大人のいない庭



 世間は、Wカップ杯で盛り上がりを見せている。
 特に開催国日本の決勝リーグ進出に向けて、世の中がヒートアップしていた。サッカーの盛んな国の出身であるブリテンとフランソワーズとアルベルトはここのところ、顔を合わせるとそんな話ばかりをしている。
 先日も、日本対ロシア戦を一緒にテレビで観戦したばかりだ。
 優勝候補の一角といわれたフランスだが初戦で負けたのを切っ掛けに、今一つ際立った成績を収められず、日々、フランソワーズのこめかみの青筋が濃くなって行くように見えるのは決してアルベルトの気のせいではない。
 幸いなことに恋人であるジェットはアメリカ人らしく自国が参加しているにも関わらず、アメリカ戦以外には全くサッカーに興味を示さず、ジョーに至っては日本が勝ってくれると近所のスーパーが特売をするからイイよねと、スーパーの広告をチェックしながらさらりとのたまわった。
 アルベルトは、日本へWカップ杯を見に行くといって開催期間中の長期休暇を申請し、ドイツを後にした。もちろん、先達てのドイツ戦は全てスタジアムまで観に行ったし、試合終了後は見知らぬ同国人と勝利を祝い、肩を組みドイツ国家を歌いビールを飲んだ。そして、多いに盛りあがった。
 彼にとっても、久しぶりに自分がドイツ人であることを実感した濃密な時間で、自分の産まれた国で起こった悲劇だけではなく、其処から立ち直った強さを感じさせられてドイツという国も悪くないものだと、少しだけ自分の生まれた国を誇りに思えた。
 フランスは、決勝リーグに進むどころか1勝も出来ないまま日本を去る運命になり、ドイツは無事に決勝リーグへの切符を手にしたのである。昨日、サッカー観戦から戻りまだ勝利の余韻冷め遣らぬアルベルトを暗い表情でフランソワーズは、決勝リーグ進出おめでとうとこれまた暗い笑みを乗せて出迎えてくれた。
 ああいう表情をしたフランソワーズは何かやらかすのだ。
 伊達に付き合いが長いわけではない。
 何というのか、自分が思うようにいかないのが気に入らない女王様気質を備えたフランソワーズのことだ。イワンが眠っていなかったら、念動力でボールの操作ぐらいさせかねない。
 儚げな外見とは裏腹に強かな一面を兼ね備えた強い女性である。
 アルベルトがBG団の研究所で彼等と出会うまで、ジェットを腕に囲い、とても傷付きやすい優しい彼の心を守り続けていたくらいの度量の持ち主なのである。見事に捻じ曲がったジェットへの愛情は向けられる当の本人よりも恋人であるアルベルトにはた迷惑な結果を及ぼすことが多い。
 絶対に、何かやらかすであろうと警戒していたが、よもやこういう手に出られるとは、アルベルトにも予想外であった。
 悪夢の一夜から明けて、フランスで開かれる学会に出席するギルモア博士を成田国際空港まで送って行ったのだ。ギルモア博士の乗った飛行機が無事に離陸したのを確かめ、現地で合流して博士の助手として学会に同行する予定のピュンマに連絡を入れてから、空港を後にしたのだから仕方がない。
 日が暮れて、夕食の時間も遥かにオーバーしてギルモア邸に戻って来たアルベルトを迎えたのは、ジェットだけであった。
 嫌、ジェットだけなら問題はない。
 いつものジェットであったのならばだ。
「???」
 何だソレと言わんばかり不機嫌なアルベルトの視線を受け止めたジェットは、どうとばかりにくるりとモデルのように回って見せる。
「仕方ねぇじゃん。賭けで、負けちゃったから……。でもさ、酷いと思わないか。二人が映画から戻るまでこの格好でいろなんてさ」
 だったら、着替えてしまえばよいのに、ちゃんと着ているジェットもジェットだとアルベルトは心の中で毒づいた。心を許した相手に対してのジェットの盲目的なまでの信頼は時としてアルベルトの頭痛のタネでもある。姉とも妹とも慕うフランソワーズのお願いに対しては、ノーとは言えないのだ。
「昨日、フランソワーズが着ていなかったか?ソレ」
 とアルベルトが指差したのはジェットが着ているスリップドレスである。
 黄色い生地に小振りなヒマワリが描かれ、胸元には白いレースがあしらわれた可愛らしいデザインでフランソワーズによく似合っていた。サッカー観戦に出掛ける前にはそれを着ていたから間違いない。多分、サイズからして彼女が着ていたものだ。
 それをジェットが何かゲームで負けて、着せられたのは分かるが。でも、余りにも似合い過ぎだ。18歳の長身のしかもどう見ても男にしか見えないジェットが似合うとは失礼かもしれないが、奇妙に愛らしい。
 すらりと伸びた棒のように細い手足、薄い胸板に長い首筋、小作りの顔と赤味のかかった金髪は黄色いヒマワリに良く映えている。フランソワーズが着ていた時には彼女の脹脛が見えない程度の長さであったが、ジェットが着るとちょうど膝小僧がにょきっと覗いてそれがまた、ジェットを幼く見せるのだ。
 これで、麦わら帽子でも被ればアンかピッピだなと、児童文学にも詳しいアルベルトはそう思う。
 仕草は男のジェットのままだし、どう見ても男にしか見えないジェットなのに、こんなに可愛いなんて詐欺だ。惚れた欲目もあるのだろうけれども、何を着せても可愛いく見える。強いていえば、やんちゃな男の子が友達の家に遊びに行ってふざけて洋服を汚してしまい。その友達のお姉さんの洋服を借りているといったところであろうか。
 子供のやんちゃさを目元に残るそばかすの白い痕がちゃんと残していたし、笑うなよと顔に書いてある不遜な態度がまた、子供染みていて、アルベルトの瞳には好ましく映るのだ。このコスチュームを選んだフランソワーズの趣味の良さだけには感心を覚える。
 フランソワーズはジェットを昔から着せ替え人形のようにあれこれとっかえひっかえ着替えさせては歓ぶところがある。それに慣れとは恐ろしいもので、フランソワーズが似合うと言うと、変だなと思いつつもちゃんと馬鹿正直に着ているジェットが居るのだ。
 その奇妙な趣味が出たのかとアルベルトが思った時、脳内で突然、フランソワーズの声が響き渡った。
『見てくれた?』
『見たって何がだ』
「どうかしたのか?」
 ジェットは黙ったままのアルベルトに小首を傾げる。フランソワーズからだとは言わない方がよいだろうと曖昧な笑みを零し、腹が減ったから何かないかと尋ねると、ジェットはちゃんとアルベルトの分の夕食はジョーが用意してくれていて、自分が温めて直してしてあげるから、待っていてと嬉しそうにスリップドレスの裾を翻してキッチンに消えて行った。
 面倒をかけるばかりだと思っているジェットは、自分が何かアルベルトの為に出来ることがあるととても嬉しがり、一生懸命にアルベルトの為に成し遂げ様とする。料理を温めるくらいとはいうが、家事全般に対して壊滅的なまでに不器用なジェットは市販の温めるだけのポップコーンを作ろうとしてキッチンを大破させてしまったという華々しい経歴の持ち主なのだ。そんなジェットだが、アルベルトに何かしてあげたい一心で、努力した結果、作って置いてある食事を温めたり、食器を並べたりは出来るようになったのだ。
 湯を湧かすだけでガスコンロを壊していたことを思えば、格段の進歩である。
 そんな自分の為にと必死なジェットの後姿に、アルベルトは知性を漂わせた顔がどうしよもなく溶けて、鼻が伸びきっているだらしないヤニの下がった恋人にベタ惚れな馬鹿な男の顔に成り下がっていた。
『ジェットの、スリップドレス。可愛いでしょう』
 この会話は特別なフランソワーズとアルベルトで取り決めた周波数を使っているので、二人以外、誰にも聞こえてはいない。顔は笑っていても、脳内通信で罵声の応酬をすることなど二人にとっては当り前な日常の一つなのである。
『お前か……』
 いかにも誘ってますなんて風体のジェットを目の前にぶら下げるなんて、どう考えても自分に対する嫌がらせではないか。自分が何をしたというのだと言いたいが、アルベルトは原因に心当たりがあった。
 そうWカップである。アルベルトの母国が決勝トーナメントに駒を進め、フランスは惨敗だったのだ。フランスをこよなく愛する彼女に我慢出来ることではない。さすがに、フランス代表に直接嫌がらせをするほどは腐れていないが、溜まったストレスを発散しようと手薬煉引いているのは見え見えなのだ。
『ふふっ…。そのスリップドレス、験が悪いからジェットにあげるわ。それに、ジェットとっても可愛いでしょう。アルベルト、ドイツ決勝トーナメント進出おめでとうのプレゼントをちゃんと受け取ってね』
 やはりとアルベルトは頭を抱えた。
 そういう女なのだ。だいたい昨日の暗い笑みの向こうに何かがあるとは思っていたが、こう来るとは予想外であった。
 ジェットの艶姿に負けて、いたしてしまったら翌朝、フランソワーズは盛大にからかうに決まっているのだ。でも、あの姿のジェットと一緒に居て理性を保つ自信は、はっきり言って胸を張ってアルベルトには無かった。
 昨日はスタジアムに出掛けるアルベルトを寂しげに見送ったジェットの姿があったし、今日はギルモア博士の送迎で時間を取られてしまった。またドイツ戦が始まれば、サッカーを見に行ってしまうのは分かっているから、そうでない時はなるべくジェットと過ごすように心がけているのは、ジェットが仕事を休んで、ギルモア邸に滞在しているのは自分がギルモア邸に滞在しているからである。メンテナンスの時も、時間が取れれば、例え一日だけでもジェットはアルベルトに会いにNYから文字通り飛んで来る。
 2日間、ろくに触れ合っていないのだ。
 ギルモア邸の中には眠り続けるイワンしかいないのならば、絶好のチャンスだ。いつも、ギルモア邸での恋人同士の営みはアルベルトの部屋かジェットの部屋に限られている。いつも、誰かが邸内にいて、各自の個室以外でのエッチはかなり無理があるけれども、今夜は二人だけなのだ。
 ずっとというわけではないだろうが、一戦だけなら時間があるだろうし、フランソワーズがああ言って寄越したということは、ジョー相手に憂さ晴らしをすることに決めたに違いない。映画を見て、カラオケかボーリングでもして、お酒でも呑んで、空が白み始める頃に女王様はご帰還であろう。
 ギルモア邸から車で1時間ほどの場所に、映画館、パチンコ、銭湯、レストラン、ゲームセンター、ボーリング場等々がある24時間営業のアミューズメントタウンがあるのだ。おそらく其処に行ったに違いないというよりは、其処ぐらいしか近所に遊ぶ場所がないのだ。
 フランソワーズの嫌味にジェットの艶姿とリビングかキッチンでのセックスがオプションに付いてくるとなれば、アルベルトの行動はおのずと決定してしまったようなものだ。フランソワーズの嫌味が怖くてジェットの恋人はやっていられない。
『ありがたく戴かせてもらう。ああ、フランス敗退残念だったな』
 どうせ、明日の朝になれば散々言われるのは分かっているから、アルベルトもつい嫌味で応酬したくなる。
『……』
 ぶちっと、嫌な音が脳内に響き渡った。
 突然、電話を切られたような不快な音がまだ残っている。フランソワーズめとアルベルトは毒づいてみせるが、当のフランソワーズは忍び笑いを零しつつ、ジョーの運転する車の助手席で静かに怒っていた。
 だいたいフランス人とドイツ人に仲良くしろというのが無理がある。この二つの国は国境を接していて、戦いの長い歴史が存在しているのだ。それに、もう一つの理由はジェットの存在であった。
 ジェットはフランソワーズにとって、二人で手を取り合って支え合って生き延びて来た大切な大切な家族にも等しい存在で、実際に弟のように腕に囲って可愛がっている。その親密さは恋人や姉弟を凌ぐもので、全員が最初、二人は恋人同士だと誤解したぐらいなのだ。
 其処に、いくらジェットの方が先に惚れたといえ、突然、やって来た男に簡単にジェットを取られてしまった。アルベルトと一緒に居てジェットが幸せなら、それでイイのだと納得はしている。確かに、アルベルトと居るジェットは幸せな顔をしていると思うが、感情はそれを肯定はしない。
 大切に大切に育てた弟をどこの馬の骨とも分からないドイツ人に連れ去られたも同然なのだ。
 アルベルトもアルベルトで、何かとジェットを庇い、何かあるとジェットが駆け込む場所になっているフランソワーズの存在が気に入らない。相談があるなら恋人の自分にすれば良いのにと思うのだが、すぐにフランソワーズの元に行ってしまうジェットを腕に抱き、勝ち誇ったように挑戦的な笑みを零す彼女の姿は癪に障る。
 普段は、それなりに上手く行っているようにジェットの前では見せかけている二人だが、ジェットを挟んでのアルベルト旦那vs小姑フランソワーズのテーブルの下での冷たい戦争は今もって続いているのである。
『ジェットは俺のモン』
 明日の朝には嫌でも見せ付けてやろうじやねぇかと妙に燃えるアルベルトが其処に居た。見える所に痕をつけて、ジェットが起き上がれなくなるくらいに愛し合って、それを揶揄されて赤く頬を染める艶やかな姿を見せてやる。
 スリップドレスもジェットの精液でベタベタに汚してこれ見よがしにゴミ箱に捨ててやるとばかりにアルベルトは、其処には居ないフランワーズに対抗意識を燃やすのである。
「アル、ご飯温まったよ」
 キッチンから顔だけを覗かせてアルベルトを呼ぶジェットの姿に、優しい恋人の笑顔を浮かべて歩み寄った。
「すまない。美味そうに温まっているな」
「でも、作ったのジョーだぜ」
 とアルベルトをキッチンにあるカウンターテーブルに並べられた席に誘導し、自分は隣にいそいそと腰を下ろした。
「お前の愛で温めてくれて、マズイわけなかろう」
 アルベルトの大人の口説き文句にジェットは頬を染めて困ったように鼻の頭を掻いていた。本当に可愛らしいと思う、ちゃんと食事をして力を蓄えたらひーひー言わせてやるからなと、アルベルトはジェットの愛情の篭ったかなり遅い夕食に箸をつけたのであった。





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