マシュマロの口唇
「ホワイトデーのお返しもしない男なんて、男の風上にもおけないわよっ!!」 とドキンちゃんはそう言っていた。 アンパンマンにバレンタインのプレゼントとしてもらったフォンダン・ショコラはとても美味しかった。アンパンマンに1ピースだけ切り分けた以外は全て自分のお腹に収めてしまえるくらいにはである。 今まで、バレンタインにチョコレートをくれたのはドキンちゃんしかいなかった。但し、調理する前のブロック状になっている業務用チョコレートをダンボールでプレゼントしてくれるのが例年のことだった。つまり、作ってねという意味合いも込められたバレンタインのプレゼントなのである。 それは、ドキンちゃんなりの思い遣りであって、決して嫌がらせなどではないのだ。ドキンちゃんの料理オンチは壊滅的もよいところで、どちらかというとドキンちゃんが作ったものは食べたくないというのがバイキンマンの本音なのだ。 それを弁えていて、そういったものをプレゼントしてくれるのは、的外れなのかもしれないけれどもドキンちゃんなりのバイキンマンに対する愛情というやつなのである。 それは置いておいて、やはり、男としてお返しはしなくてはならないのだろうとその一言でバイキンマンは決意したのだ。 ドキンちゃんのリクエストで今年のホワイトデーはチョコレートが入ったマシュマロを作った。口に入れると中に詰めたチョコレートが溶け出すというマシュマロである。 白とピンクの二種類を自ら編んだ竹の籠に詰めてドキンちゃんにはプレゼントした。 同じ物をビニールに入れて、籠に盛り、綺麗にリボンでラッピングした。 ホワイトデーのお返しは準備できたけれども、問題はどうやって渡すかである。このままの格好で街に出掛ければ、バイキンマンが来たというだけで街の連中は大騒ぎをして、一言何か言っただけで攻撃されたと勘違いし、アンパンマンを呼ぶのだ。そのような状態では、せっかく作ったホワイトデーのお返しを、渡せないままで終ってしまうだろう。 散々考えた挙句、バイキンマンが選んだのは、一番、自分らしくない変装をするということであった。 でもって、バイキンマンは自分らしくない格好で、ジャムおじさんのパン工場を訪れた。しかし当のアンパンマンは留守にしていて、応対に出たバタ子さんによれば、子供達のサッカーのコーチをする為にグランドに出掛けて行ったとのことであった。 グランドまでは歩いて15分くらいの距離である。 引きつった笑顔でバイキンマンはバタ子さんに礼を言うと、グランドを目指して歩く。途中、数人の人間と擦れ違ったけれども、誰も自分がバイキンマンだと気付いていないようであった。それを確認する為に、小さく頭を下げると、街の人も顔を赤らめて頭を下げて挨拶をしてくれる。結構、自分の変装はいけるじゃないか、次回から変装するって方法も有りだなと、バイキンマンはそんなことを考える。 そんな道中を経てバイキンマンがグランドに着くと、アンパンマンは一人でグラウドの整備をしていた。大声で呼べば、自分の正体がばれてしまうので、バイキンマンは慣れない格好のまま、グランドへと続く階段を下りていった。 その途中でアンパンマンが気付いたらしく、いつもの身軽さで跳んで来て、バイキンマンの前に降り立った。 「バイキンマン」 嬉しそうに名前を呼ぶ。 突然、名前を呼ばれて、バイキンマンは持っていたホワイトデーのお返しを落としてしまいそうになった。 「ど、ど、ど……」 「ああ、どうして、そんな格好しているのにバイキンマンだって分かったのかって?」 アンパンマンの言う通り、普段のバイキンマンとは程遠い格好をしていた。だいたい街中に現れるバイキンマンはマスクをしているし、全身黒尽くめの悪役レスラーのようないでたちなのである。 今のバイキンマンは、栗色の肩まであるウェブーのかかったウィッグを付け、白いレースの帽子を被り、リボンとレースをあしらった白いロウウエストのワンピースに、淡い桜色のカーディガンを羽織るという何処からみても良家のお嬢様、しかも美少女にしか見えないのだ。 誰がバイキンマンと、この美少女を結び付けられるのであろうか。 「バイキンマンがどんな格好してたって、僕にはわかるよ。今日は何の用? 悪さをしに来たってわけじゃないよね」 アンパンマンはここだと皆が来るよね。少し時間があるから移動しようかと、バイキンマンを突然抱き上げた。慣れない格好でわたわたしている間に、バイキンマンの身体は宙へと浮いた。帽子が飛ばないように、籠を落とさないようにとそれだけに集中していてたので、何処まで遣って来たのかバイキンマンには分からなかった。 そしてグラウンドの傍にある公園へとアンパンマンは降り立った。 ふわりと気遣うように地面に下ろされて、バイキンマンはそんな扱いをされたことが恥ずかしくて、顔を真っ赤してしまう。 よりによってアンパンマンにお姫抱っこをされてしまったのだ。いくら女の子の格好をしているからって、中身はバイキンマンなのである。 「何を考えてるのだっ!!」 アンパンマンは別にと笑って、用って何さと、巧みに話題を逸らせてしまった。 バイキンマンは何の為にこんな恥ずかしい格好をしたのか、ようやく思い出して、手にしていた籠をアンパンマンに押し付けた。 「ホワイトデーのお返しなのだ。お返しをしないと男の風上にもおけないってドキンちゃんに言われたから、仕方ないから、やるのだっ!」 「ありがとう」 嫌がるかと思えば、アンパンマンは嬉しそうに笑っていた。いつものバイキンマンをやっつけに来る時の何を考えているのか分からない類の笑みではなく、本当に嬉しそうな笑みである。 「マシュマロなんだ。美味しそう。ありがとう、バイキンマン」 アンパンマンが本当に嬉しそうにしているから、押し付けて立ち去るタイミングをバイキンマンは逃してしまった。あの洞窟での一夜以来、アンパンマンは素顔をバイキンマンだけには晒すようになっていた。そんなアンパンマンを見ると、不思議な気持ちになってしまって、どうしたらよいのか自分が分からなくなってしまう。 「本当に、ありがとう。あぁ、一緒に食べたいけど、時間がないしな。サッカーのコーチなんかお休みして、一緒にお茶したいんだけどな」 「さっさと行くのだっ!!」 アンパンマンはそれでも、バイキンマンの傍を離れようとはしない。 恥ずかしいからさっさと離れていって欲しいのだ。今日はUFOじゃないから、歩いていかなくてならない。いつまで経ってもアンパンマンの姿が見えるのは、少し嫌なことなのである。 UFOなら簡単にあっという間にその姿が見えなくなるから、その方がずっと良い。 だからアンパンマンにさっさと飛んでいってもらいたかった。 「ああ、だったら、ちょこっとだけ、こっちのマシュマロ、食べさせてよ」 アンパンマンが突然、思い立ったように呟いた言葉の意味がバイキンマンには理解できなかった。何を食べさせるのだっ、と言おうとした口唇を生温かい感触で塞がれる。 ――――― チュ ――――― 「とっても、美味しいマシュマロだったよ。ありがとう。バイキンマン」 アンパンマンはそう言うと、空へとあっという間に消えて行ってしまった。 バイキンマンは何が起こったのか、暫し理解出来なかった。呆然とその場に立ち竦んでいた。 随分、時間が経ってから、ゆっくりと自分の口唇を指先で触れる。 間違えなくアンパンマンは、自分の口唇を口唇で塞いだ。 つまりキスをされたということになるのだ。 バイキンマンはそれがキスという行為だと認識した瞬間、顔を真っ赤にする。初めてのキスではないけれども、でも、無理に奪われたキスの苦い味とは違う気がする。イヤなのではなくて、恥ずかしくてたまらないのだ。 アンパンマンにキスをされた。 敵であるアンパンマンに、キスをされてしまったと、そのフレーズだけがグルグルと頭の中を回り始める。 そう考えるだけで、再びキスの感触が蘇ってくる。 レモンの味なんかしなかったけれども、アンパンマンとのキスはやっぱり甘い味がした。いや、ほんのり餡子の味がしたような気がする。 「キス……、されたのか? 俺様は……」 ドキンちゃんが夕食の心配をして探しに来るまで、バイキンマンはその場所に呆然と立ちつくしていた。 |
The fanfictions are written by Kurataki Humiharu since'19/12/03