あかき林檎に口唇寄せる君
カリと紅い飴を白い歯が噛む。 紅い飴が付着した口唇をピンク色の舌が舐め取り、恍惚とした表情で自らが齧った跡を眺めつつ、口の中で甘い味と香りを堪能する。 作り方は至ってシンプルで、チープなお菓子だとは思うが、ジェットは屋台でしか買えないこのお菓子が非常に好きであった。 丸のままの林檎に飴をコーティングしただけのシンプルなお菓子。日本の屋台でしか売っていないお菓子。祭りや目出度いことがあった時しか買えないお菓子をジェットは機会があると必ず1つだけ買う。 でも、今回は買ってもらったのだ。 好きなだけ買っていいと恋人は言ってくれたけど、一つだけ買ってもらった。 どれも同じなのに、5分も迷って決めた一つだった。 一つしか買わないのがジェットの主義だ。過ぎる幸せを求めてはいけないと、幼少の頃からそう言う環境で育ってきたジェットは幸せいや、普通のありふれた日常に関しては、驚くほど謙虚にその幸せを堪能する術を知っていた。 1月1日の午後、日がすっかり傾いて薄暗くなり始めた外を眺めながら窓辺に座ったジェットは時間をかけてゆっくりとその林檎飴を味わっていたのだ。 他のメンバーは夕食までの時間をそれぞれに過ごしている。 大晦日から、続く日本式のニューイヤー・レセプションに些かサイボーグあっても気疲れしたらしい。台所から響く、張大人の包丁の音と、ジョーと何かしら話している声と、漂う良い香りがリビングにいるジェットの元にも運ばれて来ていた。テレビからは日本の正月のバラエティー番組が流れ出るままになっている。 ゆったりと流れる時間にジェットは幸せを噛み締めていた。 フランソワーズは数日前に言った。 サイボーグだからこそ、偽りの平和であったしても大切にしたいとのあの言葉が、ジェットには痛い程理解できる。 温かな部屋、温かな料理、自分を受け入れてくれる家族。 欲しくても手に入らなかった幸せ。これが今ジェットを包んでいてくれるから、一時の偽りでも、その平穏な生活を噛み締めたい。 今、一人でリビングに居ても独りではないとの感覚がほんわりとジェットの心を満たしていくのだ。 自然と笑みが零れる。 そのささやかな幸せをもっと堪能しようと、大きく口を開けて林檎飴に齧り付いた瞬間、扉が静かに開き、ジェットの恋人が室内に重量級の体躯を滑り込ませてきた。少し眠たそうな目をして、その右手には本日の英字新聞が、左手にはコーヒーが握られていて、当たり前のようにジェットの隣に座って、新聞を広げる。 ジェットのその砕けた恋人の雰囲気をじっと見詰めていた。 いつも貴重面にしているが、たまにこうして寛いだ雰囲気を見せることが、日々多くなってきて、それはジェットにとって嬉しいことだけれどかなり困るのだ。 几帳面にちゃんと身なりを整えた彼よりも、少し髪が乱れて、眠気を孕んだ瞳をしていたり、ぼんやりと当たり前のようにジェットの隣に座ったりすると、それだけで自分に対して彼が如何に心を許しているかが、知れて嬉しくなってしまうのだ。 林檎飴に歯を立てたまま、つい恋人見詰めてしまった。 クリスマスからこの方、喧嘩もしたけど、ずっと一緒だった。 喧嘩の後は、いつも恋人は怖いくらいに優しく自分に寄り添ってくれたりするから、尚のことだ。 大晦日からろくに眠っていない彼は、仮眠を自室のベッドで取っていたのだ。一緒に寝ようかと誘われたが、一緒に新年を迎えられた幸せをちょっと独りで噛み締めたかったのだ。少し眠ったおかげもあってジェットは眠りたくはなかった。 二人でベッドの上で除夜の鐘を聞いて、初日の出を見て、みんなで日本の正月の料理を食べて、二人で初詣に行って林檎飴を買ってもらって、といくつもの楽しい出来事が目白押しでジェットのそんな環境についていけなかった。 幸せをあまり知らないジェットは、その幸せを上手く消化できるわけではない。 独りでゆっくりと噛み締めるように消化しないと、消化不良を起こしてしまう性質なのであった。 ゆったり静かな午後のリビングで幸せの象徴である林檎飴を食べながら、ゆっくりとその甘い味と共に噛み締めていた。 「どうした?」 林檎飴に噛り付いたまま、自分をじっと見ている恋人の視線にアルベルトは自らの視線を合わせる。昨日から、ずうっと離れずにいたのに、数時間の仮眠の間しか、離れていないのに、こうしてジェットの姿を見ると嬉しくなる。 あどけない幼さを残した表情で、林檎飴に齧り付く様は、小さな子供ようで保護欲旺盛な男は自分の腕に囲いたくなってしまうのだ。 ジェットは目だけで笑いを寄越すと、齧り付いていた林檎飴をしゃりと良い音を立てて噛み千切った。勢いが良すぎて齧った林檎飴からは林檎の汁が零れて、ジェットの口の端から滴っていくのを、舌で舐め取った。 そして、手の甲で自分の唾液と少し残った林檎の汁をぐいっと拭いて、しゃりしゃりじゃりしゃりと林檎と飴を一緒に噛み砕いていく。 リズムカルな音がアルベルトの耳に届く。 そんな音を聞きながら、自らはコーヒーを啜る。 苦い芳香が少し眠気の残っている頭をすっきりとさせてくれる。 隣には、恋人が座って無邪気に林檎飴を食べていて、静かな二人だけの時間が流れる。 確かに、そこかしこに仲間達が居る気配がして二人だけの時とは違う温かさが、そう家庭的な空気がリビングを支配していて、そんな中で寛いでいるジェットは、いつもの二人だけのジェットとは違う愛らしさを見られることが出来て嬉しくなる。 「美味いか?」 と聞くとうんと大きく頷いて答える。 「だったら、もう一つぐらい買えばよかったのに…」 とのアルベルトの台詞にジェットはへへっと言う笑いだけで答えるのであった。 何故なら、アルベルトに幸せすぎるのは怖いと言ったとしても、家族的な愛情に恵まれていた彼にはジェットのそんな気持ちはあまり理解してもらえないのだ。でも、彼が愛情に育まれた過去があるからこそ、自分を愛してくれる術を知っているのだと思うと、ジェットはそれが少しも嫌ではない。 自分は時々。どうやって愛したらよいのかとすら分からなくなる。 仲間に対しても、家族的な愛情の意味を知らないジェットは戸惑いを覚えることも少なくない。でも、アルベルトがさり気にフォロを入れてくれたりしてし、その意味を根気良く自分に教えてくれるその感覚が嬉しくもあるのだ。 そう今、口の中で感じている甘くて酸っぱいそんな味を心で味わっている。つまりそんな感じになる。 林檎の酸味と飴の甘さが口の中で混じって、甘酸っぱい香りから口の中から鼻に抜けて、そして噛み砕いたそのカケラが胃に落ちていく時に感じる甘酸っぱい感触がそれらに似通っている気がする。 ふと、触れたいと思う。触れたら、林檎飴のような味がするかと、そう考えたのだ。 激しいセックスをするのではなく、家族のように温かで穏やかな触れ合いをしてみたい。 林檎飴でベタベタしている口唇をアルベルトの頬に触れさせる。 そのベタベタした感触に、アルベルトは口をへの字に曲げて些か、抵抗を見せるが、ジェットは構わずに林檎飴を右手に持ったままアルベルトに抱きついた。 そして、今度は小鼻の辺りにキスを落とし、立派なドイツ人特有の鼻頭にもキスを落とす。くすくすと笑いながら戯れるようなキスに恋人の曲がった口唇の端が次第に上向きになって行く。 仕方ないなとの意味の込めて口唇の端にキスを一つ落とすと、甘い甘い飴の味と香りがした。 まるで、ジェットが甘い飴で出来ているのかと錯覚させるように甘さだ。 「ジェット」 抱きついる恋人の背中をホールドして、こっそりとジェットの耳元に注ぐと擽ったいと身を捩って嫌がる。 「なあ、ダーリン。甘い飴みたいな、そして優しいキスをしてよ」 滅多にジェットはダーリンなんてアルベルトのことは呼ばない。こんなに甘い雰囲気はジェットは得意ではない。どちらかというと即物的な要求をしてくるタイプなのにと、アルベルトは妙に嬉しくなる。 ジェットは遠くに行きたがるわけではないが、独りになりたがることがある。 でも、そんな後のジェットは不思議と、甘い雰囲気を伴ってアルベルトの元に戻ってきてくれるのだ。 紅い飴に含まれていた染料で紅く染まった恋人の口唇に口唇を重ね合わせたアルベルトは、幾度も啄ばむような優しいキスをジェットに送った。抱き合い、小さな甘いキスを繰り返す二人の耳元には、忙しげに歩くジョーの足音が聞こえていた。 リビングの扉の前で立ち止まった気配を合図に、二人は離れる。 『また、後でな』 とのアルベルトに視線にジェットは林檎飴のように頬を染めて、はにかみながらそれを隠すように再び、林檎飴にかぷりと白い歯を立てて齧り付いた。 林檎飴を食べながら、幸せを噛み締めるのも好きだけど、アルベルトから送られる甘いキスも好きだ。どちらも、少しずつ欲しい。沢山あると、幸せすぎて困ってしまうからと、ジェットは心の中でそう静かに笑った。 二人が離れた瞬間、リビングの扉が開き、あまやかな雰囲気を残したリビングの気配を探っていたジョーは肩を竦めると、微妙な距離を持って座る二人に、こう言ったのである。 「ジェット、ハインリヒ、もうすぐご飯にするから、皆を呼んできてくれないか?」 |
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