やるせない一日



 薄暗い部屋を一瞬だけ、明るく照らし出す。
 生活に必要な最低限の物しか置かれていない殺風景な部屋が、視界に浮かび上がる。
 もう、立ち上がる気力すら沸いては来なかった。
 雷雨の中、外に飛び出して行って、飛び回れば気が晴れるかもしれないと思うが、指の一本ですら動かすのが鬱陶しくてならない。
 サイボーグである彼にしたらどういうことはない雷雨だが、多分、あの女が帰さないだろう。きっと、彼は帰っては来ないとジェットはそう結論づけると自嘲を含んだ笑みを口唇に浮かべる。
 あのレストランであの女に出会うまでは、幸せな久しぶりの恋人同士の逢瀬であった。
 1ヶ月半ぶりの二人だけの時間に萌え上がった。
 玄関の扉を開けた瞬間の彼に抱きついて、口唇を重ねた。互いに互いを貪るかのように口唇を重ねて、腔内を探り、舌を絡めた。玄関先の床に崩れ落ちるように転がり、堅い床の存在を忘れてしまう程に、彼に突き上げられて廊下に声が漏れてしまうかもしれないとの羞恥も手伝って、乱れたのは昨夜のことであった。
 その後もバスルームで、ベッドルームで愛し合い。離れていた時間を埋めるようにセックスをした。
 昼前に起きて、仕事が忙しくて買い物もしていないというアルベルトに付き合って買出しに二人で出掛けたのだ。そして、アルベルトがよく行くというレストランでかなり遅い昼食を取った。
 いつもアルベルトが過ごしている日常の風景に、自分が溶け込んでいるという幸せにジェットは酔っていた。
 ギルモア邸で会うよりも、NYで会うよりも、ドイツで会うアルベルトは砕けた雰囲気があって、ワイルドな行動に出る。セックスもしかりで、強引にジェットを抱くことも決して少ないことではない。そんな彼をジェットはとても好ましいと思っている。
 アルベルトの行きつけのレストランのでっぷりと太ったマダムは気さくで、年に数度しか顔を出さないジェットをちゃんと覚えていて、あんなは細っこいから太らなくっちゃねと、デザートを1品サービスしてくれたりもする。
 そんな温かな食事を終えて、食後のコーヒーを味わっていた。
 そんな時、あの女はアルベルトに声を掛けてきたのだ。
 泣きそうに歪んだ瞳は一見黒く見えるが、光が当たるときらきらと深い緑色に変わる不思議な色合いをしていた。彼女は少しくすんだ銀色の髪をした20代後半の女性であった。女性らしい丸みを帯びたラインを強調するような、飾りっ気のない薄水色のワンピースに白いエプロンをしていた。
 まるで、ジェットの存在など目に入っていないというように、4人掛けのテーブルに向かい合って座る二人の間にある椅子の割り込むと、ほろほろと涙を零し始め、アルベルトの名前を呼んだ。
 アルベルトも困ったような顔をしていたが、決してそれを嫌がっている様子はない。
 仕方がないと肩を竦めると、人工皮膚で出来た手袋に覆われた左手を彼女の頼りなげな肩を包むように抱いた。彼女の頭がこつんと縋るようにアルベルトの肩に当てられて、嗚咽が零れてくる。
 こんな場面を見ていると、戦いの中でアルベルトに心を寄せた女性達が甦ってくる。アルベルトは愛しているのは自分だけだと言うけれども、彼女達を見る目はとても優しかった。そこに恋愛という感情が介在していなかったとしても、ジェットは辛いと正直に思った。
 自分は女ではない。
 男だ。
 確かに、彼女達以上にアルベルトに肉体的な快楽を与えることは出来るけれども、その心を彼女達ほど満たしてあげられるのか自信がない。彼女達以上にアルベルトを愛している自信はある。彼女達は命を賭して彼を愛したのだろうけれども、それに負けない気持ちは持っているつもりだ。
 でも、女性だけが持つ独特の安らぎだけは彼に与えられないのだ。
 本来、彼の恋愛の志向は女性に向いていたのだから、女性に目が行くのも仕方がないし、自分と過ごさない時間に女性と過ごしていたとしてもそれを浮気だとは、責めることはできない。
 休暇を一緒に過ごすし、セックスもする。
 アイシテイルと囁いて、恋人のように語らい、笑い、喧嘩もしたりする。
 でも、本当に彼が自分を恋人だと思ってくれているのか自信がないのだ。彼の真心を疑うつもりはないが、自分は彼に相応しいのかジェットには未だ自信がない。何故なら、自分は男娼だったし、彼と出会ってからも生き抜くことを免罪符に幾人もの男達に身を任せてきた。
 今更だけれども、そんな自分だけを愛してくれとは言えない。
 斜に構えて憎まれ口を利いてしまうが、その中にはいつも嫌われないのかとびくびくしている臆病な自分がいる。いつか捨てられてしまう前に呆れられて距離を置かれた方が良いのではと、何処までそんな自分を彼が許してくれるのかと、そう心の奥底で考えているのだ。
 自分と肩を並べて歩くよりも、彼女と歩いていた方がお似合いなのだろう。
 自分の臆病さと、後ろ向きな思考に呆れながらも、それをすっぱりと断ち切ることなどできはしない。
 一段と雷雨は激しくなり、部屋の中にいても雷と窓に叩きつけられる雨の音だけが部屋を支配していく。部屋にいても、ずぶ濡れで街を彷徨っていた子供の頃の惨めな自分を思い出させる程の雨だった。
 ジェットがまだ物心がつかないうちに、父親は死んでしまった。
 どんな仕事をしていて、どんな顔をしていたのか母親は一切語ろうとはしなかった。物心ついた時には、薄汚れた狭いアパートで母親と暮らしていた。母親は、男を連れ込むのに邪魔だとジェットを季節や天気に構わず僅かな金を握らせて部屋から追い出すことなど日常だった。
 運が良ければ、近所の知り合いに泊めてもらえたが、いつもジェットの寝床を与えられる余裕のある家などほとんどなかった。
 ぶらぶらと夜の街を彷徨うしかない。
 天気が良ければよいが、雨の日は悲惨であった。
 軒下に座り込んでじっと雨が止むのを待つしかない。雨が止むのが先か朝が来るのが先か、空を見上げて躯を雨から守るようにしてじっと待っていた子供の自分を思い出す。
 まるでそんな状況にタイムスリップしてしまったかのようであった。
 ジェットは足を抱えて、雨音から自分を守るように躯を小さく丸めた。








「ジェット」
 ずぶ濡れになったアルベルトが突然目の前に現れる。
 ここは一体、何処で自分は何をしていたのだろうとぼんやりと肩で息をして、部屋の床が濡れるのも構わずに立っている恋人にゆっくりと視線を向けた。
「突然、帰ってしまうから…」
 心配したんだぞと、そう付け加えたアルベルトの台詞にようやく自分が何処にいて何をしていたのかジェットは思い出した。躯を丸めてじっとしている間に眠ってしまっていたらしい。
 僅かな時間だと思うが、雷は止んでいた。
 けれども、雨は未だに激しく降り注いで、窓ガラスを激しく叩いている。
「ジェット」
 ぼんやりとしたまま自分に注意も向けようとはしないジェットにアルベルトは、疑問を覚える。目の前で知り合いの女性に突然泣かれた。これはアルベルトにとっても想像できない事態であった。
 行きつけのあのジェットを連れて行ったレストランで、ウェイトレスのアルバイトをしている人妻であった。何処か、アルベルトの5番目の妹に似ていて、親近感を覚え、彼女も遠くに住む兄と自分に話しかける雰囲気が似ていると何かと話しをするようになった。
 結婚して、5年になるが子供はなく、最近、亭主と旨くいっていないのだと、1ヶ月ほど前に仕事の帰りに食事に行った時にそう言っていた。何か、特別なアドバイスを与えてやれるわけではないが、人に聞いてもらえるだけでも心は落ち着くもので、アルベルトはそんな彼女の良き聞き役でもあったのだ。
 夫は浮気をしていて、浮気した相手は妊娠したのを切っ掛けに離婚を切り出されたと言うのだ。彼女は夫を愛していたが、彼の愛情は既に彼女にはなくなっていたのだ。それでも、気丈に仕事に出てきたもののアルベルトの姿を見た瞬間、どうにか自分を支えていた何かが外れてしまった。
 いつも独りで来るアルベルトが、一人だけ連れて来る赤味掛かった金髪の青年の姿が目に入らなかったわけではない。彼といる時のアルベルトはいつもの難しそうな眉間の皺が消え、穏やかに笑う。それだけで、彼がアルベルトにとってどんなに大切な人なのかは理解していたけれども、感情がままならず、つい縋ってしまったのだ。
 マダムの好意で通された店の奥で彼女の話を聞いて、落ち着かせてから、嵐の中、マダムや彼女が止めるのも構わずに飛び出した。
 ジェットが待っているかはわからないが、待っているなら一刻も早く帰りたかった。
 行かないでと泣く彼女をそのままに、飛び出したジェットを追いかけられなかった。愛しているのはジェットなのに、そんな優柔不断な自分が嫌になる。
「無理に帰って来なくとも、いいのに」
 ジェットは雨に叩かれて揺れる窓ガラスを見詰めたまま、そう呟いた。
 そんなこと本当は思ってはいないのだ。帰ってきてくれたことが嬉しい。雨の中、自分が待っているかもと走ってきてくれたのは、雨を一杯に吸った洋服や滴の滴る髪からでも分かる。
「ジェット」
「あの人、綺麗だったよな。あんたと似合いだ」
 昔、よく漏らしていたあの笑いを口唇に乗せる。
 どうせオレなんて必要ないんだからとの言葉と共に自分を蔑みながら、自嘲する笑い。それがアルベルトは嫌いだった。どうしてか、そんな笑いをする彼に腹が立って仕方がなかったのだ。
 今ではそれは、彼を愛していたからだということを知ってるが、その当時は分かっていなかった。
 最近、こんな笑いは影を潜めて記憶の底に押し込められていたが、それを見た途端に、仕舞いこんでいた昔の感情がひょっこりと顔を出す。
 では、自分がどうでもいい相手の為に、雨の中をずぶ濡れになって走って戻ってこなくてはならないのか、彼女との関係をどう説明しようかと必死で考えなくてはならないのだろうかと、理不尽な感覚が沸き起こってくる。
「ジェット」
「無理に帰ってこないでも、彼女と一緒に居てやりゃぁ、いいじゃねぇか」
「ジェットッ!!」
 アルベルトはジェットの台詞に怒りを覚え始めていた。自分を蔑むような台詞が、自分の存在を否定する言葉が彼女との会話の中で抑えていた自分の本性を燻り出してくれる。
「怒鳴んなくたって、聞こえるさ。それとも、サイボーグの躯じゃ、あの女抱けねぇから、催したから、慌てて帰って来たってわけか。そりゃぁ、オレは男娼あがりだ。それならあとくされないから、あの女の代わりにセックスしよってか」
 ジェットは視線すら合わせようとはしなかった。
 それがアルベルトの怒りを煽ったのだ。
 気付くと、アルベルトは鋼鉄の右手でジェットの顎を掴んでいた。ぐいっと高く持ち上げて、壁に叩きつける。
 ジェットの躯は飛行を目的として造られている為に軽量化されているし、力も然程あるわけではない。00ナンバーの中では、非力な部類に入るくらいだ。そんなジェットを片手で持ち上げて、投げ飛ばすくらいアルベルトには朝飯前で、突然の出来事に構えられなかったジェットは呻いて、叩きつけられた躯を起こそうとしていた。
 けれども、アルベルトはそれ以上に素早く動いて、ジェットの顎を捉えてそのまま壁に叩きつけるように固定した。
「もう、一度。言ってみろっ!!」
 ジェットはちらりと視線を流すと、其処には憤怒に満ち溢れたアルベルトの顔があった。何が彼を怒らせたのか自分では分からない。確かに、自分は素直ではないし、思っていることの反対をつい言ってしまう傾向にある。
 本当は、素直に待っていたと告げたいし、彼女との関係も問い質して、自分以外を見ないでと訴えたい。でも、できるわけはない。自分はアルベルトには相応しくない。二人で道を歩いていても、ふとショーウィンドウに映る自分達を見て、決して世間に胸を張っていうことのできない関係を持たせてしまっていることが辛い。
 サイボーグという枷だけでなく、ゲイという枷まで背負わせている。
 自分はどうせ男娼あがりだし、今更だ。
 あれ以上のどん底の生活はないし、そこに戻ったとしても昔に戻るだけで、失うものもない。でも、彼は違う。強く、ハンサムな彼にはいくらでも、例え、サイボーグだとしても心を寄せてくれる女性は現れるはずだ。その可能性を自分が絶っていると思うと、すまないと頭を下げたくなってしまう。
「あの女の代わりなら、さっさと済ませろよ。乳はねけど、穴はあるぜ」
 そんな台詞を綴った直後、頭を壁に叩きつけられる。
 いくらサイボーグだとしても、万力の如くに顎を締め付けられて頭部に衝撃を加えられれば、意識が薄らぐのだ。脳は生身のままで硬い人工頭蓋骨で覆われているが、どんな衝撃にも耐えられるわけではない。
 顎を締め付けられる力が強くなり、顎を締め付けられているが故に閉じられない口からは涎が滴り落ちた。鋼鉄の手を濡らすが、既にずぶ濡れのアルベルトには関係ないらしく、ジェットの睨みつけたままだ。
「ふざけたこと言いやがって…」
 ぎりりと口唇を噛み締める。
 激情に駆られた彼を見るのは、もう何度目か忘れてしまった。いつも自分が彼を怒らせる。彼の奥底に潜んでいる激しい感情を無理に揺り起こしてしまうのだ。そんなつもりはないのに、気付くと、激情にかられ、憤怒に満ちた彼の顔と対面する羽目に陥ってしまっている。
「俺を愚弄する気かっ!!年下のしかも同性のお前に翻弄される馬鹿な30男を見るのはそんなに楽しいかっ!!馬鹿みたいに、お前に溺れる俺はそんなに滑稽かっ!!」
 そんなつもりはジェットには全くない。
 愚弄するつもりも、自分を愛してくれる彼を笑うつもりもない。
 ただ、こんな自分よりかは、あの綺麗な女性の方が似合いのカップルに見えることに心が痛んだのだ。機械仕掛けの心臓なのに痛い。あの場所で彼女を慰めているアルベルトを見ていられなかった。
 彼を愛した女達の面影が脳裏に甦ってしまったのだ。
「愚弄して、滑稽だと笑えばいい。けど、俺はお前を離しはしねぇ。嫌って言っても力ずくでこの部屋から出られなくしてやる。NYには二度と返さねぇ。お望みどおり、犯して、俺の女にしてやろうかっ!!」
 満足だろうがと、最後に言葉を吐き捨ててジェットから手を離した。
 ずぶ濡れのままの姿で背をむける彼が痛々しく見える。自分が彼に言わせてしまったのだ。彼が、あんなに誠実なアルベルトが自分以外に心を寄せるはずはないのに、素直になれない自分がいつも彼を怒らせてしまう。
 どうして、なのだろう。
 彼は自分の言葉に怒りを覚えるくらいに自分を愛してくれている。
 情けなくて涙が零れてきた。
 こんなに惨めな思いを彼にさせてしまった後悔が、込み上げてきてどうしようもなくなってしまった。
 背を向けたままのアルベルトの耳元に嗚咽が届いてくる。
 自分が壁に叩き付けたまま、手足を投げ出してジェットは人形のように泣いていた。
 顎に残る自分の鋼鉄の手の跡に自分のしたことを思い出して、慌ててジェットの前に跪く。ジェットと伸ばした手を引っ込めると、その顔が上がった。泪で目が赤くなっていて、顎には痛々しい跡がついてしまっている。
「すまん」
「違うんだ。本当は、あの人を置いてオレを追いかけ欲しかった。早く、帰ってきて欲しかったのに」
 それがジェットの紛れもない本心だったのだ。
「あんたと並ぶと似合いだから、オレ、それでも愛されてるって自信持てる程自惚れられなくって、あんたがそんな人じゃないって、よく知ってるのに、あんなことを言って…」
 と綴られるジェットの本心。
 知っていたはずではないのか。
 ジェットがどんなに臆病な心を持っているのか、恋愛に関してはそれこそ、百万回アイシテルと言っても自分が愛されているに値する人間なのかと、いつもそう自問自答してしまうような臆病な部分があることを、それを知ったからこそ、愛しいと思えたのだと、すぐに幸せだと忘れてしまう。
 自嘲するのは自分に自信が持てないからで、決して自分を卑下しているわけでも、アルベルトの愛情を疑っているわけでもないことを。なのにすぐに激情にかられる自分の短気さにアルベルトは後悔する。
 幾度、繰り返せばよいのだろうか。
 いつも、乱暴にしては後悔を重ねる。
 抱き締めればよいだけなのに、自分の感情を年甲斐もなく爆発させて、力では決して勝てないのを知っていながらも、ジェットを押さえつけようとしてしまう短慮さに口唇を噛み締める。
「彼女は、あのレストランで知り合った。俺の5番目の妹の血縁らしいんだ。ほっとけなくって、旦那と旨くいっていないと相談に乗ってやってただけだ。お前が嫌なら、彼女とはもう会わない。過去の自分のしがらみよりも、今の俺には、お前が大切だ。泣かないでくれ、もう、俺が悪かったんだ。彼女を振り切れなかった優柔不断がお前を不安にさせてしまった」
 泣くなと言われると、涙が更に出てきてしまう。
「お前は俺の恋人だと、彼女にそう言った。ナニモノにも、変えられないただ独りの大切な人だから、と」
 その台詞にジェットの涙は驚きのあまり止まってしまった。
 それは自分が男と恋愛をしていることを告白しているのも同様ではないのか。その告白は仕事先や近所の人達にも知られかねない。ドイツで同性愛者がどういう立場におかれるのかは知らないが、下手をしたら仕事や住む場所を変えなくてはいけなくなるかもしれない。
 平和に暮らしているアルベルトのドイツでの生活を奪う危険も孕んでいるのに、どうしてなのだ。
「雷雨の中を帰ろうとした俺を必死で止めようとしたから、そう言うしかなかった。俺はお前の元に一秒でも早く帰りたかった。お前を抱き締めたかった。愛しているのだと、確認したかった」
「でも、ここに住めなく…」
 言い募ろうとしたジェットの言葉尻を捕らえてアルベルトは言う。
「住めなくなったら、NYに行けばいいさ。お前がいいんなら一緒に暮らすのも悪くない。あの街なら俺達が紛れ込んだって気にする人間はいねぇ、そうだろう?」
 故国を捨ててでも自分を選ぶとの言葉にジェットは、自分に対するアルベルトの愛を刻み込まれるように感じた。ここまで愛してくれているのに、素直に応えられない自分が本当に嫌いだ。
「アル」
 一言に思いの丈を込めて、愛しい男に抱きついた。
 濡れていたって気にならない。
「仲直り、してくれるか」
 耳元で囁かれる優しいいつもの彼の口調に、ジェットは肯いて答える。
「けど、オレもしっぽり濡らしてくんないと、許してやんない」
 アルベルトはジェットの耳元でぐちょぐちょになるまで愛してやるとそう囁いてくれる。行き違いの喧嘩の仲直りはやはり、抱き合うのが一番なのだ。幾つもの行き違いや、意見の相違、喧嘩を繰り返して心の距離は埋められていくのだと思いたい。
 こんなことすら決して無駄なことではなく、二人の間には必要なことであったのだと、そう思いたいのだとアルベルトは考える。
 雨は未だに、激しく窓を叩いていたが二人の耳にはもう届いてこなかった。
 互いの息遣いだけが二人の聴覚の全てを支配していったのであった。





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