チョコレート色の夜



 アンパンマンは音を立てないように、バイキン城の屋根に降り立った。
 灯り点いているけれども、ひっそりとしている。それは、バイキンマンが独りで居る証拠に他ならない。ドキンちゃんの甲高い声も、バイキンマンがどたばた走り回っている様子も窺うことは出来なかった。
 無用心だと思うのだが、バイキン城の一番天辺にある天窓は存在を忘れられているのかいつも施錠されてはいない。
 いつも、アンパンマンはここからバイキン城の中に入るのである。
 バイキンマンはソファーに寝そべり、何やら難しそうな科学の専門書を読んでいた。傍らには、形の崩れたトリュフが皿に盛られている。おそらくドキンちゃんに頼まれて食パンマンに渡すバレンタインのプレゼント用に作られたチョコのデキソコナイ達なのだろう。
 アンパンマンは足音を殺して、背後に歩み寄るとソファーの脇に置かれたワゴンの上の皿に手を伸ばした。
 一つ、失敬する。
「アッ、アンパンマンッ!!」
 バイキンマンは慌ててソファーから起き上がろうとするのを、アンパンマンはやんわりと肩を押し返して、大丈夫だよと笑った。
「別に、正義の味方として来たわけじゃないよ」
 アンパンマンは背後からゆっくりと、正面に回り込んだ。
 あの孤島での一夜以来、アンパンマンはバイキン城をこっそりと訪ねて来るようになった。もちろん、バイキンマンが招待したのではなく、勝手に押しかけて来るのである。
 部屋中に甘いチョコレートの匂いが充満していて、まるでバイキンマンがその甘い香りを放っているような錯覚をアンパンマンは覚えていた。
 口の中で解けていくトリフュは程良い甘さと、ほんのりと香るプランデーの香りが絶妙で、舌の肥えたアンパンマンですら正直に美味しいと思える一品である。バイキンマンは料理が上手いことは知っていたけれども、まるで自分の舌に合わせて作られたようなこのトリュフがどんな事情があったとしても、食パンマンの為に作られたかと思うと腹立たしい。
 食パンマンもドキンちゃんが作ったものではないと分かっていて、ありがとうと笑顔で受け取り食すのだろうと思うと、気分が悪くてたまらない。下らない嫉妬だと分かっていても、それらを取り巻く全てを破壊してしまいたい衝動にかられそうになる。
「アンパンマン」
 遣って来たっきり、何も言わないアンパンマンをバイキンマンは窺うように見上げてくる。
 白い寝巻きからは細い足首が覗き、ナイトキャプがちょこんと触角を包むように乗っている。そして自分を見上げてくる大きな瞳はいつも濡れているようにも思える。
 少なくとも、自分はバイキンマンの姿に欲情しているのだ。
 好きだと自覚したあの日から、自分と戦い傷付き痛みに呻くバイキンマンの姿を見ただけで、自分の牡の部分がどくりと音を立てて反応してしまう。いつ自分の理性を本能が食い破るのか、いつまで持つのかアンパンマンには正直、そんな自分の理性に自信がなかった。
「アンパンマン。何をしにきたのだっ!!」
 上体を起こして、ソファーに座ったバイキンマンは地団駄踏むように足を踏み鳴らして、ぼんやりとしているアンパンマンの名前を呼ぶ。らしくないアンパンマンの態度にバイキンマンは不安を覚えていた。
 訪ねて来ても、何をしに来たのか全く理解できない言動をして自分を振り回し、気が済んだとばかりに去っていくのが常であったからだ。
 こんなにぼんやりとしているアンパンマンを見るのは初めてのことだった。
「ああ、日頃からお世話になっている君にバレンタインのプレゼントをしようと思ってね」
 と手にしていた30センチ四方の箱をワゴンの上に置いた。
「????」
「バレンタインはね。好きな人に女の子がチョコレートを送るっていう日だけどね。日頃、お世話になっている人に、花やケーキを贈る日でもあるんだよ」
 そう言いつつ、リボンを解いて上蓋を持ち上げるとオレンジの香りのするチョコレートソースがたっぷりとかかったハート型のフォンダン・ショコラがあった。
 匂いにつられてバイキンマンが覗き込む。
「俺は、お世話していないぞ」
 と言いつつもバイキンマンの視線はフォンダン・ショコラに釘付けである。
 バイキンマンは甘い物には目がない。
 本人も作るが、他所様が作ったお菓子を食べるのも好きなのである。ドキンちゃんが居るから、ちゃんとした食事を三度作るが、一人で暮らしていたらチョコレートを齧って一日の食事を終わりにしてしまうくらいには、チョコレートが好きなのである。
「いいんだよ。僕がお世話になってるって、勝手に思ってるだけだからね」
 その言い分がバイキンマンには理解できない。
敵同士でお世話になるようなことなんてしてはいない。街中で会えば、戦うしかないのだ。しかし、最近では、アンパンチで遠くに飛ばされた後、どうしてかアンパンマンは傷の手当てにやってくる。
 その意味では、世話になっているのは自分の方ということになるのだが、そんなことを考えているとは顔には出さずにバイキンマンは、ふふふんと鼻を鳴らしただけだった。
「我輩が食べていいのか?」
「どうぞ」
 アンパンマンは仰々しく、膝を折り右手を腹に当て、左手を背後に回してお辞儀をする。
 そして、二、三歩後退りした。
「食べていかないのか?」
 思いもよらぬ申し出に、アンパンマンは背を向けて帰ろうとした態勢のままバイキンマンを見詰める。まるで、豆鉄砲を食らったようなアンパンマンにしてやったりとバイキンマンはほくそえんだ。
 滅多に、自分には驚いた顔すら見せないアンパンマンだからこそ、表情が変わる様は見ていて悪い気はしない。何故なら、正義の味方面をしているアンパンマンの仮面を剥がしたような気持ちになれるからだ。
 ぽかんと自分を見ているアンパンマンの姿に、バイキンマンの機嫌は良くなっていく。
「ちゃんと毒見するのだ。ついでにコーヒーも淹れてくるのだ」
「コーヒー?」
 よくドキンちゃんを訪ねて遊びに来るメロンパンナの話しによれば、バイキン城ではいつも紅茶を出してくれるのだという。時折、フレーバーティーもあったりするが、コーヒーが出てきたことは一度もないのだそうだ。
 コーヒーは嫌いだと思っていたのだ。
 だから、コーヒーという単語が出てきて、アンパンマンは更に驚いていた。
「ドキンちゃんはコーヒーが嫌いだから、ドキンちゃんがいない時しか、飲めないのだ。だから、早く淹れるのだっ!!」
「はいはい」
 アンパンマンはそのままの目的の場所を出口として使用しているバルコニーではなく、キッチンへと変更した。
「はい、は一回でいいのだっ!!」
 バイキンマンはいつもの調子で怒っている。
 アンパンマンは少しだけ嬉しくなった。
 どんな切っ掛けでバイキンマンの機嫌が良くなって、自分と一緒にフォンダン・ショコラを食べてくれる気になったのかは分からないけれども、少しだけでもバイキンマンのことが分かって嬉しかった。
 今度は魔法瓶にコーヒーを入れて持ち歩こう。そうすれば、コーヒーを飲む間は一緒に過ごせる。
 ドキンちゃんがいないのを見計らってコーヒーを飲もうとするなんて、バイキンマンはコーヒーが好きなのだろう。そんなに好きでないなら、飲まないなら飲まないで済んでしまうはずだ。
「ねえ、バイキンマン。僕は一度、こうして君とコーヒーを飲んでみたかったんだよ」
 そう告げると、バイキンマンは何故そんなことを言うのかわからないという顔をするが、次の瞬間には、さっさとするのだっ、と我侭をいう子供のように床を踏み鳴らす。その姿がとても可愛くて、もっと我侭を言ってくれたら嬉しいのにとそう思いながら、アンパンマンはバイキンマンの為にコーヒーを淹れにキッチンへと入っていった。





BACK||TOP||NEXT



The fanfictions are written by Kurataki Humiharu since'19/11/06