終章というプロローグ1



「寒いな」
 ジェットは独りそう溜息にも似た言葉を吐き出し、赤い色のブランケットを引き寄せて頭から被ると膝を抱えて、背を小さく丸めた。ふわりと自分を覆うブランケットからはフランソワーズの匂いがし、それだけが与えられる温もりであった。
 何時も、自分を抱き締めてくれた彼女の優しさが遠い距離を隔てても尚、伝わって来るようで少しジェットの心を和ませる。
 まだ、NYに戻って来てから数日しか経っていなかった。
 そして、このアパートに越して来たのは昨日だった。
 前に住んでいたアパートの荷物は全て捨てたか、人にあげてしまった。家具付きのアパートが当たり前のこのNYとはいえ、鍋や食器など細々したものが必要であった。一揃えはしてみたが、 自分独り分の日用品は何処か寂しい気持ちにさせる。
 前に住んでいたアパートには常に二人分の食器と日用品が用意されていたからだ。
 少し、落ち着いたら仕事を探さなくてはならない。
 前に勤めていた会社では、辞める時もまたNYに戻って来たら、いつでもとそうは言ってくれた。BG団との最終決戦の前までジェットが勤めていたのはNYのオフィス街に事務所を置く自転車便の会社で、自転車を使って、会社から会社へと荷物や手紙、書類を運ぶのが仕事だったのだ。明るく、すばしっこく、人懐っこいジェットは人気者で彼を指定してくる顧客も少なくはなかったのだ。
 それは、ジェットの性に合った仕事で同僚も気持ちの良い連中で、初めてまっとうな仕事をして働いてお金を貰いそれで生活をするという当たり前の日常というものもジェットは知ったのだ。
 ぼんやりと、またあそこで働いてみようかとは思うが、腰が上がらない。電話番号も覚えているし、電話を引くのが面倒で携帯電話を契約したから連絡が取れないわけではないし、ギルモア博士に緊急時の連絡用にとGSP携帯を持たされているから、それを使ってもよいのだが、椅子から立ち上がる気にすらなれない。
 気力が沸いては来ないのだ。
 急に午後から天気が悪くなり部屋に居ても寒さが身に沁みるようになっても、ヒーターを点けようということすら思いつかない。
 部屋の中は買ったまま袋からも出さずに詰まれた日用品が山になっている。昨日、買い物帰りに買ったイタリアンのデリバリーのピザの残りを温めて食べただけなのだから、お腹が減っても当たり前なのだが、空腹を感じても食欲が湧いては来ない。
 サイボーグなのだから、数日食事を抜いたとて死ぬことはない。それが反対にジェットの無気力さに拍車をかけるのであった。
 ぼんやりと外を見れば、曇ったNYの空がある。
 一年前、博士からひょっとしたらBG団が、と連絡を受けた頃と何ら変わらない。でも、自分は変わってしまった。
あの世に一度、行って戻って来たという貴重な体験をしたのだ。
 自分の思う通りに動く機械の躯、前以上に性能がアップした躯、でも、何か物哀しいものが脳裏からハナレナイ。助かってしまった自分が、素直に喜べなかった。確かに、生還した自分が再構成を終えてリハビリを経て、日常に、更に戦闘に耐え得るまでに回復する間、仲間たちが入れ替わり立ち替わりやって来て、自分の生還を喜んでくれた。
 目を覚ました彼に涙を浮かべて、よかったと優しくフランソワーズが抱き締めてくれ、そして、その背後はにジョーがいておはようといつもの笑顔で出迎えくれたのだった。
 でも、彼だけは会いには来なかった。
 会いに来てくれても、どういう顔をして良いのかジェットにも分からない。
 恋人同士であった彼に一方的な別れを告げたのは自分だった。理由も何も言わずに、別れると断言してしまっていたし、その直後に彼が出遭った女性は彼の目の前で死に、涙こそ流さなかったが彼は泣いていた。
 悲痛な彼女の名前を呼んだ声が脳裏から離れなかった。
 ジョーを助けに行った時から、自分は助からないとそう思っていた。
 自分の躯が大気圏の突入の衝撃に耐えられるはずのないことぐらいジェットにもわかっていたのだ。そして、燃料が足らなくなることぐらいも、長年の経験で分からないはずはないではないか。
 ジョーを助ける為に、最後の燃料を全てジェットエンジンに回して、大気圏に突入する角度を計算していた。一番仲間の近くに落下できるように、そうすれば助かる確率も高くなる。
 後はイワンと博士に任せようとジェットはそう思ったのだ。
 目が覚めた時、あの世とこの世はたいして変わらないものだと思ったぐらいなものであった。
 フランソワーズの流す涙は現実で、目の前に居るジョーの笑顔は本物で、背後から聞こえてくる博士の声も決して幻想ではなく、つまり生還したと分かると、何よりもジェットを襲ったのは混乱である。生きて帰るつもりなど欠片もなかったのだから、彼とは恋人ではなく別れたし、彼に対する未練も、この世にも未練はなかったはずだ。
 家族にも等しい仲間達に囲まれて、一時でも愛される喜びを知って、これ以上望んではいけないとそう思った。
 でも、自分はこうしてイキテイル。
 再び、NYに戻って来た。
 リセットしたいと思っていても、つい思い出さずにはいられない。






そう、一年程前のこんなどんよりと曇った日のことだった。






『それでも、俺はオマエを愛している』
 そう告げた彼に答えることは出来なかった。
 嘘なのか、本気なのか、それを判断したくはなかった。
 黙ったままでいると、彼はもう、一度、その言葉を繰り返し電話をそっと切った。
 途切れた電話を耳に当てたまま、ジェットは口唇を噛んだ。込み上げそうになる涙を必死で堪えた視界には結露で曇った窓ガラスとその向こうには灰色の雲に覆われた空とぼんやりとライトで着飾ったNYが見えた。
 最後の彼の言葉が余韻の如く、耳から消えてなくならない
 言わなくてはと曇った窓ガラスに描いた文字をもう一度、辿るとジェットは通話をオフにする。
 ソファの上で膝を抱えた。
 別れなくてはとそう思った。
 離れられなくなる前に、彼以外に何もいらないくらい愛していると告げてしまう前に、でなければ、多分、自分はここから動けなくなってしまう。分からないけれども、別れなくてはならないとジェットは強い衝動を感じた。
 ギルモア博士からの沈痛な面持ちの電話が入った時から、ジェットはそれを考え続けていた。
 理由などなかった。
 予期せぬ形で二人の関係が終焉を迎えるであろうとの、強烈な予感だったからこそ、自分の手で幕は引きたかった。どんな形であったとしても、恋人が死んでいく悲しみを二度と彼に味あわせたくはなかった。
 どうせ死ぬのなら、仲間として死んでいってやりたい。一度、味わった苦痛を二度とは、彼がそれを乗り越えて生きてきた過程を全てつぶさに見守ってきたから、余計に嫌だった。自分は有り余るものを彼から受け取った。愛されて、愛して本当に幸せだった。
 同性であることなど、サイボーグであることに比べたら些細な問題であり、世間から隔絶された時間の長かった彼等にしてみれば、それが当たり前であったのだ。しかし、世間の風に吹かれれば吹かれる程に同性愛に関してはいくら世間の理解は自分達が生きていた頃に比べて深まったと言っても偏見がなくなったわけではない。
 自分は構わないのだ。
 どうせ、子供の頃そう言う人たちに躯を売って日々食い繋いでいたのだ。何を言われても今更なのだが、彼にそんな思いをさせたくはなかったし、彼なら、例えサイボーグであったとしてもそんな彼を理解して愛してくれる女性が現れるとそう思いたかった。
 家庭は持てなかったとしても、穏やかな決して隠れてこそこそしなくとも良い恋愛を楽しんで欲しいとそう願う。
 『オレタチ、もう終わりにしないか。こんな関係、不毛だしさ。そろそろ、世間にも慣れて仕事も順調だし、オレを好きって言ってくれるカワイコちゃんもいるし、お互い、馴れ合うのはよそうぜ』
 だから、彼にそう言った。
 間違えないように何度も何度も練習をして、不自然にならないようにそう言ったつもりだった。言い終えた後には、これで良いのだとの安堵感が広がって背負っていた重たい荷物を下ろしたような心持ちが広がっていく。
 辛いけれども、きっとこの別れが正しかったことが分かる日が来る。でも、彼の最後の言葉だけは胸に仕舞っておきたかった。身勝手といわれようとも、彼が自分にくれた最期の贈り物だから…と、幾度も、幾度も胸の中でリフレインをさせる。






『それでも、俺はオマエを愛している』





 今でも耳に残っていて、ふとした折に思い出してしまう。
 忘れなくてはならないのに、次に会う時は仲間として普通にしていなくてはならないのに、でも今はその自信がない。
 随分、弱気だとジェットは自分を評して、殺風景な部屋に視線を戻した。
 テレビぐらい買うか。
 と、何も音もない生活では、彼のことを思い出してばかりだテレビがあれば少しは紛れるかもしれない。そして、仕事を始めれば、もっと彼を思い出す時間は減る。生活に追われて彼との思い出が薄れていけばとジェットは寂しく笑った。



 その瞬間、ベルが鳴る。



 このアパートを知っているのは、フランソワーズぐらいだ。
 新しい住処にここを選んですぐに連絡を入れた。日本を立つ前の夜に新しいアパートが決まったら必ず連絡を寄越すように、そして定期的に電話をするようにとそう約束させられた。
 彼女がどんなに自分を心配してくれているか、痛いほど分かっていたから連絡を入れずにはいられない。仲間の中でも、特にフランソワーズとは長い間、二人っきりで肩を寄せ合って生きて来た過去があった。たった二人でコンクリートが打ちっぱなしになっている部屋で一つの毛布に包まって抱き合って眠り、そうして生き延びてきた。
 姉とも妹とも思う大切な人だから、彼女には心配をさせたくはない。
 再構成後のリハビリでもずっとジェットに付き添ってくれていた。ジョーの再構成は先に終っていて、ジェットがリハビリを始めた頃には既に戦闘訓練に入っていたジョーだった。そのジョーの面倒をも見ていたフランソワーズは疲れているであうにもかかわらず、ジョーに対するそれよりもジェットに献身的に尽くしてくれた。
 家族的な愛情がなくては出来ない行為だ。
 そのフランソワーズに頼まれてジェロニモが様子を見に来たと思ったのだ。
 彼は今、アリゾナの国立公園で傷付いた野生動物の世話をする仕事をしている。そんな仕事柄長い休暇は無理だがとジェットの引っ越しの手伝いぐらいはとわざわざNYまでやって来てくれた。ジェロニモが来てくれなかったら、昨日、日用品の買出しにすら行けなかった自分が居たであろうことは想像に難くはない。一緒に買い物をしながらも、どれでもいいよと投げやりな態度が止められないジェットを眉を顰めて元気を出してくれ、自分に出来ることはないのかとそう無言で伝えて寄越してくれた。
 帰る時も、後ろ髪を引かれると言った風情でホテルに戻っていったのだった。
 ジェットのアパートに泊まらなかったのは、ジェロニモの彼なりのジェットに対する気遣いであった。
 あまり元気のない自分を心配して、気の良い優しいインディアンは飛行機を遅らせてわざわざ様子を見に来たのかと、そんなジェロニモの気持ちを無にしたくなくってジェットは無理に笑顔を作ろうか顔に力を入れながらドアを開けた。
「はーい」





 笑顔を無理に作って、顔を上げた瞬間そこにあったのはジェロニモの顔ではなかった。





BACK||TOP||NEXT



The fanfictions are written by Urara since'03/02/14