ささやかに笑む男
「アルゥ〜」 遠くで自分を呼ぶ声がする。 その頼りなげな声は自分の小さな弟や妹が夜中に怖くてトイレに行けなくて、でも、大勢の家族を養う為に、毎日、休むことなく働き続ける両親を起こすのは申し訳なくて、半べそをかきながら、自分を起こしにくる弟妹の姿が見えた。 ああ、わかった今起きるから我慢するんだ、ちびるんじゃないぞ。と隣で眠っている更に幼い一番下の妹を気遣いながらそっと起き上がろうとするが起き上がれない。早く起きてやらないと、怖がり弟妹はおしっこをもらしてしまうのだと、そう思った瞬間、途端に躯が軽くなった。 「アルゥ〜」 自分を呼んでいたのはこいつだったのかと、ベッドの上にちょこんと座って頼りなげな瞳で見詰めている恋人を見遣った。 「どうした?」 鋼鉄の手を伸ばして赤味のかかった金髪を撫でると、青い瞳に涙を溜めながらアルベルトのパジャマをしかっと握りしめてくる。ホントウに少年ギャング団のリーダーだったのかと思える程にジェットの仕草は幼さを覗かせることが多い。愛情を受けられなかった分、愛情を受けて発達していく部分が彼の場合は未発達なのだろうと思うが、何せ13人兄弟の長男として自分の弟妹の面倒を見てきたアルベルトからしてみれば、ジェットの幼さは弟妹と重なり却って微笑ましいものに映っているのだ。 「トイレ…ついて来て」 ここはギルモア邸のアルベルトの部屋で、基本的な造りは部屋が広い日本のビジネスホテルとあまり変わらない。ユニットバスが備えつけられていて、トイレといってもバスのドアまでは数メートル、自分たちの歩幅を計算すれば数歩で辿り着く距離なのだ。ついて行くも何もないんじゃないかと口を開こうとしたアルベルトのパジャマを更に力強くぎゅっとジェットは掴んだ。 やっぱり、今夜のジョー主催の納涼大会がまずかったのかと思う。 納涼大会とは別名、百物語、つまりは日本式怪談話大会であったのだ、全員が持ち回りで怖い話をしていって100本点したろうそくを一話終えるごとに吹き消していくというものであった。波乱万丈な人生を歩んできたメンバーの怪談話は多岐に渡り、スプラッタに慣れている彼らですら背筋に冷たい空気が走ったというぐらい怖いものも幾つもあった。 特にブリテンの怪談などは、一龍斎貞水もどきの迫力とおどおどしさで、全員がその芸の凄みに震え上がったものである。 けれども、殺伐とした生活を送ってきたわりには、この手の話にジェットは弱かった。 「アルゥ〜、も…もれちゃう」 仕方ねぇなと苦笑いをしてベッドから降りたアルベルトの腕にジェットがしがみついて来た。ひしっと頼って来る姿が可愛いじゃないと思えるアルベルトも大概、末期症状なのだけれども本人は気付いてはいない。 ほんの数歩の距離をジェットを腕にぶら下げた形で歩き、バスへの扉を開けて、明かりを点した。大きく扉を開けて、ジェットを促すとおずおずと中を覗き込んで恐る恐るの体で足を踏み入れた。 「覗くなよっ!!」 そうジェットは言うと、それでも5cmほど扉を開けたまま中に姿を消した。覗くなと言っても、することをしている仲なのだ今更じゃねぇかと、自然と笑みが零れてきてしまう。こうして、ジェットに頼られることは決して嫌なことではないし、むしろ歓迎したいところだ。 甘えん坊のくせに変なところでプライドの高いジェットは、構われたいくせにそれをストレートに表現することが下手というか、要するに甘えるのが下手なのである。最近、ようやくアルベルトになら甘えても良いのだということを学習したのか、出会った頃に比べてストレートに欲求を伝えるようになっていた。 出会った頃のジェットなら、朝までベッドの上でトイレを我慢するか、目を瞑ってトイレに向かってダッシュしてトイレを破損させるか、まあ、その辺りが無難な行動であろう。 納涼大会の最中も、大量に消費したビールのおかげでトイレに行きたくて堪らなかったくせに独りで怖くてトイレに行けなくて、休憩時間まで我慢していてトイレに行くジョーに引っ付いていったくらいなのだ。 それが、本人はバレテないと思っているだろうが、全員にバレバレでジェットがジョーについていった後では、年長者たちの間で微笑ましいとの囁きが広がっていた。 ジェットのこういうところが、他のメンバーに愛される一因となっているけれども、当のジェットは全く気付いてはいない。そこがまた、可愛らしいところなのではあると、アルベルトの顔は更にだらしなく崩れていった。 だから、同世代のジョーにすら虐められてしまうのだ。 待たされている間、ついジェットの待っててお願いコールが可愛くって怖い話しちゃって、虐めちゃったよとあっけらかんと言われたのだ。でも、アルベルトにフォロをお願いする辺りは、手抜かりのない優等生のジョーの人柄を表している。 「アルゥ〜、ちゃんといる?」 「急ぐと、引っ掛けるぞ」 そう、弟妹も怖くて急いでトイレを済ませようとして何度、パジャマや便器におしっこを引っ掛けたことかわかりはしない。ジェットが怒るとわかっていても、そんなからかいが止められるわけがない。何故かというと反応が良すぎるからだ。 男は幾つになっても好きな子は虐めたいのだ。 「うっせーい、ガキじゃねぇんだっ!!」 「ガキじゃねぇんなら、しょんべんくらい、独りで行けよ」 扉の向こうでなにやら、ガタガタと派手な音がして水が流れる音が聞こえてくる。 アルベルトはやにの下がってすっかりデロデロに蕩けた顔をピンと両手で挟みこむようにして叩くと、瞬時にしていつものクールガイに戻っていた。 ブリテンの変身能力と対を張れる凄さである。 ジェットの見ていないところでは、平気でジェットのことを考えてそれはもう情けない局地というほどにデロデロに蕩けた、鼻の下が伸びきった間抜けな顔をしているのに、ジェットの姿が見えた瞬間、クールガイに戻る様は、それはもう見事としか言い様がない。 ジェットの目の前では、クールガイ、ハンサムで知的ないい男を実践する為に、涙ぐましい努力をしているアルベルトとジェットは似合いのカップルであるというのがメンバーの共通する見解である。 「手ぇ、洗ったか?」 あくまで子供扱いをするアルベルトにジェットは、頬を膨らませて反論をする。 「ガキじゃねぇって」 と言いつつも自然と差し出される鋼鉄の手をしっかりと水でまだ濡れている手で握った。ホントウにこういうところがジェットは可愛いくてならないのだ。 「ありがと、な。アルが怖くて独りでトイレに行けない時は、俺がついて行ってやるよ」 そんなこと一生ないと思うがと、アルベルトは呟くように返事しながらジェットの手を握ってベッドまでの数歩の道のりを歩いた。 どうして、ジェットはこんなに可愛いのかわからない。自分たち以上にサイボーグとしての苦しみを知っていて、自分以上の地獄を見て来たのに、そのピュアな心は穢れることなく彼の中に存在しているのだ。 それと出会えたことは幸運であり、また、喜ばしいことでもあった。 そんな可愛い恋人を急に抱きしめて自分のものにしたくなる。 「怖くって、眠れねぇなら、眠れるようにしてやるよ」 とジェットの躯を抱きこむようにしてアルベルトはベッドにダイブしながらそう耳元に囁きを吹き入れ、ジェットの薄い躯に伸し掛かるようにしっかりと腕の中に収める。 「仕方ねぇなぁ」 ジェットの笑いを含んだ嬉しそうな返事が返ってくる。 それからは、百物語に呼び寄せられた幽霊や妖怪もバカバカしくってやってられるかと、回れ右したくなるような熱々ぶりを彼等に披露する二人がいたのであった。 |
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