別嬪なカレ



「いい気味だわ」
 あたしはシャワーを頭から被っているジェットの耳元に届かない程、小さな口唇しか動かさないような声で、そう呟いた。
 ジェットがギルモア邸に滞在する時、あたしの都合が付けば一緒にお風呂に入るのはあたしとジェットの約束事なの。あたしとジェットは肩を寄せ合って、励ましあって、互いを心の支えにして辛い時代を生き抜いてきたのだ。だから、あたしとジェットの間には、余人には決して理解できないだろう絆がある。
 男とか女とか関係のない絆だ。
 だから、あたしたちは一緒にお風呂に入っても決して、セックスしたいと思わない。
 あたしたちは男と女でいるよりも家族であることを選んだのだ。一緒のベッドで抱き合って眠ったことなど幾夜もある。ジェットがあたしの胸で泣いたことも、そして、あたしの失いそうなった自身をジェットが取り戻してくれたこともある。
 ジェットはあたしにとってナニモノにも変えられない大切な大切な、そう、強いていえば弟のような存在なのよ。実際に弟以上に、ジェットはあたしの大切な人なのだけれども、それを言葉で説明は出来ないから、弟っていうことにしている。
 シャンプーを洗い流したのに、ジェットの項にはシャンプーの泡が残っていたりして、そんなちょっとおっちょこちょいところが、可愛いし、憎めないし、あたしがついていてあげなくちゃと思える一端なの。
 あたしは腕が伸ばして項についているシャンプーを人差し指で掬い取ると、びくんと躯を引きつらせて、ジェットは顔を上げた。
「フラン?」
「ほら、シャンプーまだついてるわよ。しっかり流さないと……」
 とあたしが、指についたシャンプーをぷぅーと息を吹きかけて飛ばすと、擽ったそうに笑ってくれる。こうして、はしゃいで笑った時にだけ左頬に出来るえくぼが、とても愛らしい。
「わかってるよ」
 ジェットは口唇を尖らせながら、もう一度、シャンプーをシャワーで流し始める。
 そう、本当に、素直でいい子なのよ。
 だからこそ、あのドイツ男に手渡すのは腹が立つ。
 ドイツ人よ。
 だいたい、ドイツ男にろくな奴がいないのはヨーロッパの常識だわ。恋愛経験の少ないジェットを垂らしこんであんなことやこんなことをさせて、ジェットが本気であのドイツ人に惚れてなかったら、どんな手を使ってでも、あの世に送り込んでやるのに…。でもね、ジェットが好きって、切なそうに泣いて片思いをしていた辛くて長い季節をあたしは知ってるから、出来ないのよ。
 想いが通じたって、すごくジェットは嬉しそうにしていたし、だから、あたしは賛成してあげるしかないの。例え、どんなに腸が煮えくり返ろうとね。
 でも、そんなあたしの溜飲が下がる思いをしたのは、数十分前のことだった。
 ちょうどその時、一緒にお風呂に入る約束をしていたあたしは、リビングでジェットが自室から着替えを持って来るのを待ってた。リビングは夕食後のコーヒーの香りが残っていて、台所からはジョーが片づけをしている音が聞こえてくる。あたしが、手持ち無沙汰でつけっぱなしのテレビから流れるバラエティー番組に何気に視線を流していると、メンテナンスが終ったドイツ男が地下の研究室から戻って来た。
 相変わらずスケベなドイツ男は、ジェットの姿を探している。
 リビングにいないのを確認して、部屋に探しに行こうとしたのか踵を返したその時、ジェットが着替えを胸に抱いてリビングに入って来た。
「アル、メンテ終ったのか?」
 確かに、一緒にギルモア邸に居ても顔を合わせたのは、3日ぶりのことだから嬉しいのは解るけど、向けられる笑顔の先が自分でないことに腹が立つ、特にドイツ男が相手だと思うと尚更のこと。もちろんそんなことを考えてるって、あたしはジェットが悲しむからおくびにも出さないけどね。
「ああ、風呂か。だったら一緒に入るか?」
「あんた、バッ…バカじゃねぇの。一緒に風呂に入るなんて、オレはフランと入るのっ!! どうして、あんたと風呂に入んなきゃいけないんだっ!!」
 ジェットは珍しく凄い剣幕で顔を真っ赤にしてドイツ男に食って掛かった。ざまあみろだわよ。あの時のドイツ男の鳩が豆鉄砲食らった時みたいな顔は、リビングにグレートが居なかったら笑い飛ばしてやりたいくらいにおかしかった。
 ジェットの前ではクールぶってかっこつけてるけど、ドイツ男は心の狭いし、小心者だってのをあたしはちゃんと知ってるわ。ジェットに嫌われないようにって、傍から見てるとバカバカしくなるくらいに気を尖らせてる。
「ジェット」
「とにかく、オレはフランと風呂に入るんだ」
 ジェットは助け舟を出してくれと言わんばかりの瞳であたしを見ている。本当に、こうやって縋ってくるジェットは可愛いし、助けてあげたいと思う。特に、それがドイツ男の手から逃れる為なら尚更のこと。あたし、おもむろに立ち上がって、ジェットとドイツ男の間に割って入った。 と、そんな出来事があったわけなのよ。 仲良く風呂に歩いて行くあたしとジェットの後姿を見送りながらがっくりと肩を落としているドイツ男の姿は、更に踏みつけて高笑いしてやりたいくらいに情けなかった。気の毒に思ったのか、グレートが何か声を掛けてるのが、風呂場に下りていく階段の途中で聞こえてきたけど、あたしには関係ない。
 でも、ジェットがどうして風呂ぐらいで顔を真っ赤にして怒ったのかが、気に掛かるわ。普通、あたしとお風呂に入る約束をしてるって言えばいいだけのことで、あんなに照れることじゃない。
 ベッドですることはしてるんだから。
「ジェット」
 あたしは、髪を洗い終えてボディソープをスポンジに含ませて泡立ててるジェットに聞いてみることにした。
「ねえ、あなたさっき、ハインリヒにお風呂に誘われた時に、どうしてあんなに怒ったのよ」
「だって、フランと約束していたし…」
 とそっぽ向きながら、ぼそぼそとした声で答える。全く、この子は…、少しはお芝居とか腹芸とか覚えた方がいいわよ、本当に何を考えてるのか手を取るようにわかっちゃうんですもの。でも、それがジェットの良いところで、それだけあたしに心を許してるっていう証でもある。
「ジェット、このフランソワーズ様に隠し事が出来ると思ってるのかしら?」
 と浴槽に肘を付いて伸び上がるようにしてジェットの顔を覗き込むようにすると、ジェットは軽く舌打ちをする。もう、ちゃんとあたしには話してくれるつもりなのだ。
「あなた、あたしの約束を盾にして怒ってる振りをしてたけど、明らかに照れてたわよね。で、何に対して照れてたの?」
 それが本当に不思議よ。
 裸なんていくらでも見られてるだろうし、あんなこともこんなこともしてるくせに、あたしにはイマイチよくそこのところが理解できないのよね。だって、ドイツ男との初セックスの後はもう、微に入り細に入りあたしの惚気てくれたし、今でもどんなにドイツ男がベッドで激しいのかそりゃぁ、聞いてるあたしが恥ずかしくなるくらい惚気てくれることなんて度々ある。
「やっぱ、フランはお見通しなんだ」
「ほら」
 あたしはジェットの手の中で綺麗に泡立ったスポンジを取り上げると、それを綺麗な白いジェットの背骨の浮いた背中に滑らせた。ゆっくりと肩を撫で下ろして、項にもスポンジを滑らせる。
「恥ずかしいからだよ」
「何が、恥ずかしいのよ。恋人なんでしょう? ベッドでも熱々だって、いつもあたしに惚気てくれるじゃないの」
 そりゃぁ、嬉しそうな顔で惚気てくれるジェットの顔は頬が上気して、青い目がキラキラと輝いて、本当に可愛いし、綺麗に見える。こんな別嬪、あのヘタレドイツ男には勿体ないって毎度思うくらい、惚気てくれるジェットは発言の内容がどのようなものであったとしても聞き流せるくらいには、見惚れる価値がある。
 随分、この子に毒されてるとは思うけど、あたしにとっても唯一無二の存在なのだから、仕方がない。幸せそうに笑っていてくれるのなら、全世界を敵に回したってあたしは構わないって、バカみたいだけど本気でそう思ってるのよ。
「そりゃぁ、そうだけど…風呂だけはイヤだ」
 半べそかいているような声色でジェットはそうきっぱりと言い切った。
 サイボーグになってから、セックスしてないからひょっとしてあたしの女のとしの羞恥心に故障が生じてるのかしら? と考えるんだけど、今のあたしはイマイチ検討がつかない。
「でも、ハインリヒ、本当に貴方とお風呂に入りたそうだったわよ」
「だから、恥ずかしいって言ってるじゃん」
 ジェットはぎゅっと拳を握って背中を丸めた。イマイチ理解してあげられないあたしに対して困ってるようだ。そりゃぁ、あたしだってジェットを困らせたくはないけど、どうして恋人とお風呂に入るのが嫌なのかは知りたい。
 ジェットは一時期躯を売って生計を立てていた時期があったから、ハインリヒとの関係になかなか踏み込めないでいた。その経験のせいなのかジェットはあまり普通の人が恥ずかしいと思わないことで恥ずかしがったりするのだ。ベッドの上でやることはやってて、それを話す時はほとんど恥らわないくせに、反対に好きと言われ抱き締められたことなんかは、顔を真っ赤にして照れながら嬉しそうに話したりする。
 そりゃあ、ジェットだけの羞恥に対するローカルルールがあるのだろうけど、時折、どうして恥ずかしいのか理解できない時があるの。
「ベッドの上だったら、オレ、あいつが望むんなら何でも出来るよ。どんなに恥ずかしいプレイだって、慣れてるし…、惨い目や痛い目ことはしないから…。大切にされてるって分かるもん」
 あたしは、それでもあたしにちゃんと自分の気持ちを伝えてくれようとするジェットの背中を優しく自分の掌で撫でた。告白することは恥ずかしいことかもしれないし、知りたいって思うのはあたしの我侭なのかもしれないけど、ジェットの気持ちを理解してあげたい。
「でも、風呂は…恥ずかしい。だって、オレ…、今夜アルに抱かれるって期待してる。あいつに嫌われないようにって、隅々まで綺麗にしてるんだぜ。アナルまで指突っ込んで綺麗に洗ってる姿なんてあいつに見せられねぇよぉ〜」
 そう言ったジェットの泡に包まれた白い首筋が真っ赤に染まっている。
 ああ、そうなのだ。
 ジェットは躯は経験豊富なのだけれども、心は恋愛の経験などほとんどないのだ。あのドイツ男が初めての恋なのかもしれないというくらい、恋愛に対して純粋で駆け引きなど知らない部分を持っているのだ。
「ごめんなさいね。ジェット」
 顔を上げるように顎に手を添えると、ジェットは顔を真っ赤にしたままそれでもあたしの瞳を見詰めてくれる。
「ハインリヒに抱かれることを考えてお風呂にはいるのは、貴方にとってもとても神聖な時間なのね。でも、その場にあたしを立ち入ることを許してくれてありがとう。そんな貴方があたしはとってもダイスキよ」
「フラン、男のくせにって、笑わないのか」
 笑えるはずもない。
 だいたい男や女どころか、人間という定義からかなり外れているあたしたちにとって男や女であること以上に人間の心を持っていることの方が大切で、性別などクソクラエって、言える程度のものでしかない。
「笑わないわ。大丈夫よ。ここでは、あたしが一緒にお風呂に入ってあげるわ。そうしたら、ハインリヒと入らなくてもいいでしょう?」
 ジェットの純粋な心に感動すると共に、毎回ジェットとギルモア邸で一緒にお風呂に入いれる役得にあたしにほくそえんだ。あのヘタレドイツ男に、この時間は絶対に渡さないわ。
 あたしに対しては凄く素直で隠し事一つしないけど、あたしを思いやるが故に意地っ張りになることもある。でも、お風呂では肩の力が抜けて、素のジェットの姿になっていることが多いし、色々な告白もしやすいのか、普段聞けないようなことも話してくれたりもするのよ。
「うん、ありがとう。やっぱり、オレの気持ち分かってくれるはフランだけだ」
「あたしはジェットがダイスキなんですもの、だから理解してあげたいのよ。あたしたちはそうやって今まで、生き抜いて来たんじゃない。じゃぁ、あたしが綺麗に洗ってあげるわ。背中をちゃんとこっちに向けて頂戴」
 そう言うとジェットは素直に背中を向けた。
 そういう訳か。
 あたしはジェットがエロドイツ親父と風呂に入るのを嫌がる理由が分かって嬉しくなる。今後、ジェットとお風呂に入る権利は永遠にあたしのものとなるのだ、と思うと自然と顔が弛んでくる。
 ジェットに見えないように、こっそりあたしは笑った。右手にある鏡には、意地の悪い自分の笑顔が映っていて、不思議と得意な気持ちになっていた。
「ねぇ、ジェット」
 背中にスポンジを滑らせながら、二人のバスタイムを堪能する為、ジェットに会えなかった間に張々湖飯店で遭遇したとっておきのネタを披露する為に、あたしの大切な人の名前を呼んだ。
「何、フラン」
 照れを隠すように、わざと朗らかに答えるジェットの声が日本風バスルームに響き、あたしの心を満たしてくれた





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The fanfictions are written by Urara since'03/10/17