心に放たれた暗き穴
季節感のないアメリカ人と我道を行くドイツ人の服装には、全く統一性というものは存在してはいなかった。 暑いからと、アメリカ人はランニングに短パン姿だし、ドイツ人は長袖の黒いシャツに黒いスラックスという同じ部屋に居るとは思えない互いのいでたちである。しかし、当の本人同士は全く気にしている様子もない。 アメリカ人は床に敷いたラグマットの上に腹這いになり、航空雑誌を見ていたし、ドイツ人はドイツ語訳された三国志十八史略を読んでいた。戦いがない日々にあっても、戦術研究に余念がない男なのである。 一段落ついたところで、コーヒーでも入れようかと分厚い本を閉じて、背伸びをする。いつもは読書をしていると邪魔をしに来るか、懐いて躯を持たせ掛けて来て眠ってしまう恋人が真剣に雑誌に見入っている姿は珍しかった。 膝から下を宙で、バタ足でもしているようにパタパタと前後に動かしていた。 どこなく幼い仕草をする恋人が男は愛しくてならないと、ふとそんな感慨に囚われる。 背中から腰にかけてランニングの上からでも、浮いている骨が見える。男が両手を回してやや余る程度の細さしかない腰は小さな双丘に続いていて、その狭間には自分の猛りを柔軟に受け挿れる自分だけが知る場所がある。 そして、筋の浮いた大腿から、妙に可愛らしい膝の裏。更には片手で握れそうな細い足首に続いて、アーモンドのような形をした踝が奇妙な自己主張している。細い、鳥のように華奢な躯は欲望に忠実で男の意のままに乱れて、自分だけを求めてくれる。 綺麗な白い躯だけれども、1箇所だけその躯に不釣合いな場所がある。 男が最後に視線を辿り着かせた足の裏だ。直径3cm程の黒い穴がぽっかりと空いているのだ。白い肢体に不釣合いな黒い穴。これは、彼の中にある空虚に繋がっているような気になってしまう。 けれども、これを衒いなく見せてくれる彼が愛しいと思う。 誘われるように動いている足に手を伸ばす。彼と二人っきりで過ごす間は手袋をはめずに剥き出しにしている鋼鉄の手でそのすらりと伸びた足に触れると、その冷たい感触に飛び上がるように後ろを振り向いた。 「アルッ!!」 怒った口調で口をへの字に曲げている。いつもなら、読書に夢中のアルベルトにジェットがちょっかいをかけるのが相場だが今日は違っていた。雑誌へと視線を戻したジェットは、再び、アルベルトが白い華奢な足に触れても知らん顔で雑誌から視線を外そうとしない。 右手でジェットの右足首を掴むと、口元に持っていき、親指を含んで舌で転がすと、ぴくんと躯が跳ねる。それでも、意地になって自分の方を見ようとはしない。この意地っ張りさ加減が可愛らしくてつい虐めてしまいたくなる。いけない癖だとは思いつつもアルベルトには止められない。 親指にねっとりと舌を這わせて、親指と人差し指の間にも舌を差し入れて擽るように舌先で突ついてやる。肘を突いて雑誌を読んでいたのに、ただ、足の指を口に含んだだけのなにジェットは床に突っ伏してしまっていた。 左手も添えて、小指から穴に向かってゆっくりと足の裏の肉を揉み解しながら、下は土踏まずの辺りにある穴へと向かっていた。 「ちょっ……」 ジェットの抗議を今度はアルベルトが無視をする。その舌が黒い穴に辿り着いた時に、ジェットの躯は更に大きく跳ねあがって、上体を捻り、後ろ手を着いてアルベルトを睨みつける。 「嫌だ。触るな」 子供のような言い分にアルベルトは笑いを隠せない。本当に嫌なら自分を蹴り飛ばして逃げれば良いのにと、そう思うが。当のジェットの顔は泣きそうに歪んでいた。それでも、足首を離さずに握っていると顔を背けて、もう一度、拒絶を口にする。 「嫌だ。アル。触らないでくれ」 激しい口調の拒絶ではなくて、懇願するような口調に何故だとアルベルトはそう思う。自分の鋼鉄の手が好きだと、散々言っておいて自分の機械の部分に触れられるのが嫌だというのが、許せなかった。ジェットの躯を全て知っていたいのに、足の裏だけは、ほとんど触れたことはなかった。 構わずに舌を這わせて、黒い穴の縁を丁寧に舐めていく。 「ヤメテ……くれ。アル」 顔を背けて、口唇を噛み締めて、それでも、アルベルトを押しのけようとはしないジェットが何を考えているのかアルベルトには分かっていた。一番、機械の部分を多く持ち得る男は一番サイボークの悲哀には敏感なのだ。 だから、ジェットは靴を履かないで歩く場合はつま先で歩く癖があることを、アルベルトは知っていた。床に金属が当たる音が嫌なのだ。まるで、猫が歩くかのように足音を立てないで歩く様は、確かに、綺麗だとは思うが、その反面、何故そうしなくてはならないのかを気付いているだけに、純粋にそれだけの感情をアルベルトも消化出来ない部分があるのだ。 だからわざと触れずにいた。でも、触れたいとも思っていた場所である。 ジェットの躯の知らない部分があることを許せないと思う自分がいることに最近、気付いたのだ。 舌を這わせても汚いとは思わない。 ジェットの躯であるならば、この穴すらまた愛しい存在だと言い切れる自信がアルベルトはあった。 「ジェット……ジェット!!」 些か強い口調で名前を呼ぶと怒られた子供のようにおずおずと視線をアルベルトにと合わせる。まるで、嫌われることを拒む子供の顔は、彼が恵まれない子供時代を送っていたことの象徴に他ならない。アルベルトも早くに両親を亡くしているが、ちゃんと愛情を受けた記憶は残っている。決して、疎まれたことはなかった。 全てを知っているわけではないが、その言動の端々から彼の過去が伺えるし、幾度も彼の昔の話を聞いたことがあった。 「お前の穴は全て、俺のものじゃないのか?」 ジェットの動きが止まり、瞳が大きく開かれて、次の瞬間、笑いを吹き出してアルベルトに足首を握られたまま上体を床の上でくねらせて笑い始めた。どうして笑われているのかさっぱり、わからないアルベルトはきょとんとジェットを見詰めていた。 「ぎゃっ……ハハハハハハ…・。アル、あっはははは…もう、あんたサイコー」 ジェットは一頻り笑うと、跳ねるように起き上がり、アルベルトに抱きついた。床に座り込んで、突然笑い出した年の若い恋人の行動についていけないままに、胸の飛び込んでくる細い躯を受けとめる。 「おい」 「もう、……あっ。ハハハハハっはは」 ジェットは何が楽しいのか笑い転げている。でも、アルベルトの首っ玉にかじりついた腕を離そうとはしなかった。 「確かに、それも穴だよな。なあ、油差してくんないと俺止まっちゃうよ。アルのここで、俺に油差してよ」 誘いの言葉を薄い口唇に乗せてアルベルトの股間に遠慮なく手を伸ばしてくる。そして、頬に羽根が掠めるようなキスを落とすと、バネ仕掛けの人形のようにぴょんと立ちあ上がり、浴室へと軽い足取りで歩いていく。 「おい」 「油、差してもらうには、綺麗にしないと…駄目だろ?」 ジェットはそう言いつつ、浴室に猫のような足取りで向かう。足音をさせないジェット特有の歩き方だ。でも、こう言う時の彼のこの足取りには悲哀が感じられない。アルベルトの欲望を知っていて、煽り立てる為にわざとしているようにも見えてしまったのだ。 浴室の扉を開けたジェットは、まだ床に座ったままジェットの突然の行動について思索を巡らす年長のハンサムな恋人に声を掛けた。 「アル。ありがと……。あんたになら、見られても、触れられても…イイ」 神妙な声で、そうアルベルトに告げる。自分の心の深い黒い闇という穴に繋がっているであろうあの噴射孔をアルベルトになら触れられても、多分、感じるのだろうとジェットはそう予感していた。 そして、自分の心の闇すらアルベルトになら触れられても構わないのだと暗に告げられた言葉に、アルベルトは素直に嬉しいと思えるけれども、笑われたこととは別の問題である。自分が真剣に告げた言葉なのにと、恨めしくなってしまう。 「でも……アッハハハハハ、ヒッヤッハハハ……」 ジェットは大笑いしながら、浴室へと消えて行った。 二人だけの静かな休日はこうして過ぎていくのであった。 その後、ジェットが何処の穴をアルベルトに愛してもらったかは、二人しか知らないことなのである。 |
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