具現された神々の饗宴5〜破滅する神話〜



「何故、なのじゃ」
 アイザック・ギルモア博士は遥か遠方で噴煙を飲み込み続ける夜空を下、背中を丸めた。生身の体には、吹く風が冷たく感じられる。エネルギー増幅装置の暴走により沈んだミュートス島に押し寄せる関係各機関や報道陣から逃れるように、すぐにその海域を脱出したドルフィン号は、数時間後、つまり真夜中に、とある無人島の島影に機体を停泊させていた。
 艦内に酸素を取り込む為と、疲弊しきったサイボーグ00ナンバー達の肉体を休める為である。
 比較的、ダメージの少ない003、008、007が監視の任に当り、他のメンバーはメディカルルームで、休ませている。
 少なくともBG団が滅びていないことを確認した以上、非常体勢を整えておくことは必要なことであった。だが、BG団が壊滅していないことはギルモアにとって予測出来得る事態でもあった。ガイア博士個人の力ではミュートス島のサイボーグ達をあのような形で維持すること物理的にも経済的にも無理がありすぎる。パックにBG団が居ると疑った方が理屈にかなっているからだ。
 だから、次の予測し得る戦いに備えて、休めと強い語気で言った自分が、神経が昂ぶって眠れない。
 情けないものだと思いながらも、捲り上げたシャツの袖を下ろすと、少しは冷気を避けられるような気がする。比較的、温暖な気候の海域だが、海流の関係で夜ともなれば多少は冷え込むらしいのだ。
 そして、暗い海に深い溜め息を落とす。
 ガイア博士と深い付き合いがあったわけではない。彼が何を考えて、サイボーグ研究に何を見出そうとしているのか全く知らなかった。ただ、意見の相違をみて、幾度か衝突はしたけれども、その向こうにあるガイア博士の心を欠片でも知ることは出来なかった。
 もし、それを自分が知り得ていたとしたら、今回の戦いは別の方向に進んでいたかもしれない。ifと言う言葉は好きではないギルモアだが、そう思ってしまうこともある。自分も年を取ったものだと自嘲した。昔は、ただ、研究が出来れば良かった。研究の為なら良心を捨てることも厭わなかったけれども、科学者としてのプライドだけは捨てられなかったのだ。
 それが、結果として、現在の状況を生んだのである。
 自業自得と言えばそれまでなのだが、あまりにも、失ったモノが大き過ぎる人生だ。9人、いや正確には8人の若者達の人生を狂わせてしまったことになる。それが彼等の運命だったとは決して、言い切れる程に自分は強くないのだ。
「何故、何故、神なのじゃ」
 神でもなくても、良いではないか。力を誇示する存在は神以外にも存在する。しかも、ガイア博士が理想とした姿は神話の中の神々である。どうしてなのかと考えても分からない。 人としての記憶を消し、神としての記憶を植え付け、何になるというのだろうか。
 神は、そう自分の考える神とはガイア博士の考える神とは全く異なるものなのである。自分にとっての神は具現されたものではないけれども、ガイア博士はそれを躍起になって具現させようとしていた。でも、サイボーグが神である必要はない。いや、あってはならない。
 人は人でしかない。人は人として生まれた以上、人と言う存在以外にはなり得ない。
 一つだけ、彼が神話に拘った理由に心当たりがなくはない。
 ちらりと小耳に挟んだ、記憶の塵の中に埋もれていた話しを思い出した。ガイア博士はギリシアの名家の子女とヨーロッパでも名を馳せたとある実業家との間に産まれた。母親は没落した実家の為に身売り同然で好きでもない醜い年老いた男の元に嫁がされ、彼を産んだ。父親に瓜双つの息子を毛嫌い、何一つ母親らしい愛情を掛け様とはしなかった。だから、彼は美しいものに執着するのだと、そう噂が囁かれていた。
 自分の容姿が醜いことにコンプレックスがないわけではなかったから、それはギルモアにも分かる。小男で鼻だけがやたら大きいギルモアは幼少の頃は随分、虐められたものだ。まだ、父親か母親、兄弟がそのような鼻をしていれば、諦められたかもしれないが、家族の中で彼だけが鼻が大きかったのだ。
 けれども、自分は少なくとも家族に愛された記憶がある。短くて少ない記憶だけれども、両親も兄弟も自分を愛してくれた優しい記憶が埃を被ってはいるが、ちゃんと仕舞われている。
 そう言えば、家族を失ってから、祈ることをしなくなったと思う。
 何に、祈れば良いのか今の自分には分からないからなのだ。
「わしゃあ、どうしたら良いのだろう?」
 決して、00ナンバーにも漏らさないギルモア博士の本心である。彼等の前から逃げてしまいたいが、自分だけが逃げれば、彼等の肉体を維持することは出来ない。それは科学者として、いや人として出来ることではない。彼等と共にあることは重い十字架を自らに課したことを意味しているけれども、彼等との戦いのない日々の中でふとそのことを忘れそうになってしまうことがある。
 001のゆりかごを揺らしながら、お気に入りのパイプを燻らせる。窓から外を見れば、海の香りと波の音が穏やかな風に運ばれて、パイプから立ち上った煙もその風に乗り、潮騒と煙草の匂いが混じりソファで刺繍に勤しむ003の元に届けられ、ふと彼女は甘栗色に縁取られた顔を上げ、軟らかな笑みを浮かべる。
 すると、ドアがゆっくりと開き、コーヒーと焼きたてのワッフルの匂いをさせた盆を持って009が現われる。年の割りに落ち着いた声で、お茶にしましょうと声を掛けてくれる。まるで、自分の息子や娘と穏やかな日々を過ごしているような錯覚に囚われるのだ。
 でも、こうして戦いが始まるとそんな甘い感情は辛い感傷へと変わる。
 否が応にでも、自分が彼等を戦いに駆り立てているという事実に直面しなくてはならないのだ。もし、自分がサイボーグ研究に手を染めていなければ、彼等もこんな血に塗れた生活はしなくともすみ、生身の人としての人生をどんな形にせよまっとうできたかもしれないのだ。
 だから、どうして、自分を罵倒し憎まないのかと自問自答し続けている。
 他の科学者と自分はどう違うというのだ。冷酷な科学者としての目でしか彼等を見てはいない一面もあるというのに、どうして、彼等は自分を父とも慕うのかそれがわからなかった。でも、だからこそ、BG団を例え、命を掛けてでも抜け出そうと、そこから先、逃亡の日々であったとしても、彼等と共に命を捨てようと思った。
「ギルモア博士」
 頼りな気な声と共に、ふわりと背中に温かいモノに包まれる。咄嗟に引き寄せたそれは毛布であった。
「00……、いや、ジェット」
 メディカルルームで眠っていたはずのジェットである。
「博士、生身なんだから、風邪引くぜ」
 そう言うとはにかんだように笑った。彼とは、00ナンバーの中でも格別に付き合いが長い。ギルモアがBG団のサイボーグ研究に携わる以前から彼は実験体として其処にいたのだ。最初、出会って間もない頃、ジェット・リンクと本名を呼んだ瞬間、そのまだ幼さを残す顔に艶やかな笑みが広がった瞬間を今でも鮮明に記憶している。
「すまんな」
 そんなギルモアにジェットはいいんだよと照れたように鼻を掻いた。自分は随分、年を取ったのに、彼は年を取らぬままである。それは仕方がないけれども、奇妙な気分にされられてしまう。
 何か言いたいことがある時にはジェットはまるで猫のように誰もいない場所と時間を本能で嗅ぎ分けて現われるのだ。どうでも良いようなことであったり、実に的を得た意見であったり、色々とあるが、決して、こうしてジェットと2人で話しをすることが嫌ではないのだ。
「なあ、博士。俺の加速装置…どうにかなんねぇ」
 突然のその台詞にギルモアは驚きはしなかった。今まで、自分の躯についてジェットは無頓着過ぎたくらいだ。他のメンバーは自分の躯を良く理解している。004などは、下手な科学者よりもサイボーグ技術については詳しいかもしれない。
「どうにかと言ってもなぁ〜」
 そうどうにか出来る代物ではないのだ。特に002の場合は、特殊過ぎるし、彼が存在していたからこそ、00ナンバーの記憶が消されずに済んだのである。一時期、逃亡の恐れを感じていたBG団は記憶を消す方向で検討をしていたけれども、002の飛行能力が彼の記憶のメカニズムと深く関係していることが分かり、機能の低下を招く恐れのある記憶の消去は妥当ではないとの結論が出、00ナンバーに関しては、記憶が残されたままになっていたのである。
「009とアポロンの加速装置に全然、ついて行けなかった。俺、ナンも出来なかった。ガイア博士の言う通り、時代遅れの試作品なのかもしれねぇ」
 ギルモアの隣に腰を下ろしていたジェットの膝の上に乗せられた拳がふるふると震えている。負けず嫌いの向こうっ気の強い、この青年が凄く愛しいと思える。
 何もかもに必死で、どんな状況でも諦めようとはしないその潔いまでの生き様が、精神を病みつつあった003に生きる力を与え、自棄になって死ぬ場所を求めていた004に明日を示唆し、そして、自分に罪と言う十字架を背負って生きようと決心させたのだ。
「俺、オレ……」
 涙が、ぽつりと彼の頬を伝う。そんな何にでも必死で手を抜くことを知らない無垢な心を持つ青年に手が伸びてしまう。
 つい囲ってやりたくなるのだ。
「お前サンは、自分を知らなさ過ぎるんじゃよ」
 ギルモアはそう言うと、撫でていた手を止めて、涙で濡れた顔を上げさせる。シャツの袖でそっとまだそばかすの跡を残す目元の涙を拭った。されるがままになっている、この青年がどれだけ自分に信頼を寄せているのかわかるから、複雑に心境になってしまうのだ。
 改造手術をした人間に信頼を寄せているなんて、でも、彼が自分に心を寄せていたくれたからこそ、00ナンバー達とこうして行動を共にして、自分の罪を僅かでも償うチャンスを与えてもらっているのだ。
「でも、俺、一番、中古じゃん」
「だがな。現存する飛行能力のある唯一のサイボーグじゃよ」
 きょとんと、ジェットはする。そのことに全く気付いていなかったのだ。空中戦は彼の独壇場である。誰も、助けてはくれないけれども、別の意味では、彼と同等に空中戦を行えるサイボーグとは遭遇したことはない。
「つまり……」
 そう、つまり、確かに、002はサイボーグのプロトタイプとして開発された。最初は地上戦を目的としていた為、加速装置をつけられたのだ。そして、次に、情報収集、及び、司令塔としての役割を果たす為に003が開発されて、更に後方支援、重火器担当として004が開発されたのだ。本来ならば、この3人で、サイボーグ計画は終了するはずだったのだ。けれども、004の開発段階で彼の戦闘能力が高いことが証明され、002が地上で戦う意味を失ったのである。
 ところが、004は機械化される部分があまりにも多過ぎ、大抵の場合は実戦に出る前に死亡してしまうケースばかりであったのだ。
 そんな中、戦略的に空を飛べるサイボーグがいたら、攻撃の幅が広がるのではないかと当時、航空力学の専門化が提案した。当時、004の開発に行き詰まりを感じていた上層部は、既にサイボーグ化されて、プロトタイプとして中古扱いされつつあった002に白羽の矢が立てたのだ。
 そして、002はジェットエンジンと言う名の翼を手に入れる。
 確かに、002は成功をした。まるで、鳥のように空を飛ぶ飛行能力を追及したサイボーグへと作り換えられたのである。これに味をしめたBG団は新たに、空を飛べるサイボーグの量産に取りかかろうとしたが、成功しなかった。技術的には問題はなかったが、ジェットのようにアクロバティックな飛行や、誤差1p以内への精密な着陸を出来る者がいなかったのである。真っ直ぐ、飛ぶことは出来ても、曲線を描いたり、背面で飛んだり、ましてや、地面すれすれの低空飛行まで、誰一人出来る者はいなかった。大抵の実験体は訓練の段階で死亡したり、破損が酷くて廃棄になったりしたのだ。
  つまり、ジェット・リンクと言う若者の持つ、身体的な能力や彼のもつ絶妙なまでのバランス感覚等の上にしか飛行が成り立たない能力であることが証明されてしまった。つまり破棄寸前の中古のプロトタイプサイボーグから現存する唯一の貴重な実験体へと変わったのだ。
「分かったな。空を飛べるサイボークはお前さん以外には存在しないんじゃ。だから、古いなどと言ってくれるな。わしも、随分、ポンコツだでな」
 そうギルモアは笑った。
「でも、じゃぁ、なんで、加速装置ついてるんだよ」
 それが、ジェットには悔しいのだ。加速装置を使っても、009の動きにはついてはいけない。自分が劣っていると見せ付けられる瞬間が堪らなく嫌になることがある。絶対、足手まといは嫌だという彼のプライドの表れなのだ。
「お前サン、気付いて使ってるわけではないのか?」
 ギルモアの疑問にジェットは首を傾げる。普段、使う必要のない加速装置だ。特に009がいれば、本当に必要ないではないのか。だったら、何故、外してしまわないのかと、随分、自問自答していたのだ。
「お前サンの加速装置は確かに、加速装置のみで使えば、009の早さにはついけはいけん。じゃがな。ジェット…お前サンの加速装置は飛行能力を増幅させるための補助機能的なものだからな。わしは、てっきり知っているかと思っていたが……」
 ジェットはぷるぷると首を横に振った。自分でどう飛べるかとか、全く考えていなかったのだ。躯が全てを記憶していて、そうだと指示を出せば、イメージ通り飛行が出来る。最初は巧く飛べなくて幾度も地面に激突していたけれども、感覚が掴めてからはイメージが現実となっていったが故に、それ以上を考えことはなかった。
 ギルモアはそんなところがジェットらしいと思うのだ。だからこそ、彼だけが翼を与えられる何かを持って生まれてきたのかもしれない。自分が無理に着けてしまった機械の翼だとしても、どうしてだが、それは他の00メンバーと違って、天から与えられた彼にしか背負うことのできない何かだという気がしてならない。
 実際に、彼の記憶を薬や催眠療法を用いて数度、曖昧にしたまま飛行実験をさせたところ、巧く飛ぶことが出来なかった。つまり、彼の飛行能力は彼自身の人格、及び、記憶、あらゆる複雑な脳神経の働きに拠って齎されるものであり、それを侵害することは彼の能力の妨げになるとのことなのだ。
 これこそが、機械と人間の融合の到達点であった。
「じゃぁ、俺、古くないのか?」
「だから、そう言うもんじゃない。お前サンは空を飛べる…わしの大切の天使じゃよ」
 ギルモアはそう言って笑った。
 始めて、空を思うように飛べたジェットがギルモアの前に降り立った時に、青い透けるような空を背景に太陽の反射のせいであろうが、翼が見えた気がしたものだ。あの時は、自分の裁きに来た、そして、いずれ自分を死へと誘う天使になるかとそう思ったが、実際は違ったのだ。辛くとも苦しくとも生きよと、決して、歩みを死が訪れるその瞬間まで止めるでないと進むべき道を指し示す為に現われた天使であったのかと今は思う。
「すっかり、冷え切ってしまっている。早く、部屋に戻りなさい」
「博士だって…」
 と言って冷えたギルモアの手に温かな自分の手を添える。飛行能力を高める為のジェットの躯の体温は上空の冷気に耐えられるように通常の人間の平熱よりも、やや高めになっているのだ。冷えたギルモアの手にはとても心地好い温かさである。
 まるで、凍えた自分の心すらも温めてくれるような心から寄せられる温もりが嬉しい。けれども、彼を今は休ませてやらせなくてはならない。研究所に戻ったら、メンテナンスをしてやらなくてはならない。通常のメンテナンスではないから、休養も必要なのである。彼らはロボットではない、サイボーグなのだし、BG団との戦いはまだ終わらないのだ。
「わしは……ホラ」
 優しく温かな手の甲を2、3度叩いてまるで、秘密基地で宝物を見せ合う子供のような仕草で、スラックスのポケットに隠していたウィスキーの小瓶をちらりと覗かせるとズルイとジェットは笑った。口を開けて子供のように笑うジェットに先刻の暗さはなく少し安堵をする。後は彼を大切に囲ってくれる鋼鉄の男に任せれば良いであろう。実際、彼が004と恋に落ちたことはギルモアにとっては、嬉しい誤算であった。どんな形であったにせよだ。
 誰かと寄り添う幸せを実感してもらえるのだから、性別は厭わないとそう考える。
 鋼鉄の男に任せていれば、どんな状況が訪れても大丈夫だと思える。天使に死神、結構ステキなカップルだとギルモアは静かに心の中で笑った。
「ちっ…だからも年寄りはズルイ…ってんだ」
 そう毒づくと、ジェットはすくっと立ち上がり、軽やかな足音一つ立てない猫の足取りでドルフィン号の艦内へと姿を消した。
 そんな姿を見送ってから、ギルモアは満天の星空を仰いだ。
「わしは天使と死神と一緒なんじゃから、神に祈る必要もないのかもしれんな。ガイア博士」
 そう老齢の科学者は、炎の向こうにと消えた昔なじみの科学者に向かって呟いたのであった。





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