赦されざれる者へ寄せる背徳の囁き10



 終わりに出来ないことなど理解している。
 けれども、どんな形であったとしても、今の自分をリセットすることを熱望した。
 ハインリヒに怒られて、殴られて、馬鹿者と言われつつ、ギルモア邸に無理に連れて行かれることが自らが望んだ終り方であったが、それは甘い幻想であった。
 そんなに簡単なことではないことくらい理解していたし、結末が訪れることなど真剣に考えたくなかった。
 刺客といえども、一人の人間を殺したことに変わりはない。
 一緒に暮らした相手を殺すのは、初めてことだ。
 刺客や暗殺者は何人も殺したが、彼らとの間にはこの男とのような濃密な時間は持つことはなかった。
 そう思うと、途端に男が哀れに見える。
 自分に撃ち殺されるつもりなどなかったのだろう。自分にハインリヒを撃ち殺させて、その後、自分をどうするつもりだったのだろうか。自分は都合の良い相手だと思っていたが、果たしてこの男は自分にどういう感情を持っていたのだろう。
 コンクリートの地面の上に横たわる自分の腕の如くに、慰み者にでもして殺して捨ててしまうつもりだったのか。あるいはBG団に進呈してしまうつもりだったのか、もう何も聞くことは出来ない。もっと、語り合っていたら、今は違う形で向き合っていられたのだろうか。
 でも、男が自分達を狙った暗殺者である以上、殺し合いしか方法はないはずだ。例え、この男が雇われただけの殺し屋であったとしても、自分達の暗殺に失敗すれば、殺される運命だった。ただ、BG団の殺し屋になのか、自分達になのかという違いだけだ。
 自分と関わった時点で、彼の運命は定められてしまった。
 そう、警察から逃げようとして、BG団の男達の甘言に乗ってしまった段階で、ジェットの運命が強制的に定められてしまったのと一緒だ。其処で足掻くしか生きていく術はない。男が何を思って最後に笑ったのか理解出来ないが、男なりに何処か得心がいったことがあったのだろう。
 それに、こんな仕事をしている以上、ある程度の覚悟があったのかもしれない。
 でも、自分には選ぶ選択肢すら残ってはいない。
 自分で自分の頭を打ち抜くことも出来ないのだ。
「拳銃の弾じゃ、死ねないぜ」
 そう言った男の手からは火薬の匂いがしている。
 数秒前にこの鋼鉄の手からマシンガンの弾が発射され、頭に銃口を向けて引き金を引こうとしていたジェットの右肘に向かって吸い込まれていった。
 飛行能力を追求したジェットの躯は耐久性に問題を抱えていた。再構成によってかなりの耐久性は増したのだが、やはり関節部分の脆弱までをもカバーするには至らなかった。
 耐久性を増せば、飛行能力が低下する。
 戦術的な面から見ても、ジェットの飛行能力の低下は得策とはいえない。従って、飛行能力をセレクトするしか00ナンバーには選択肢はない。後は、ギルモア博士とイワンの研究の成果と科学技術の進歩を待つしかないのが、現状であった。
 至近距離から放たれた弾丸は簡単にジェットの右肘を破壊した。
 拳銃を握ったままの右手が、小さな火花を散らしながらぼとりとコンクリートの地面に落ちる。
 数本のコードで辛うじて右腕の肘から下が繋がったままの姿、人ではない証が其処にはある。弾丸を打ち込まれた一瞬は痛みを感じるが、弾丸の幾つかが神経系統を破壊したせいなのか痛みは感じられない。
 そう、拳銃の弾ごときでは人工頭蓋骨を撃ち抜けない。
 サイボーグであることの最大の利点は、人間の思考能力を持ち合わせていることであった。ロボットにはない、瞬時の判断能力や人間特有の思考能力、科学力すらも凌駕する気力があるからこそ優れているのである。
 その人である為に必要な、一番大切な脳を守る為に、耐久性に問題があるといっても人工頭蓋はジェットの躯の中でもっとも硬い部分であるのだ。ボディですら拳銃では撃ち抜けないのに頭を撃ち抜けるわけがない。
 弾の齎す衝撃で、軽い脳震盪を起こす程度だ。
 わざわざ、右肘を撃ち抜いて止めようとするハインリヒの意図が理解できない。言っていることと、やっていることが全く違うではないか。
 脳震盪と右腕の破損、どちらが楽かといえば前者であろう。
 だが、自分はそれ以上に馬鹿で不合理で、情緒不安定な行動をしていたのだから、それをどうこう言う資格はないのだし、戦術に関しては00ナンバーの中で、1、2を争うほどに頭の切れる男の考えることは学のない自分には到底理解できなくて当り前だ。
「ああ、死にはしない。いや、死ねないさ」
 ジェットは、自嘲した。
 愚かな考えと、愚かな行動、男に誘導されていた部分があることは否定しないが、全てはそればかりではないのだ。自ら堕ちることを望んだことには変わりはない。思考はかなりクリアにはなったけれども、今までの出来事をデリートとして明日から、生きていける程には強くはない自覚はある。
 いきがっていたとしても、自分の弱さは何よりも自身がよくわかっている。いつも虚勢を張っていないと崩れそうになる程度の強さしか自分は持ってはいない。動じることがなく、冷静に物事を判断できる目の前の男とは心の造りが全く違うのだ。
「わざわざ、止めてくれなくても……、このくらいじゃ、死ねないさ」
 ジェットは地面に落ちた腕を見ながら、そう言った。
 けれども、ハインリヒからの答えは返ってはこない。どんな表情をしているのかみる勇気もジェットにはなかった。これから彼とどう向き合うか、いや向き合うことすら出来ない。近くにいることすら、苦痛なのだ。
 嫌いなのではない。
 今でも、恋しいと思う。
 昨夜の出来事が虚構ではなかったと、自覚出来た今でもその気持ちに変わりはない。だからなのかもしれないが、余計に彼から何か語られることが怖かったのかもしれない。
「でも、随分、回りくどいやり方だな。殺したいんならさっさと殺しちまえばいいものを、お前と一緒に暮らしながら、生かしておいただなんて……。お前に俺を殺させて何のメリットがあるんだ? お前を殺して、お前が殺されるのを見たと俺達に個別に接触して油断させて殺していって方が余程、効率的だろうに」
 ハインリヒはいつもの冷静な思考力を発揮して、そう男の遣り方を評した。
「ああ、雇われただけで、俺達のことをろくに聞かされなかったに違いないな。そうでなければ、お前と……」
 ハインリヒは不自然にそこで台詞を終えた。
 何を言ったらよいのかわからないのだろうか、この男にしては歯切れが悪いけれども、こんな状態ならば仕方がない。仲間と思っていた自分が男娼で、そして、その友人とセックスをして、友人の恋人を友人が殺して、恋人の正体は殺し屋だったなんて、ドラマの脚本にも出来ないどうしようもない間抜けな展開だ。
 ドラマならここでエンドマークが打たれて終わりだろうが、自分達はこれからも生きていかなくてはならない。
 そう、死にたいと、願ったとしても死なせてはもらえない。
 堕ちたいと思っても、赦されない。
 誰がといえば、この目の前の男が、そうさせてはくれないのだ。
 恋焦がれて、馬鹿な真似をしてもきっとこの男は笑って、赦して元の友人同士に戻るのだろう。恋人が出来ても、幸せにと祝福するつもりなのだろう。その辛さに自分は結局耐えなくてはならないのだ。
 彼に抱かれることを知ってしまったから、更に辛くなるのは目に見えているのにジェットには選択肢などありはしないのだ。いつも自分で生きる道を選んでいるようで、実は選ぶことなどできるわけがないのだ。運命のベルトコンベヤーに乗って運ばれているだけの生き様だ。
 動き続けるそれを自分の意志では止められない。
 ジェットは数本のコードで繋がれている腕を拾い上げ、勢い良くコードを引き千切った。痛みなど感じはしない。ただ、虚しいだけなのだ。何度も手や足を付け替えたことはある。その度に訪れるのは自分が何かを失っていくというそんな気持ちだ。何を失うのか、それは分からないけれども消失感だけが長い間残る。
 自分との繋がりを失った腕を、まるで汚物のように海に投げ捨てた。
 命を一瞬でも断とうとした腕は見たくはない。自分が殺した男ともげた腕がシンクロしていやな気持ちになるばかりだろうから、いらないのだ。子供のような言い草だけれども、ジェットにはそれが精一杯の虚勢であった。
 ふと、ギルモア博士の心配そうな顔が脳裏を掠めるが、言い訳は後で考えようとその顔を振り払った。
「………」
 何か言いたげな視線が向けられるが、敢えて知らぬ顔をする。
 男を残った左腕で抱きかかえる。
 男を海に葬るつもりでいた。放置しておいて警察に調べられて追い掛け回されるのはもう勘弁してもらいたい。男が行方不明になったとしても探す者などいないだろうし、BG団絡みならば、表には決して出てこないのは目に見えていることだ。
「ジェット」
 ハインリヒが、行くなとも、気をつけてとも、どうとも取れる口調で名前を呼んだ。この男にしては随分、弱気な声だった。
「オレ、行くわ」
 何処にとも、何処へともジェットは言わなかった。
 いずれ、運命のベルトコンベヤーはこの男と相対するポイントへと、自分を乗せて流れていくのかもしれない。そうなったら仕方がないだろうけれども、今は見なかったことにしてしまいたい。この場で、彼と真っ向から向き合うことは、いくらジェットでも出来なかった。僅かでもよいから時間が欲しい。
 大きく息を吸い込んで、ジェットエンジンを点火させた。躯がふわりと浮き、右手がない上に残った左腕で男を抱えている為、バランスをと取り損なうが、この程度のハンディはジェットにしてみれば克服出来る程度のものであった。
 すぐに体勢を安定させると、そのまま地上のハインリヒを振り返りもせずにジェットは虚空を目指した。





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