聖なる夜空に祈りを込めて



 ジェットは足元から吹き上げる冷たい冬の風に身を縮める。
 飛行能力を重視して改造されているジェットの躯は、本来なら寒さを感じることはあまりないのだ。
 地上と違って、上空は寒い。
 その寒さに耐え得る為に、ジェットの躯は通常でも、子供の体温で設定されている。つまり、大人で言えば、微熱があるかもしれないと言う程度であるが、それだけ体温が違えば、かなり体感温度は異なるものだ。
 けれども、特にNYで独り暮らしていると、冬が寒いと感じられる。
 NYの冬の思い出に楽しいものなどない。
 ただ、寒いとひもじいとの思い出しかなかった。
 躯だけが寒いのではなく、躯だけがひもじいのでもない。確かに、肉体的に恵まれていないこともあったが、何よりも心が愛情に飢えていた自分の幼い姿がふとした折に思い出されて嫌な気持ちになることがあるのだ。
 特に、クリスマスが近付くとその傾向は顕著なる自覚はある。
 つい、クリスマスに対して辛辣な言葉を吐き出してしまうことが、最近は増えた。子供や恋人にプレゼントをと浮かれた同僚に対して、デパートの策略にのってローンを増やすこともないだろうとつい言ってしまった。
 そのことに対して、自己嫌悪に陥っているのだ。悪気はなかったけれども、同僚達を傷付けてしまった。でも、その何と言うのか彼の記憶に残るそれらがクリスマスを素直に喜ぶことを否定するのだ。
 そんなジェットを責めるかのように足元から、NY特有の冷たいビル風が吹き上げていった。寒いと感じないはずなのに、ジェットはぶるりと躯を震わせて、肩を窄めてて雑踏の中を歩き始める。










「ジャン、ジャ、ジャーーーン」
 ジェットは後ろ手に隠し持っていたシャンパンをどうだぁ〜と掲げると、フランソワーズとアルベルトはおおぉ〜と嬉しげな声を上げた。
 その反応に気を良くしたジェットは、へへへへと笑う。
 殺風景な部屋にはクリスマスツリーもないし、ご馳走もない。
 あるのはテーブルにちょこんと乗せられた。小さな小さな直径10pにも満たないケーキである。大人三人で食べるには些か小さすぎるサイズであった。しかも、そのケーキは何も飾られてはいないチョコレートケーキであった。
 唯一、今日がクリスマスだと分かるのは、フランソワーズが紙に描いたツリーのイラストが串で刺してあることだけが、このケーキを飾る唯一であった。
「なら、俺も出すか」
 と黙っていたアルベルトがおもむろにサンタクロースの形をした蝋燭を手品師のように、鋼鉄の手に乗せてフランソワーズに差し出した。何処でどうやって手に入れたのと、聞く二人に企業秘密だと、笑って答えたアルベルトは覗き込むだけのフランソワーズの柔らかな白い手にそのサンタクロースを握らせる。
「かわいい〜、アルベルトありがとう」
 フランソワーズの顔が嬉しさで綻び、そのサンタクロースの形をした蝋燭を大切そうに握り締めてから、ケーキの上に慎重に置いた。ツリーの横に立つサンタクロース。小さなケーキに飾るには大き過ぎるサンタではあったが、少しはクリスマスらしい装いに三人の表情は更に柔らかくなっていく。
「フラン、早く火…点けろよ」
 とジェットは早々と部屋の明かりを消して、フランソワーズを急かせた。部屋の電気が消えても、フランソワーズにはたいした障害にはならない。暗闇でも何処にライターがあるのかぐらいは分かるのだ。
 哀しいけれども、それが彼女の能力であった。
 フランソワーズが火を点けると、蝋燭独特の柔らかな光が無機質な室内に広がっていく。その光は心を和ませて頑なであった心を解していく効果があった。
 窓一つないコンクリートがうちっぱなしのままの部屋は無機質そのもので、まるで、いや牢獄そのものである。部屋の中央に置かれたソファーセットやテレビ、簡易キッチンは空々しい作り物のようにすら見えることもある。
 人工的なものではない自然の柔らかな光は三人の心にゆっくりと染み込んでくる。
 そして、三人は黙ってその光を見詰めたまま、言葉を失っていった。



 フランソワーズもアルベルトもクリスマスの思い出があった。家族と過ごしたクリスマスの思い出が機械の躯になってしまったとしても、魂に奥に刻まれていて決して、忘れることはない。
 もう、一緒に過ごせないだろうけれども、それでも、そんな過去は幸せな気持ちを運んで来てくれる。蝋燭の明かりは昔を思い出させてくれる効果があった。マッチ売りの少女がマッチの火の中に幻影を見たように、フランソワーズもアルベルトも蝋燭の明かりの中に、忘れたくはない家族との温かな時間を見ていた。
 ジェットもそんな二人を見て、自分にはクリスマスの思い出なんて語れる代物はないし、クリスマスなんてロクでもない思い出しかないけれども、でも、普段は無愛想でいつも怒っているような表情をしているアルベルトですら、微かな笑みをその整った面立ちに乗せていることが、好ましいと思った。
 そして、少女の面影が濃くなり、幼少の頃亡くした両親や、いつも彼女の傍にいた兄のことを思い出しているのか厳しく凛々しい女の表情がフランソワーズから消えて、年相応の愛らしさが滲み出た少女に戻っていた。
 いつもの二人とは違う表情が嬉しいとも思える反面、自分には思い出したい過去がないことに愕然とする。自分の人生はこのままこの場所に朽ちるにしては、情けないものだと、自嘲するしかなかった。
 聡い二人に自分の落ち込み始めた内面を悟らせたくなくて、わざとおちゃらけて見せることしか出来ないジェットがいるのだ。何故なら、二人は過ぎるくらいの愛情を自分に注いでくれるから、ジェットには初めて大切にしたいと思った人達だから、過ぎ去ったことに拘って彼等を悲しませたくはない。
「なあ、早くしないとサンタクロース全部溶けちゃうぜぇ〜。サンタクロース殺人事件ってタイトルついちまうって…、それにサンタだけぢゃなくって、ケーキまで、お陀仏しちまうぜぇ〜」
 ジェットは用意してあった小皿とフォークをいそいそと並べ始めて、シャンパンの蓋を開けようとするが上手く開けられない。ジタバタしているジェットに二人は微かな笑いを乗せた視線を一瞬だけ合わせ、互いの気持ちを確認したアルベルトとフランソワーズは再び、視線をジェットに向けた。
 そして、アルベルトがシャンパンをジェットから奪い取り、軽く開けてみせると、にやりと嫌味っぽい笑いをジェットに寄越した。
 膨れっ面のジェットに、フランソワーズはおかしいわねと笑いを零した。
 殺伐とした生死の狭間で唯一、寛げる場所がそこであったのだ。
 シャンパンの香りと、ケーキの甘い香りが部屋に染み込んでいくだけなのに、心地良い温かさが部屋に広がっていくような気がしていた。
 その隙にジェットはサンタクロースの形をした蝋燭を吹き消した。
 アルベルトがシャンパンを注ぎ、フランソワーズがケーキを切り分けてささやかな、と言うことすらおこがましいようなクリスマスパーティをしたのが、ジェットのクリスマスらしいクリスマスの最初の思い出だった。










 ハロウィンが終わると、NYの街はクリスマス一色になり、人も街も浮かれ始める。昔は、この雰囲気が嫌いだった。
 クリスマスだからとて自分に恩恵が与えられるわけではない。
 自分達のような貧しい者には神すらも恩恵を施してはくれないのだ。いつもより、人々の財布の紐が緩く自分達にも稼ぎ時ではあったが、所詮は一時的なもので、生活に消えて何も残らないものだ。
 おもちゃの一つ、ケーキの一つ買える余裕はない生活だった。
 温かな部屋と、ツリーと、ケーキと、ご馳走と、そしてクリスマスに一番必要なのは愛する人。夢にずっと描いていたジェットがテレビを見て憧れ続けていたクリスマスがもうすぐ手に入る。
 本当は形あるプレゼントなんか要らない。
 彼が、嫌な思い出しかないNYのクリスマスをきっと素敵なクリスマスに変えてくれるような気がしている。それがジェットにしてみれば、とても嬉しいプレゼントになるのだ。
 可愛らしいサンタクロースの形の蝋燭は強面のアルベルトには似合わないことこの上なかった。それが、フランソワーズとジェットのからかいの対象になったが、反面、自分達のことを考えてくれていたのだと、フランソワーズがケーキをどこぞから入手してくることを知っていての好意だとわかっているから、嬉しくもあった。
 例え、自由のない監獄のような場所であったとしても、ジェットにとっては手に入れられないと諦めていた愛を二つ手に入れた場所だったのだ。どんなに忘れようとも、その事実だけは忘れることは出来ない。
 後、2週間もすればクリスマスはやってくる。
 トナカイの引くソリでやって来るサンタクロースではないけれども、ジェットにとっては彼そのものが幸せを運ぶサンタクロースであり、大きなプレゼントである。
 まだ、2週間ある。
 再び、足元から吹き上げる冷たい風に誘われるように、ふと、夜空を見上げると、満天の星が瞬いている。クリスマスにアルベルトが無事に自分の所に来てくれて、二人きりのクリスマスが過ごせますようにとジェットはそう願った。
 特別なものは要らない。
 温かな部屋の代わりに、彼の暖かな腕があればいい。
 ケーキの代わりに、彼の甘いキスがあればいい。
 ああ、でも、シャンパンと必要だなと、ジェットはシャンパンを売っていそうな店はないかと視線を走らせるそんな自分の行動に気付いて、自分もマーケット(市場)に踊らされてる哀れな消費者だなと笑いが込み上げてくる。
 不思議と明日、同僚達に謝ろうという気持ちになった。
 街のあちこちから、仕事の帰りの人たちを店に誘おうとクリスマスソングが流れている。
 決して、今はクリスマスがイヤではない、むしろ楽しみにその日を子供のように胸ときめかせて待っている自分がいる。
 ジェットはそんな自分の変わりように苦笑するのだけれども、決して嫌なことではなく、そんな風に変われた自分が少し好きになったような気がしていた。
 きっと、偏屈なドイツ人のサンタクロースが自分の所に来てくれる頃までには、素直な自分になっていたいと、ジェットはそう思った。
『素直な自分で居られるように、努力してみる。だからさ、オレの素敵なサンタさん。絶対にオレのところに来てくれよ』と、遠いドイツへと続く夜空を見上げてそうジェットは祈った。










 薄く暗くなり始めた室内に突然、明かりが点った。
 外を眺めていたフランソワーズは苦笑する。
 少し、昔を思い出してぼんやりしてしまっていたのだ。
 博士が用意したというツリーをジョーと博士の三人で飾り終えた後、夕方のタイムサービスの売り出しがあるからとジョーは慌てて買い物に出掛け、博士はクリスマスに備えて何やらこのツリーに仕掛けをするのだと、地下の研究室に篭ってしまった。
 張々湖飯店でのバイトが休みのフランソワーズは一人リビングで雑誌を捲っていた。今時の流行ファッション雑誌はご多分に漏れずクリスマス特集で、様々なクリスマスグッズに混じって、色々な形のした蝋燭が掲載されていた。
 サンタクロースの蝋燭を見て、ふと初めてジェットとアルベルトと自分で過ごしたクリスマスを思い出したのだ。
 ささやかとすら呼べもしないパーティは今でもフランソワーズの脳裏に焼きついている。こんな素敵なクリスマス初めてだと笑ったジェットの笑顔が今でも、胸を痛くさせる。自分にしてみれば、こんなクリスマスは経験した最悪の次に最悪なクリスマスだった。
 でも、ジェットはこんなに素敵なと言ったのだ。
 それだけで、彼が歩んで来た人生の一端が見えてしまった。クリスマスですら祝えなかった彼の、クリスマスですら救いの手を差し伸べられなかったジェットに対する想いが込み上げてくる。
 ジェットを卑下しているわけではないし、哀れんでいるのでもない。
 自分を支えて、どんなに辛くともジェットは笑ってくれた。その笑顔がフランソワーズには救いであり、生きる糧であったのだ。
 だからこそ、彼を支えてあげたい。愛してあげたい。彼が望む愛を自分が持っている限りの愛を彼に注ぎたい。
 過去などは関係はない。
 ただ、彼と言う存在が愛しくてならないのだ。恋ではない、家族にいや、己の半身に向けるそんな愛なのだ。
 先日、クリスマスはどうするのかと誘いの電話を掛けた向こうでは、恥ずかしそうにでも、弾んだ声でアルベルトがNYに来てくれて二人きりで過ごすのだとそう告げられた。少し悔しい気がしないでもない。
 大切なジェットを他所の男に取られたことは面白くはなかったけれども、でも、アルベルトがどんな想いを抱えてジェットを自分を支えようと必死だったかを知っているから、駄目だとは言えないのだ。
 でも、彼ならジェットの心の中にある闇を払拭してくれる気がする。
 フランソワーズは音もなく立ち上がる。そして、薄暗い室内に明るく灯るツリーの前に祈るように跪き、ジョーが戯れて作ってくれたサイボーグ00ナンバーとギルモア博士の10p程のマスコット人形の一つを見つけると、愛しげに口唇を寄せた。
 慈悲に満ちた眼差しでジェットに良く似たそれにキスを落とすと、その小さなマスコットを両手で優しく包み、それをもう一度、口元にと寄せた。そうして、小さく小さく彼女は誰にも、彼女自身にすら聴こえぬ程の声で呟いた。





『ジェットのクリスマスが、彼の心を幸せで満たす素敵なものでありますように』





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