アクジョな気持ち



「いいよな、こう言うの」
 二人で何気に見ていたテレビ番組は俗に言うラブコメであった。嘘吐きで、性格は悪いけれども憎めない愛嬌のある美しい女性と、彼女を愛する超お人よしの実業家のラブストーリーであった。
 そんな彼女は風呂上りに、見事なストロベリーブロンドをピンクのタオルで包み、豊満な肉体をピンク色のバスローブで隠していた。そして、足にはファーのついたピンク色のミュールを履き、ベッドに半端に腰掛けて足をぶらぶらとさせながら、電話で女友達と話しをしているそんなシーンが映っていたのだ。
 ジェットのうっとりとした声に、こんなオンナが好みなのかと、アルベルトは眉を顰めてしまう。ジェットは口で言う程には奔放ではなく、自分と付き合うようになってからは貞淑な恋人で居てくれるのは何よりも、その躯が如実に物語っている。
 テレビの世界の人達に憧れを抱いたぐらいで、どうこう言うつもりはないが、ジェットにこのオンナは似合わないとそう思うアルベルトがいるわけだ。もっと、こう、せめてフランソワーズのような女性なら笑って似合いだと言えるが、美人だし、愛嬌はあるが、どことなく下品なのが気に入らない。
「あっ…」
 独占欲の強い恋人の訝しげな視線に気付いたジェットは、違うんだと言って困ったような顔をした。どう説明しようかと少し躊躇しているらしい。黙ったまま次の台詞を待ってると、再び、テレビを指差した。
「彼女じゃなくって、彼女の履いてるミュールがいいな〜って……」
「ミュール?」
 女性のファッションに疎いアルベルトにはミュールが何であるか理解出来なかった。反対に一度、女の子になった経験のあるジェットは、それ以来フランソワーズにお付き合いして買い物に行くことも多くあり、それなりに女性の今時のファッションについては少しばかり分があったのだ。
「そう、ほら、スリッパの代わりに履いてる奴、ふあふあってした毛がついたさ」
 あれがミュールと言うのかと納得しているアルベルトにアレ素敵だろうと、ジェットは楽しげに言う。何処が素敵なのかアルベルトには理解出来ないが、ジェットが履いたら似合うとは思う。
 なだらかな足の甲を彩るファーや細い足首を支えるヒール、ミュールを引っ掛けて足をぶらぶらとさせるちょっと怠惰的な姿、アルベルトは情けないかなつい妄想してしまっていた。確かに、ジェットならテレビの女優以上に愛らしく、あのミュールを履きこなすだろう。
「ああ、言うの好きなのか?」
 ジェットに女装癖はなかったが、つい最近、女性化してしまって以来、女性の格好をするのが趣味になっていたとしてもアルベルトはジェットも責めるつもりも、問い質すつもりもなかった。
 ただ、純粋に欲しいなら買ってやろうかと真剣に思っていたのだ。
 別段、ジェットがジェットのままでありさえすれば、それ以外のことはジェットがやりたいようにやらせてやりたいとアルベルトは本気で思っている。
「うん、好きかな?よく分かんないけど…さ。アクジョぽくっていいじゃん。なんか、イイ男、手玉に取ってカッコイイっていうかさ。オレ、あんたに優しくされるばっかりで、我侭一方的に聞いてもらうばっかりで、何て言うかさ。格好悪いじゃん」
 とジェットは口唇を尖らせて、拗ねたような瞳で隣に座っているアルベルトを見詰める。
 じっと揺ぎ無く自分を見詰めるブルーグレーの瞳に、困ったように笑みを零して俯く。次の瞬間、上げた顔には子供の表情はなく其処にはアルベルトを巧みにベッドに誘う蠱惑的な表情を湛えたジェットがいた。
 こんな子供っぽい仕草と、ベッドに誘う妖艶な仕草のギャップにアルベルトはジェットにいつも新鮮さを感じる。幼い部分とやけに老成した部分といった相反する気持ちのベクトルが同居するジェットの心の中はいつも愛情に飢えていた。
 欲しいと強請る子供の部分と、無理なのだから諦めろという老成した部分。
 出会った頃のジェットは愛されることに諦めた老人のようであったが、今のジェットは子供のように邪気なく愛されることをアルベルトに強請ってくれるようになった。それが、アルベルトには嬉しくてたまらない。だから、ジェットが望むことは、許される範囲でさえあれば、叶えてやりたいと思うのだ。
「で」
 と次を促しながら、アルベルトの肩にしどけなく腕を回したジェットの細い腰を掴み自分の膝の上に抱き上げた。すると、ぐっとジェットとの距離が縮まり、先刻レストランで味わったビールの匂いがアルベルトの鼻腔を擽った。
「オレもさ、あんたみたいなイイ男を手玉に取るアクジョの気持ち…ちょっと、味わってみたくなったの」
 十分に自分からしたらジェットはアクジョ級の恋人だ。
 三十路過ぎた男が18歳の男の子に骨抜きだなんて褒められた状況ではないではないか。でも、本当にアルベルトはジェットにメロメロなのだ。プライドも投げ捨てて、過去も清算して、そして彼との恋が人生の最後の恋でも、いや最後の恋であって欲しいと願ってしまうほどの真剣な想いを抱かせてしったのはジェットの存在に出会ったからなのだ。誰も愛さないと誓った頑なな男の心を簡単に蕩けさせたアクジョではないかと、心底そう思う。
「ああ言う格好してか?」
「うーーん。ちゅうか、ファーのついたミュールってオレ的にはアクジョの象徴なんだけどな?」
 アルベルトには理解出来ない象徴ではあるが、とにかくジェットはファーのついたミュールが気に入っているらしい。
 今度プレゼントしてやろうと考えていることをおくびにも出さずに、自分の膝の上でおとなしくしている恋人の細い躯に腕を回した。
「だったら、恋人をメロメロにする練習しないと、アクジョにはなれないぜ」
 そう誘いの吐息を耳元に注ぐと、ジェットはそうだな今夜はメロメロに骨抜きにしてやるぜとそう返してくる。この辺りは全然、多分、ジェットの頭で描いているアクジョとは違うのだろうが、アルベルトにしてみれば、そんなジェットが好きで堪らない。
 自分を愛してと強請りながらも決して、アルベルトに媚びないところが、気に入っている。時には自分を抱き締めて癒してくれる強さも持ち合わせて、様々な感情に捕らえられてすぐに前に進めなくなってしまうような情けない男には過ぎた恋人だ。
「ああ、出来るなら、メロメロにしてみろよ」
 そう返した随分の年上の恋人にジェットは覚悟しろよと、その太い首筋に甘い吐息を落としていった。










 冬の気配が漂い始めたベルリンは寒い。
 皮のジャケットを通して寒さが身に沁みる気がする。機械の躯は寒さを感じはしないのだが、鋼鉄の冷たい躯は暖を取ったとしても温まることはない。冷えたままであるのが、アルベルトに余計寒いと思わせるのだ。
 だが、今夜は違う。
 アパートには明かりが灯っている。
 明日からの休みに合わせてジェットがNYから自力で飛んで来てくれているのだ。今夜は帰りが遅いとは告げてあったのだが、思ったよりも早めに仕事が終わった。同僚達の誘いを全て断っていそいそと帰路についたアルベルトがいたのだった。
 ジェットが妙に拘っていたファーのついたミュールを女性用のサイズの大きな店を訪ね歩き、探し回った。ようやく、パリに荷物を運んだついでに前もってインターネットで調べておいた店で、ジェットの足のサイズに合う白いファーのついたピンク色のミュールを見付けて、同じ色のバスローブとタオル一式を揃えて買い求めたのだ。
 自分のモノだとしたら過ぎる出費だと買い求めることはなかったのだが、ジェット相手だとつい甘くなってしまう自分に呆れる反面、そんな格好をしてアクジョを模したジェットのお出迎えが楽しみでもある。
 女性に洋服を送る男は脱がせたいとの下心があるのだと、そんな話も聞いたことはあるが、ジェットは女性ではないけれども、アルベルトの恋人だ。そう、脱がせたいとの下心はもちろん有り有りなのだ。
 当たり前だろう、恋人同士なのだ。
 自分の贈った洋服を脱がせてみたいとの欲求は正常な性的な愛情表現を互いにしているカップルなら、当然のことだ。
 アルベルトがさり気にベッドの上に置いておいたプレゼントを見付けた時もどんな顔をしていたのか、それを身に着けて踊るような足取りでミュールを履いた足をブラブラさせて眺めた時、どんな顔をしているのかアルベルトには手に取るように分かっていた。
 アルベルトの知らないアメリカの流行歌を口ずさみながら、満足げに部屋を歩き回ったり、鏡の前でポーズを取ったりと忙しくしているとその無邪気な姿を思うだけで、心が弾み足取りも軽くなる。
 ジェットを想うだけで胸の内が温かくなり、その躯を抱くことを想像するだけで下腹部が熱くなっていく。内なる全てがジェットに化学反応を起こして熱を放射させるのだ。不思議だ。決して、機械の躯にはありえない奇跡がそこにある。
確かに、体温を測っても変わらないのだろうが、アルベルトにはとても温かく自分の躯が、そう感じられる。
 ジェットに会ったらもっと温かく、いや熱くなれる。
 


 アクジョの気持ちになったジェットに一刻も早く会いたいと、冬の気配が濃くなり始めた路地をアパートの部屋の明かりを目指してアルベルトは足早に歩いて行った。





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マスオ様 『アクジョな気持ち』
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