2センチメートル



 夜中に、ふと目が覚める。



 静かな何もない夜に限ってのことだ。


 窓から零れる月明かりを頼りに視線を漂わせると、広い背中をゆったりとしたリズムで上下させ、穏やかに眠る恋人の姿があった。
 枕に半分埋まった顔は少し歪んでいたし、髪は寝癖で乱れていた。几帳面だといわれる男は存外寝起きが悪く、ぼんやりとした顔で、あちこちに撥ねた髪を掻きながら起きてくる仕草を思い出すと、自然と笑みが零れてくる。
 恋人がうつ伏せに眠るということは警戒を全くしていないということでなのだ。戦いの場において休息している場合は決して、うつ伏せにはならない。こうして、二人でベッドを共にして眠る夜だけはどういうわけか、気付くとうつ伏せになって眠っているのだ。
 無造作に投げ出された鋼鉄の手がジェットのちょうど顔の近くにあった。
 じっと身動ぎもしないまま、視線だけで恋人の寝姿を追う。
 目を閉じているとお堅いイメージが抜けて、少しだけ若く見える。
 30歳というには落ち着いた容貌ではあるが、こうして眠っていると不思議と僅かではあるが若く見える。この男の安らかな寝顔を知っているのが、今では自分だけだと思うと、ジェットは嬉しくなって、口角だけを上げて笑った。
 そっと、空気すら乱さない動作で手を伸ばす。
 伸ばした先には無造作に投げ出された鋼鉄の手があった。
 その手を目指して、ジェットはゆっくりと自らの指を動かした。後、2センチメートルまで近付いた瞬間、恋人の躯がびくりと動いた。ジェットは息を詰めたままその様子を見守っていたが、深い溜息と共に、再び動かなくなったのを確認すると、瞳だけの密やかな笑みを零す。
 2センチメートルの距離が疎ましくもあり、2センチメートル先からでも伝わってくる彼の存在が嬉しく思える。
 その微妙に触れるか、触れないかの距離はとても自分にとっては心地良い距離だと思える。
 付かず離れずの距離を保ったまま自分達は随分長い間、こうしてベッドを共にしてきた。
 最初に一緒のベッドで眠ったのは何時だったかを忘れてしまうくらいの時間をこうして生きて来ているのに、眠っている彼の指先に触れることが今でも恐ろしいと思える瞬間がある。
 今、恋人の指がびくりと動いた瞬間、今までも欠片も思っていなかったそんな感情が頭をもたげて来て、初めて触れたの時のように躊躇してしまったのだ。多分、触れたとしても彼は目を覚ますことはない。
 ジェットが触れたとしても、彼は目を覚ましはしないだろう。何故なら、ジェットの存在に対しては無意識のレベルであったとしても、彼は全く警戒をしていないからだ。それは嬉しいことだけれども、夜の静寂はちょっとした心の隙間に付け込んでくる。


 2センチメートル。


 心地良いけれども、時折、とても怖いと思える距離、そして永遠に埋められない距離。
 埋まらなくとも二人の関係は変わらない。
 そして、埋められてもやはり二人の関係は変わらない。
 恋とは多分、そんなものだ。
 ジェットはそう考えると、彼の指先と自らの指先の間を2センチメートルだけ空けたまま、今度目が覚めた時にはその指先が重なっていることを夢見て、再び瞳を閉じた。





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