聖夜の恋の行方



「ねえねえ、バイキンマン。あたし、レディに見えるかしら?」
 ジャムおじさんのパン工場から徒歩五分程度の場所にUFOを着陸させたバイキンマンは、ドキンちゃんにそう聞かれて、小さく頷いた。
 紅い豊かな髪を高く結い上げて、ピンク色の大きなリボンをあしらい。白いフェイクファーのコート、白いショートブーツを履き、コートの中はピンク色のミニのワンピース。ビーズで作ったバックと小さなプレゼントの包みを持っている。
 クリスマスパーティに出掛ける何処にでもいる普通の女の子に見える。
「うん、ドキンちゃんとっても素敵だよ」
「ありがとう、バイキンマン。帰りは食パンマン様に送ってもらうから、迎えはいらないわ」
 それだけを言うと足取りも軽くいつもよりずっと明るく見えるジャムおじさんのパン工場へとドキンちゃんは歩いていった。
 後を振り返ることもない。
 バイキンマンは黙ったままその後姿を見送っていた。
 ドキンちゃんの姿がパン工場の中へと消えたのを確認してから、バイキンマンはなるべく静かにUFOを浮上させると、バイキン城へと帰っていった。



 リビングにはクリスマスの飾りがそのままになっている。
 昔、クリスマスを祝う習慣などなかった。バイキン仙人と二人っきりの時は誕生日すらも淡々としたいつもと変わらない一日にしか過ぎなかった。でも、ドキンちゃんが来てからは変わった。誕生日もクリスマスも、ハロウィンも三人だけでパーティをした。
 自分は失敗を何度も繰り返しながらご馳走を作り、普段は無愛想なバイキン仙人もドキンちゃんと一緒に部屋の飾りつけをしてくれた。
 昨夜は、ドキンちゃんと二人っきりでクリスマス・イブを祝ったのだ。
 けれども、クリスマスの本番である今夜は独りだ。
 ドキンちゃんは、ジャムおじさんのパン工場で開かれるクリスマス・パーティに招待された。自分にもその招待状は届いたが、行くつもりもなく、すぐにゴミ箱に捨ててしまった。憧れの食パンマンや友達であるメロンパンナに誘われたのとドキンちゃんは招待状が届いたその日からプレゼント選びと洋服選びに余念がなかった。
 バイキンマンと似たように肉親に見捨てられたという傷を持っていながら、ドキンちゃんは人との関わりを積極的に持とうと心がけていて、傷付いても尚、前に進む強さを持っている。それを羨ましいと思いながら、バイキンマンは今自分の居る場所から動けないのだ。
 お腹を空かせて行って、がつがつ料理を食べていてはレディらしくないからと、クリスマス・イブのご馳走の残りをドキンちゃんは少しだけ摘んで出かけた。
 ドキンちゃんの準備の手伝いに手を取られて、食卓はドキンちゃんが使ったコップやグラスや皿やスプーンにフォークが出たまま、片付いていない。
 独りの食事ならこの残り物に、残ったスープを温めれば十分すぎる。
 けれども、どうにも食欲が湧いて来ない。
 ドキンちゃんが一緒だと、食べないとという義務感で食べられるのだが、独りになると途端にそんなことが面倒になってしまう。
 静かな食卓にバイキンマンは独りでぼんやりと座っていた。
「寒いな」
 空調はきいていて寒いはずなどないのに、バイキンマンにはそう感じられた。広いダイニング兼リビングにある暖炉にのろのろとした動作で火を入れる。
 昨日からずっと、火を入れていた暖炉はすぐに温かくなった。
 ぼんやりと燃える火をバイキンマンは見詰めていた。
 ドキンちゃんを取られたという気持ちはない。彼女が楽しければそれで良いのだし、彼女はちゃんと自分の所に帰って来てくれる。だから寂しくはないけれども、この倦怠感は何なのだろうかと、バイキンマンはぼんやりと思う。
 あのアンパンマンと嵐の夜を一緒に過ごして以来、気を抜くとこの倦怠感が襲ってくるのだ。
 でも、今は独りだから何をやっていたとしても構わない。ドキンちゃんが居ると心配させてしまうから、もちろんこんな態度など取ることは出来ない。
 そのまま暖炉の前に置かれたラグマットの上で横になった。
「風邪を引くよ」
 聞き覚えのある声にバイキンマンは素早く上体を起こして、その声をする方向を窺った。
 その声は、テラスから聞こえてきた。ああ、テラスへと続く窓が開いていたから寒いと感じたのかとバイキンマンは頭の隅で全く違うことを考えている。
「ドキンちゃんに頼まれて来たんだ」
 無視をするつもりだったのだけれども、ドキンちゃんの名前が出ればそうはいかないバイキンマンなのだ。
「ドキンちゃんに、何をした」
「何もしていないよ。君にこれを届けて欲しいって頼まれたんだ。こっちに来て中身を確認してくれないかな」
 いつもと変わらない、にこやかな口調でアンパンマンはバイキンマンにそう問い掛ける。あの一緒に過ごした夜以来、バイキンマンはアンパンマンが苦手になった。今までは敵だけれども苦手だと思わなかった。
 しかし、弱い部分を見せたアンパンマンに対して不可思議な感情が沸いてきて、自分の心の整理をつけられなくなり、彼を見ると心が乱れるようになった。だから、バイキンマンはアンパンマンが苦手になった。
 けれども、ドキンちゃんの使いなら仕方ない。ドキンちゃんもどうせならカレーパンマン辺りを寄越せばよいものをと思いながらも、ゆっくりと立ち上がった。
 アンパンマンの所までゆっくりと歩いて行く。
 バイキンマンを急かすことなくアンパンマンも待っている。
 その距離が手が届くまで縮まった時、ゆっくりとアンパンマンは蓋のついたバスケットを差し出した。
 バイキンマンは受け取るとその重さに驚いて、危うく落としてしまうところだった。それをバスケットの底に手を添えて阻止してくれたのはアンパンマンだった。バイキンマンは気付かない振りをして、テーブルまでバスケットを抱えて歩く。
 その後を距離を保ったまま、アンパンマンが続いた。
 クリスマス・イブのご馳走が置かれたままのテーブルにバスケットを置くと蓋を開けた。途端に、パンやケーキやらの甘い香りが漂って来る。そして、口の広い保温ポットが一つ見えた。
 これは、ドキンちゃんから頼まれて持ってきたものではないことをバイキンマンは気付いてしまった。
 ドキンちゃんならば、クリスマス・イブのご馳走が沢山余っていることを知っているからだ。
 二人は、その高貴な生まれにもかかわらず、堅実に育てられていて、たまの贅沢は許せても、普段は割合と普通な食卓なのである。
もちろん、クリスマスのご馳走も沢山は作って喜ぶが、無くなるまでちゃんと残さず食べる習慣がある。そんなドキンちゃんがわざわざ、アンパンマンに頼んで、新しいパンやスープを届けさせるはずもない。
 クリスマスのご馳走が、今夜バイキンマン独りでは食べ切れないことを知っているはずだから、明日もこれが食卓に並んでも文句は言わないはずなのだ。
 一見、我侭で今風の娘に見えても、その辺りはしっかりとバイキン仙人は二人を育ててくれていた。
「何が、目的なのだ」
 バイキンマンはアンパンマンにそう問い掛ける。
「僕は、何も……、頼まれただけだよ」
「ドキンちゃんはこんなことは頼まない。おれ様が一番、良く知っていることだ」
 バイキンマンはアンパンマンに背を向けたまま、そう答えた。
「そうだよね。ご馳走並んでるもんね」
 アンパンマンは思ったよりもあっさりと、自分の嘘を認めた。
 そして、座っていいかなとバイキンマンの席に腰を下ろした。
 敵が何を言っているとバイキンマンが低く唸るように呟く。今夜はクリスマスだよ、たまにはこういうのもいいんじゃないのと、いつもの笑顔を浮かべて背凭れにゆっくりと背中を預けた。
「馴れ合うつもりはない」
 アンパンマンに対して、きっぱりとした口調で線を引いたバイキンマンにアンパンマンは小さく肩を竦めると、何事もなかったかのように、セッティングされているグラスに水を入れる。冷えた七面鳥を目の前の皿に取り分けるとナイフとフォークを使い滑らかな動作で口に運ぶ。
「勝手に食べるな」
「美味しいな。でも、温かいともっと美味しいのかな。君は温めもしないで食べるつもりだったの」
 アンパンマンはバイキンマンの言うことなど意に介していないようだった。
「帰れ」
 バイキンマンは立ったままで、そうアンパンマンに言う。
「これを持って帰れ」
 どうして、アンパンマンは自分の心に土足で入り込んでくるのか分からなかった。そう、何時だったか忘れたけれども、ここ一年近くアンパンマンの自分に対する言動が変化したような気がする。
 殴られる瞬間も、以前よりも痛くなくなったし、自分の意見を聞いてくれるようになった。
 何がアンパンマンにそうさせたのかわからないけれども、でも、そんなアンパンマンがバイキンマンは苦手だった。
「どうして?」
 アンパンマンは首を傾げて、ああ、このサラダも美味しいねと、アボカドのサラダも口に運んでいた。きちんと躾られたバイキンマンが見ても、アンパンマンのテーブルマナーは悔しいが文句のつけようがないものであった。
「独りの食事は味気ないだろう。クリスマスぐらい互いに腹を割って話し合ったっていいじゃないか」
「おれ様は、神様なんか信じてない」
 アンパンマンは楽しそうに笑う。しかし、その笑顔は皆に見せる屈託のないものとは何処か違っていた。
「僕も信じてないよ。でも、クリスマスって良い口実になるじゃない。恋人に告白するとか……さ」
「正義の味方なのに」
「正義も悪もないよ。ただ、この世界では僕が正義の味方に分類されているだけのことだよ。他の世界では、僕と君の立場が入れ替わることだってあるかもしれない」
 普段では見られないアンパンマンの暗い笑いにバイキンマンは困惑した。
「僕だってね。感情がある。いつもにこにこして皆の為、って、やってられないことだってあるさ。僕はね。正義の味方の為に自分の気持ちを捨てる程、馬鹿じゃないよ。自分の気持ちに正直に生きる為だったら、正義の味方を廃業してもいいと思ってる。君だって、そうなんだろう。現状では、僕と敵対するしかないけれども、いつまでも続けるつもりはないんだろう。いつかは、自分のやりたいことを見付けたら、僕と戦うことを止めるつもりなのだろう」
 そう言われてバイキンマンは困った。
 先のことを考えたことはない。
 ドキンちゃんの先々のことは心配していたとしても、自分は多分、このバイキン城で朽ち果てていくのだろうとぼんやりと思っていたからだ。
「ねえ、バイキンマン。いつまでも、敵対していても意味がないと思わない。ああ、ただ現状では、突然、仲良しになんてなれないことはわかってるよ。僕もそこまでお気楽じゃない。でも、考えてくれないかな。僕もね。こんな無意味な争いにそろそろ終止符を打ちたいんだよ」
 バイキンマンはナプキンで口を拭うと立ち上がった。
「アンパンマン」
「引き止めてもらえるのは嬉しいけど、パーティに戻らないとね」
 アンパンマンは立ち上がると、すたすたとバルコニーへと歩いて行った。
「バイキンマン。今度は温かな食事をご馳走してくれないかな。冷めてても君の料理はとても美味しかったけど……」
 そうとだけ言うとアンパンマンはいつものように軽やかに宙へと飛んで行く。
 何が言いたいのかと、バイキンマンが問い詰める間もなく、夜空へと吸い込まれるように消えていった。
「言いたいことだけ……、勝手に」
 バイキンマンは力なくそう呟いた。
 明日のこと、ずっと先の未来のこと、何も考えてはいなかった。自分のことなどは特にだ。ただ、寿命が尽きるのを待つだけの日々だったはずだ。故郷へ帰ることは出来ない。それが自分の運命なのだ。
 バイキンマンはそのまま床に座り込むと、そう何度も何度も繰り返し呟いていた。
「知らない。明日のことなんか。 おれ様のこと何も知らないくせに……」
 バイキンマンはそう呟くと力なく床に座り込んだ。
 開いた窓から吹き込んだ風が暖炉の火をゆらゆらと揺らしている。そう、バイキンマンの心のように……。





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The fanfictions are written by Kurataki Humiharu since'19/10/07