を見れば、癒される気がしている。
「でも、あたしには、ジョーを慰めるって大仕事が残っているんですから、後片付けはお願いね。アルベルト」
 フランソワーズのそう笑う向こうに、彼女の強さが顔を覗かせる。
「ウィー、マドモアゼル」
 とフランス語で答えると下唇を突き出して、ブーとジェットが面白くない時にしてみせる仕草を真似してみせる。
 女性とはかくも強きものだと、暫く忘れていた気がする。でも、彼女にはこの強さを持ち続けていて欲しいと願わずにいられない。愛しいジェットの為にも、彼女を慕う仲間達の為にも、彼女は彼女のままであることを、彼女がその命を終えるその日までとアルベルトは願わずにはいられなかった。





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