彼について知っている幾つかの事情



「だからね。別にあたしはジョーをないがしろにしてるわけじゃないのよ」
 フランソワーズは店仕舞いをした張々湖飯店で、そう諭すような口調で話しつつも張々湖を睨み付ていた。グレーとがそっと新しいカップに白酒を注ぎ、フランソワーズの前に差し出したアルコール度50のそれをぐいっと飲み干して、ダンと空のグラスをテーブルに置く。
「いや、わてはフランソワーズを責めてるじゃないあるね。ジョーが遠慮して言ってる……」
「遠慮ですって」
 と綺麗に手入れされた眉がきりりと持ち上がり、エメラルドよりも美しく生命力に溢れたその瞳が剣呑な色を帯び始める。そんなフランソワーズを視界に収めて、グレートは張々湖の豊満な肉体を肘でつついた。
 それ以上はよせという意味であるが、張々湖も意外に頑固な一面を持っているのだ。それに、中国人気質を持ち合わせる彼は、祝い事は家族や親族で分かち合うものであるとの信念から、どうして今夜ジョーの誕生日をしないのかと、店が終ってからそればかりを言っている。
「フランソワーズは今夜、泊まっていくし、ジョーは寂しくないあるか」
 典型的なフランス人のフランソワーズに中国人の気質や習慣を理解しろというのは無理だが、また逆もしかりで、間に挟まれたグレートはかなり肩身の狭い思いをしているのか、オレンジジュースを啜りながら、二人の会話の行方をじっと見守っていた。
「寂しいですって」
 フランソワーズの眦が上がる。
 確かに、フランソワーズは掛け値なしの美人である。張々湖飯店の看板娘で、張々湖の料理の腕はもちろんのことフランソワーズの美貌につられてやってくる客も少なくはない。
「張大人は、何か、大きな誤解をしているようね」
 グレートがいつの間にか注ぎ入れておいてくれた白酒をフランソワーズはぐいっと流し込んだ。サイボーグだからして、喉が焼けただの、胃が爛れるだのと心配はないといっても、アルコール度数の高い酒をぱかぱか呑まれるとグレートの肝は冷えてくる。決してフランソワーズの酒癖は悪くないが、滑りのよい口が更によくなって、そのマシンガントークに打ち抜かれて憤死せずにいられることは少ない。
 フランソワーズは仲間の中でただ一人の女性であり、誰もがフランソワーズに特別な感情を抱いている。妹、母親、姉、恋人、失った大切な女性の面影を誰もがフランソワーズに重ねている。そうやって、男として矜持を保たせてもらっているのだと、グレートは感謝すらしている。
 だから、誰もがフランソワーズを一人の成熟した女性として扱うし、そのことに疑問を持っていないわけではないが、ただ一人しかいない女性の立場にかかる負担を自分の立場では軽減してあげられないし、理解もしてやれない。
 だから、どんなに恐ろしい顔をして怒られてもグレートはフランソワーズが嫌いになどなれない。
 母親も悪いことをすれば、鬼のような顔をして自分を怒った。でも、自分は決して母親を嫌いにはなれなかったし、むしろ好きだった。多分、それに近い感情なのだ。
「ジョーはね。自分で、博士と二人っきりになりたいって言ったのよ」
「だから、わいらの仕事を休ませ…、ないように気を使ってるある」
「ああ〜、だ、か、ら、全然、違うの。何度も、同じことを言わせないでよっ!!」
 フランソワーズの絶叫に張々湖は真ん丸い顔に申し訳程度に存在している小さなつぶらな瞳をぱちくりさせる。そして、隣の相棒にどうしたもんかと、視線を送る。このままいっても、話しは平行線を辿るばかりだということに気付いたのだ。
 フランス人と中国人、やはり仲裁はイギリス人の仕事かと、グレートは閉じていた口をようやく開いた。
「張さんよぉ、ジョーはな。博士が好きなんだ」
「わいも、好きあるね。皆も、そう」
 当り前と頷く張々湖は、グレートが想像していた通りの答えを返してくれる。
「ジェットがハインリヒを好きみたいな、好き、なんだぜ」
「わかってあるね。ジョーの目を見ればわかるあるよ」
 だったら、二人にしてやってとフランソワーズは突っ込みを入れるが、グレートに視線で制されると、面白くないわという顔をして煙草を咥えて火を点けた。
 煙の向こうから突き刺さってくるわからずやの中国人をなんとかしてよとのフランソワーズの視線をグレートは受け止め、相棒に向き直るように座ると、言葉を続けた。
「だから、ジョーは誕生日くらい誰にも邪魔されず、好きな人と過ごしたいわけだ。いつもは研究で忙しくしている博士も誕生日ならジョーの為に時間を割いてくれるはずだ。ジョーにとっては、博士と二人っきりの時間を作ってもらえることこそが最高の誕生日プレゼントになるんだ。パーティーはどうせ店の定休日にしてやるんだろ? 張さん。でも、ジョーにとって、今日は特別で、博士と二人っきりになるのは、今日でならなくちゃならないんだ。お前さんだって、恋の一つや二つ経験あるだろうに」
 グレートの言葉に、張々湖は真剣に頷いた。
「わかったあるね。ジョーはギルモア博士を誕生日に漕ぎ着けて口説きたいあるか」
「まあ、ちょっと違うが、そんなもんだ」
 なんだそんなことかと張々湖は得心がいったとの笑みを相棒に送り、向かいでぷかぶかと煙草を燻らしているフランソワーズに向き直る。
「フランソワーズも、そう言ってくれればいいあるね」
「だから、あたしはさっきからそう言ってるじゃないっ!!」
 沸騰寸前のフランソワーズの台詞も何処吹く風と、張々湖はテーブルに並んだ料理を勧め、スープを温めようと席を立った。
 別にフランソワーズの激昂ぶりを恐れたのではなく、余ったスープが勿体無いから飲んでいまおうとの意図以外まったく張々湖にはなかったのである。フランソワーズがヒステリーを起こそうと、ジェットがハインリヒが構ってくれないと拗ねて暴れようと、マイペースなのが張々湖のよいところでもあり悪いところでもある。
 張々湖は悪い人物でもないし、意地が悪いわけではない。
 四千年の歴史を持つ国の出身だけあって、奇妙なまでに懐が深すぎて欧米人には時としてその思考は奇異とも移るものがあるのだ。本当にこういうところは謎だわとフランソワーズはコメントをするとこのやり場のない感情をグレートにぶつけることにする。張々湖の相棒を自称しているのだから責任は取ってもらわないと、とフランソワーズはまるで、鼠を見つけた猫のような笑みを密やかに零す。
「グレート、やっぱり、あなたたちもデキてたんぢゃないっ!!どうして同じことを言ってるのに、あたしの言うことはには耳をかさないで、あなたの言うことには耳を貸すのよ。これって、どう見ても俺達デキてますってことじゃない。熟年夫婦のノリはあったけど、気が合うだけかと思ってたら、やっぱり、あんたたちもぉ〜〜、そうなのねっ!!」
「違う……、それは誤解だっ!!」
 フランソワーズの言いがかりに必死で言い訳をするグレートだが、目を座ったフランソワーズに勝てるわけもない。生命力溢れる瞳は、いじめっ子モード全開のキラキラとした輝きに満ち満ちていた。
 でも、フランソワーズが自分達の前でこんなに素を曝け出して酒を呑むなんて、そうそうあることではない。彼女なりに博士と上手くやって楽しい時間を過ごせているのだろうかと、ジョーのことを心配しているからのことなのだろう。だから、今夜は荒れ模様の彼女に付き合おうと、人の良い紳士なグレートはそう決めていた。
「で、馴れ初めから、フランソワーズ様にちゃんと話しさないな」








「なあ」
 ジェットは狭いベッドの上で寝返りを打って、恋人の端正な顔を視界に入れた。
 返事を返すように、ジェットの皇かな裸体を抱き寄せる。
 抱き寄せられてもいつものように冷たくはなく、その躯がとても温かく感じることにジェットはいかに自分達が密着した時間を過ごしたのか実感させられて、少し嬉しくなる。
「ジョーの奴、上手くやってっかな?」
 ジェットは不安そうにアルベルトを見詰めている。
 ジョーがギルモア博士のことが好きだと知ったのは、BG団を逃げ出して間もない頃であった。同世代ということもあったし、アルベルトとの関係があることもあってジョーも話し易かったのだろう。子供っぽい仕草でそうジェットに告白した。
 最初は驚いたが、そんなジョーの視線の先にはいつもギルモア博士がいて、切ないまでに博士に尽くそうとしている態度に、結局それを認めざる得なかった。
 ジェットにとってギルモア博士は父親のようなものであり、その父親が好きだという友達の存在にもどう接したらわからない時期もあったが、二人が納得しての付き合いだったら構わないと思える程度に心の整理はつくようになったのだ。
 それに、ジョーもギルモア博士に自分の気持ちを押し付けて、無理強いするつもりもないようだし、一緒に暮らせることに幸せを感じているようである。
 一ヶ月前にギルモア博士から、仕事を休んで日本に来られないかとの連絡をもらった。もっとも、それ以前に自分の誕生日を祝ってもらった時に、ジョーに誕生日には何が欲しいと聞いたところギルモア博士との二人っきり時間との答えが返ってきていた。
 だから、アルベルトにも言い含めて、敢えてジェットとアルベルトは仕事が休みにも拘らず、仕事が忙しくてとても日本に行けないと口裏を合わせたのだ。ジョーの誕生日を祝うかもしれないとの予定で申請していた休暇を、ドイツのアルベルトのアパートで二人で過ごすことに決めた。
「楽しく、やってるさ」
「どうしてわかる?」
 ジェットは見てもいないのに、そう言って退ける年上の恋人の耳を引っ張った。どうしてなんだ、教えろよと迫ってやるとアルベルトはジェットを更に深く抱き寄せる。
「好きな奴と過ごす時間はナニモノにも変えられん。本当に好きなら、アイシテルなら一緒にいるだけで満たされる。俺も、お前と一緒にいる時間か欲しい口だからな。ジョーのことは笑えんさ」
 暗に、自分と一緒にいることに幸せなのだと、自分を愛しているとの言い回しにジェットは嬉しくなる。まだ、複雑な心境は残っているし、もしギルモア博士とジョーがそういう仲になったとしたら自分はどう接したらよいのかわからないけれども、二人が幸せになれる方法があるのなら、そうなればよいとジェットは素直にそう願っている。
 ギルモア博士もジョーもジェットにとっては形は違うが、とても大切な人達なのだから、少しだけの幸せだとしても感じて欲しい。
「なあ、本当に一緒にいるだけでいい?」
「俺は欲張りだから、一緒にいるだけでは我慢できんな。お前と愛し合いたい」
 その台詞にジェットは良くできましたと恋人の鼻頭にキスを一つ落とした。
 今日の誕生日がジョーにとって忘れられないよい日になるといいものだと、二人はそう願いつつ、口唇を重ねる。
 徐々に熱を帯びる口付けの向こうで、今度、日本に行ったらジョーに誕生日は幸せな過ごせたかと、聞いてみようとジェットはふとそんなことを考えていた。








 ギルモア博士とジョーがどんな誕生日を過ごしたかは、二人だけが知っている。
 秘密にして欲しいとのジョーの願いをギルモア博士は終生守り続けて、ジョーがギルモア博士と初めて二人っきりで過ごした誕生日に何があったか、決して語られることはなかったのである。





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