束の間の安息 in Berlin



 アルベルトは大きく伸びをして、掃除の終わった室内を見渡した。
 家具付きのアパートは、身一つで入居してもすぐに生活を始められる物が揃っている。もっとも、わざわざそのような物件を選んでいるのだが。
 彼がサイボーグになる以前には西ベルリンと呼ばれていた一角にそのアパートはあった。
 市場までは歩いて行けるし、大きな通りから道1本奥まった場所にある為に静かだ。裏手には大きな公園もあり、野鳥の住処となっている。
 窓を横切る影にアルベルトは慌てて窓に駆け寄った。
 その影がその公園に住む野鳥のものであることを確認すると、そんな自分の態度に苦笑する。
 生意気だけれども、甘えん坊で、好きとは言えない意地っ張りな性格のアメリカ人が飛んで来たのかと思ったのだ。
 日本での最後の夜。
 何か言おうとして無理に飲み込む彼を見ていて、もちろん自分には何が言いたいのか分かっていたけれども、その仕草が妙に可愛らしく、つい虐めてみたいと思えて、敢えてアルベルトは黙っていた。
 いずれ、独り暮らしの寂しさから自分の所まで飛んで来ると分かっていたからだ。その期間がどれくらいなのか予測は出来ないが、正直言って、あの騒がしい我が侭で可愛い彼がいないのは寂しい。
 何時、彼が訪ねて来ても良いように部屋は整理していたし、食料も独り暮らしには過ぎる量を買い求めていた。しかも、仕事に出る場合は、仕事に行っている期間を紙に英語で書いて窓に張っておくという準備まで怠らなかった。何故、窓かと言うと、あの意地っ張りで晴れ渡る青い空のような瞳程には正直でないジェットが玄関から訪ねて来るとはアルベルトは思っていなかったからだ。
 実際、本当にジェットは窓からの訪問を果たすのだが、それはまだ、少し先の話しである。
 明後日からまた、仕事でウクライナまで行かなくてはならない。
 ギルモア博士の古い知り合いの紹介で入社した会社は、普通の会社、いや普通の運送会社ではなかった。普通の運送会社が運べない危険な物や、いや、物だけでなく、人や書類、そして、普通では行けないような場所への配送を売りにしているという異色の会社であったのだ。
 だから、先日も、同僚と雪山をトラックで走る羽目になったのだが、荷とトラックを失った事で首か減俸を覚悟していた自分達に、生きていてくれて良かったと社長はのたまわったのだ。
 それぐらいの破損率は計算のうちであったし、死んでもらうと色々と其方の方が面倒だときっぱりと言い。次の仕事の日程が書かれた紙をそれぞれに手渡し、次に備えるようにと帰宅を促してくれた。
 取り敢えず、ほとんど眠っていないアルベルトはアパートに戻り、そのままベッドに倒れ込むように眠った。
 その後は、部屋を掃除したり、買物に出掛けたり、窓を横切る影にジェットではないかと駆け寄ったりの日々を過ごしている。窓際に椅子を持って行き、本を読んだり、ぼんやりと空を見詰めている。遊びに付き合うような友人もいないし、出掛ける用事もない。いや、何よりも、自分が居ないアパートに訪ねて来たジェットが肩を落として、しょんぼりとして帰るかと思うと、おちおちと遊んでもいられない。
 自分でもかなりイカレていると思う。
 どうして、ジェットを好きになったのかも分からない。
 最初は強引に、挑むように突っかかってくるアメリカ人がうっとうしかった。幾度目かの一方的な争いの後。突然、彼の方が噛み付くように、挑みかかるように、ベッドへと長けた手腕でアルベルトを誘った。
 売り言葉に買い言葉の状態で、突入してしまったそれは決してセックスと呼べる代物ではないと今では思う。
 暴力といった方が良いと思うようなセックスの中で、ジェットは確かに笑っていた。
 余裕のない自分を笑っていたのだと、その頃はそう思ってジェットを憎んだことすらあったのに、思い返してみれば、それは違うと確信できる。それは、そんな昔からジェットは自分だけを想い続けてくれていたということなのだ。
 サイボーグには、生体機能が残されている、彼等には睡眠も食事も必要なのだ。そして、その気になればセックスも可能であり、試したいと思わなかったが、結局その身をもってセックスが可能であることを知ってしまったのだ。
 触れられれば感じるし、男なのだから、性器への直接的な愛撫で達することもできる。けれども、彼が自分自身を解らないと思ったのは何度目かのセックスの最中で、自分に組み敷かれて喘ぐ、ジェットの白い肢体を見て、興奮してしまったことにあった。
 確かに、後孔に挿れれば気持ち良い。
 それは肉体的に齎された快楽であったはずだけれども、その媚態を見て自分は興奮して、更にその分身は固く大きくしてしまっていた。
 今では、それは当たり前だし、ジェットが自分同じ性を持ち、自分と同じサイボーグであることにも何ら嫌悪はない。いや、それどころか、今ではあの白い痩躯が欲しいことが間々あるのだ。
 街角で赤味の掛かった金髪を見れば思い出し、細身の青年の後姿に彼の痩躯を重ねる。
 そんな自分に苦笑しながら、アルベルトは手にしたコーヒーを口に運んだ。そのコーヒーは、インスタントであった。本来なら豆から引いたものがアルベルトの好みなのだが、コーヒーメーカーはないし、ましてミルなどという洒落たものも置いてはいない。
 何時までここに住んでいられるかも保証のない身の上だから、仕方なくインスタントを愛飲せざる得ない。けれども、それは、ジェットが好きだというネスカフェであった。
 いつかジェットが訪ねて来たら、煎れてやろうと日々、美味しい煎れ方を実は研究しているのだ。
「イカレてんな」
 アルベルトはそんな自分をそう評した。
 部屋でぼんやりと外を眺めて、ジェットがあの赤味を帯びた金髪を靡かせて、寒さで鼻と手の先を真っ赤にして来てやったぞという不遜な態度で訪ねて来る日を心待ちにしている。
 そしたら、ジェットが根を上げるまで、ベッドで可愛がってやろう。
 その後で、彼が気に入っている銘柄でコーヒーを入れて、美味いドイツ料理を食べさせてやろう。互いが離れていた寂寥感を躯で埋められたら、次は心の寂寥感を埋める為に、一緒に買物に行ったり、ビールを飲みに連れて行っても良い、とアルベルトは色々と計画を立てている。
 自分の育った、国家としての形は変わってしまっているけれども昔からあるドイツと言う国の風土も習慣も時代を経ても変わってはいない。こんな場所で自分は育ったのだと、そうジェットに教えてやりたかった。
 どんな場所で育ったのか、何が好きなのか、少しずつ知っていけたら、知ってもらえたらとアルベルトはそんな風に思う。
 休みの度に訪ねて来ても一向に自分は構わない。
 長い休暇が取れたら、今度は自分がNYを訪ねたい。彼の育った街をジェットに案内してもらいたい。苦しかったことも哀しかったことも、嫌な思い出も自分に分け与えて欲しいし、ささいな感情ですら二人で分かち合いたい。
 何時、死ぬか分からない生活の中では、愛しているとも好きだとも言えなかった。人とは違う自分達は何時、迫害を受けるかもしれないし、自分達の躯の中にあるサイボーグ技術を欲するものが現われて、BG団と戦った時のような日々がやってくるかもしれない。けれども、今は取り敢えずの平穏な日々を送ることが出来ている。
 今なら、愛していると言葉にして伝えられる気がする。
 正直に、真面目に、アイシテイルと伝えたいと思う。
 こんな今があるからこそ、それを告げなくてはいけないとドイツに帰国して、更にジェットへの想いが深まった気がする。
 彼が好きだという銘柄のインスタントコーヒーを飲みながら、空を飛んで来る恋人を待ち続けていた。






 『愛している』と言ったらあいつは、どんな顔をするのだろうと、アルベルトは鋭利な瞳に穏やかな笑いを添えて、青い空を見上げたのだった。





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