ダレカノイトシイヒト



 温かで柔らかな枕の感触にジェットは甘えるように頬擦りをした。
 甘い香水の香りが鼻腔を擽り、荒んでいる心に潤いを齎せてくれるただ独りのジェットにとってオンリーワンである人のものであった。
「フラン」
 日本のギルモア邸に辿り着いたのは、今朝早い時刻であった。
「疲れてるんでしょう。顔色がよくないわ」
「そうかな?」
 起き上がろうとしたジェットをフランソワーズは、その儚げな美貌に似合わぬ力強さで押し留めた。赤味を帯びた金髪がフランソワーズの膝の上にはらりと散る。襟足が跳ねるクセのあるジェットの髪は子猫のように柔らかだ。
 生身の頃の質感に拘ったギルモア博士の最高傑作はジョーではなくジェットなのだ。確かに、戦闘能力に関してもっとも完成度が高いのは009だが、その外見が如何に美しく見えるのかを追求したのは、002と003の二人だった。
 人形のように美しくあらねばならないと、完璧な殺人人形ではならないと、当時のサイボーグ研究所の総責任者はそれに深い、特にジェットに対しては狂気にも近い思い入れがあったようで、このしなやかで柔らかな髪の質感を出す為だけに、膨大な予算が割かれていたことをジェットは知らない。
 そして皇かな肌の質感を出すのに、何人の肌の美しいと言われた女性が露と消えたのかフランソワーズは知っている。
 その上、セックスドールとしての改造をもジェットは受けさせられていた。
 ジェットは自分の為に身代わりになったと思っている。でも、実際は違うのである。そう思い込むことでジェットの気持ちが安定するならば、敢えて真実を伝える必要はない。
 ジェットをセックスドールに仕立て上げようとした男は、最初からジェットに目をつけていたのだ。自分はジェットを手に入れるための餌にしか過ぎない。それを知ったのは、男が失脚した後のことで、フランソワーズは自分の失態に深く後悔した。
 それを知っていたら、何か打つ手はあったのかもしれないとも思う。でも、結局は自分が出来るのはジェットをこうして抱き締めてあげることだけなのだ。
 その性的な改造は遺伝子のレヴェルまでに及んでいた。
 007に対して行われた変身能力の開発に対する初期実験との名目だったのだが、それから定期的にジェットは発情するようになった。発情を感じている間は、男にぶちこんで貰わないと納まりがつかない。その期間は、通常の犬や猫のように年に数回というレヴェルではない。少なくとも月に最低でも1回、多ければ2回もあるのだ。
 3日〜1週間その苦しみは続く。
 セックスしか考えられなくなったジェットの媚態はすさまじく、普通の男なら大抵は堕ちる。00ナンバー達も例外ではなく女性である003と赤ん坊である001を除いてはギルモア博士を含めても全員がその餌食となっていた。
 その関係は現在も続いていて、つまりジェットはフランソワーズとイワンを覗いて全員と肉体関係を存続させているということになる。
 肉体だけの関係。
 ベッド以外では決して、誰にも甘えることもしない心を開かないジェットが唯一、全てを曝け出せるのがフランソワーズだけであるのだ。
「ドイツに行ってたの?」
 フランソワーズは優しくそう尋ねる。指で髪を梳く度に髪の間に絡まったドイツ人の愛飲している煙草の香りと整髪料の匂いがした。女は鼻が利くのよとそう笑って付け加えるとジェットは躯を反転させてフランソワーズの下腹部に甘えるように顔を埋めた。
「あらあら、ジェットどうしたの」
 フランソワーズはジェットに対してだけは優しくなれる。辛辣で女王様体質で、強かな女であるけれども、そのジェットに向けられる口調の仕草はまるで、母が子供に、姉が弟に向ける慈愛で満ち溢れている。
 しっかりと腰に腕を回して縋ってくるジェットが愛しくてならない。
 こうされていても、ジェットからは性的な匂いは感じられない。子供にこうして縋られても母親なら平気であるように、それどころが縋ってくる姿が可愛らしいと母性を擽られるだけなのである。
「フラン、男はロクな生き物じゃねぇな。澄ました顔してても、結局、おっ勃てて、突っ込むことしか考えちゃいねぇっ!!ヤルコトしか考えられねえ、バカだ。だから、変な男なんか好きにならないでくれよ…な」
 ジェットはまるで母親に再婚しないでくれと子供が言っているような台詞に、フランソワーズはくすりと小さな笑いを零した。
「あら、あたしだって、女よ。恋愛したい気持ちはあるのよ」
「うん。わかってる。フランソワーズに相応しい男が世界の何処かに居ると思う。でも…」
「彼等はダメ…なんでしょう?」
 フランソワーズがそう言うと、うんと首を縦に振ったジェットの感触が伝わってくる。いつもだ。ハインリヒと関係をした後のジェットは落ち込みが惨い。他のメンバーとセックスした後は普通にしているのに、ハインリヒとした後は必ず、フランソワーズの所にこうしてやってくるのだ。
 前に、一度だけ漏らしたことがあった。
 ハインリヒとセックスすると凄く、いけないことをしている気持ちになる。分からないけれども、凄く気分が落ち込んでイライラするのだと。セックスが絡まないハインリヒとの関係はジェットも気に入っているようで、セックス抜きでドイツに遊びに行くこともあるようだが、セックスが絡むと途端にこうなる。
「絶対にダメだ」
 そう言うと更に強くしがみ付いて来る。
 男なんてみんなそうなのだ。
 自分が発情してセックスのことしか頭になくて、突っ込んでもらうことしか考えられなくて、誘えば、誰もNOとも言わなかったし、何を言ってると殴って正気に戻してくれようともしなかった。ごくりと唾を飲み込んで、言葉少なに自分を女のように抱いた。
 最近では、全員が自分と関係しているのを知っているのか、示し合わせたように誰かと誰かがバッティングするような誘われ方はしなくなった。
 そうなると自分は彼らの共有のオンナで性欲処理の為の道具だと思われているとジェットがそう考えても仕方がなかった。それでなくとも、幼少の頃から植えつけられた男性という性に対する不信感はBG団での生活の中で決定的なものとなり、仲間としての彼等を信頼はしていても、男性という部分でジェットは彼等を欠片も信用をしていないし、むしろ嫌悪していた。
 でも、彼等の性欲を満たしていなければ、それが何時フランソワーズに向けられるかにジェットは不安を覚えていた。フランソワーズが好きで愛した男とセックスするのならば、許せる。でも、男の欲望の相手はさせたくはないし、男のアイシテイルはセックスをする為の常套句にしか過ぎない。
 そんな男性に対しての絶対的な不信感と、フランソワーズに対する絶対的な信頼感がジェットを形成してしまっていた。
 フランソワーズは知っている。
 全員が決して、ジェットを欲望の対象としてだけで見詰めているわけではないのだ。最初はジェットの媚態に躯に引き摺られた部分が全くないとは言えない。でも、誰もがジェットを愛していた。誘っている媚態の向こうに絶望が見えていたから、手を伸ばさずにはいられなかった。せめて、一時でも、その絶望からとそう願ってしまったのだ。
 ジェットが自分でない誰かを選んだとしても、全員が祝福してやれるだけの覚悟をしているけれども、人間だから、手放したくはない。例え、ベッドだけの相手だとしても構わないからとの部分もある。だから、そんな不自然な関係はBG団を倒した今も続いていた。
 汚い部分しか見て生きてこなかったジェットは、人間には双方の部分あることを旨く理解出来ないのだ。
 ジェットにとって愛とは崇高なものであり、セックスのように肉欲という罪に塗れたものではないとの観念が存在している。
 だから、フランソワーズは愛している。
 でも、仲間は愛してはいない。との方程式が成り立つのだ。
「一人ぐらい分けてよ」
 と冗談めかしてフランソワーズが言うとジェットは無理に笑顔を作っているだろうことは、顔は見えなくとも指に入った力でそれをフランソワーズは感じる。
「ダメ…っ!!」
 と彼女を安心させようと無理矢理顔を上げて笑うが、口の端が僅かに歪んでいた。
「オレ、淫乱だからさ。6人ぐらいセックスフレンドがいないとさ。躯が疼いてしゃーないもん」
 でも、青い瞳は傷付いている。
 フランソワーズは辛かった。
 確かに、自分はジェットを愛している。ジェットが女として自分を求めてくれた方が余程楽だったのだと思えるくらいにジェットが大切だし、愛しくてならない。でも、だからこそ、家族以外の人を愛することをジェットには知って欲しいと思う。
 自分とジェットは家族にも、等しい。いや、半身だと言っても過言ではない。
 それ程に、近しい間柄なのだから、互いに理解しようとかしなくとも互いが存在しているだけで何の疑いもなく、互いに愛情が注げる。
 でも、家族でないもの同士の愛や、まして恋は違う。
 ジェットには、その歓びを知って欲しい。愛する人と肌を重ねる至福を知って欲しい。愛しいから、大切だからこそフランソワーズはそれを願わずにはいられない。
「なあ、フラン」
「なぁに」
「今夜、一緒に寝てイイ?」
「いいわよ。じゃぁ、一緒にお風呂も一緒に入りましょうね」
「うん」
 子供のように笑いながらも、何処か泣いているとの印象の拭えない顔のジェットが腕の中に居る。今、自分に出来ることと言えば、ジェットの心を愛で満たしてやることしかない。彼がゆっくりと眠れる場所を笑える場所を提供することしかないのだ。
「ねぇ、ジェット」
「うん」
 甘えたジェットの声。フランソワーズはドイツでの出来事を聞いてみたかったが、思い留まる。今のジェットには何を聞いても答えないだろうから、ジェットが落ち着いたらドイツに国際電話をかけてみようかとフランソワーズは考えていた。
 罪悪感があるのだとジェットが告白した男とジェットの間になにがあるのか知りたかった。覗き見趣味ではなくジェットの気持ちを安らげる為なら、手段も格好も気にしてはいられない。
 ひょっとしたら、ジェットは他のメンバーに対してはない特別な感情をあの男に抱いているのかもしれないからだ。ジェットが安らげる場所が最終的に増えるのなら、手段は選ばない自分がいる。
 例え、一時期ジェットが傷付いても苦悩したとしても、その向こうに彼にとっての幸せが存在しているのだとしたら、鬼にでも魔女にでもなれるのだとフランソワーズは自分にしっかりと抱きついている愛しい青年の髪を撫でた。
「愛してるわ」
 全ての想いをその呟きに込めて、哀しい青年のこめかみに小さなキスを落とした。





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