暗殺者



 強い風が吹き、髪を乱しては去っていく。
 これくらいの風がどうということはないが、強い風に長い時間吹かれていると妙な心持ちになってくる。コートの襟を立てて、レンタカーを降りると、指定された座標は海岸沿いであった。
 ごつごつとした岩に波がぶつかり盛大な飛沫をあげる。
 イギリスの南部にあるゼノアという小さな港町の外れの海岸だ。
 人など見当たらない。もう一度、GPS携帯で緯度、経度の確認をするが指定された場所に間違いはなかった。
 見えるといえば、古びたコテージが一軒だけである。
 まだ、自分を呼び出した男は来ていないらしい。
 アルベルトは煙草を出して、背中で風を遮るようにして火を点ける。
 吐き出した紫煙は立ち昇る暇もなく強い風に攫われて消散してしまうのだ。
 激しい風に弄ばれる波を見詰めながら1本煙草を吸い終わると、一人の老人が近付いて来た。薄汚れたコートを着て、髭を蓄え、カメラとスケッチブックを持った恰幅の良い背の小さな老人である。
「こんにちは」
 白い日焼けしていない顔はこの土地の人間ではないことを示している。
「こんにちは」
 互いに挨拶を交わして、老人はさり気にアルベルトの隣に立った。
「遅かったな」
 旧知の仲の言葉に、アルベルトはにやりと笑った。自分に近付いて来たその何というか雰囲気がグレートそのものであったからだ。さすがに元役者だけあって、目立たないと言う点では合格点の格好だろう。
 このイギリスの南部、コンウェール地方は、夏はリゾート地として賑わうが、冬は強い風が吹きつけて人が寄らない土地である。しかも、妖精に関する伝承の多く残るこの地方には年中研究者や好事家がうろうろとしていて、グレートのような格好をした人を見かけてもけっして珍しくはない。
「あのコテージだ」
 と視線で古びたコテージを指し示す。今も雨が降りそうな空模様で昼間だというのに薄暗い、そのお陰かコテージには灯りがついていて、人が居ることが推測できる。
「覚えてるか。あの忌々しいサイボーグ島で、情報部の責任者だった男だ」
 その台詞にアルベルトの表情が空模様と同じ色合いになる。
「忘れられるものか」
 と吐き出すように告げられた台詞は、アルベルトの心境を如実に語っている。
「その男があそこに居る」
 生身の人間一人ならグレート一人で事足りる。変身能力を備え、天性の役者として資質を持つグレートは何にでも変身でき、簡単にその人の懐に入り込める。その気になれば、人懐こい野良犬を演じつつ、ターゲットに近付き屠ることなど簡単なことだ。
 美女になってベッドに誘い込み、頭を拳銃で打ち抜くことだって出来る。
 それなのに、ターゲットを逃がしてしまうかもしれない危険を冒してでも、アルベルトがここに到着するのを待っていたかは、アルベルトは一番良く分かっていた。
 自分達は、BG団を逃げ出してからこちら、地道に彼等幹部一人一人を抹殺していた。
 逃げ出す前に関係者のリストを作成し、その全てをイワンの頭の中に保管したのだ。総勢、500人にも上るリストだがイワンが記憶には聊か物足りない量のデーターである。
 逃げ出した後は全員が閲覧できるようにと、デジタル化された。
 故国や行き先で幹部を見かければ、00ナンバー達は自分達の安全を確保する為に、暗殺を繰り返していた。
「どうしろと」
「それを聞きたいと思ってな」
 とグレートはそう言う。
 それ以上は深くは語らない。十二分にアルベルトの心境を理解してくれているからだ。
「それに、明日にはここを離れるらしい。チャンスは今夜しかない」
 アルベルトは皮の手袋に覆われた右手を見詰めた。
 悪意を持った始めて人を殺したのは、あの島を脱出するわずか数十分前のことであった。長年溜め込んでいた怒りをぶつけるようにこの右手で生身の人を撃ち殺した。罪悪感など全くなく、むしろ清々しい気持ちにすらなれた。
 そうジェットはあの島で男達が性的な欲望を処理させられていた。最初は強引に無理矢理だったが、脱出をする為の情報収集の為、進んで男達に身を任せていた。その男もそんな男の一人である。
 ジェットを恋人としてではなく、道具のように抱く男達の幻影がジェットにとって過去になりつつある今ですら許せない。一人として生かしておくつもりなどアルベルトにはなかった。
 もちろんこんな姿をジェットに告げるつもりはない。自分が勝手にやっていることなのだし、それを知ればジェットが困ることを知っているからだ。
「俺がやる……」
 その言葉の後に何か聞こえた気がしたが、強い風にアルベルトの囁くような声は掻き消されてしまいグレートの耳には届かなかった。隣には既に戦う死神の顔した男がいる。
 コテージで休暇を楽しんでいる男にとって、彼は死神になるなと、そう皮肉っぽくグレートは笑った。





BACK||TOP||NEXT



The fanfictions are written by Urara since'03/06/18