赦されざれる者へ寄せる背徳の囁き3



 きつい西陽が寝室として使っている部屋の窓から差し込んできた。
 部屋の構造上、どうしても西陽はベッドの上に当たってしまう。カーテンを開けたまま、この時間、ベッドで眠っていることなどほとんどないジェットにしてみれば、久方ぶりの夕陽とのご対面であった。
 眩しい太陽の光に染められた自らの手は真っ赤で、自分が今まで屠ってきた大勢の人の血が手についたまま取れない、そんな気分になる。
 ここのところ、いやNYに戻ってからずっと気分は欝状態だった。馬鹿騒ぎしても楽しくないし、一応、同棲中の恋人との甘い時間も決して楽しいとは言えない。ただ、独りにはなりたくない自分の都合に合わせてくれるし、褒められない仕事に関してもとやかく言わないから気に入っているだけだ。
 恋人が隣りで吸っている煙草の煙が流れてきて、それすらも赤く染まる。
 この煙草の匂いは好きだけど、嫌いだ。
 ジェットが愛している男が愛飲している煙草だから、かなわぬ恋だと諦めて彼を忘れようと足掻いている自分の醜さを直視させられるようで、嫌いだ。と同時に、純粋に恋する人の面影を感じられて幸せに浸ることもできる。
 でも、最近では前者ばかりが先に立って、手を差し伸べてくれたりと優しく接してくれたそんな思い出すら、辛いと思えてしまうくらいにジェットは思考の蟻地獄に完全に堕ちてしまっていた。
「どうした」
 背を向けて、躯を丸めてじっとしているジェットの髪を恋人の手が撫でる。
 赤味のかかった金髪に指を絡めたり、手櫛で梳いたりしてくれるけれども、この煙草の匂いで思い出してしまった恋する別の男の面影が去ってはくれない。
「久しぶりに、食事にでも出掛けるか」
 恋人は珍しくジェットを食事に誘う。
 食事は外食やデリバリーが多く、二人とも料理などほとんどしない。インスタント食品を温めたり、パンをトースターで焼いたり、コーヒーを淹れたり、せいぜいそんな所なのだが、不思議と二人で連れ立って外で食事することは珍しかった。
 生活時間帯が合わないこともあるし、ジェットは昼ぐらいしかこのアパートでは食べない。仕事の前に食べると、気分が悪くなるから食べない。明け方近くに帰宅し、疲弊した躯をようやくベッドに投げ込んで、昼頃まで只管眠るのでもちろん、朝食も食べない。
 男は、不規則な生活をしていて在宅時間がてんでばらばらでジェットの生活とは合致しない。
 従って、一緒に食事をすること事態そもそも少ないし、連れ立って外食などもっと少ないのは仕方ないだろう。
「仕事があるなら、仕方ないが」
「いや、休む。あんたが誘ってくれるなんて滅多にないからな。おごりなんだろう?」
 とジェットは横になったまま躯を反転させて、恋人を見上げた。
「ああ、何と無くドイツ料理が食べたくてな。少し遠いが…たまにはいいだろう」
 と珍しく穏やかに笑う。普段、あまり表情を出すタイプの男ではないが、何故か最近、穏やかに笑うようになったのは自分の気のせいだとジェットはそう思うことにする。この男が本気で自分に惚れているなんて、そんなこと考えたくもない。
 ただ、今は互いに都合が良いから一緒に居るだけで、その間に愛が介在するなどとそんな幻想、ジェットには信じられないでいる。
 恋する男への恋慕を捨て去る為に、自分で自分を貶めるような地獄に身を投じていながら、愛に対してジェットは懐疑的だ。その渦中にあったとしても、自分を本気で愛してくれる人などいないと、そう結論づけてしまっている。
 いや、愛してくれている人はいる。
 仲間達は自分を愛してくれている。
 こんな自分を見たら、誰もが心配をして自分の元に滞在することを勧めてくれたり、あるいは、このアパートに押しかけてきかねないそんな人達だ。彼等の愛を疑うことはしないし、ありがたいとは思うが、それはジェットの欲している愛ではない。
 宇宙から落下し、死の狭間で本当に自分が欲している愛とはそんなに穏やかなものではないことをジェットは自覚してしまった。
 激しく、汚く、ドロドロとしていて、でも、それでも彼が恋しい。
 彼に抱かれることを日々、夢想して、自らを慰めた夜など幾らもあった。
 彼に呆れられて仲間としての信頼すらも失い軽蔑される日を待ち侘びながら、いつか彼が自分を抱き締めてくれる日を想像している、背中合わせの希望は決して向き合うことはない。
「少しは、まともな格好しろよ」
 珍しく、寝転んだままのジェットの頬に恋人らしいキスを一つ落とし、ベッドからするりと降りると鍛え上げられた肉体を隠しもせずにバスルームへと消えた。ジェットはそんな彼の後姿を見送りながら、自分のクローゼットの中身を反芻してみせる。
 この間、客にもらった品の良い色合いのスラックスに、オフホワイトのシャツ、ネクタイは持ってないからしないけれども、恋人の持っている小豆色のスカーフはそれに似合いそうだから、貸してもらおう。そして、スラックスに合わせてプレゼントされたジャケット、久しぶりのデートにはなかなかいいじゃないか。そうジェットは笑うと、恋人がバスルームから出て来るのをセックスの余韻に浸りながら待つことにした。








 二人が同棲しているアパートの傍でタクシーを拾って、ここまでやって来た。
 それなりの高級ホテルや外国人向けのホテルが立ち並ぶこの一角は、普段のジェットとは縁のない場所であるが、今着ている洋服をプレゼントしてくれたジェットの顧客は大抵は会う時は、この界隈の高級ホテルを指定してくることが多かった為、ある程度は馴染みのある景色であった。。
 今夜、恋人とのデートの為にキャンセルした客は別の客であったし、その客は自宅にジェットの呼ぶ客であるから、ここで出会うことはないだろう。と、ジェットは自分が客と出会う可能性を忘れてしまっていた。
 滅多に、仕事をキャンセルするジェットではないが、今夜は本当に何と無く彼と食事をしたい気分にさせられた。征服されるだけのセックスではなく、抱き合うセックスを久しぶりに堪能したというのもあるが、いつもとは違う恋人の様子に少なからず興味を覚えたからだ。
 ふらふらとついてきてしまったという感覚が拭えなくはない。
 腕をさりげに組んで、人の波を縫うように歩いていく。
 既に、夜の帳が下り、あちこちではネオンが輝き始めていた。
 憧れていたネオンだ。あの明るい光の下にはきっと幸せがあるとそう思っていたのは、まだ幼い自分であった。
 昔、昔のことだ。
 あのネオンの下には温かい家庭があるのだと、そう夢想していたけれども、今ではそのネオンすらも幻想で温かい家庭などそこにはないことを知っている。でも、暗がりに灯る明かりは人の心を不思議と和ませて、恐怖を少しだけ和らげてくれる効果がある。
 遠くからずっとそれを見詰めていたジェットは、その効果を良く知っていた。
 腕を組んでゆったりと歩く二人には、好奇の視線もいくつか混じっていたが、週末の通りではゲイのカップルなど気にする人達はいなかった。
「まだ、歩くのか?」
 こうしてネオンを見詰めながら、歩くのは嫌ではないけれども、店から零れる食欲をそそる匂いに胃が刺激され、空腹だと訴えかけてきていた。
「ああ、この交差点を渡ったら、すぐだ」
 二人は赤信号に合わせて立ち止まり、やがてそれを待つ人々と一緒に、青信号に合わせて歩き出す。
 BG団から逃げ出して、初めてNYに来た時はとても驚いた。昔の彼の知っているNYとは程遠いもので、このスクランブル交差点の存在にも随分と驚かされたものだ。でも、NYという都市の空気だけはジェットが知るNYも今のNYも変わらない。
 交差点を渡って、小さな路地に入り、少し歩くとその店はあった。
 こじんまりとした店で、気を付けていなければ通り過ぎてしまいそうであった。
 ソーセージとビールの匂いがしてくる。
「美味そうだな」
 とジェットが恋人の耳元で囁いて二人でドアを潜ろうとした瞬間、出てきた一人の客が居た。
 こじんまりとした構えの店の出入り口の扉は木製で、間口はさほど広くはない。腕を組んだ二人連れと一人の男が擦れ違える程のスペースはない。従って、入って来た方が道を譲ることになる。
 アメリカに滞在しているドイツ人が、故郷を懐かしんで週末に自国料理を味わいに来たのだろうと、ふと何気に擦れ違った男を見ようと振り返った瞬間、ジェットの時間は止まってしまっていた。
 夢にまで見る。
 会いたいけれども、今の自分では会えないとずっと想いだけを抱き続けていた男が其処に立っていた。








「ハインリヒ……」





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