紅き爪先に口唇寄せて



 ジェットは気だるい躯をベッドに横たえたまま、猫の如く伸びをした。
 キッチンから漂ってくるコーヒーの香りが、今朝は独りでないことを告げている。乱痴気騒ぎをした翌朝の心地好いの気だるさがジェットはとても好きであった。
 独りの夜の寂しさを紛らせる為に始めたことだが、つい嵌まってしまったというのが正解だなと、ジェットは伸ばした腕の先にある紅く彩られた爪を見詰めた。自前の爪ではなく、俗にいう付け爪というヤツだ。
 金が混じった紅はジェットのトレードマークでもあるのだ。
 あまり会うことの出来ない恋人に、彼と会えない寂しい夜の紛らせ方を告白した。最初は目をまん丸にして驚いていたが、面白くないことに彼はその状況にすぐに慣れてしまい。挙句の果てには、クィーンの騎士にでもなった気分だとまで言って退けたのだ。
 これで、自分目当てに寄ってくる男が減ると思うと、聊か面白くはないが、一山幾らとしか見えていない男達にすら嫉妬してしまう恋人のそんな独占欲が嬉しい。
 裸のままキッチンに居る恋人の背後から抱きつこうか、彼がベッドに朝食を運んでくれるのを待とうか暫し考えるが、結局後者を選択すると、ジェットは素肌にシーツをまるでドレスの如くに巻きつけた。
 昨夜は、部屋に戻ってきて、シャワーを浴びるまもなく恋人に抱き締められた。
 貪るようにキスを求められて、そのままベッドに雪崩れ込んだのだ。身に纏っていたドレスを焦らすように脱がされて、下着のラインが出ては困ると辛うじて陰部が隠れる程度のTバックを身に着けていたことに興奮したのか、恋人は随分と長い間、下着を外すことを許しはしなかった。
 それはそれで、ジェットとしては満足出来るセックスであったし、たまにはちょっとこんな変態じみたプレイも悪くはないと、思えるくらいの余裕はあった。
 紅い色のウィッグ、銀色のマーメイドをイメージしたドレス、じゃらじゃらと大仰なアクセサリーはセックスの間に散乱したはずなのにちゃんと一箇所に纏められている様は、恋人の几帳面な性格を現していて、妙に嬉しくなるのだ。
「ジェット」
 昨夜の睦み合いを思い出していて気付かなかったが、いつの間にやら恋人がコーヒーを持って静かにベッドの脇に立っていた。このベッドルームはベッドを置いてしまえば、それ以外に何も置けない程度のスペースしかない。本来ならば、ウォークインクローゼット的な目的で作られた部屋だが、私物の極端に少ないジェットは寝室として利用している。
 常用しているマグカップに注がれたコーヒーの芳しい香りに、ジェットの鼻腔を擽られた。恋人はそれをジェットに手渡すと、ベッドに腰掛けて自分の用にアパートに置いてあるマグカップに注いだコーヒーを味わう。
 年に一度もジェットのアパートに来られればよい方なのに、自分の歯ブラシとマグカップとパジャマと下着一式だけは常に置いておくのも、誰とも知らないジェットを訪ねて来た友人達に対する牽制だと実はジェットだけが知っている些細な事実なのである。
 静かな時間が流れていく。
「なあ。どうして、あんなこと始めたんだ」
 昨夜のことを言っているのをジェットは分かっている。
「ああ、ドラッククィーン?」
「確かに、お前には紅が似合うが、似合いすぎだ」
 と恋人の珍しく困った声にジェットはくくっと喉の奥で笑った。
 ずっと、一緒に居たいし、週末毎に会いたい。
 でも、互いに仕事がある。いくらジェットの飛行能力を駆使して会いにいったとしても逢瀬の時間には限界があるのが事実であった。月に一回、どんなに多くても二回。下手をしたら一ヵ月以上会うことが出来ないこともある。
 電話という文明の利器はあるが、声を聞くだけでは満足できない。反対に声を聞くと会いたいと切望してしまう自分がいるからジェットは特に、アルベルトと電話で話すのはあまり好きではない。
 何時、会おうとの約束をしたらすぐに電話を切ってしまう。そのまま話し続けて、今すぐ会いたいと言ってしまいそうな女々しい自分を見せたくはない。
「だって、あんたに会えない週末は、寂しいんだぜ」
 と背後で囁くと男の背中が僅かに揺れた。顔を見なくとも少し赤くなっているのが手に取るように分かる。自分がこうして直接的な愛情表現をすると、どうしてか年上の恋人は恥ずかしがるのだ。自分を口説く時は大胆でロマンチストなくせに、ジェットが好きだというと困った顔をする。
 そんなところが可愛いなんて、口が裂けてもいえないが、そんな彼を自分だけが知っていると思うとジェットは気持ちが良くなる。
「そんな時にさ、知り合いに誘われたんだ。募金活動の為にドラッククィーンの格好して手伝ってくれないかって…。楽しかったしさ。つい病みつきになっちまったんだよ。あの格好して、乱痴気騒ぎしてると少しはあんたのいない週末が埋められる気がする。でも、あんたがするなって言うなら、もうしないよ」
 ジェットはそう言うと、上体を起こして恋人の広い背中に頬を寄せた。
 シャボンの良い香りがしてくるのはシャワーを浴びたからなのだろう。白いシャツに化粧を落とさないままでいた為、ファンデーションの色がついてしまったがジェットは敢えて黙っていることにする。
「やっぱ、みっともなかった?」
 ジェットの子供染みた笑いがシャツの生地を通してアルベルトに伝わってくる。
「違う。逆だ」
「逆?」
 大体綺麗なドラッククィーンなどはいない。ディフォルメされているからこそ可笑しいのだし、そのアンバランスが笑いを呼び、その場を明るくする効果があるのだ。
「お前は、綺麗過ぎる」
 アルベルトの偽らざる気持ちだった。
 部屋で着飾ったジェットを見た瞬間は、仮想大会か? とつい真剣に思ってしまったが、夜の街に繰り出したジェットを見て考えがすぐに変わった。ネオンの光りを受けて銀色の裾の長いドレスを引きずって、歩くジェットはNYの街を歩く人魚のように見えた。
 紅い長い髪が細い腰に巻きつくように揺れる。
 それにつられて自分と同じようなことを考えているだろう男達の視線が動いた。
 その視線を感じ取り、背を向けたまま振り返にウィンクを寄越す姿にアルベルト自身当てられてしまったのだ。
「お前を見てる男達が気に入らないだけだ。別に止めろとは言わない」
 ジェットは付け爪のついた指先で背中を辿ってみる。
 項に触れて、固い銀髪を後から撫で上げると、恋人は止めろと視線だけでジェットを威嚇する。
「そう、あんたが寂しい思いをさせるから仕方ないじゃん。どんな男が言い寄ったってあんたしか見えてないもん。あんた以上にイイ男、この世にはいねえって…」
 媚を売るように瞼を薄く閉じて、しな垂れかかりながら囁くと、恋人はジェットの染まった指を取って、そっと口付ける。
 とても変な気持ちになる。
 ジェットは男だ。
 それはセックスをしているから分かるし、一度として女扱いした覚えはないつもりだ。でも、着飾ったジェットを見ていると妙な気持ちになってくるし、こうして艶やかに着飾った名残りを纏ったジェットに欲情してしまう。
 顔を飾った化粧はすっかり剥げていて、真っ赤な口紅はわずかな色彩を残すだけで、ファンデーションは所々、剥げ掛かっているし、付け睫毛も取れてしまってしっかりと施したアイメイクだけがパンダのように目の周りを縁取っていた。更に白い肢体が身に着けているのは、香水と汗と、精液の乾いた匂いだ。
 もし、女が相手だったらこんな姿を見たら幻滅するかもしれないが、ジェットだと、その乱れた姿に情欲を感じてしまうのだ。そんな性質の悪い情欲を、年長の友人から教わった大仰で芝居染みた仕草で隠してみせる。
「お褒め頂いたお礼に、本日は我がクィーンの為に一肌脱ぎましょうか」
 そう言うと、ジェットは笑って応える。
 それは楽しみだなと、契約として差し出された紅い指先に再び、アルベルトは口付けを落とした。





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