過去の憂苦と未来の憂鬱
『あれで、ヨカッタのか?』 ジェットはそう口唇で綴り、暗い部屋のベッドの上で膝を抱えた。 パル達を見送った後、張大人が心づくしの労いの料理を作ってくれたけれども、どうしてもフランソワーズと顔を合わせたくなかった。昔のまだBG団に居た頃の、二人で身を寄せ合うように生きていたあの頃のフランの瞳に似過ぎていてそれが辛い。 少し休むからとギルモア邸の自室のベッドに横になった。 食事だとアルベルトが呼びに来たが、寝た振りをしてしまった。多分、アルベルトのことだから、自分の狸寝入りぐらいは気付いていると思うけれども、騙された振りをしてくれる彼の優しさが今日ばかりは切なかった。 夕暮れだった時刻は既に夜になり、光源のない部屋には明るい月の光りが差し込んでいる。自分の肩越しに空を見上げると満月に近い月は夜空の中天あたりまで昇っていた。NYのビルの狭間に見える月とは違い。ギルモア邸から見る月は哀しい程に綺麗だった。BG団の研究所のあった島から見えた月と似通っているように見える。 多分、海の上に浮かぶ月だからであろう。 ジェットは別れた少年のことを考え続けていた。 「ジェット、入るぞ」 遠慮がちなノックの後で扉が開かれる。 右手に盆を持ったアルベルトはそれをベッドの反対の壁際に置かれた書物机の上に置くと、ベッドの背に凭れて座っているジェットの隣に腰を下ろした。 ジェットは無言のままアルベルトの動きを見詰めている。 来てくれるとは思っていた。 多分、仲間達にも、あまりにも気持ち良さそうに眠っていたからと、適当な良いわけをして、張大人に頼み、夜中に起きて腹減ったと騒ぐと煩いとか言って何か簡単なものを作ってもらったのだということは、聞かなくてもジェットには分かっていた。 アルベルトはそう言う気の回る優しい男なのだ。 何よりも自分を怖いくらいに甘やかしてくれる。 「アル」 そう囁いて、肩に頭をこつんと当てると、腕が躯に回されてしっかりと抱き締められる。 それだけで、抱いていた不安によって揺らぐ心が安定し、支えられているという想いがジェットを強くしてくれる気がする。黙っていてはいけないとジェットには分かっている。アルベルトはずっと、黙って見ていてくれた。自分のすることを、ジェットの選んだ道をただ、見守るだけがどれ程に大変なのかをジェットも知っている。 「アル」 何だと、髪にキスを落として、隙間なくジェットの躯を抱き締めたその背を撫でてくれる。 「あれで、よかったのかな?俺……」 「どうしてだ?」 「俺……」 不安そうなジェットの揺れる青い瞳がアルベルトに当てられる。必死で、生き様ともがいてきたジェットに惑う暇などなかった。短気で、鉄砲玉と見られがちだが、ジェットは色々なことに悩み、惑っている。自分よりもずっと繊細な心を持っていると思う。 こう言う瞳で見られるとアルベルトはジェットを腕に囲って、心配するなとそう答えてやりたくなってしまうのだ。辛い想いをさせたという負い目がアルベルトはジェットに対してあるからこそ、ジェットを大切にしてやりたい。 腕に大切に抱き込んで、苦しみなど与えたくないと思う。 でも、そうすれば、ジェットはジェットでなくなってしまう。だから、自分はジェットが傷付いた時、泣きたい時には必ず手を広げて受け入れてもらえるとジェットに思ってもらえる存在になりたいと願っている。 今夜の食事会は当然、不在のジェットの話しがほとんどを占められた。ナスカの地上絵を模った船に子供達と残ったジェットの様子をジェロニモとギルモア博士から聞いたのだった。 彼等を助けたいとの一心で、憎しみを買うことすら厭わずに、本気で心配し、怒り、哀しみ、そして泣いた。今も、それが正しかったのか、彼等にとって良い方法だったのかと、悩んでいる。どんなにジェットが傷付き易くそして、優しいのかは誰よりも、自分が知っている。 だから、これ以上独りにはさせたくはなかった。 心の整理をする時間は必要だが、これ以上独りでいることはよくないのだとアルベルトはそう判断したから、ジェットの部屋を訪ねたのだ。 「俺は、戦うことを教えたかった。敵を殺すだけが戦いじゃないって教えたかった。敵を倒すことも生きて行く上では必要だ。自分達の仲間を守る為には…俺達はそうして来た。戦ってきたことに後悔はない。自分で選んだんだからな。でも……」 「でも?」 ジェットは分からないと首を横に振る。そして、アルベルトのシャツをきゅっと握り締めて、更に縋るように身を寄せて来た。アルベルトはジェットの躯をひょいっと抱き上げると膝に乗せて、有りっ丈の気持ちを込めて抱き締めた。お前を愛しているのだと、そう言葉にせずともその想いを込めて深い抱擁をする。 「戦うことは楽じゃない。辛いこともある。傷付くこともある。戦って、自分が死んじまうこともある。戦いたくない相手と戦って、殺して、血を流して……。勝って嬉しいばかりじゃないんだ。アルも良く分かってるはずだ」 「そうだな」 ジェットはそれだけ言うと黙ったまま、じっとアルベルトに抱き締められている。眠っている様子はないけれども、眠っているように静かであった。部屋に二人の息遣いだけが、微かに響いている。 ジェロニモは言っていた。 ジェットに心を開いたのは、彼が風の精霊に愛されるようにピュアな魂を持っているからだと、だから、少年の魂がジェットの美しき魂に呼応してしまったのだ。だとすれば、ジェットが内包している戦いに対する哀しみや苦しみ、そして、ジェットの持つ自己を犠牲にしてでも誰かを想うその優しさがきっと伝わっている。 だから、彼が道を誤まることはないであろうと。 彼等が戦いに勝った時に流した涙は決して、歓喜の涙ではなかった。自分にはそう見えたと、普段、無口にインディアンにしては饒舌にそう語ってくれた。 「でも、彼等は俺達の表層意識を読めるんだろう?だったら、お前の伝えたかった気持ちは伝わってるはずさ。だから、パルはお前の気持ちに呼応して口を開いてくれたんだろう?」 「俺には、分からない。どうして、俺だったのか。俺なんかよりはあんたや、ジェロニモの方がよっぽど、向いてるのに」 溜め息を漏らすジェットは本当に自分のことを理解していない。ジェットだからなのだ。ジョーでも、フランソワーズでもなく、ジェットだったから、子供達は心を開いてくれたのだ。誰よりも無垢な魂を持つジェットだからこそ、いや、ジェットにしか出来ないことだったのだ。 「多分…。お子様はお子様同士…。気が合ったんだろう」 アルベルトがそう言うと、一瞬、きょとんとした顔をするが、すぐにいつものジェットに戻り、口唇を尖らせる。すぐに、子供扱いしやがってと、ぶつぶつと文句を言う。ジェットにも自分を元気づけるための台詞だと分かっている。 簡単に、ジョークを言う男ではないのだ。ドイツ人の年上の恋人がとても頼もしく思える。自分の強がりを理解していて、やんわりと抱き締めてくれる。心地が良すぎて、もうこの腕なくしては自分は生きてはいけないのだろう。 「じゃぁさ、俺があんたのこと愛してて、あんたに抱かれるとこ妄想してるとこまで、知られちゃった?」 言うに事欠いて返ってきた台詞がこれだ。呆れながらも、少し元気になったジェットに安堵をする。ジェットはこうして憎まれ口を叩きつつも、甘えて来るそんな彼が一番、彼らしくてアルベルトとしては安心出来るのだ。自分の我が侭であったとしても、苦しんだり、暗く考え込んだりする彼は見たくはない。 いつも笑っていて欲しい。 「だったら、俺がいつもお前を抱きたいって、視線で犯してるのバレたか」 「多分ね。だから、あんた警戒されたんだよ。エロ親父だからさ」 ジェットはそう言ってへへっと笑う。でも、まだその瞳は惑いに揺れていて、無理に笑みを作っているのはアルベルトに見え見えであった。 「でも、今夜はあんたに犯して欲しいな」 と言うとジェットはアルベルトの肩に顔を埋めた。そして、手を背中に回して、声のトーンを落とす。 「まだ、ちょっと、シンドイ。明日にはいつもの俺に戻るから……」 そう呟いたジェットの独り言を聞かぬ振りをして、アルベルトは鋼鉄の手を項に這わせた。ジェットの背中が震えを伝えてくる。 忘れるわけではないけれども、どうしようもない自分の想いを絶ち切りたいのだと、でも、自分だけでは絶ち切れないから、助けて欲しいとそうアルベルトに頼んでいるのだ。昔は、自分に弱みを見せることはなかった。今でも、素直に辛いと伝えられない部分もあるけれども、こうして、辛いと縋ってくれるようになった。それがアルベルトには何よりも嬉しかった。 「ジェット……」 ドイツ訛りの英語の優しい切ない自分の名前を呼ぶ声がじんわりと心に染みてくる。独りでなくて良かったと、本当にアルベルトが居てくれてよかったと、愛しい年上の恋人に抱きとめられる幸せを噛み締めていた。 こうして、誰かに抱き締められる幸せを誰かを抱き締める幸せを知って欲しい。 敵を倒すだけが戦いではないのだと、様々な戦いの形があって生きている限り、その戦いは止むことはないのだ。そして、それは、誰かを愛する幸せを掴む為にも戦いはある。そのことを、時空の向こうに消えた少年に伝えて欲しいと願うジェットを月が優しく照らしていた。 |
The fanfictions are written by Urara since'09/04/01