破滅へと繋がる迷宮4



「なあ、アル」
 ジェットは自分の背後から、ゆったりと歩を進めるアルベルトを肩越しに振り返った。その瞳には柔らかな笑みが滲んでいて、それだけなのに恥ずかしくなってしまう。自分が知らないアルベルトの時間が創り出した彼は自分が知っている彼と僅かに違っていた。こんな穏やかな笑みを浮かべられる男ではなかった。
 自分だけが置いていかれたようで、悔しいと思うが、でも、眠っていた自分は決して不幸せではなかった。
「オレさ、夢見てた。イワンとフランとアルとオレと、ギルモア博士とみんなであの島を抜け出して、BG団と戦いながら逃げて、追われる日々だけど、いつもあんたが、傍に居て好きだと言って抱き締めてくれて、オレ幸せだった。これが夢なら覚めないでとそうオレは願っていた。もう、あんな苦しい実験には戻りたくなかった。情けない話しだけど…」
 とジェットは何かを決意するように大きく息を吸い込んで、砂地に足跡のスタンプを押すのを止めて立ち止まった。
「あんたが、約束忘れてたらどうしようと、そして、実験と訓練の日々が戻ってきて、そう思ったら怖かった。夢なら、あんたはオレを愛してくれてたから」
「約束、果たしてもらっていないな」
 同じく足を止めたアルベルトの声が海風に乗ってジェットの元に届き、まるでアルベルトが自分の髪をくしゃりと撫でるように風が髪を乱していく。





「答えるべきなのか」





「答えて欲しい」





 ゆっくりとスローモーションのようにジェットは再び、振り返った。
 青い瞳が傷付いた子供のように揺れている。細い躯がゆっくりと傾いで倒れこむようにアルベルトの胸に飛び込んできた。眠っていた間に進歩した科学技術によってジェットは眠ったまま再改造を受けた。
 そのおかげで軽かった躯は飛行の為に更に軽くなり、アルベルトにとっては子犬に抱きつかれたぐらいの振動しか感じられなかった。
「愛してる」
「ああ」
 アルベルトの腕が背中に回り、強く逃げられないようにと抱き締められる。吐息が耳元に掛かり、コールドスリープ以前はしなかった煙草の香りと整髪料の匂いが潮の香に混じる。それが自分の知らない彼の時間を象徴していた。
「あんたが、好きだ」
「ああ」



「お前が嫌だと言っていた連中と同じ欲望を俺が持っていたとしてもか」
「ああ、あんたならイイ。本当はあんたにそうして欲しかった。嫌われたくないから、必死でそんな目でみられることから逃げてた。あんたにゲイって嫌われたくなかった。あんたに愛してるって言われて、どんなにか嬉しかった。このまま死んでしまいたいぐらい嬉しかったんだ」
 ジェットは細い腕をアルベルトの背中に回して、ぎゅっとその指でシャツを掴んだ。子供が自分も連れて行って欲しいと母親に必死で縋るように、シャツの生地をひしっと指に絡ませて、慣れない彼の香りを自らに擦り付けるように抱きついた。
「待たされたから、もう待たない」
「もう、待たせないよ」
 アルベルトがキスを強請る。
 口唇を耳たぶから頬に滑らして、ずっと欲しかったその口唇に彼の口唇が触れる。
 薄い尖った上唇が拗ねた子供のようで、そんな口唇が待ち侘びるように開いて、彼の口唇を受け入れる。
 幾度も確かめるように触れては見詰めあい、見詰め合っては抱き合い、口唇を重ねる。
 これは夢ではないと、それを幾度も二人は確かめ合うようにいつまでも抱擁と口付けを続けていたのであった。







「本当に馬鹿だわ、あの男」
 フランソワーズはそう呟くと傍らでテレビに見入っているイワンに視線を遣る。
『タノシソウダネ。フランソワーズ』
「ええ。楽しいわよ。ジェットは戻ってきたし、あの男の泣きっ面も拝めたし、今度、偉そうな口をきいたら、脅してやるわ。あたしの胸の中で大泣きしたってね」
 と口ではそう言いつつも、フランソワーズの口唇には優しい笑みが浮かんでいた。イワンはその笑みに目を細める。
 初めて、コールドスリープから目覚めて以来、フランソワーズの本当の笑顔を見た気がする。本当に心から笑わない彼女の顔を見る度に辛いと思っていた。あの場所にジェットが眠っていると気付いていながらも、助ける為に手を拱いていたことは自分だけの秘密だ。
 そして、フランソワーズとアルベルトが眠り続けるジェットを見詰めた時、二人が言い争った時、イワンが言い澱み、そしてジェットは生きているとそうその直後に断言したのは空っぽであったジェットの心が二人の存在に反応して、二人の名前を呼んだのだ。
 それがイワンの感応能力に触れた。
 そして、その感応能力がジェットの動いた心に触れた瞬間、イワンの名前をジェットは呼んだ。
 だから、イワンはジェットは死んではいないと、そう言えたのだった。
 科学的確証はなかった。
 でも、自分達の愛情は必ずジェットに届くと、そうイワンに感じさせた瞬間でもあったのだ。
『フランソワーズ、ソノトキニハゼッタイボクヲマゼテヨネ。ボクダッテ、ジェットヲアルベルトニドクセンサレテチョットハジェラシーヲカンジテイルンダ』
 そんなイワンの台詞にフランソワーズは鈴を転がしたように涼やかな笑い声を零しつつ、イワンを抱き上げた。
「なら、早速、邪魔しに行きましょう」
 テラスに続く窓を開け、フランソワーズはイワンを抱き、長い時を経て結ばれた恋人の時間を邪魔する為に軽やかなバレリーナの足取りで砂地に足跡のスタンプを押していったのだった。





BACK||TOP||NEXT



The fanfictions are written by Urara since'03/03/01