飛行少年



I to the world am like a drop of water
That in the ocean seeks another drop.
Who, falling there to find his fellow forth,
Unseen, inquisitive, confounds hiluself.


俺はだだっぴろいこの世じゃ、まるで海に落ちた片割れを探し回る水滴みたいなものだ。
あとを追って飛び込んだものの、誰にも気付いてもらえず、
どんなに探し回っても、ただ海に溺れて自分を失うだけだ。


(「間違いつづき」一幕二場)








『我輩は・・・』
 初老と言うにはまだ早く、若者と言うにはいささか頭の経ち過ぎた年代の男は黄色いマフラーを海風に好きにはためかさせたまま、断崖絶壁から打ち上げられる波飛沫に目を凝らしている。
 BG団のサイボーグ研究所は、この島全体に及んでいて、全ての施設を把握しているわけではないが、複雑に入り組んでいて気を抜くと迷いそうになってしまうほど、複雑な構造をしているのだ。
 そんな研究所の中を迷いに迷って、入り込んだ空調用ダクトを伝ってこの場所を見付けた。
 島の北側は入り組んでいるものの長い海岸線が続き、穏やかな波が打ち寄せて一見平和なプライベートビーチと勘違いするほどの美しさが残っている。
 西には港があり、そして、東には空港設備と潜水艇のドックが控えている。島の南は絶壁で、そう言った施設は作られてはおらず、従って、誰も滅多に立ち寄ることのない場所であった。
 ちょうど空調用ダクトを抜け、高い崖から下を除くと、海に向かって張り出したまるで海が観客席と言わんばかりの空間があるのだ。
 男はその場所に立ち尽くしていた。
 天気は良い。
 青々と晴れ渡る空であるが、男の周りだけはまるでロンドンの濃厚な霧が立ち込める夜の如くに鬱々とした空気に支配されていた。
『我輩は・・・』
 そう男は自分の不甲斐なさに腹を立てていたのだ。
 いくら落ちぶれたとはいえ一世を風靡した役者で、俳優養成学校を優秀な成績で卒業し、下積みを経て一流と仲間入りをようやく果たしたところだったのだ。
 けれども、人生何が起こるかわからない。
 前途洋洋だったはずの男の前には暗雲が立ち込めて、すぐに男は道を見失ってしまい。そし て、身を持ち崩して、とうとう役者として再び舞台に立つことができなくなってしまったのだ。
 どんなに落ちぶれていても、心のどこかに再起のチャンスを伺っていた。
 酒に溺れた日々でも、毎日、シェイクスピアの台詞を口ずさんだ。街頭に立ち、空き缶を置いたその場所で独り芝居をして酒代を稼いでいたこともあるけれども、舞台へ立ちたい気持ちは大いにあったのだ。
 でも、BG団にサイボーグにされてしまった今、二度と舞台に立つことはできはしない。
 確かに、役者としては羨むような能力を授けられたけれども、もう自分は生身の人ではない。外見はこれ以上老いることもないのだ。確かに、生体機能は生身のままだから、脳が老化することはあっても、外見は変わらない。
 皺も刻まれなければ、役作りの為にダイエットをしたり、逆に太ったりする苦しみもない。臍のスイッチを押せば、成りたい姿を自分は体現出来てしまうのだ。
 そんな自分に何かを演じるという資格はありはしない。
 成り得ないものに成ろうといるのが芝居で、成れるものに成るのが芝居ではない。
『我輩は・・・、どうしたらよいのだ』
 とそう、自分に問い掛ける。
 サイボーグにされた哀しみと舞台に立てない役者としての生命を絶たれた絶望から、救い出してくれた優しい青年に対しても酷い事を言ってしまった。まだ、少年の面差しを残した彼は一番、古いサイボーグだ。
 彼がどんなに辛い日々を送っていたのかは、男にも理解出来ている。決して、学のない男ではないのだ。与えられた資料の中から、状況を把握して、更に、其処に置かれた人々の内面までも推察しようとするその聡明さは役者にはなくてはならないものなのだ。
 時としては、人ではないものも演じなくてはならないから、ありとあらゆる状況を想定して、常に演じることを考えていた。
 そんな自分に見切りをつけられるわけもなく、この研究所から出られるという保障もないのに、それでも、諦められなくて、見付けたこの場所で独り芝居を続けた。
 そうしなくては絶望と苦痛と悲哀とが一挙に押し寄せてきて、自分が保てなくなりそうであったからだ。
 観客はこの自然の営みだけであった。
 そんなある日、突然、背後で拍手が沸き起こったのだ。
 驚いて、振り返るとそこには002と紹介された若いアメリカ人の姿があった。彼は飛行能力を備えていて、自由自在に空を飛ぶことが出来る。今も、何処かに散歩にでも行っていたのだろう。当時、彼があまり好きではなかった男は知らぬ顔をしようとした。
 島の半径50キロから出なければ、かなりの自由が約束されている。だから、男もこうして自分の場所を見付けられたのだが、脳内に埋め込まれている発信機が島より50キロ離れると作動して電流を流す仕組みになっている。
 一度は、逃げることを計画するのだ。男も海豚に変身して、逃げ出そうとしたが痛い目にあっている。あの苦痛は出来るなら、味わいたいものではない。
 彼も同じ体験をしたのだろうか、ふと、男はそう思い、彼に逸らしていた視線を戻してしまった。
「あんたさ。俳優だったんだろう?」
 慣れ慣れしい、しかもブロークンなアメリカンイングリッシュに腹が立つ。耳障りなアクセントだ。役者として徹底的に古典的なクイーンイングリッシュを叩き込まれた男にしてみれば、聞くに堪えない台詞とアクセントだった。
「すげぇよな」
 そんな男の思いなど知らない彼は青い目をキラキラとさせて、笑っている。
 何が凄いのだと、凄みを利かせてじろりと睨むが、応えた様子はない。役者や俳優なんて見たことがなかったぜ、すごいんだろうなと、散々、喋ってくれた。インテリジェンスの欠片も見当たらない会話に男はうんざりしていた。
 004や005はかなりのテンイリでそれなりの知的な会話が交わせるが、このアメリカ人だけとは馬が合わないというのか、どうしてこの若いアメリカ人がメンバーなのか理解出来ない。
 003は女性だが、その辺りの転がっている科学者程度には電子工学に精通しているし、またバレリーナだったというから、芸術的なことに関しても精細な神経を持ち合わせている。006も4千年の歴史を誇る国の出身だけあって、哲学的な思想に関しては深いものを持っていて、007と十二分にディスカッション出来る深い知識を持ち合わせている。
 けれども、このアメリカ人とは馬が合わない。
 煩くうっとおしいだけなのに、皆がこの青年を大切に愛情を持って見守っている。それが分からない。ろくに読み書きも出来ないくせにと、バカにした視線を流すと、彼は肩を竦めて姿を消した。
 ところが、次の日から男がこの場所にやってくると彼は顔を出すようになった。知らぬ顔をしていても、ただじっと男の独り芝居を真剣に見ている。そして、最後にはちゃんと拍手を寄越すのだ。
 役者なのだ。
 客がどんな意味で拍手をしているのかぐらい音を聞けば、察しがつく。確かに、その拍手の音色には自分に対する賞賛しか込められてはいなかったけれども、疑心暗鬼になっていた。変身できてしまう自分が苦労も何もなく役を演じきれるはずがないとの悲観的な思考に支配されていた男はそれを素直に受け入れられなかった。
 でも、こうして日々を過ごすうちに、言葉を少しずつ交わすようになっていった。
 彼がたいした教育も受けられない悲惨な生活を送っていたことを知った。映画や舞台を見たこともなく、もちろん、ただ、生きていく為に何をしたらよいのかそれしか知らない子供時代を送っていたと、言うことを聞かされた。
 まだ彼がサイボーグ改造された頃は本当の初期段階で、生きるか死ぬかわからないそんな手術だったらしい。だから、教養などは関係がなくただ若い肉体が必要であったのであろうと、男はそう推察した。
 確かに、自分の両親は早くに亡くなった。男がまだハイスクールに通っている頃であった。地方で手堅い商売をしていて、それなりの中流よりは少し良い生活の出来る家庭だったから、男は両親の残してくれた遺産で学校を卒業して、元々演劇を志していたから、俳優養成学校へと人生のコマを進めた。
 芝居の好きな両親は、学校の長期休暇になるとロンドンに芝居を見に連れていってくれた。役者になりたいとの男の夢を一番に応援してくれたのは、両親だった。だから、落ちぶれるまで、食うに困る生活など想像がつかなかった。
 しかも、子供で住むところも金もなくて、どうやって生き延びろというのだろうか。想像すらつかない世界が其処にはある。
 そんな彼に、多少は教養とやらを教えてやろうかとの鷹揚な気持ちにもなれるようになってい き、少しずつ、子供に御伽噺を聞かせるように色々な聖書の一説や、童話や寓話を芝居に取り込んで演じて見せてやったりもした。
 そう昨日。
 さり気に見たい演目はあるかと聞くと、彼は遠慮深く『雨に唄えば』のG・ケリーが雨の中で踊り歌うシーンが見たいと言い出したのだ。昔、映画のプロデューサーという職業の男が自分の子供の頃の馴染みの客で、再会して映画のチケットをもらって、もったいないし、映画館なら雨が凌げるからとそう男に教えてくれた。
 けれども、ようやく役者としての自分を見付け始めていた男にしてみれば、屈辱であった。ロンドンのシェイクスピアという文芸、芸術的な演劇を志していた自分に、アメリカの三文芝居、いや映画の俳優の真似をしろと言うのかと、彼がどういう意味で言っていたのかも考えずに、怒鳴り散らしてしまったのだ。
 怒る男を背に、彼は小さく呟いた。
「ゴメン、オレ、映画、それしか見たことないから・・・・・・」
 長身の背を丸めて、トボトボとダクトから研究所内に戻るその背中を見て、男は深い後悔の念に駆られてしまっていた。
 彼が悪いのではないのだ。
 多分、彼の人生においてはそれが最初で最後の芝居と接したチャンスなのだろう。
 小さな子供を虐めている気分になってしまった。
 まだ、演劇学校にいた頃、ボランティアで施設や幼稚園を回って芝居をすることがあった。どんな役でもこなせる様にとの教師側の配慮から配役は厳正なるくじ引きで決められていて、その 時、悪い魔女を演じたことをふと思い出した。
 これじゃぁ、まるで、お姫様を虐める魔女だなと男は苦笑する。
 あんなに気落ちするとは思わなかったのだ。
 彼の存在が自分の役者としての人としてのアイデンティティのありかを見つけるのに、どれ程の貢献をしてくれたのか計り知れない。あの邪気のない笑顔が自分をどん底から救い上げてくれたのだ。
 突き放しても、バカだ無教養だ、そんなことも知らないのか、親の顔が見てみたいものだとか随分、惨い言葉で傷付けたのに、彼はいつも自分を温かい拍手で、笑顔で包んでいたくれたではないのか。
 年長者である自分が抱えきれない負の感情をどれほどに、彼にぶつけて甘えていたのか今になって情けないが自覚が出来てしまったのだ。
 まだ、少年の面影を残すような青年に当り散らしてしまった自分が恥ずかしい。
 教養や知識は蓄えることは出来たとしても、彼のように何の躊躇もなく、苦しんでいる仲間に手を差し伸べられることが出来る優しい心は生まれ持っていた気質でそれは決してどんなに努力したとしても手に入れられるものではない。
 それを持ち合わせている彼は知識や教養などなくともその存在だけで、素晴らしいものだとそう思う。
 仲間たちが彼の話をする時だけは、表情が柔らかくなる。あの仏頂面をしたドイツ人ですら、僅かな笑みを口の端に浮かべるのだ。
 役者のプライドが何だというのだろうか、自分はそんなプライドにしがみついていたから、そう落ちぶれたのだ。演じるその真意を知らずにいたからこそ、頂を見ることが叶わなかったのだ。
 今、ようやく自分という男が理解出来そうな気がしていた。
 そうだ。全てを演じられなくて何が役者だというのだ。観客は、そう仲間たちがいる。007としての変身能力を最大限に活かして仲間たちと生き延びる為に演じればよいのだ。そう、グレート・ブリテンはサイボーグナンバーコード007を完璧に演じきればよい。
 最期にどんな形で評価されるかなどは神だけが知っていればよい。
 所詮『この世は舞台。ひとはみな役者』なのだから。
 あの青い空をまるで人型に填め込んだような青年の瞳が再び、雲らぬように晴れ渡る空のままでいられるように、そうしてやりたいと素直に007は思う。
 暗いどん底にいて、自分の周りだけに不幸が取り巻いていたのが晴れていき、落としていた肩を張り、顔を上げて晴れ渡る空を見上げた。
 彼が来たら、すまないと謝ろう。
 そして、彼が見たいというあのシーンを演じてやろう。古今東西、舞台だけでなく映画にも精通している男は『雨に唄えば』を名シーンを知らないわけではなかったのだ。きっと、喜ぶに違いない、目元に残るそばかすの痕が浮き上がるほどに頬を上気させて、目を輝かせて手が痛くなるくらいに叩いて、喜んでくれるはずだ。
 ひょっとしたら、リズムを取って一緒に歌ってくれるかもしれない。
 それを想像すると心が浮き立つ。
 子供の頃、教会のクリスマス・イブにキリスト生誕の芝居を演じた時と同じように、ワクワクとした高揚感が蘇ってくる。長いこと忘れていた感覚だ。決して、忘れてはならなかったはずの気持ちなのに、旨く演じようとしていただけの自分の演技に魅力はないのだ。
 彼のように、何か人を引きつける力が必要なのだ。
 それが何かはまだわからないけれども、あの演じきった後の爽快感と充足感は忘れてはならないものだったのだ。
 絶望の中には、絶望しかないわけではないのだ。ほんと一滴の希望が必ず含まれている。だから、諦めてはならないのだ。
 舞台はロンドンの舞台だけではない。
 舞台のない舞台も世の中には、存在する。
 青い子供のように邪気のない瞳と、鋼鉄の翼を持つ天使の素敵な道化師にでもなってみようかと、男は笑った。
 そして、その視線の向こうには手を振りながら男を目指して飛んでくる少年の心を持った彼の姿が見えていたのであった。





BACK||TOP||NEXT



The fanfictions are written by Urara since'02/10/07