ある夜の出来事



 それは、偶然と少しの故意によって実現された出来事であった。
 震えながらも決して火の傍に近寄ろうとしないバイキンマンにどうしたものかとアンパンマンは視線を遣る。
 ここは小さな島の洞穴の中である。
 外はびゅうびゅうと激しい嵐であった。
 到底、ここから外に出ることは自殺行為であり、いくら正義の味方のアンパンマンでも推奨できることではない。
 しかし幸運だったことは、この洞穴の中には湿気が帯びないようにと防水シートで覆われた薪と火を点ける道具一式、そして毛布に食料品が置かれていた。
 おそらく島に一軒だけ建っていた家の持ち主が万が一を考えて、避難場所として非常用に用意していたものだろう。しかし、その家の持ち主は長い間家には帰っていないらしく、何度か通り過ぎただろう嵐によって窓や扉はおろか屋根の一部まで吹き飛んだ有様では、屋外に居るのと変わらない。
 だから、アンパンマンとバイキンマンはこの洞穴へとやって来たのだ。
 少なくとも嵐が通り過ぎるまでの間、ここに居れば安全だろう。
 二人っきりで海上を漂っていた間はあれこれと怪我をしたアンパンマンの世話を焼いていたバイキンマンであったが、この島に辿り着き意外と元気に歩き回るアンパンマンを見て、臍を曲げてしまったのだ。
「ねえ、寒いよ。こっちにおいでよ」
 と誘ってもぷいと顔を背けたままバイキンマンは動く様子もない。
「風邪、引いちゃうよ」
 しかしバイキンマンは震えているし、口唇も青くなっていて、アンパンマンは自分のこともさることながら心配で仕方がない。
 バイキンマン達はとてもデリケートな種族であるのだ。
 実際にバイキン城は空調システムにより城全体がバイキンマンとドキンちゃんとって心地良いと感じる温度と湿度に設定されている。短い時間ならともかくとして、不快と感じる状況下に置かれると消耗が激しくなるのだ。場合によっては命が危険に晒されることも少なくはない。
「ねえ」
「煩いのだ!!」
 幾度もこんなやり取りを繰り返したが、しまいには怒り出す始末で手に負えない。けれども、アンパンマンは彼に身体を温めて欲しかった。本当なら、強引に濡れたスーツを脱がせて毛布に包んでやりたいところだが、ようやく体力が快復する兆しが見えた今の自分では体力的に辛かった。
 寒さのせいか酷く打ちつけた背中が痛むのだ。
 幸い、骨に皹が入ったとか折れたという感覚はなく、スーツを脱いで確認してはいないから分からないがおそらく背中には打ち身の跡が出来ているのだろう。
「ほら、おいでっ……っつ」
「アンパンマンッ!!」
 バイキンマンは立ち上がろうとして痛みに顔を歪めるアンパンマンに駆け寄った。一応、罪悪感はあるのである。止せと警告されたのを無視して危険に自ら飛び込んで、結局最終的にはアンパンマンに助けられ、彼は怪我をし、自分のUFOはズタボロになった。怪我をしなかったのは奇跡で、それはアンパンマンが身を挺して守ってくれたという証しであった。
 バイキンマンは、腰を浮かせたままの体勢で固まっていたアンパンマンに手を貸して座らせる。
「ようやく、火の傍に来てくれたね」
 痛みで歪んだ顔のまま無理に笑おうとしているアンパンマンの顔を見てバイキンマンの心がズキリと痛んだ。
 これはアンパンマンを倒すことを目的としていた自分にとっては絶好のチャンスであるのに、自分は何も出来ない。いや、それどころか怪我をしたアンパンマンを心配している。
 そう最初から、アンパンマンじゃなくても誰でもよかったのだ。
 ただ自分を遠くに追いやる為の口実というだけで、本当は誰もアンパンマンを倒して欲しいなどと願ってはいない。でも、今の自分はその命令通りにアンパンマンと戦うしか、生きる術を知らない。
「さあ」
 アンパンマンは痛みを堪え、バイキンマンの手首を掴んでもっとと火の傍に招こうとする。バイキンマンは抵抗しようとして止めた。今、自分が抗えばアンパンマンの傷に触る。
 西の海に住む海坊主が持っている印籠の中には、惚れ薬はもちろんのこと、ありとあらゆる病気に効く薬、飲めば誰にも負けないくらい強くなれる薬といった秘薬が数えられないほど入っているのだと聞いたのだ。
 バイキンマンは、ドキンちゃんの為とアンパンマンを倒す為にその秘薬を狙って海坊主を探していた。そして一週間目にようやく発見し、秘薬を奪おうとした時にアンパンマンが現れたのである。
 ここ数日、村には現れず海上に向けて移動しているバイキンマンのUFOを見かけて、不審に思って追跡してきたというのだ。
 バイキンマンの攻撃に怒った海坊主は暴れた。
 海が荒れ、雷雨が起こり、パイキンマンのUFOは雷に打たれて鉄の塊に成り果ててしまった。
宙に投げ出されたバイキンマンを海坊主は捕らえようとした。
しかしアンパンマンは海坊主の手がバイキンマンに届く前に助け出したのだ。アンパンマンには興味を示さなかった海坊主だったが、バイキンマンを助けたアンパンマンも仲間だと勘違いし、襲い掛かってきた。
 しかし、正義の味方としては海坊主と戦うわけにはいかない。
 自分達とは種族も生き方も違うのだが彼等には彼等のルールがあり、それらに習って生きている。ほとんど接触はないけれども、正義の味方という稼業上、攻撃は出来ない。
 バイキンマンを抱いたまま、必死で攻撃を避ける。
 バイキンマンは完全に気を失っていて、動く様子もない。息はあるのかと確認しようとした瞬間、アンパンマンの背中に衝撃が走った。
 海坊主の大きく振りかぶった腕がアンパンマンの背中に直撃し、遠くへと二人は飛ばされた。
 そこでアンパンマンの記憶は途切れる。
 次に気付いた時には、バイキンマンのUFOの残骸の上に括りつけられ海上を漂っていた。
目の前にはバイキンマンが居て、上手く潮の流れに乗れたから、もうすぐ島に辿り着くだろうからもう少しの辛抱だとずぶ濡れの姿でそう言って、UFOについていたと思しきコンパスを器用に操っていた。
 こうして二人は嵐の中、この島に辿り着いたのである。
「アンパンマン」
「バイキンマン、そんなに悲しい顔をしないでよ。君を助けたのは僕のお節介で君が気に病む必要はないんだよ。君だって、僕を助けてくれたじゃないか」
 しかしバイキンマンにはそうは思えなかった。
 正義の味方が敵である自分を助けるということ自体どうかしている。
「けど……」
 バイキンマンは何か言おうとするが言葉が見付からない。
自分の気持ちを言葉として伝えることがバイキンマンは下手なのだ。それ故に、誤解され続けてきた一面もある。もっと、自分の気持ちを上手く伝えられたとしたら、バイキンマンはきっと誰からも愛される存在になれただろう。
「僕が君を失いたくないから、君を助けたんだよ。僕は僕の為に」
「休んだ方がいい。俺様はどこにも行かない。ここにいる……」
 これ以上、喋らせたくなくて、そう言うと安心したようにアンパンマンは笑う。
 自分一人で背中から羽織っていた毛布をそっとバイキンマンの肩に掛けると、身体をぴたりと寄せて来た。けれども、バイキンマンは動かなかった。いや、動けなかった。
 痛みでぎくしゃくした動きをしているアンパンマンにこれ以上の負担をかけたくはなかったのだ。
「ねえ、バイキンマン」
 何だとバイキンマンは唸るように答える。
「僕はね。こんな状況でも君と二人きりで居られることが嬉しくてたまらないよ」
 アンパンマンはそれをバイキンマンに告げると深い安堵とも取れる溜息を漏らし、瞼を閉じた。
 そして、そのまま動かなくなり、小さな寝息がバイキンマンに届けられた。
 身体を堅くしていたバイキンマンだったが、その寝息を聞いてからは身体の力を抜いた。
 ぱちぱちと薪が爆ぜる音と外の嵐の音が入り混じって聞こえる。
 敵同士なのに、こうして寄り添っていられるのが不思議だった。
 倒そうと思っている相手なのに、触れる体温が嫌だと思えない自分がいる。
 バイキンマンは自分の中にあるこの不思議な感情など不要なものだと、無理に燃え盛る火の中に新しい薪と一緒に投げ込もうと足掻いてみるが、それすらも出来なかった。
 バイキンマンはそんな自分の不可思議な心の動きにきゅっと口唇を噛み締めて、燃える火を見詰め続けていた。





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The fanfictions are written by Kurataki Humiharu since'19/10/06