素敵な道化師



 ジェットは、肩を落としてスコッチウィスキーを舐めるように呑んでいる中年の男の背中にへばりついた。
 恋人の固くて冷たい背中とは違って、この男の背中はとても温かい。
 へばりつくだけでは納まらずに、そのまま上体を預けて覆い被さるように体重をかける。と言っても、00ナンバー男性陣で最も軽量なジェットが背中に懐いたところでどうということはないが、聊か尻の座りが悪いグレートなのである。
 何かあるとこうして自分に懐きに来てくれるのは、それはそれで正直嬉しい。
 ジェットはグレートにとって心を救済してくれた恩人であり、愛すべき仲間の一人でもあり、奔放で純粋な年下の友人でもある。
 自分のことは置いておいてでも、仲間の為に奔走して先走りすぎて失敗してしまうことも多いが、それすらも愛しいとグレートだけでなく00ナンバーの誰もがそう思っているのだ。
「おい」
 とグレートがスコッチウィスキーで口を濡らす合間に、背中に猫のように懐いている年下の友人に声を掛ける。
「なぁ〜に?」
 間延びした返事をしながら、肩から顔を覗かせてキスをせんばかりに口を近付けると、子供のように柔らかな頬が皺のある頬に触れかさりと音を立てた。
 ジェットにその気はないと分かっているし、自分にもその気はないのだが、彼の遠くにいる恋人の殺気立った視線を思い出して、つい腰が引けてしまうのだ。どうも、自分はこの二人の痴話喧嘩に巻き込まれる傾向にある。
 今年の正月などは、二人の痴話喧嘩の仲裁に入り、あやうく急性アルコール中毒になりかけたし、その前はトラックに轢かれそうになった、更にその前はストーカーと勘違いされて警察に連行されそうになったし、その度に痛い目をみるのだが、喧嘩をして寂しそうにしているジェットの姿を見ると、つい要らぬお節介をしてしまうのだ。
 フランソワーズに言わせれば、犬も食わないんだから知らん顔していれば元の鞘に納まっているわよ。と冷たくあしらわれるし、連れ合いに等しい張々湖からは痴話喧嘩の仲裁に入る度に、痛い目を見ては馬鹿だと説教される。
 でも、それが自分なのだから仕方がない。とグレートは最近、そう悟るようになった。
「旦那と喧嘩でもしたか」
 冗談まじりにそう言うとジェットは、旦那はい言得て妙だと無邪気に笑う。その笑みには少しの無理もなく、喧嘩して泣きつきにきているわけではないと分かるとグレートはどういうわけか安堵してしまう。
 自分がどんなに辛い立場にあったしても、決して笑うことを止めなかった。自分の前でだけは決して弱音を吐かなかった。そんなジェットのその過去を知ったのは、ジェットのお陰で00ナンバーの中に溶け込んでいけてから随分、後の話であったのだ。
 それを聞かされてから、更にジェットに甘くなった。
 甘やかしてやりたいと、そう自然に思えてしまったのだ。自分の想像のつかぬ苛酷な状況を生き抜いてきた彼が、少しでも与えられなかった安息や愛情を得られて心が満たされればよいと同情ではなく、素直にそう願えた。
 だから、何があったとしても、自分は彼にとっての道化師を演じようとそう心に誓ったのだ。彼がいつでも、笑っていられるようにと、道化師の仕事は人を笑わせることだから。
「なあ、今、何時」
 ずっと背中に懐いたままでいる猫のようなジェットは思い出したように、グレートにそう問い掛けて来る。ふと、視線を上げて時計を見れば、日付は既に変わっていて、新しい一日が始まっていた。
 いつもなら、ベッドで眠っている時間だ。
 張々湖飯店を閉めて、片付けをして風呂に入るとそのままベッドに直行してしまう。だが、今日はギルモア博士に用があるのだと、早めに店を閉めた張々湖はグレートに車を運転させてギルモア邸に向かった。
 先刻、ギルモア邸に辿り着いて驚いたのはジェットが来ていたことである。
 ジェットの飛行能力を持ってすれば、週末にギルモア邸に遊びに来る程度のことはどうという程のことではない。恋人のアルベルトとのデートがなければ、よくひょっこりギルモア邸に遊びに来たり、張々湖飯店にご飯を食べに来たりしている。
 それは良くある出来事であったのだが、どうも少し様子がおかしかった。
 まるで、グレートが来るのを待っていた節が見えて、すわ恋人と喧嘩をしたかとグレートは心配になったのだ。それが危惧と分かって安堵していたのだが、落ち着いてみると何の用があるのだろうと気に掛かる。
「12時40分。ちなみに、本日は4月1日ですな」
「ふぅ〜ん。ちょっと待っててくれよ」
 とジェットは懐いていた背中からあっさり離れると、ギルモア邸内のグレートの部屋から出て行った。そして、1分もしない間に戻って来ると、床に腰を下ろしてスコッチウィスキーを舐めているグレートの正面に回りこんだ。
 本当に猫の如くジェットの歩き方は足音が静かだ。爪先だけて軽いステップを踏むように歩いていく。でも、歩き方だけでなくジェット自身も、腹が空いたり、困ったりした時だけやって来る半野良の猫のように感じられる。そして、そんな彼を待っている自分がいつも居るのだ。
 両手を後ろに回して、何かを背中に隠しているのは見え見えだが、何を隠すのかグレートにはとんと検討がつかない。
「グレート」
 少し、恥ずかしそうにジェットは顔を伏せ、まるでプロポーズする為に婚約指輪でも渡すような勢いで両手を差し出すと、その掌の上には小さなリボンの掛かった箱が置かれていた。品の良いブルーグレーのラッピング用紙に小豆色のリボン、ジェットには何処か不釣合いな箱であった。
 ナニとグレートは視線をジェットに当てた。その視線に応えてジェットは顔を上げると、へへっと恥ずかしさを隠すように笑い、更にずいっと両手を差し出した。
「誕生日…、おめでとう」
「へっ?」
 グレートは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
 半開きだった目は大きく見開かれ、閉じていた口はぽかんと開いている。つるりと禿げ上がった頭の上には、節くれだった無骨な男の手が乗り、困ったなと瞳があちこち行ったり来たりしていた。
「今日、あんたの誕生日だろ?博士に教えてもらった」
 とジェットは箱を引き寄せたグレートの掌に乗せた。見かけよりは重たいその感触の中にはナニが入ってるのか全く分からない。
 誕生日、そんなもの忘れていたではないか。
 あったとしても、祝ってくれる人もいないし、祝ったとしても時から置き去りにされた自分では何歳になったと考えることすら馬鹿馬鹿しく思えて、忘れた振りをしてしまっていた。
 両親が生きていた頃は、必ず両親が祝ってくれた。
 学生時代は、友達がエープリルフールに引っ掛けて、祝ってくれた。寮を抜け出して、夜遊びに出掛けて舎監に捕まり叱られたそんな記憶もまだ自分には残っている。役者を目指していた頃は、貧乏な時期もあったが、役者仲間が酒や料理を持ち寄って騒いだものだった。
 少し売れ始めるとファンが誕生日のプレゼントをくれたりして、決して悪い思い出などなかった。
 ちょっとした躓きで人生を誤って以来、誕生日など忘れていた。
「迷惑だったか?」
 ぼんやりと固まったまま動かないグレートにジェットはそう心配気に声を掛けた。
「いや、そう、ではなくて…、いや、あのぉ〜、その、つまりだな」
 慌てふためくグレートの姿にジェットは無邪気に笑った。この男のこんなところが大好きだ。そう言えば、独占欲の強い恋人は面白くないという顔をするけれども、グレートの傍は安心できる。フランソワーズとも、アルベルトとも違う安心がそこにある。ここに居てもいいのだとこの男はいつも、ジェットの居場所を用意していてくれる。
 泣きたい時も笑いたい時も、突然訪ねて行っても、驚きはしても決してジェットを無碍にはせずに歓待してくれる。そして、彼独特の言い回しで笑わせてくれて、泣きたい時は優しく抱き締めて慰めてくれる。
 甘えてばかりだと思うけれども、それでもジェットにとってグレートはそんな安心を与えてくれる人なのだ。
「よかった」
 いつも世話になっている気持ちを表したかった。
「アルと色々と相談して、二人で探したんだぜ」
 こんな時に限って言葉は出てこない。頭の中をいくつもの台詞が滑っていくが、どれも自分の心を代弁してはくれない。意外とシャイなグレートは自分の言葉で自分の気持ちを伝えるのが存外下手なのだ。
 だから、それを誤魔化すかのように慌ててラッピングを剥がすと、其処には白い箱が入っていた。そしてその箱の蓋を取るとその中に木製の箱がまた入っていた。木製の箱の蓋を更に外すと、そこにはクッションの上に固定された懐中時計が収まっている。
 普通の懐中時計よりかは聊か小さめのサイズで、銀特有の鈍い光を放っていた。時間を聞かれて、つい懐中時計を見る仕草をしてしまったことがある。それはもう、かなり昔、自分がBG団に捕らえられてサイボーグになったばかりの時だった。
 その時に、父親の形見の懐中時計を失ったのだと、そう話したような記憶があるが、自分でも定かでない記憶である。あの頃は色々とあり過ぎて正直覚えていないことの方が多い。
「正月の時も、迷惑かけちまったしさ」
 とばつが悪そうにジェットは鼻を掻いた。
 そっと掌に乗せてみればしっくりと来る。ずしりとした重みは時を経たものだけが持つ独特の風合いがあり、物の良いアンティークな品だ。もちろんグレートが失った父親の形見の品とは違うけれども、それが戻ってきたそんな気持ちにさせられる。
 秒針がしっかりと時を刻む。
 サイボーグという科学の最先端を行く存在でありながらも、グレートはアナログ嗜好な男であった。いや、サイボーグだからこそアナログに憧れるのかもしれない。チクタクと時を刻む時計を見ていると今、自分は生きてここに居ると不思議と自然にそれが認められる。
 静かに、進む時に身を任せようとこれから先、変わらぬ姿で生き続けなくてはいけない自分の人生を少しだけ歓迎できる気がするのだ。
「ありがとう」
 飾らないグレートの言葉。
 あまり自分の言葉では語らない男の素直で、正直な言葉にジェットは嬉しくなった。いつも自分の為に笑ってと言ってくれる男が愛しいと思える。これからも、ずっとこんな自分を見守っていって欲しいとそう願いたかった。
「大切にするよ」
 グレートはそのまま懐中時計をじっと見詰めていた。
 ジェットはそんなグレートを見詰めている。
 自分が生まれたこの日をグレートは噛み締めながら、進む針だけを目で追っていた。ただ時計が時間を刻むように、自らもその命が果つる時まで人生を刻み続け生きていこうと、そうグレートは自らに誓っていた。
 静かな部屋は、スコッチウィスキーの香りとチクタクと響く小さな懐中時計の音と二人の静かな息遣いだけで満たされていた。
 グレートとジェットの二人は、そうやって暫しの時を刻んだのである。





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