果てなく遠い回り道



「っふ…ん、あっあ……」
 ベッドの上の人影が揺らぎ、甘い艶のある声が薄暗い部屋に沁み込んでいく。
 白いほっそりとした足が毛布を蹴り、古い写真のような色彩の空間に艶やかに浮かび上がる。 
 ここに至るまでの情事の過程を示すように、床には脱ぎ散らかれた服が点在していた。その最後の砦であったらしい、下着が華奢な足首からぽとりと床へと落下して行く。
「ゼッ……004っ……」
 ジェットは自分を抱く男のコードナンバーを喘ぎで乾いた口唇に乗せた後に、舌で誘うように口唇を舐め取ると、彼の薄い冷たい口唇が乾いた口唇を濡らすように重ねられた。吐息まで、吸い取られそうな激しいキスに更に体内を駆け巡る熱は上がっていく。
 まだ、抱き合うことに羞恥が伴う。
 いくら男性経験があるからと言っても、好きな相手と恋愛を始めたばかりで、まともな恋愛経験のほとんどないジェットにしてみれば、この年にしてまともな、相手が男性であることを除いてであるが、恋愛なのである。
 キスをされるだけで、頬に朱が昇り、手を握られるだけで疼く躯を知られるのが恥ずかしくてならない。
 まるで初心な乙女のような自分のそんな反応に戸惑いながらも、彼との触れ合いは経験したどんなセックスよりも満たされていると思わせるものがある。
「俺の名前は……」
 耳朶を食むように吹き込まれる声だけで、背筋を快楽を司る電気信号が駆け上がっていき、息が更に上がる。握られているペニスが反応するようにひくりと動き、彼を咥え込んだその場所が意志に反して、きゅっと強く締まってしまう。
「っあ……ハッ…インリヒ」
 自由にならない息の下でようやく、彼の名前を綴るが、彼は満足していないようである。
「アルベルトだろう?」
 ドイツ語の方言に関して学問的にも詳しい人が聞いたのなら、彼の出自をある程度言い当てられる類の鮮麗されたドイツ語の発音で自分の名前を綴ってみせる。その声にジェットの躯は戦慄き、その青空を切り取ったような瞳を情欲で濡らしながらアルベルトを見上げた。
 頬を快楽からではないピンク色に染める。目元に浮かび上がるそばかすの白い痕が彼を幼く見せてしまうが、瞳や口元を彩る色気は並々ならぬものがあった。
 女性との恋愛経験がそれなりにあるアルベルトですら、ジェットがベッドで醸し出す色香にセックスを覚えた少年のような反応をしてしまう。ジェット以上にアルベルトの牡としての支配欲を呼び起こさせる存在はない。
 サイボーグとなり忘れようとしていた肉欲を簡単に呼び覚ましたのは、ジェットの躯であり、人を愛さぬと誓ったアルベルトの決意を簡単に翻えさせてしまったのも、またジェットいう存在であった。それが、悔しいとは思わないし、彼に出会えて良かったとすら思える存在なのだ。
 でも、こうして晴れて恋人としてベッドを共にし、愛を囁く間柄になってもジェットはなかなか自分の名前を呼ぼうとはしなかった。自分のことはジェットと呼ばなければ、返事もしないくせに、ジェットはなかなかにアルベルトとは呼んではくれないのだ。
 それが、癪に障る。
 今日こそは言わせたいと意気込んでベッドに雪崩れ込んだのだが、意外に強情でジェットはベッドの上でも、004とコードナンバーで呼ぶ。確かに、第三者がいる場所では、コードナンバーで互いを呼ぶが、二人っきり、いや正確に言えば、フランソワーズと三人の時は互いにファーストネームを呼び合っているのだ。
 なのにジェットは今だに、自分に対してだけはファーストネームで呼んでくれたことはない。
 躯はのっぴきならない状態まで昂められているのに、ジェットはまだ意地を張っている。どうして、ファーストネームを呼ばないのか、アルベルトには全く分からないのだ。いつも、ファミリーネームでしか呼んではくれない。
「ハイン……リッ…」
 甘い吐息と共に必死で恋人の名前を呼ぶジェットは、もう駄目だと言わんばかりにアルベルトの堅い肩に腕を伸ばす。縋るように握り、腰を押し付けて次の刺激を強請る仕草は、今まで、アルベルトが抱いたどの女よりも、アルベルトの男として何かを擽るのだ。
 ジェットの内壁に包まれたアルベルトの牡がその媚態だけで、ぐんと大きくなり、ジェットはその感触を細やかに受け取り背中を仰け反らせる。
 白い華奢な足が自然とアルベルトの腰に回り、自分の方に引き寄せようとする。
「アルベルトだ」
 もう一度、青い瞳を除き込むようにそう告げると、ジェットの上気した頬だけでなく顔も、躯も、艶やかなピンクに染まっていく。ジェットの肌は本当に人工皮膚で作られているのかと思う程に、柔らかな感触がある。機械の躯に申し訳程度に人工皮膚を被せたアルベルトの躯とは作りが根本から違う。
 温かさも、やわらかさも非常に人に近いモノで出来ている。
 触れただけでは、彼がサイボーグだと分かる人はいない程だし、裸になったとしても、足の裏のジェット噴射孔と、脇の下の排気孔の存在さえわからなければ、外見上は何ら人とは変わらない。
 更に、空を飛ぶ為開発されたジェットの皮膚は僅かな気圧の変化を体感する為に、同じように生身の人間と変わらぬ外観を持つフランソワーズ以上に敏感に造られている。
 その証拠にアルベルトが触れただけで、鋭敏に反応をする。
 忌み嫌うこの右手で触れると、青い瞳がすぐさまに情欲で濡れて、抱いて欲しいと躯が可愛らしいまでに自分の存在を求めてくる。
「っあ……いゃっ……ぁあん!」
「アルベルトだろう?お前は恋人の名前も呼んでくれないのか」
 その囁きにジェットの染まった肌は更に艶やかに燃え上がる。
 ようには恥ずかしいのだ。躯だけの経験は男も女もそれなりにあるジェットなのだが、このような恋愛の経験がないが故に、恋人として相手のファーストネームを呼ぶことにアルベルトが思いも寄らぬほどの照れが生じてしまうのだ。
 恥ずかしくて、上手く舌が回らなくて、つい舌を噛みそうになってしまったりする。
 何度も、呼んでいれば慣れるのかと独りで鏡の前で練習したりしたが、独りの時は言えてもアルベルトが目の前に居るだけで、舌が固まり上手く回ってくれなくなってしまう。初心な乙女のような反応しか出来ない自分にジェットは困惑をしっぱなしなのである。
 彼のファーストネームを呼びながら、その背に腕を回して、激しく彼に愛されたいと思う反面、それを想像するだけで、顔が火照ってくるのだ。
「呼んでもらえないなら、恋人とは言い難いな」
 アルベルトは意地悪にもそんな台詞を零して、それ以上の刺激をジェットの熟れた肢体に施すことをしなくなった。昂められるだけ昂められてしまったジェット自身はどうしようもない。なまじ肉体が快楽を覚えているだけに、放置されてしまう苦痛も知っている。
 昔は、躯を売って生活していたこともあり、こうして焦らしたプレイを望む客もいるのだ。自分が何度も、放つ間、ジェットに一度も、放つことを許さずに最後にようやく自分の前でジェットに自慰をさせて喜ぶ奇妙な常連客もいた。
 快楽を過ぎる時間は早く、過ぎれば苦痛となってくる。
 アルベルトの鋼鉄の手がペニスの根元をきゅっと塞き止めて、ジェットの中にいるアルベルト自身がゆっくりと逃げて行く。もどかしい感覚に腰を捩り耐えるが、時折、ペニスを捕らえた鋼鉄の小指や薬指が戯れるように先端部分に触れると、背中を快楽を司る電流が流れ、もどかしさに腰が揺れて、浅ましくもアルベルトを引き戻そうとアナルが大きく収縮してしまう。
「アッ……アル、バート……いゃ、っん」
 アルバートと呼ばれて、アルベルトの眉間の皺が深くなる。確かに、アルベルトの英語読みはアルバートだけれども、アルバートと呼ばれて歓べないのがドイツ人の性であった。どうしても、アルベルトと呼ばせたい。
 ベッドでは少し舌っ足らずになるジェットを縋らせて、甘えるような声で呼ばせてみたい。男の些細な欲望であるとアルベルトは思うのだが、どうもジェットは自分の欲望を叶えたくはないらしい。
 ベッドでのリクエストにはかなり際どいものであったとしても、恥ずかしがる様子もあまりなく応えるくせに、どうして名前が呼べないのだとアルベルトは思うのだ。昔の男に、同じ名前の男がいて、思い出すのが嫌だとかつい穿った考え方をしてしまう辺りは恋に溺れる普通の男でしかなかった。
「俺の名前はアルベルトだ。どうして、俺の名前を呼んでくれない?」
 最後の手段とばかりに哀しげな表情でジェットを見詰めると、困惑した青い瞳は恥ずかしげに伏せられた。そして、アルベルトの頭を抱え込むように腕が回される。アルベルトが哀しげな顔をするとジェットは酷く傷付いた表情をする。機械の躯を揶揄すると、まるで自分のことのように涙すら見せるのだ。
 どんなにアルベルトが哀しみに囚われることに対して敏感になっているのかが分かる。分かっていて、アルベルトは芝居をしているのだ。
「ゴメン……、だって、恥ずかしいから」
 ぽそりと零された告白はアルベルトが、予想もしていなかった答えであった。
 既に、あんなことやこんなことを散々経験して、毎晩のように愛を語り、抱き合い、時にはセックスに及ぶことも少なくはない相手なのに、今更、名前を呼ぶのが恥ずかしいとはどう言う事だと問い詰め様と、アルベルトの髪に埋めたジェットの小さな顔を左手で捉えて、自分に向けさせる。
 顔を真っ赤に染めて、情欲の為だけでない涙で瞳を潤ませたジェットは、例え様もなく愛らしかったのだ。
 この可愛い子猫ちゃんは、躯は一人前でも心はまだお子様だったのだ。
 ファーストネームを呼ぶのが恥ずかしいなんて、いくつの小娘だと言いたくなるけれども、ジェットの表情を見ていると、それがあまりにもジェットらしいと思えて、それ以上の追求が出来なくなってしまう。
「呼ぼうとすると、恥ずかしくって……、舌、噛んじまう」
 真っ赤にした顔をぷいと背ける愛らしい仕草と、可愛い発言にアルベルトは感極まっていた。いかつい外見の割りには可愛いものが大好きな、ようするに子犬とか子猫とかはアルベルトにとってはツボなのであった。好みそのものであり、子猫や子犬が具現したような人がいれば、速攻アルベルトはテイクアウトしてしまうくらいにタイプなのであった。
 ただ、今まで、子犬や子猫そのものを具現化させたような人と出会っていなかっただけで、出会ってしまったアルベルトは非常に危険人物と化してしまっていた。
 確かに、ジェットには惚れている。
 男相手に恋愛もセックスも経験のないアルベルトがすんなりとジェットに対しては偏見もなく、恋人になれてしまったのは、一重にジェットの可愛らしい性格と外見によるものであったのだが、ここまで可愛いものとは正直、アルベルトは思ってもいなかった。
 だからこそ、呼ばせてみたくなってしまうのだ。
 さぞ、艶声に混じって聞こえる自分の名前は、心地好い響きを与えてくれると思うと、更にアルベルトは危険人物路線まっしぐらに突っ走っていた。
「アル……」
「えっ?」
「だったら、アルって呼んでくれ、家族はそう呼んでた」
「あっ……」
 ジェットは名前を呼ぼうとして、口を開けたまま自分を見詰めるアルベルトの瞳を覗き込んでいる。家族が呼んでいた大切な愛称を自分が呼んでいいものかと躊躇しているのだ。慣れ慣れしい態度を最初からしていたくせに、妙なところで遠慮してしまうのがジェットなのである。
 縋る瞳を優しい笑みで促すと、おずおずとその口唇が待ち侘びていた自分の名前を綴った。
「アル……」
 頬にピンク色の彩りを再び乗せる。
「もう一度」
「ア、ル?」
 堪らないとアルベルトは途中まで抜き掛けていた自分自身を最奥まで突き上げると、ジェットの喉元が露わになり肩にあった腕がすがるように背中に回される。
「っあ……・・っい…ぁぁあ…アルッ!」
 ジェットの艶声に混じって自分の名前が届いてくる。何と良い響きだとアルベルトのジェットに対する欲が更に深まっていく。耳元に口唇を寄せ、ねっとりと執拗に耳の穴の中まで舌を這わせて、時折、荒い呼気に交えてジェットと呼ぶと、ジェットの躯はぴくんと跳ねるように反応をしてアルベルトをぎゅっと強く締め上げる。
 鋼鉄の手で握っていたペニスを自分の昂ぶりに合わせて扱くと、誘うように腰を揺らしてもっとと、アルベルトの腰に足を絡めて、あられもない声を出して、腕の中で乱れるジェットの姿がある。
「アルッ……ぁああん」
 堰を切ったようにジェットはアルベルトの名前を呼んでいる。呼ぶだけで、ジェットの躯は快楽を訴えるのだ。その証拠にアルと呼ぶ瞬間、逃がすまいとジェットの内壁はアルベルトに複雑に絡んでくる。
「一緒に…な、ジェット」
 そう囁くとカクカクと人形のように首を振り、肌をアルベルトの色に染め上げて、甘い吐息を吐き出して、必死で縋ってくる。アルと何度も、何度も求めるように名前を呼び、鼻にかかった舌足らずに呼ばれる名前は何とも言えず甘い心地をアルベルトの心に齎してくれる。
「アルっ……ぁぁああん……いゃ……ぃっく・・ぅぅう……・あああ!」
 悲鳴のような嬌声が上がり、ジェットの上で腰を動かしていたアルベルトの動きが止まった。
 ジェットは荒い息を整えて、アルベルトはごろりと狭いベッドのジェットの隣に横になった。そして、右手でジェットの細い腰を抱き寄せようと手を伸ばすと、その手をジェットはペシッと叩いて、アルベルトをベッドからその華奢な足で蹴り落とした。
 狭い、到底二人では眠れないベッドからアルベルトは簡単に落ちてしまう。
 が、サイボーグなのだし、痛くもないけれども、非常にセックスとしては満足度の高いものであったはずなのに、蹴りだされなくてはならない理不尽さにまだ、一度放っても硬度を保つ分身を隠そうともせずに立ち上がると、ジェットは毛布に潜り込んでアルベルトに背を向けていた。
「ジェット!」
 多少、怒気を孕んだ口調にジェットの背中がぴくり揺れるが、潜り込んだ毛布の隙間から拗ねたように跳ねる赤味かかった金髪だけを覗かせている
「ジェット」
 今度は宥めるように優しい口調で、毛布の上からジェットを抱き締める。せっかく、アルと呼んでもらったのだ。もっとベッドの中でも、普段でも、アルと呼んで欲しい。怒った口調で、甘えた口調で、からかうような口調で、拗ねた口調で、アルと何時でもそう自分を呼んで欲しい。
「ずっと、そう呼んで欲しかったんだぜ」
 駄目押しの一打にジェットは真っ赤な顔だけを出すと、アルベルトに向かってこう言い放った。
「アルバートなんか大っ嫌いだぁ〜」
 でも、アルベルトはもう知っていた。ジェットが照れてそんなことを言っていることぐらい。その照れ方も可愛らしくって、ついもっと啼かせてみたくなってしまう。
 再び、毛布に潜り込んだジェットの細い肢体を毛布の上から抱き締めて、再び、ジェットの甘い吐息と同じぐらい甘い睦言を腕の中の恋人が毛布から出てくるまで、アルベルトは囁き続けたのである。





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