言葉
「んっ!!」 ジェットは明後日の方向を見たまま、綺麗な深緑色の光沢のある紙袋をアルベルトの目の前に突き出した。 それ以来、一言も話さない。 黙ったまま隣でウイスキーをちびちびと舐めながら、ポテトチップスやサラミ、チーズを摘み、テレビの画面を忙しなく変えていく。 そして、一日の最後のニュースにチャンネルを合わせると、深くソファーに痩躯を沈みこませた。今日のジェットは言葉数が少ない。いつも、煩いと思えるぐらいに、自分がNYでどんな生活をしているのか事細かにアルベルトに報告するように返事があってもなくても喋り続けるのに、今日は違った。 いつもならアルベルトの仕事が終わって帰ってくる前に勝手にアパートにやって来て、勝手に風呂に入り、勝手に冷蔵庫を開けてビールを飲んでいる。そして、アルベルトのシャツを羽織っただけの姿でお出迎えしてくれるのが、だいたいのパターンだ。 けれども、今夜は品行方正に帰宅し、一息ついたアルベルトの元にインターホンを鳴らして訪ねて来た。 確かに、会う約束はしていた。 NYで自転車便の仕事をするジェットと、ベルリンでトラックの運転手の仕事をしているハインリヒとでは簡単に休みが重なることはない。互いに示し合わせたようにして、休みが取れるのは1ヶ月に一度あれば良い方で、会えない時には3ヶ月も会えないこともある。 ジェットの飛行能力を使ったとしても、せいぜい1、2ヶ月に一度の逢瀬が限界なのだ。 だからこそ会えば、まるでガソリンに火を近づけた時のように簡単に燃え上がる。 でも、今夜のジェットはいつものジェットとは違う。 明らかに、自分の起こしたいつもと違う行動に照れているのだ。 一向に自分を見ようとはしないジェットのそんな姿に、アルベルトは根負けをした。黙ったまま、手渡された紙袋を空けると手袋が入っていた。 そこに何か物が存在していて、それがどんな形をしている程度の触感しかない手なのに、その黒いウールの手袋はとても柔らかく温かく感じられた。 はめてみるとまるで自分の人工皮膚如くにぴたりとその右手を包んでくれる。 「ジェット」 ジェットはそっぽを向いたままだ。 「まっとうな金で買ったんだから文句言うなよ」 台詞だけ聞いていれば憎たらしいのだけれども、態度は全く違う。目元を薄っすらと紅く染めて、ハインリヒにプレゼントを手渡したことが恥ずかしいと物語っている。 その姿を見れば、ジェットが鋼鉄で作られたハインリヒの右手に合うサイズの手袋をわざわざ探して買い求め、しっかりと胸に大切に抱いて、飛行中も紙袋が破れたりしないように、かなりの気を使ってスピードを調節して飛んできたのかは、見なくとも、言われなくともわかる。 どんな言葉よりも、ジェットのそんな仕草や想いが自分の心を温めてくれるのだ。 「レシートなくしちまったら、返品はできねぇぜ」 とまた、憎まれ口を叩いてくれる。 つつまりは返品不可だから大切に使え、と言っているのだ。 ジェットの行動はどんな言葉よりも雄弁に自分を愛してくれていると伝えてくれる。言葉などなくても想いが伝わるということを感じられるのはジェットだからかもしれない。言葉で伝えられる想いが全てではない。 自分がどんなに嬉しいのか、言葉に伝えなくともジェットは解ってくれているだろう。 『ありがとう』と言えば、ジェットは顔を真っ赤にしてバスルームに駆け込んで篭城してしまうかもしれない。フレンドリーで、こちらが照れるような愛の告白をするくせにこんな些細な恋人の誕生日にプレゼントを贈る行為に照れる彼が可愛くてならない。 言葉は、いらない気持ちになる。 ハインリヒは手袋に包まれた自らの右手を見詰める。 右手が温かさと、くすぐったさを感じてうずうずしてしまう。 それをジェットに伝えたくて、隣でテレビに夢中になっている振りをしているジェットの左手を握った。 これが自分に与えられる温かさであり、感覚機能が乏しい閉ざされた世界に一筋の光明を照らしてくれているということなのだと伝えたかった。 ジェットはびくりと躯を一瞬だけ驚いたように強張らせたが、すぐに何もなかった振りをする。でも、その手を振り解くことはなかった。 言葉がなくとも想いは伝わる、そんな感覚が二人を幸せな気分にする。 誕生日を祝う言葉も、何もいらない。 存在しているだけで、それら全てが伝わってくるのだ。 言葉は時として不要なのかもしれない。想いを伝えるのに、今はとても不便な道具のように思える。こんな静かな夜もたまには良いのだと、アルベルトはしっかりとジェットの手を握った。 こんな自分の為に、祝ってくれてありがとうと。 誕生日はまだ数日先だけれども、忘れられない誕生日になると、アルベルトもまた言葉にせずに手を握り、その痩躯を抱き寄せることで伝えようとした。 『ありがとう。お前に会えてよかった』 |
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