昏睡都市
「アル」 猫のように足音を立てずにアルベルトの部屋にジェットは僅かに開けた扉の隙間から滑り込んできた。廊下からの光源が、ホッソリとしたジェットの肢体を一瞬だけ、暗い部屋に浮かび上がらせると、次の瞬間には、体温すら感じさせるほどに傍にその肢体が存在していた。 「ジェット」 おいでと、ベッドに座っていたアルベルトは隣に僅かなスペースを空けると、迷わずに躯を滑り込ませてくる。 風呂を使ったのだろう。躯からまだ真新しいシャボンの香りがアルベルトの鼻腔を擽っていった。 「フランは?」 ギルモア邸に滞在する夜のほとんどをこのアルベルトの部屋で二人は共に過ごす、大人の男が二人で眠るには少し狭いベッドだからこそ躯を密着して眠ることが出来て、かえって互いに安堵を覚えるのだ。 離れている時間が存在するから、共に居る時はなるべく傍に居たいと思うのは当然のことだと二人はそう受け止めている。 「まだ、眠っているって…躯には異常はないらしい。ただ、脳内に直接働き掛けられたから、少し生体機能に疲れが残ったらしい。って博士は言ってた」 「なら、心配ないな」 「うん」 ジェットは博士に教えてもらったままをアルベルトに伝える。難しいことは良く分からないが、とにかくフランソワーズが疲れているだけで良かったと思う。あの後、フランソワーズは、ギルモア邸に戻ってから、疲れたとまるで、気絶するように眠ってしまった。特に脳の近くを改造されているフランソワーズは脳内への刺激を敏感に感じ易い。 まだ、第一世代と言われる4人しかサイボーグが存在していなかった頃、長時間の訓練の後、いつもフランソワーズは痛烈な頭痛に悩まされていた。それを二人とも間近で特に、それを見続けてきたジェットは心配ならないのだ。 とにかく、疲れているだけとギルモア博士に太鼓判を押してもらって、安心はした。 ギルモア博士はウソは決して、自分達には言わない。特に、躯のことに関しては、怖い程に正直に自分達に伝えてくれる。だから、信頼するに足ると思うのだ。 「でも、フランには博士が付いていてくれるし、多少の恋愛沙汰でおたおたする人じゃないから心配ないけど……」 ジェットは言葉を濁したまま、アルベルトに腕を伸ばして、その堅い躯に身を寄せた。パジャマを通してでもその堅い人の躯とは違う感触を伝えてくる。ジェットの躯は足の裏にある噴射孔と脇の下にある排気孔を除けば、その皮膚の感触も実に人に近いものがあるが、アルベルトの躯は明らかに違う。 いつもは、それが、アルベルトなのだとジェットに自覚させるけれども、今日はジェットはそれが哀しいと思えた。 鋼鉄の右手をスフィンクスへの指紋の登録の為に差し出した時のアルベルトの台詞にジェットはやりきれなさを感じた。確かに、ふとした折りに自分の機械の躯に対して皮肉なコメントを寄越す彼の姿が見られるけれども、あのコンピュートピアでのアルベルトの言動には何か哀しさが漂っていた。 だから、ジェットはあの管理された都市でアルベルトに近付くことを躊躇してしまったのだ。 どう、何を切り出したら良いのか分からずについ、ピュンマと同じエアカーに乗ってしまっていた。モノレールが落下して来て押し潰されそうになった瞬間、上手くかわしたアルベルトの視線が自分にあったことも、ジェットには分かっていた。そして、皮肉めいた意味ありげな笑みを寄越した。 更にその笑みがジェットがアルベルトに近付くのを躊躇わせたものと同質もものであった。 でも、今のアルベルトはいつもの彼に戻っている。 安堵するのと同時に、あの時、何もしてあげられなかった自分が歯痒いと思えるのだ。 ジョーと廊下で話しをしていた時も、結局、二人の間に割って入れなかった。ジョーに背を向けて、去って行くアルベルトの背中すら追うことも出来なかったのだ。 彼が機械の躯と過去に折り合いをつけて生きて行くことを選んだ全ての肯定を見詰めていたからこそ、何も言えない。今回のことだって、黙って傍にいることしか出来ないでいるのだ。ただ、昔と違って今は、正しくないのかもしれないが一瞬でも忘れさせる方法をジェットは知っている。 「アル」 凍えた北海を彩りに添えた瞳を見詰めて、口付けを強請るように顔を近付けた。 アルベルトは強請るように寄せられた口唇に己の冷たい口唇を重ねると、ジェットの持つ体温が伝わってくるのを感じる。 それが飛行型サイボーグとして必要だから作り出される体温だとしても、それがジェットのものであると思うだけで、鋼鉄の手に伝わる体温を関知するのもシステムの一つだと分かっていても、愛しいと想いが募る。 自分の躯を構成する機械がジェットの肉体の温かさや、感触、美しさや愛しさ、を脳に伝えて寄越すのだ。自分の生身で感じてるわけではない。感じている感覚が生身であった頃とどう違うのかは今はもう忘れてしまって、比べることも出来ない。 いつもは、当たり前のように重ねる肉体が今夜はやけにもどかしく感じられるのだ。 ジェットが自分の腕の中で乱れる程に、ジェットの肉体は快楽を得ていなく自分に対する思いやりから演技しているのではと、ふと思えてしまう。普段は考えもしないことが、あのスフィンクスから戻ってからは、 浮かんでは消える。 それでも、触れずにはいられないのだ。 機械の躯であったとして、ジェットが自分に感じ、また自分もジェットに感じるのだと、確認したくてならない。これを例え、システムの一環だとしても脳が関知出来る間は自分はまだ人間で居られるとそう思いたい。 ジェットを愛しいと思える気持ちが心に存在している間は、人であると思いたい。 機械の全てを否定するわけではない。ただ、機械を人と同様に扱うのが嫌なのだ。機械は機械、無機質な存在で人の心のように曖昧なものあってはならない。 でなくてはサイボーグである自分の存在をも否定することになってしまうからだ。けれども、自分が機械の躯を支配しているのか、機械の躯に支配されているのか、境界線が曖昧になり、自分の精神的核すらも、幻想の中にある薔薇の花のように頼りないものになってしまうからだ。 メンバーの中でも、最も機械が占めるパーセンテージが高いからこそそう思えるのだろうか、ジェットはそのようなことを考えはしないのかと、腕の中に大人しく収まっているジェットの青い瞳に視線を合わせると、ただ、それだけなのにジェットはアルベルトに対して慈愛に満ちた視線を投げ掛けるのだ。 まるで、あの都市は自分達を反転させたようだとそうジョーには言った。 都市のシステム自体が自分達の躯に埋め込まれたシステム同様だと、そう言いたかったのだ。過信すれば、死を招き、その能力を知らなければ、それもまた死を招くことになる。ただ規模の差はあれ、どちらとも似た状況であるには違いない。 何も語らぬシステムに擬似人格を与えるのは、危険なのだ。あくまで、システムはシステムとして正しく扱わなければ、ならない。それを、アルベルトは誰よりも理解していた。 それに、自分が最初に殺意を抱いたのは、スフィンクスに対して否定的な態度を取ったからではない。 都市に入る寸前とその直後、フランソワーズはアルベルトの傍に居たからなのだ。 フランソワーズはこのコンピュートピアに対して、端っから否定的な立場を明確にしていたアルベルトの精神状態に心配をしたのだ。共に生きていた時間が長いからこそ分かっていた。それに、ジェットの縋るような視線が、フランソワーズにそんな行動に走らせたのだ。 三人は、それは兄弟のように恋人のように密接で複雑な人間関係を構築している。アルベルトとジェットが相思相愛の恋人だと、互いを認めるようになったのは、BG団を逃げ出した後のことである。比較的に出会って間もない頃から躯を重ねる関係ではあったが、アルベルトはジェットを愛してはいなかった。自分が人であると確認する為に、ジェットと躯を重ねていたに過ぎなかった。けれども、ジェットは、アルベルトを愛していた。 哀しみだけを纏う男に心引かれて、その痛いまでの哀しみを癒したくて躯を張っていた。それをフランソワーズは知っていた。アルベルトが来るまで二人は本当の姉弟以上に身を寄せて生きて来たのだ。 互いが互いを愛して、労わり、そして、求めた。 だからこそ二人の間には恋愛と言う感情は発露することはなかった。だから、フランソワーズにはジェットが大切でならないのだ。長い間、報われない恋に苦しむジェットを見ていたから、そして、ジェットを好きだとフランソワーズには感じられていたとしても、それを自覚できないアルベルトの哀しさを見ていたから、二人が本当に晴れて互いの気持ちを打ち解け合った時は、何よりも嬉しくて、アルベルトに愛していると言ってもらったと、ベルリンから日本にいるフランソワーズの元に飛んで来て、嬉しいと涙したジェットと共に泣いたくらいにジェットが大切なのだ。 だからこそフランソワーズはアルベルトを労わるように傍に居た。 それが、アルベルトにもフランソワーズだと嫌ではないのだ。 アルベルトとフランソワーズの間も、兄妹にも似た愛情で結ばれていた。フランソワーズが居てくれたから、ジェットとの仲が続き、こうして、今彼を腕に抱いていられるのも彼女のお陰だ。あの穏やかな春の日差しのような笑みに救われたことは何度もあった。 自棄になるアルベルトを時には、厳しく、時には優しく宥め、諌め、そしてその能力で未来を指し示してくれた。 二人にとってフランソワーズはかけがえのない存在であった。 けれども、それが今回はアルベルトを最初にスフィンクスが狙った原因にもなったのだ。相手はコンピューターだ。00ナンバーを捕捉した瞬間からの映像は記録として残される。そこから、フランソワーズの恋人ではと疑いを持ったのが、アルベルトであったのだ。 あれは自分対しての殺気は、殺気であったが、その中に嫉妬という色彩があることにアルベルトは気付いていた。敢えて、そこまで口に出さなかったのは、確証持てなかったのと、あくまで自分の感覚であったことと、これを認めれば、完全にスフィンクスの人格を認めたことになる。それが、嫌であったからだ。 そして、アルベルトが一度だけ狙われただけで、ターゲットは他のメンバーに移行していってしまった。それは、多分、アルベルトの視線の先にフランソワーズはなくジェットだけがあったからなのだ。ジェットの無事を確認した瞬間、アルベルトの心拍数が途端に落ち着いたのだ。あの都市を管理しているスフィンクスがその程度のこと分からぬわけはない。 「でもさ」 ジェットは突然、何かを思い出したようにアルベルトの肩に乗せていた顎を上げて、アルベルトの顔を覗き込んだ。 「何だ」 「あいつがフランに惚れたって聞いた時、最初に、あんたを狙ったのは、アルがフランの恋人だと、誤解したからかなって思っちまったよ。で、最終的にはジョーに狙いを定めたってことは、あんたがフランの恋人じゃないって…理解したからなんだろうけど…あんたの本命が俺…って分かったのかな」 時折、ジェットは怖いくらいに真実を突いて来ることがある。それに驚きながらもアルベルトはジェットにも語るつもりはなかった。 「だな、俺がお前しか見てないのに気付いたんだろうな」 そう言って、華奢な肩に鋼鉄の手を乗せて、そのまま二の腕へ滑らせて、自分の胸に添えられたジェットの左手を捕らえて、そっと口に含むと、ぴくっとジェットの躯が揺れた。 「俺達の関係…理解できんのかな?あいつに」 もっともな疑問だ。スフィンクのサイコサイクルの原型は男性である。だとすれば、女性のフランソワーズに恋をするのは極めてノーマルな反応である。そのスフィンクスがアルベルトとジェットの関係をどう認識したのか、アルベルトに正直興味がないわけではない。 同性愛的な関係だと受け止めたのか、いや、多分、そうだろう。それ以上の込み入った二人の感情に関して、一度邂逅しただけの機械に理解出来るはずもないのだ。フランソワーズの記憶を読み取ったとしても、それは二人の全てではない。 「さあな、でも、こう言う関係だとは思ったんだろうな」 アルベルトは自分の腰を足で挟み込むようにしているジェットの股間に空いた左手を回した。 「あっ……」 突然、触れられた感触にジェットは艶やかな声を漏らした。 「本当に残念だよ。もう少し時間に余裕があったら、俺とお前の関係を見せつけてやれたのにな。ジェット」 揶揄するように耳元に吹き込んだ囁きにもジェットは敏感に快楽として拾い上げる。 本当に見せつけたかった。男女の間にあるだけが愛ではない。崇高でありながらも、穢れて汚れているのが愛である。清濁併せ持つ姿が本来の愛の姿であることを、決して、機械は機械である以上、理解は出来ないのだ。 どのような道のりの果てに自分達がこの愛の形を手に入れたのか、理解は出来ない。 もちろん、理解させようとも思わない。 知っているのは互いだけで良い。 「それは困る」 「どうしてだ」 アルベルトはジェットの細い首筋に口唇を落としながら、困ったようなジェットの声に即答をし、右手を腰に回して、左手で勃ち上がったジェットのペニスを軽くパジャマの上から扱いてやる。 「俺を抱く時のあんたカッコ良すぎ、間違って惚れられたらイヤだもん」 バカみたいな有り得ないことなのだろうけれども、ジェットの見せる自分に対する独占欲が微笑ましく、アルベルトの機械仕掛けの体内に劣情を呼び起こす。ジェットを愛しい相手として認識するまでは、故意に葬り去ろうとしていたその激しい感情が吹き荒れるのだ。 だから、自分は人だと言い切れる。 「なあ、カッコイイ俺だけのアルを…見せてくれない?」 あからさまな誘いに台詞に、アルベルトは後悔するなよと、そのジェットの耳元にそう落としながら、白い肢体に意識を傾けて行くのであった。 愛を知らない都市だと、フランソワーズはそう言った。 確かに、そうだ。 彼と自分達の違いは愛を知っているか、知らないかの違いだ。 愛にも様々な形がある。人の数だけ愛の形は存在する。 自分とジェットの間にも愛がある。そして、フランソワーズとジェットの間にも、更には、自分とフランソワーズの間にも存在している。肉体を介するだけが愛ではない。 照れくさくて愛を真剣に語れる歳など過ぎてしまっているが、自分がジェットを愛して、また愛されていることも事実である。 それがある限り、自分が機械でないのだと信じて行ける気がする。自分の気持ちと矛盾するシステムを体内に抱えながらも、それでも、彼と共に生きて行くのだ。 その矛盾の存在が人である何よりの証しなのだとアルベルトはそう思いたいと、恋人の愛しい機械の躯に自分の機械の躯を重ね合わせた。 |
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