時空の狭間の沈黙



『ジェット、君だったら分かってもらえるよね』
 随分と切羽詰ったジョーの台詞が耳の奥で突然、蘇った。うつうつと安らかなる眠りへと意識を落とし込もうとしていたジェットは小さく溜め息を吐き、肘をついて上体を起こすと、隣で静かな規則正しい寝息を立てる恋人のその白い瞼に見入っていた。
 時折、ひくひくと眼球が運動をする様に彼が生きていることを実感し、普段からクールを自認するだけあって、あまり大仰に表情を露わにしない彼だが、眠っている時は違う。何というか、そんな眼球運動が、まるで、その自分の隣では無防備になってくれている証明のようで嬉しくてならない。
 戦うことを教え込まれたその肉体は、僅かな音にすら反応するようになっている。
 特に彼は戦闘用サイボーグの究極の形の一つとして造られていて、耳も甲高い機械音を特にさらえやすいように改造されているし、目にも標準を微調節する為の機能が備えられている。
 フランソワーズのようにある程度、スイッチを入れたり切ったり出来るのとは彼の機能は別物であった。常時、甲高い機械音は彼の神経を逆撫でし続けていたのだ。
 だから、深い眠りに落ちることはなかったのだが、今は、いや、自分と同衾している時は多少の物音で目を覚まさないほどに彼が深い眠りに落ちていることが分かる。
『戻れなかったら、どうしようかと真剣に悩んで、狂ってしまうと思ったんだから』
 きょんとしているジェットにジョーは激しく詰め寄った。どうしても、分かると言って欲しかったのだろう。だから、分かるよとジェットは答えて、自分も同じことがあったとそう告白した。自分の時はギルモア博士に前もって聞いていたから、そんなに怖くはなかったし、それはそれで愉しかったとそう正直な気持ちを伝えたのだ。
『まあ、何事もなかったし、加速装置の怖さを体験できたからイイんだけどね』
 今一つ、自分と同じ加速装置と言う機能を兼ね備えていながらも、同意を得られないジェットに諦めたのか、ジョーはそう話しにエンドマークを打ったのだ。
 ジョーの加速装置と自分の加速装置は確かに同じ原理の元に製作されたものなのだが、根本的性能に違いがある。それをジェットも最近知ったのだが、ジェットの加速装置は加速装置としても使えるが、その主だった機能は高速飛行の為の補助装置としての意味の方が重要なのである。
 高速で飛んでいても、ジェットの目は全てを的確に捉えている。
 例え彼が最高速度で飛んでいたとしても、擦れ違ったアメリカ空軍F−17のパイロットの顔の顔を黙視出来る程であったり、高速で飛行しながらの攻撃等をするのには、それだけの動体視力が必要になる。それだけでなく高速で飛行する為に必要な様々の機能を加速装置と連動させることによって、かなり助けられている部分があることを、本人は全く知らなく。最近、博士に教えてもらったのだ。
 言われてみれば、確かにと納得できるけれども、あの時は知らなかった。
 そうジェットがジョーと同じ体験をしたのは、まだBG団から逃れて来て間もない頃であった。ちょうどその当時、ジョーは拾った子犬の世話に必死で、ジェットがメンテナンスにやって来ても、食事の時間以外はあまり話すことはなかったから、知らなくても仕方がないのかもしれない。
 何もかもがジョーと同じ体験だった。
 ただ、いずれ自然と加速装置のスイッチが切れると知っていたから、ジョーのような焦りも無かったし、退屈も覚えなかった。
 予定よりも早く目が覚めて、リビングに戻って来たジェットを出迎えたのは、ジョーと同じ凍結した時間だった。
 ほとんど動かない時間の中に取り残された奇妙な感覚。
 どんなふうになるのかと、外に出て海を見てみたり、空を見上げたりした。ジョーとは違い時間は昼間だった。ジョーは子犬を連れての散歩に出掛けていて、徹夜でメンテナンスをしていた博士はベッドで横になって休もうとしていた。そして、居間ではゆりかごの中でイワンが眠り、アルベルトはソファーに座り新聞を読んでいて、L字型のソファーの向かいでフランソワーズがフランス刺繍に勤しんでいた。
 音も無い独りだけの静かな時間。
 ジェットはただ、彼等をじっと見詰めて凍結された沈黙の時間を過ごした。
 博士は白髪頭だと思っていたけれども、じっと良く見てみると所々に黒い毛が混じっていたのだ。髭にも所々に黒いものが混じり、全てが白髪でなかった。歳の割りには、白髪が多い。随分、自分が苦労かけているのかとジェットくすりと笑いながらギルモア博士に語り掛けた。
 就寝前に時折する読書、横になりながら開いていた本のタイトルは『椿姫』。博士らしからぬ本にジェットは博士が可愛らしく思えてしまう。婚期を逃がしたどころか、科学に人生を捧げた博士は恋愛には疎かったし、経験もあまりなかった、だから、こう言う愛や恋の物語りを好んで就寝前に読んだりしているのだと知った。
 誰も知らない博士の一面を見付けて嬉しくなる。
 じっと、誌面を追う瞳は黒いけれどもよくよく見ると、僅かにグレーが入っている色色彩であった。ドイツ系ユダヤ人であるギルモア博士は、アルベルトと奇妙に良く似た一面を持ち合わせている。時折、見せる鋭い眼光とか、どうしてだが、食べ物の嗜好もわりに良く似ている部分がよく目に付く。
 その瞳が自分を見る時に浮かび上がる慈愛の彩りが二人ともよく似通っている。そう、いつも自分のことを考えて心配しているその瞳が似ていて、特にギルモア博士に心配していると言われると弱い。そして、似ているアルベルトに言われるとつい、博士を思い出して強く出られなくなってしまうこともしばしばなのである。
 触れることが出来なくとも、ゆっくりと普段知らないで過ごして来た彼等を知ることが出来て、ジェットは満足していた。
 特にアルベルトはずっと見ていても飽きなかった。
 半分以上の時間をアルベルトを見詰めることに費やしてしまっていたけれども、まだ見詰めたりない気がしている。
 そう今、ベッドでこうやって眠る彼を見詰める行為に近いかもしれない。
 固い腰のある髪を掻き揚げると、秀でた額が現われた。
 くすぐったいとばかりにジェットの手を跳ね退けたアルベルトの手を寸での所でかわしたジェットは、視線を外した瞼に戻した、先刻の眼球運動は収まり、白い瞼は血管すら浮いて見える程に青白い見える。そうでなくとも、機械の硬い躯を人工皮膚で覆っているだけのアルベルトは躯は青白く出来ている。
 反対にジェットの皮膚は子供の肌のようにピンク色を帯びた色艶をしている。高速で飛行する彼は子供と同じように高めな体温設定が為されている。複雑に躯中に張り巡らされた人工血液が生身の人の皮膚と同じような色合いを持たせる結果となったのである。
 眉間に寄った皺はそのまま溝となっていて、彼の整った顔を更に気難し屋に見せてしまうのだ。前に比べれば格段には笑うようになったけれども、更に深い思索に耽る時間の充実度としては昔以上なだけに、刻まれた皺が薄くなることはなかった。
 でも、こうして難しい顔をして彼も決して嫌いではないのだ。
 惚れた弱みでそれすらも素敵だとジェット思ってしまう。
 通ったゲルマン民族特有の鷲鼻も、彼の顔の中では彼の意志の固さを現すようで、好ましい。ヘの字に曲がった肉厚の口唇は、ジェットを翻弄する時には冷たい熱を孕んで、快楽の淵へと追い込むのだ。それだけではない、逃れられないような優しい睦言や、淫猥で下品でジェットがつい言葉だけで、快楽を覚えてしまうような台詞を紡ぎ出すこともある。
 同じ台詞でも、彼の口唇を経たというだけで、ジェットにとっては自分を虜にする魔法へと代わってしまうのだ。
 少しえらの張った顎から太い首筋、硬い肩にはジェットの残した爪の痕が残っていた。先刻、激しく抱かれた痕だった。立ったまま玄関で剥かれて突き上げられて、必死で縋った時の名残である。硬い彼のボディーに残すことの出来る唯一の徴なのである。キスマークを残すことは出来ない。キスマークですら残ってしまうジェットの柔らかな皮膚とは違うのだ。
 けれども、ジェットはもう彼の硬いボディにしか感じられなくなっている。抱き締められた時のひんやりとした感触や、苦しいまでに圧迫感を感じられるような抱擁。
 生身の人の手ではない鋼鉄の手で、ペニスを嬲られる感触。
 ずくんと、それらの彼でしか与えることの出来ない感触を思い出しただけで、ジェットのペニスは疼き始めてしまう。
 でも、甘い疼きは幸せすら運んで来てくれる気がしてしまうのだ。
 もっとそんな甘い疼きを堪能していたい。
 何も身に着けていない彼の半身が動き、僅かにジェットを探すようにジェットの方に寄せられる。伸ばされた右手で探るような動きで、ジェットの肩を捕らえると満足した笑みを浮かべて、アルベルトは再び、動かなくってしまった。
 夢の中で自分を求めていたのだろう。そう思いたい。
 触れた僅かな場所は火傷をした後のようにヒリヒリとした痛みを覚え、もっと触れてこの痛みを癒して欲しいとその鋼鉄の手を求めて、肌がざわざわと蠢く。
 ジェットはつい有らぬことを考えついてしまっていた。
 アルベルトと一緒に居る時に加速装置を使ってこうやって彼を見詰めたら、どうんな気分になるのだろうとちょっとした好奇心が沸く。触れたものは摩擦で燃えてしまうけれども、相手がアルベルトなら洋服は燃えたとしても彼が燃えるわけではない。
 見詰め続けて、躯を疼かせる行為も悪くない気がしている。そうして、どうしようもないほどに高まったら彼を淫らに誘うのだ。
 自分が彼を淫らに誘えば、アルベルトは歓んでくれるのだ。恥ずかしくないと言えば、嘘になるけれども、彼の喜ぶ顔みたさに、決してジエットは自分の欲をアルベルトには隠さないのである。淫乱とも思える激しさで常にアルベルトを求めてしまうのだ。
 それでも、アルベルトはもっと淫乱になれとそう囁いて限りの無い快楽と言う地獄へと自分を墜としていく。
 今と似た状況を、誰が居る場所でやってみたいとそんな欲が沸いてしまう。どうかしているとジェットは苦笑を口唇に僅かに浮かべながらも、眠る彼から視線が離せない。どんなに、長い間見詰めていても彼であれば飽きることはない。
 いつも、新しい発見が出来るのだ。
 そう今夜も一つ、発見した。
 彼の睫毛はシルバーグーレの髪よりも、ずっと白い色に近い色彩を持っていて、それが故に彼の睫毛がことの他長いことに気付かなかった。くるりと綺麗にカールした長い睫毛が、アルベルトを可愛いらしく見せてくれる。
 30を過ぎた男性に可愛いもないと思うけれども、ジェットはそんなアルベルトが愛しくてならない。
 綿毛のような睫毛に口唇で触れてみたい。やわらかで密やかな、彼の持つナイーブな内面を現しているようで、嬉しくなってしまう。つい、心が浮き立ち、躯を支配し始めている甘い疼きにジェットはぶるりと躯を震わせた。
「どうした?」
 長い綺麗な白に近い色どりの睫毛がぱさりと上げられて、ブルーグレーの瞳がジェットに向けられる。まだ、少し眠気を含んだ焦点が甘い瞳、まるで情欲を覚えた時のように掠れた寝起きの声。どれを取っても、男らしい色気に包まれている。
 彼は例え、機械の躯でもモテル。
 どうしてなのか、ジェットには分かる。
 何をしていなくとも、彼が動くと、男の色気と言う名前のフェロモンが漂うのだ。広い胸や、肩、颯爽と風を切る歩みや、鋭い知性に縁取られた眼差し、どれを取ってもそんな要素で満ちている。
 でも、それら全ては自分のモノだと思うと気分が良い。
 何も手に入れられなかった子供の頃に欲しかった。自分だけを愛してくれる人をやっと手に入れられたのだ。
 どんな美女よりもジェットを選んでくれた。
 生死を別つ仲であった過去の女性を胸の奥に埋め、自分の想いを受け止めて、そして今は自分を愛していてくれる。狂おしいほどに求められることがジェットは嬉しくてならない。
「ねぇ、アル」
 甘えたように、ジェットはアルベルトに覆い被さっていく。
「しよ」
 邪気無く笑うジェットの笑みに仕方ねぇなと、何も聞かずにアルベルトはジェットを抱き絞めてくれる。ジェットにはそんな気遣いが嬉しくて溜まらないのだ。ちゃんと、この甘く疼く躯をアルベルトと共有した後で、彼の腕の中でジョーと自分が感じた加速の世界について話してあげよう。自分が彼を見詰めていたことも、博士の白髪のことも、そっとアルベルトにだけ教えてあげたいと思う。
「アルって、ハンサムだからさ」
 そうジェットは自分の腰を抱き寄せる男にウィンクをして、嬉しそうに笑った。





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